パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

休日の過ごし方

2009年04月12日 18時59分18秒 | Weblog
休日は時間がどこか穏やかに経過している
単に気分の所為なのだけれど
それでも目に見えるものすべてもまるで休んでいるみたい
に思えるのは不思議、そしてきわめて心地よい

あんまり天気がよかったので
メタボの体をいたわる(?)つもりで
田舎の道をのんびりと散歩に出かけた

こんな風に歩いていると普段見過ごしてしまうものが
目に入ったり耳に入ったりする

最初に気づいたのは蝶(多分モンシロチョウ)
今年最初かな?と思うまでもなく
また一羽、また一羽と目の前をヒラヒラしている
そういえば高校時代、生物部の同級生が
その年一番始めに蝶を見た日を教えてほしい
等と言っていたことがあったが、今年は今日が初めて?
いやそんなことはないかな

歩くテンポに慣れてくると次には
耳元を過ぎる風がザーッと音を立てていくのが
これもまた今更ながら新鮮な気持ち

耳に関心がいくと今度は鳥たちが結構騒がしく
鳴いているのが気になりだした
鳥の種類はなんだか全然わからないが
一種類だけでなくいろんなのが鳴いている
鳥の鳴き声はどこから聞こえるのか場所を特定しにくいけれど、
これぞ休日の午前中!てな感じ
ホント、メシアンが「鳥が最高の音楽家」
と口にしたのもわかる気がする

というわけで今日の午前中は休みとしては
最高の過ごし方だったかもしれない

何か予定が決まっていて過ごすのも充実感があるかもしれないけれど
なんにも予定がなくて、自然に中でただボサーッと時間の経過を待つだけ
これもまた心の為によい休養の取り方かもしれない



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百人一首の英詩訳

2009年04月08日 22時02分16秒 | 
どうもページが前に進まないアダム・スミスの
「道徳感情論」
なにかスピードアップのキッカケを作ろうと
先日書店を覗いて
ついつい買ってしまったのが全然関係ない方面の
「英詩訳 百人一首」香り立つやまとごころ
マックミラン・ピーター著 佐々田雅子訳 集英社新書

考えてみると百人一首で使われている日本語は
意味の分からないところもあり
一種の外国語みたいなものだから
読めることは読めても内容の不明な点もあった

実際にこの英詩にしたものを読んで
なるほどそういう意味だったのか!
と気づいた句も少なからずあったのは少し情けないが
仕方ないかな

だがこの英詩
あまり出来のよくない句が(?)英詩になると
ワンランクアップするようのものもある(と思う)

例えば
これやこの行くも帰るも別れつつ知るも知らぬも逢坂の関

So this is a place!
The crowds,
coming
going
meeting
parting
friends,
starngers,
known,
unknown-
The Osaka Barrier

これなどは元の句よりも
行き来する姿が思い浮かべることが出来し
しかも詩情にあふれているように思える

だが
君がため春の野に出でて若菜摘む差が衣手に雪は降りつつ

For you,
I went out to the fields
to pick the first sprig greens-
all the while on my sleeves
a light snow falling

この英詩は
解説では最も優れた名訳とあったが
自分では あまりにも説明的過ぎて
それが幼稚に思えて賛成できかねる

ま、こんなことは個人個人の趣味の範囲だから
どうでもいいことかもしれない

それにしても改めて感じるのは
古い日本語はやわらかく深いということ
(と言って今から古文を学ぼうとは思わないが)
こうしてみると昔が今よりも劣っているとは
文化的な面では言えないかな、、、

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消費者の立場に立てば、気分的に節約しがちは仕方ない

2009年04月07日 20時24分09秒 | Weblog
景気が悪くて何ともならない!困ったものだ!
と仕事の上では口にするけれど
いざ自分が消費者の立場になると
残念ながら思い切り財布のひもが始末屋になっている自分を感じてしまう

先日もある若い主婦の方と話した時、彼女は
「自分はそれほど節約家とは思わないけれど、今何かを買うのは
 なんだか罪悪感みたいなものを感じてしまう」
そんな風に話していた

自分もそこまではいかないにしても
買うのは次にしようか!
などと始末屋だけでなく
思い切りが悪くなっているのも事実

統計的に言えばこんな風な人間が一人いるということは
世の中には何人か似たような考えを持つような人間が
まだまだいるということ
この流れ、雰囲気の底は深いようだから
しばらくは我慢をしなくてはならない?

ところでイオンを始めとして流通各社は価格を下げて
消費を促そうとしているようだが
これは本当に良い方法なのだろうか?

安ければ余分に買うなんてことは少なくとも自分は考えられないし
そもそも現在の消費者は食品を除いては
物を十分すぎるほど所有していて
つまり成熟消費社会のまっただ中にいて
それほどの物に対するハングリーさは感じていなくて
ある面、欲しい物がない!
のも真実なのではないだろうか

(もちろんホームレスを始めとする
 全ての面で不足している人たちも存在するのも事実だが)

消費が高まってのみ正常に回っていく世の中
当たり前のようだが実はどこか変なのではないのだろうか
前提条件としての疑いもないような
昨年を越えた実績を常に要求されること
それは果たして普通の人の生活にとって好ましいことなのだろうか?

誰にとって好ましいこと?
そんなことを考えることは危険なこと?

なんだかやっぱりどこかおかしい!






