パンセ(みたいなものを目指して)

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虚栄心(職業としての政治から)

2024年06月22日 08時52分50秒 | あれこれ考えること

学者さんの抽象的な物言いかと思いきや、今となって切実感をもって
響くのがマックス・ウェーバーの「職業としての政治」からの書き残しておいた部分
それは以下のようなもの

職業としての政治 マックス・ウェーバーから

116から117ページ

政治家は毎日、毎時間のように、自分のうちに潜んでいる瑣末で、あまりにも人間臭い〈敵〉と戦い続けねばならないのです。この敵とは、ごくありふれた虚栄心で、これはすべての仕事のへ献身の、そしてすべての距離(この場合には、自分と距離をおく事ですが)の不倶戴天の敵なのです。
 虚栄心は、誰にでも見られる特性で、虚栄心のない人はおそらくいないでしょう。そして学者や教養のある人々では、虚栄心はある種の職業病のようなものになっています。しかし学者の虚栄心は、どれほど鼻持ちならないものであっても、比較的無害なものなのです。原則的にこれが学者の仕事を妨げる事は無いからです。 しかし政治家の場合にはそうはいきません。政治は避〈避けられない手段〉として、権力を追い求めるからです。その意味では「権力本能」とよく言われますが、この本能は政治家にとってはごく当たり前の資質なのです。しかし政治家という職業の聖〈聖なる精神〉に対する罪が始まるのは、この権力の追求が仕事への献身とは関わりなく、個人的な自己陶酔の対象となるときです。

政治家という仕事にはいわば2種類の大罪があります。仕事に献身しない姿勢と、無責任さであり、この2つは同一のものではないとしても、しばしば重なって現れるものです。虚栄心とは、自分ができるだけ脚光浴びるようにしたいという欲望のことで、この欲望のために政治家はこの2つの大罪の片方を、ときには両方を犯すよう、強く誘惑されるのです。民衆政治家(デマゴーグ)の場合には、「効果」を考慮に入れなければならないだけに、この誘惑は極めて強いものとなります。 そして俳優のように振る舞い、自分の行為に対する責任を軽く考え、自分の行為が与える「印象」ばかりを気にするようになる危険に、常に脅かされているのです。

なるほどなあ!と頷いてしまう
都知事選、総裁選の報道を見聞きするたびに、この書き残した部分を思い出す

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