愛知県知事、大村さんに対してのリコールが高須克弥・河村名古屋市長等の
呼びかけによって行わるとのニュースが一部で話題になっている
リコールの原因は例のトリエンナーレの「表現の不自由展」の内容と
その補助金を名古屋市が一旦認可したものの支払いをストップしたために
大村知事が名古屋市に対して支払うよう起こした裁判にあるらしい
この是非は一旦横において、現実のリコール運動の大変さを考えると
リコール運動を経験した身にとっては、このリコール騒ぎは
「騒ぐのが目的」の行動のように思えてならない
リコールはリコール賛同者の署名を集めなければならない
具体的には、賛同者の自筆で氏名・生年月日・住所を書いて捺印されたものを
集めるのだが、それは郵送とか署名用紙を適当に配って署名してもらうのではない
面倒くさいことに、署名集めの人(受任者と言われる)が、リコールの趣旨を書いた用紙を
一番表にして、その下に署名欄用の用紙を閉じた状態で、賛同者に書いてもらわなければならない
そして受任者は受任者としての登録が必要となる
署名は受任者しか集められない
ところで愛知県の選挙権を有する者の数から計算すると、リコールの必要署名数は
103万人にあたるらしい
103万人の署名を集める作業がなされない限りリコールは成立しない
だが、これが現実的か、、を考えてみると、まずは署名集めのできる受任者が
相当数必要になってくる
この受任者が一人でどれだけ署名を集めてくれるかは、受任者によるが
「解職」という気軽に判断できないテーマだけに、それほど署名数が増えるとは思えない
(自分たちが行動した市長リコールの経験からすると、
一人で300筆を集めた受任者がいれば2.3筆の受任者がいて、
平均すると15筆くらいで、最頻値は1から10くらいだったと思う)
つまりはいざ行動を起こすとなると、気持ちの高ぶりとか勢いだけでは
なんともならない現実が目の前に現れる
今回のリコール運動を想像すると、運動推進者は
本当にリコールの実現を想定したのか疑問に思えてしまうのは
こうした現実があるからだ
そこで想像するのが「このリコール運動は騒ぐのが目的」ということだ
大村さんと河村さんの対立、それに高須克弥氏も加わって
メディアが面白おかしく取り上げるだけなら、登場人物には事足りる
リコールという少しばかりセンセーショナルな言葉とか出来事
それだけで話題としてしまいそうな一部のメディア
それらは、本質的な問題提起というよりは現代にありがちな
対立軸を作って煽っているだけのように思えてしまう
(話題は消耗品としてしか価値がない)
ただ仮に巷で言われるネトウヨと呼ばれる集団が
現実の世界においても想像以上に足を使って行動し
それなりの数字を挙げてしまうとしたら、今度は別の視点で
問題は多いかもしれない
でも、正直なところ、いい大人が軽薄な行動をしてる
としか思えない