少し疲れているのか、
それとも年齢のせいで少しひねくれてしまったのか
あるいは元々変な性格だったためためなのかは知らないが
最近、いわゆる正しい、建設的な意見を胡散臭く感じたり
疎ましく感じてしまう
それが正しければ正しいほど
何か違うような気がムクムクと湧き上がってくる
確かに、その通りなんだが、お前が言うな!
といった低次元のものから
政治の分野に対するものまで
あらゆる正しそうなモノに疑いの目を持ってしまう
あまり好きじゃないニーチェの文句ばかりの
姿に似ていそうで、少しその点では不満だが
それにしても、なんでそんなふうに思ってしまうのだろうか?
と思ったりする
確かに正しいことは、実行できれば素晴らしい
だからと言って、その事を強要された世界はどうも住みにくい
正しいことを行なって続けた人はご褒美を上げることに問題はない
ただどういう訳か世の中には何も正しいことをしなくても
一般的にみれば、それこそひどいと思われる人間でも
ちゃんとどころか、いい生活をしている人がいる
この現実は、実は限りなく深い
人間は努力した人がかならず報われるといった未来の
実現を確保することが出来ない
努力したら成功の確率が上がるだけだ
普通の人は楽に儲けたり、技術を身についと願い、
すべきことの出来ない理由を探したり
怠惰に流れて横着したりする
しかし、自分がそういう人間だからという点もあるが
それはそれでいいのではないか!
と思ったりする
自分はモーツアルトの「魔笛」が好きだ
1幕の後半のパミーナは生きているという合唱が出るあたりから
幕のおしまいまではホント美しいと思う
と同時にこのオペラの好きなのは
パパゲーノの存在
いい加減で、横着で、ずるくて、、、、
でもこれが好きなんだな
どこか憎めないというか
彼のほうが本当で、ザラストロの深遠な思想なんて
空想にすぎないのでないかと思ってしまうくらい
つまるところ、人間の横着な、いい加減なところを
前提としないような、遊びの部分のない正しい事は
どうにも信用出来ないということを
グダグダ言っているだけなのかもしれないが