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サッカー練習、新年度スタート

2009年04月05日 21時42分57秒 | サッカー
「僕って何年生?」
こんな言葉が出るのも無理はない
まだ新学期は始まっていなくて
彼らはまだ2年生になっていないから

彼らとは、そう、昨年度ずっと喉を痛めつけてくれた
ウルトラマンや(3分しか緊張が持たない)モンスターたち
今日は今年度最初のサッカー練習日
今年も自分の担当は低学年(1.2年)

その彼らは仲間がまた増えて総勢18人に
そしてまだ入学していない1年生も5人
この分では今年も喉が痛くなるのは仕方ないかな

最初の練習日の今日
1年生は2年生の真似をして、
まあまあ真面目に取り組んでいた
昨年も初日はそうだった
しかし2.3日目になるともう甘えだして
すぐに自分の世界に入って練習中だというのに
地面にお絵かきしたり、蝶々を追いかけたりしだす
言葉でなんとか理解させようにしても
どうも大人が思うほど伝わるようには思えない
これはこちらが我慢するしかない?

それにしても1年生を見ると
小さい小さいと思っていた2年生達も
ずいぶん成長したものだと思う
まずは言葉を理解できるようになったし
体力的にもしっかり走り回れるようになった
それにサッカーらしいボディーバランスを
知らず知らず見せることも多くなったし
競り合いする姿は「男の子」てな感じで
このままのびのびと成長してほしいと思わざるをえない

今日は彼らは目一杯走ったから疲れただろうな
そして訳がわからないけれど
気分がすっきりしたのではないのだろうか

さあ、こちらも頑張って練習方法を考えなくては
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右足と左足

2009年04月04日 18時06分27秒 | サッカー
グランパス対フロンターレ
相性というのか今日もいつか見た景色で終了
グランパス1-3フロンターレ
グランパスは相変わらずキャプテンの存在がない
ピンチの時に踏ん張れるリーダーシップをとるのが
監督頼みではどうにもならない

話は変わって
最近感じるのが大久保、田中達也、杉本に共通することがらで
日本人の特徴と言われている速さのこと
彼らはあんなに慌てなくてもいいのではないか
慌てる為に視界が狭くなって、プレーも不正確になってしまう
それでも時々上手くいくことがあるから
積極的なプレーがいいとか、ゴールに向かう姿勢が云々と評価されてしまうが
それらが出会い頭のハプニングではなく、
きちんとした技術の披露する場面に終始できればいいのだが
いったんスピードを落として正確にすることを優先したら
彼らの持ち味は消えてしまうのだろうか?
それにしても普段の練習で慌てないようにするには
いったいどんな練習をすればいいのだろう

それともう一つ気がかりなのが
右利きのプレーヤーの左足の利用(レフティーの右足の利用)
Jリーグの選手になるくらいだから、それなりに両足を使えるのだろうけれど
今日見てる限りは利き足でボールを保持したりパスすることが圧倒的に多く
その為にパスのコースが限定され見ていて窮屈で仕方ない
結果的に上手くパスできたりしていても、速さでクリアしているのであって
どうしてもやはり不正確になっていたりする

柏のフランサのキープ力はボールコントロールの速さというより
ボールを相手から届きにくいところに上手く持っていく技術のおかげで
ヨーロッパの大男たちも速さはないけれど
自分の大きな体を生かして自分の間合いでボールをもって
ちょっとした空間や時間のズレをつくって正確なプレーをしている
このちょっとした空間や時間のズレの作り出す技術
それには両足の自在な使用が必要だが
これをちゃんと身につけていかないと、益々コンパクトになって
ハイプレッシャーの中でのサッカーのゲームは
厳しいのではと思うけれど、こんなチマチマした事柄は
普段の練習では時間を費やされないから結局
真に身に付いていることになりにくい

そんなことはもっと若い時、幼い時に身につけておくべきことかもしれないけれど
ところがこの幼い時にでも綺麗なサッカーの練習ばかりしているから
(そしてその方が試合に勝つ確率が高いから)
本能的な神経は結局磨かれずに済んでしまう

利き足だけでスーパーなプレーをできるように突き詰める
あるいは
両足自在に使えるようにする
どちらが現実的で効果的か?

守る方としては相手がどちらの足でプレーするか(キックするか)
わかりにくいと守りづらい面があるが
さて練習する本人は、利き足でない方の練習はいやがってしまい
利き足の更なる上達を好んで望んで練習の時間を費やしてしまう

ということで、なかなか利き足でない方の上達は本当に難しい
困ったものだ


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待つのは、男では?

2009年04月02日 20時45分03秒 | Weblog
今日は(も)どうでもいい話

もう懐メロの1曲になってしまった「神田川」
その中に
2人で行った 横町の風呂屋
一緒に出ようねって言ったのに
いつも私が待たされた 洗い髪が芯から冷えて、、、
の歌詞がある

たまたま昨日、何かで聞いていて
不意にあれっ!と思ったのがここの部分
というのは普通長風呂は女の方で、
男はたいがいチャチャと済ませてしまうので
このように女の方が待つという状況は
詩情的にはわからないでもないけれど
本当とは違っているかな

テレビドラマもあまり見ないが気になるのは、
トレンディードラマの男の服装で
夜になって、本当ならしわが寄っているはずのシャツが
ピリッとしていること
見栄えがいいからそのようにしたのだろうが
なんだか嘘っぽく見えて仕方ない

NHK大河ドラマも服装がきれいすぎて
もう少し、使い古したような風情にした方が
リアリティーがありそうな気がするけれど
このドラマにはリアリティーなどは求めていないから(?)
余計なお世話!かな

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