パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「命令に従わない権利」

2024年07月28日 09時11分07秒 | あれこれ考えること

ここ数日間はオリンピックの話題ばかりは仕方ないが
この騒ぎ様はなんとなく気持ちが悪い
一つは、以前から指摘しているが「パンとサーカス」状態ではないかという不安
もう一つは「ナショナリティ」が妙に表立っていること

愛国心が無いわけではないし、金メダリストが表彰台で流す涙は
そこに至るまでの努力を想像すれば、人として理解できる
だがそうしたストーリーはどの国にも、どの人にもあるのだろう

今朝、28日の日曜日
定期購読している中日新聞の日曜には「視座」という欄がある
今日の執筆者は田中優子氏

ここでは、本を読まない人への不安をわかりやすく紹介している
(本を読んだ人の変化といったほうが良いかも知れない)

これらは自分も常々感じていることだが、今朝の記事で気になったのは
ちょいと見過ごしてしまいそうな以下の言葉だ
「人の尊厳を侵害する命令には従わなくて良いとするドイツ連邦軍の抗命権」
規則を守る民族と思われているドイツだが、こんな法律があったとは

そう言えば、アメリカにも宗教的、倫理的な理由から殺人を行うような
軍の命令には従えない場合には、何とか権といった法が適用されると聞いたことがある
詳しく知らないのが、自分らしく情けないところだが、つまりはナショナリティよりも
個人のアイデンティティなり考えが優先されるということだ

多分、日本ではこのような思考法には至らない
みんなが命令に従っている、、、とか、
みんなのためには現実的にはこの方法しかない
との、公益中心主義で個々の自由や倫理観は抹殺される

西欧的な個人主義が現在の日本社会をダメにしている
との考え方が、よく考えられないまま世間に広がっているが
先のドイツの抗命権などの、西欧の個人の尊厳重視の考え方は
想像以上に試行錯誤の考察の産物と思われる


漠然としたみんなのためという想像物とか公益性
一人ひとりが判断を下するように賢くなることは求められずに
ただただ、命令に従う人間をつくる(それが果たして人間なのだろうか)
今の日本社会に思うのはこうしたことだが、今回の異様なヴォリュームの
オリンピック報道はそれに拍車をかけそうな気がする

金メダルの高揚感だけで、いい気持に浸ってはならない
それはそれ、他にも大事なことはある
と敢えて思い続けないとアカンと思う

最近の日本では公益通報と思われるものが、職員の秘密保持の法令遵守義務違反として
処罰された例が鹿児島と兵庫で起きている
こうしたことが形になって残されてしまうと
前例になって個人の判断はますます軽いものになってしまう
田舎のおっさんはこうしたことが怖いと思う


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