明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



バスを乗っていたら路線を間違えてしまい、どうせなら、と最寄りの図書館へ。全生庵で御一緒?させていただいた鰭崎英朋の画集を見る。全生庵でもとびきり美人の幽霊を描いた人物だが、光の扱い方で、こんな方法があったか、と膝を打った。かつての日本画は表現優先である。川瀬巴水は真っ昼間にもかかわらず影を描かない。(描きたい時は描く。)なのに池や街中の水溜まりでさえ、空の光景が律儀に写って鏡の如し。私がかつての日本画を観て楽しいのは西洋と違ってルールブックは神様ではなくて私だ、というところである。 現実世界にはお天道様が一つ在るが、頭の中に光源などない。頭の中のイメージを取り出すといいながら、そこに思いが至らなかった。漱石の猫の頭数を足したり引いたりしていて夜になってしまった。 永井荷風はたとえ居候であっても、畳に焼け焦げ作りながら七輪で煮炊きをした。粘土で作った七輪に、鍋を作ってあったが、鍋の出来が撮影に耐えられそうもない。秋刀魚か鰺を焼かせるか。その場合、煙をどうするか。 円朝で蠟燭の炎は筆で描いた。火は“あの世”の所属にしたわけである。さて煙はどちらに。川瀬巴水はあの風景画を背景に美人画は描いていない、矛盾が生じてしまう。風景画と人物画は別手法で描いた、私が円朝に寄席から漏れる光を当てるかどうかで悩んだのも、その矛盾を持て余したからであった。私はまだルールを確立できず試行錯誤中である。

※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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