大河ドラマ「光る君へ」は月が象徴的に何度も登場した
同じ月を二人が違う場所で眺めているといった簡単な意味合いではなく
ライトモチーフのように使われるには何か意味があるのだろうと想像した
これは教科書にも載っている道長の有名な
「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば」
を物語の一つの頂点として扱うための伏線かと想像したが
実は紫式部の歌にも月を取り上げているものがあった
百人一首の
「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半(よは)の月かな」
がそうで、紫式部の自信作だったとも説もあるそうだ
演出家は二人にとって象徴的な意味を持つ月を
通奏低音のように意味ありげに使ったのかもしれない
今とは違いもっと暗い夜に、昔の人が月を眺めるのは
月に何かを祈るような気持ちになったのかもしれないと思う
ところで今年は1月に妹が雲隠れした
そのせいか死について少し敏感になっていて
自分にもやがてくるその時を思うことも多くなった
在原業平はこんな歌を詠んでいる
「つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを」
現代文にしなくても言わんとすることはわかる
きっとそうなんだろうな、、と思う
源氏物語では光源氏が紫の上の死後、時の流れに身を任せて
暮らしているだけ(生きているだけ)の状態で詠んだ歌は
「もの思ふと 過ぐる月日も 知らぬまに 年もわが世も 今日や尽きぬる」
何となくわかるというのは、良いことか良くないことか
大河ドラマでは道長が亡くなった同じ日に
F4の一人藤原行成も亡くなったとされている(歴史的事実?)
まるで殉死のような出来事で、如何に行成が道長を慕っていたかを
想像させる出来事として扱われている
仲の良かったF4の残った二人は、行成の死に際しこんな歌を詠っている
藤原公任「見し人の亡くなりゆくを聞くままに いとど深山ぞさびしかりける」
藤原斉信「消え残るかしらの雪を払いつつ さびしき山を思いやるかな」
なんか良いなあ、、と、しみじみ思えてしまう