明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



見れば判る事をわざわざ口に出す事は野暮と言うものである。 まことを写すという意味の写真という言葉を蛇蝎の如く嫌い、真などとは一切関わりたくない、画面から排除することにファイトを燃やし続けてきた。身も蓋もなく写す写真に対し、人間でなく人形を被写体とし、古いレンズを使ったり、油性インクを使う古典技法を試み、あらがい続けてきたが、陰影を無くするに至り、長らく引っかかっていたことが雲散霧消。手のひらを返すように、これは写真だ写真だと言っている自分が可笑しい。以来表現手段として写真に会えて良かった、とつくづく感じている。 日本人は陰影を描いて来なかった。描く必要がなかったからであろう。北斎の娘お英を描いたドラマで北斎に扮する長塚京三が、西洋画を見て「見たまんま描いていやがる。」と呟いた。つまり見りゃそうなっていることは判っているが、という意味であるのはいうまでもない。このセリフの後に「だから西洋人てのは野暮でいけねぇ。何でも描きゃ良いってもんじゃねぇ。」と続いて欲しいところであったが、画狂老人の目は西洋に向いてしまった。シーボルトが注文して持ち帰った作品など、それまでの画業に比べれば、歴史的価値は在るものの、としか私には感じられない。

 

新HP
旧HP
『石塚公昭 幻想写真展 生き続ける作家た18年7/25~9/2 リコーイメージングスクエア銀座ギャラリーA.W.Pyoutubeこ
2016年『深川の人形作家 石塚公昭の世界』 youtube  

 『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載12回『大つごもり 樋口一葉』



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )