ハンドワーククラブにて。
今日もみんなでチクチク針仕事。
いつもカバンを作っている彼女。いくらあっても欲しいらしい。友達に上げたり。
このカバン。私が昔作って長年愛用しているのと同じ形です。縫いやすく使いやすい。
縫い目が綺麗です。ほんとにみんな縫うのがうまくなった。丁寧、細かい、しっかり縫えています。早くもなって来た。
手ぬぐいが裂けたから治したいと持ってきた彼女。好きな色の糸で縫って!と言ったらたくさんの色を合わせて。
とてもきれいです。
モンゴルの座布団の経過。少しずつですが確実に美しくなってきています。
一日が終わって片づけをしているとき、この前言い忘れた事を伝える。
彼は飲酒欲求がものすごく高まってとても苦労していた。「やめてすぐの時の山が一番大きいと思ってたら、もっと大きいのが来た!えらいえらい。かなわん!」って。
その後に鈴鹿の山に登る機会があって、山頂からの眺めを観ているときに彼の事とある絵の事を思い出した。
その事を伝える。
その絵とは
東山魁夷の残照(クリックすると絵が観れます。)
有名な東山魁夷氏の出世作らしい。
高いと思っていた山の山頂に登ったら目の前に果てしなく続く山並みが見えた。これから越えて行く山並みを観る畏怖の念とあきらめとそれでも進んで行く気持ち。
この絵では向こうの方の景色が明るく描かれている。そこはこことはたぶん違うところ。そんな気持ちで眺める山々。
この絵を私は子どもの頃から知っているけれど、本物も観た事あるけれど、なにが良いのかよくわからなかった。普通に感動したけどそれだけ。山の絵だなあと、きれいだなあと。
それが彼の話と合わせて考えると絵の意味が深く大きく壮大に感じられた。絵、観る人の気持ちや経験でこんなにも違うんだな。
あの絵を認めた人たち、すごいなあと。
そしてその絵をスマホで見せながら話す。
「あの向こうの輝いている山まで行ったらその向こうは違う景色かもよ。」と言うと
「ああ、絶壁やな」だって。そうなの~?悲しいな。平地や湖が見えてるかも知れないのにな。
まあそれは行ってみないとわからない。
取りあえず、今の風景もこれはこれできれいだなあと話す。連なる山の美しさ。それもまた良し。
一人じゃないよ、みんな一緒に居ます。