11月13日の急に思い立って求めたチケットは
名古屋芸術劇場大ホールの2階P席
P席は指揮者の背中を見る、つまりオーケストラを前にして
聴く席ではなくて、識者の顔を見ることになる席
指揮ぶりを見るのは興味深いけれど
普段聴いている右側に低弦が並ぶ配置だと
音の出処が反対になるので少しストレスが溜まる
この指揮者を見る席は昔チェリビダッケの時がそうだった
のっしのっしと歩くチェリビダッケはその姿だけで充分音楽的で
何故だか演奏自体よりも覚えている
(確かプログラムはハイドンのシンフォニーとチャイコフスキーの悲愴)
その時何か落ち着かなかったのはオケの音の出口が反対だったせいで
できる事ならこちら側の席は避けようと思ったのだったが、、、
お金のこともあり、今回はまあ仕方ないかな!
と思うことにした
演奏が始まると予想に反して案外違和感がない
そこでオーケストラの配置を見ると
指揮者から向かって左側に低弦
と言うことは結果的に普段自分が聴く時と同じ配置
それでストレスなく聴けたのか?
このオーケストラはロシア風の金管の生々しいフォルテが
特徴の音と言うよりは、もう少し上質なバランスのいい音
しかもさすが歌劇場のオーケストラだけあって
感情的な旋律線への共感はしなやかに素早い(様に思われた)
プログラムの最初のリャードフ キキモラは初めて聴く曲
ゲルギエフの腕が柔らかに動き始めると静かな柔らかい音が
これはいけるかも!
この手の響きは好きなタイプ
そう思って集中、途中チャイコフスキーの1番のロシア民謡風な
メロディーついでヤナーチェクの音形みたいなもの
それから禿山の一夜みたいな音が続いて
どうなるのか?と言う展開よりは響きに身を委ねて
まずはイントロは上々
ついでシベリウスのヴァイオリン協奏曲
寒々とした始まりは北欧風
ヴァイオリンの音も曲にマッチした音色
長髪のキリスト顔の奏者の奏でる音は
奏者の個性が表に出ると言うよりは
ひたすら純粋な音の感じだった
相変わらず感情的な旋律線への反応はいいみたい
3楽章は盛り上がった
ところでゲルギエフは指揮棒を持たずにと思ったが
爪楊枝位なものを用いて指揮していた
それが見えたり見えなかったり
一体どうやって持っているのか?
少し気になったのは事実
アンコールのバッハは良かった
お酒を飲んで出来上がったような聴衆も
曲が終わってから直ぐに拍手することもなく
余韻を味わってから拍手し始めて
それがとても自然で何故かホッとした
さてメインのショスタコーヴィッチ
つかつかと出てきて一礼すると反転
直ぐにあの出だし
その一連の流れはそうあるべき姿の様に感じられた
途中、雪が深々と積もるような、行進のようなところは
案外こうしたイメージを喚起させる文学的表現と言うよりは
伴奏音形として交響的に処理
妙な感傷性はなかった
この曲は1から4楽章まで出来不出来がない
どの楽章も結構楽しめる
2楽章の打楽器も好きだな
3楽章は自分的にはマーラーの5番のアダージェットを彷彿とさせるようで
もしかしたらこちらのほうが好きかも
フルート独奏の時の静けさ、闇、そしてそれらを支える弦のトレモロ
聞き手の集中力も身を乗り出して参加するかのよう
それまでロシアのオーケストラと言うよりは上品な西欧風の音楽だったのが
4楽章が始まるやいなや、その本性を発揮し始めた
フォルテの開放感、高揚感そしいてショスタコーヴィッチ独特のリズム
それでいて金管は生々し過ぎない
いやはや、これは良かった
終わった時にゲルギエフがまた来たら聞きに行こうかな
と思ったのだから、満足ということ
しかし、自分は結果的に普段と同じ位置関係の配置で聞けたのだけれど
普通の席で聞いた人は一体どんな響きがしたのだろうか?
そんなに差はないのか?
それとも個性的な響きになっていたのだろうか?
たしかに実際の演奏では音程・音色・音量だけでなく
その音の出処も大事なポイントかもしれない
聞き慣れた音楽が配置を変えただけで新鮮に聞こえたり
(聞こえなかったり?)
料金の高い安いで物事を決めたくはないけれど
最近支払ったオーケストラの中では高い部類
しかし、この上質な響きは、
上質なお酒を飲んだ時の「やすい酒とは違う!」
といった印象に通じるものがあった
ということで、後々印象として数年後まで
残っているかどうかはわからないけれど
まずまずのコンサート体験ということかな