パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

自己の判断は、他人からの要求に無力なのだろうか

2024年06月25日 09時28分29秒 | あれこれ考えること

選挙において連合とかその他の団体の支持があれば大きな数字が確保できる
でも、ずっと前からその組織の末端の人は、上からの指示に応えるのか疑問だった
上の立場の人は直接的に利害に関係するので自分たちに都合の良い人を応援する
だが、末端の人たちはそこまでのリアリティが無いので無党派層的な判断をする
と考えるほうが自然ではないかと思ったのだ

少なくとも自分は誰に投票するかは自分で決める
仲間から依頼されても、とりあえず自分の価値判断に合わせて
付和雷同的に投票することはない

自分の傾向を一般化することは強引と思われるが
自分の判断というフィルターを通さずに行動してしまうのは
偏屈者の自分には理解できない

映画の「香川一区」に印象的なシーンがあった
投票を終えた人々が投票場の近くのビルに続々と入っていった
ナレーションでは入っていったのは自民党の支持者たちで
ビルの中で行われていたのは「誰に投票したか?」のチェックだそうだ

これは報道メディアの出口調査とは現実的に意味が違う
そこでは裏切り者のチェックがなされている
平気で嘘をついて面従腹背を実践できる人なら良いが
気の弱い人は、バレる不安で上の指示通りに投票する方が精神的に安心できると
指示通りの投票をしてしまうことは容易に想像できる

東京の都知事選も基礎票となるのは組織票だ
だが、その組織票は個々の判断以上に決定的な力をもつものなのかが
自分にはどうもわからない

社会は個人個人の集合体だが、何かを決めるのは個人の判断と言うよりは
集団となったものの判断のようだ
化学では個々の物質の動き方の集合体が全体としての動きを左右するのではなくて
コロイドといわれる状態の集合体の動きがむしろ決定的な影響を与えれるとされる
社会もそれに似ているのかもしれない

自分が一番の不満を持つのは
自分の判断を誰かに任せてしまうということは危険ではないかということ
それが良いことか悪いことかを考えもせずに、安易に任せるということは
少なくともそれなりの時間を生きてきた人間ならば良い方法とは思えない

今回の場合、基礎票となる組織票が、その末端の人々の個々の判断で
思い通りにならないとしたら、これは面白いことになりそうと思ったりする

ところで映画「香川一区」には例のパーティ券のエピソードがあった
A4サイズの用紙にパーティに参加する人の名前、住所等を書く欄があった
それは問題ないが、欄外に書かれていたコメントには実態はこんなものか
と情けなくなった
そこには、出席はここに書かれた全員ではなくて少数精鋭にして欲しい
との内容の言葉が入っていたのだ
つまり、パーティ参加はお金を払った人の一部しか来てほしくない
ということだ
パーティの実態は結局のところお金集めなのだ

こうした実態を知ることの出来るそれなりの大人たちは
時間をかけて自ら鍛えてきた自らの価値観、判断力を
他人に左右されずに活かして欲しいと思う
このときの面授腹背は嘘つきというより、人の知恵と言えるものだと思う

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