明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 

一日  


すっかり溜まってしまった洗濯物の洗濯。みそろぎ人形展初日。先日のブログで、ご感想をいただくためにノートを置いておくと書いていたが、スペース的にかなわなかった。全7点、そのうち座布団に座る着物が3人となってしまったが、シチュエーションの違いで特に気にはならないだろう。つい最近、三遊亭円朝から始めた私のピクトリアリズム作品。写真を始めた当初からの自分のことを思うと、こうなるのは当然の筋道であった。立体の命ともいうべき陰影を取り除いてみたら“真を写す”といわれるくらい身も蓋もない写真がようやく好きになった。数十年、自作の人物像をオイルプリント化するのが私の最終形だと思って来て、最晩年はそうして過ごすことになるだろう、と考えて来たが、今回の手法が私の大リーグボール3号だとしたら、オイルプリントは魔送球に過ぎないだろう。 二度目の洗濯をしながら、部屋を片付けないと、と考えていると、例によって自動的に制作欲がわいてきてしまい、今回の被写体となった人形を倉庫に仕舞うと同時に、次にどの作品を出して来るか、について考えているうち夕方になってしまった。

みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー (出品写真作品)三遊亭圓朝×3/泉鏡花/三島由紀夫/夏目漱石/永井荷風
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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丸善オアゾ4Fギャラリー会場では作品7点の並び順だけ決め、例によって後はスタッフにお任せする。数十年ぶりにお会いした作家に描いたの?と聞かれたが、確かに制作した本人にも絵にしか見えない。 私は当初、立体から陰影を取り除き、その呪縛から開放し、私が嫌った写真の身も蓋もなさから脱却するのが目的であって、特に絵画のようにしたかった訳ではない、といっていたが、今ではすでに考え方が変わっている。私が嫌った写真の身も蓋の無さから脱却するためには絵画的にならざるを得ない。当然の結論である、と。 私はHPを2000年に立ち上げたのは(只今たまたまネット上から消えているが)廃れてしまったオイルプリントを知ってもらうため、その技法の紹介が目的であった。数年間はトップページに『ピクトリアリストの』と謳っていた。しかし意味が通じないだろうといつしか削除していたのだが、デジタル化の流れと反比例するかのように写真の古典技法を手がける方々が増え、今ならピクトリアリストも通じるだろう復活させても良いだろう、とブログでも書いていた矢先、今回の新手法となった。これは写真の歴史の文脈、技法とはまったく関係なく生まれたピクトリアリズムではないか。誰もいってくれないので自分でいってみた。

みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー (出品写真作品)三遊亭圓朝×3/泉鏡花/三島由紀夫/夏目漱石/永井荷風
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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最後の撮影。よりによって永井荷風の吸い殻である。私のことだからつい山盛りの方が面白いとやり過ぎるのを抑えた。夕方田村写真に向かう。この手法最初の1カット三遊亭円朝を普通にカラーの銀塩プリントに、とラボに向かおうとしたら田村写真の田村さんから手漉き和紙があります、とメールが着た。田村さんは私がやろうとすることを、先に知っている、としばしば思わされて来た。独特の風合いになり、私が見ても描いたようにしか見えない。最後の一押しで拍車をかけているのがこの用紙の使用である。 今年は、三遊亭圓朝、鏑木清方に終始した気がするが、それがきっかけになり始めた新手法による新作4点を含め7点を出品する。(人形展なので人間を撮った牡丹灯籠は出品しない) 当初この手法は、私の大リーグボール3号だ、などとはしゃいでいたが、はたしてどうなのだろうか。まだ自分でもすべてを把握しきれないでいる。周囲に止められるのも聞かず、写真の素人であるのに大型カメラを買い、廃れた技法であるオイルプリントを昔の技法書を頼りに始めた20数年前とは事情が違う。13日〜19日丸の内丸善4F、是非打席に立って実物を見ていただきたい。今回はノートを置いておくので、ご意見などいただければ幸いである。


みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー (出品写真作品)三遊亭圓朝×3/泉鏡花/三島由紀夫/夏目漱石/永井荷風
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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昨日は早めに寝て、朝6時に富岡八幡の骨董市に出かける。荷風の周辺に配置する何か雑物があれば、という訳である。焼けこげだらけの畳には灰皿が要ると思ったが、手持ちの灰皿は、荷風には可愛い過ぎる。もっと実利的で愛想がない物がよい。手持ちの行灯皿にする。 高価な物はむしろ不要であるし、あくまで雑物、力がこもらない方が良い。茶渋がこびりついたアルミ製急須を入手。以前、漱石の愛飲煙草朝日をここで入手した。探してみたら空き箱だったが荷風の煙草 光を見つける。覗いてみるものである。 深川資料館で展示した三遊邸円朝3点の他に今回新たに制作したのは三島、鏡花、漱石、荷風の4点。いずれも手透き和紙にプリントする。今回の手法にピッタリである。三島に日本刀を持たせ、鏡花には、やはり昔富岡八幡の骨董市で入手した、鏡花が持っていたものと同じ万古焼きの兔を膝に置いて『月と兔』とした。向かい干支を集めると縁起が良く出世する、と鏡花は集めていたが、私も干支は酉である。しかし期待した効果は絶無なり。さっそく荷風も傍らに煙草の光を配置し、アルミの急須を置いて本日ここまで。明日の最後の撮影は、皿の上に盛った煙草の吸い殻、というなんとも締まらない撮影である。


みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー (出品写真作品)三遊亭圓朝×3/泉鏡花/三島由紀夫/夏目漱石/永井荷風
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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絵のように見えるのがよほどデジタルで加工していると思われるのだが。撮影した背景に合成する場合、その光と被写体との光の質を合わせなくてはならないが、画面内のすべて同じ光源で撮っているので色の加工も最小限である。ただそれそれの影が影響しないよう、配置する物を一つ一つ別に撮らなければならないが、陰影を出さないよう撮るだけなので、慣れて来た今では、一つのオブジェにつき、2〜8カットで終わってしまい、後はそれこそコラージュのように配置だけの作業ということになる。 人形を被写体とすると、その質から絵画のようになりやすいが、人間も同じ手法で撮れないだろうか。牡丹灯籠のお露とお米は、幽霊ともなれば、そもそも陰影がなくて当然。始めて試してみたのだが、幽霊化のインパクトが大きく、その効果のほどが不明のままである。そこで今月中にある漫画家のオマージュ作品を作る必要がある。そこで正否が最も良く判るヌードもしくは半裸体で試してみようと考えている。撮影中に、あることに気付いて、それさえクリアすれば人形と同様の結果が出せるのではないか。仮説を立てた。もし上手く行かなければ、かつての熱帯魚、糠漬け、Kさん同様、当ブログからフェイドアウトして無かったことにするだけである。

みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー (出品写真作品)三遊亭圓朝/泉鏡花/三島由紀夫/夏目漱石/永井荷風
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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一日  


『東京8×10組合連合会写真展』に行く前に母のことで申請しなくてはならないことがあり、区役所まで行くのが面倒で出張所で済ませる。ついでに会場の江東文化センターの場所を訊くと、江東区役所の隣だという。こんなことばかりである。台湾からの出品者もあり、みんな力作ぞろいで、こういうのを見てしまうと、お前の作品は写真ではない、といわれるのも無理はない。まあ人それぞれであろう。 荷風の七輪の上に乗せる鍋を買って帰ったが、どうも気分が乗らない。手持ちの鉄瓶の方が良いかもしれない。火が赤く起きてる感じが上手くできたので、何も乗せずただ起しているだけでもいいかもしれない。荷風は外出時はともかく、たばこを切ってキセルでチビチビ吸った。タバコ盆も手持ちを使うことにした。漱石の猫が膝に一匹のつもりが4匹になってしまった。頭に乗せなかっただけましだが、散らかった荷風の部屋だからといって、調子に乗ってやり過ぎ、これはお前の部屋をそのまま撮ったろう、と邪推されないよう今度こそ厳選したい。荷風はさすがに調理は台所でしていたようだが、荷風に大根はよく似合う。明日スーパーにいって何か物色してみたい。 この荷風は、世田谷文学館で荷風展があった時、展示と同時に荷風展に荷風が訪ずれたような撮影をし、館内に映像として流した。文学館の入り口看板脇、受付、展示場内で迷惑を顧みず七輪からもうもうと煙を出しながら平然としている荷風という画であった。



みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー (出品写真作品)三遊亭圓朝/泉鏡花/三島由紀夫/夏目漱石/永井荷風
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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今回撮影しているうち泉鏡花と永井荷風は作家シリーズ初個展のラインナップ6人のうちの2人である。荷風は荷風がカツ丼吐いて亡くなった部屋でも撮影した。当時、荷風の家に暮らし、遺品を守っていた養子の永井永光さんがご健在で、銀座でバー『へん喜館』を経営しておられお話をうかがった。戦後はなれに住んでいた荷風に子供の永光さんが電話が着たことを知らせに行くと、食べていたカステラを慌てて股の間に隠したという。『カステラ一つもらったことがない』。荷風は居候宅だろうと畳を焼けこげだらけにして七輪で煮炊きをしてしまう。家主の奥さんが部屋を掃除しようとすると飛んで来て、目の前で押し入れに隠した現金を数え始める。この居候は夫婦生活も覗いた。家主は荷風が死んだらみんなばらしてやる、といっていて先に死んでしまった。荷風に家を周旋した不動産屋は有名な先生がみえた、と息子と掃除道具を持ってはりきってかけつけると「余計なことをするな。床下の埃一つ俺の物だ。」散らかり放題、埃が舞う部屋で正座で客を迎える。川本三郎さんは戦争恐怖症のせいでああなってしまったのではないか、と弁護されていたが、間違いなく認知症も入っていただろう。 焼けこげた畳の上で七輪。今度こそやり過ぎないよう、あまり散らかさないようにする。粘土製の七輪に火は起きているけれども、鍋にするか魚を焼くか、明日中には決めなくてはならないだろう。


みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー (出品写真作品)三遊亭圓朝/泉鏡花/三島由紀夫/夏目漱石/永井荷風
※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。


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バスを乗っていたら路線を間違えてしまい、どうせなら、と最寄りの図書館へ。全生庵で御一緒?させていただいた鰭崎英朋の画集を見る。全生庵でもとびきり美人の幽霊を描いた人物だが、光の扱い方で、こんな方法があったか、と膝を打った。かつての日本画は表現優先である。川瀬巴水は真っ昼間にもかかわらず影を描かない。(描きたい時は描く。)なのに池や街中の水溜まりでさえ、空の光景が律儀に写って鏡の如し。私がかつての日本画を観て楽しいのは西洋と違ってルールブックは神様ではなくて私だ、というところである。 現実世界にはお天道様が一つ在るが、頭の中に光源などない。頭の中のイメージを取り出すといいながら、そこに思いが至らなかった。漱石の猫の頭数を足したり引いたりしていて夜になってしまった。 永井荷風はたとえ居候であっても、畳に焼け焦げ作りながら七輪で煮炊きをした。粘土で作った七輪に、鍋を作ってあったが、鍋の出来が撮影に耐えられそうもない。秋刀魚か鰺を焼かせるか。その場合、煙をどうするか。 円朝で蠟燭の炎は筆で描いた。火は“あの世”の所属にしたわけである。さて煙はどちらに。川瀬巴水はあの風景画を背景に美人画は描いていない、矛盾が生じてしまう。風景画と人物画は別手法で描いた、私が円朝に寄席から漏れる光を当てるかどうかで悩んだのも、その矛盾を持て余したからであった。私はまだルールを確立できず試行錯誤中である。

※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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昨日、猫を飼っているお宅にお邪魔し、撮影させてもらった。もう一匹いたと思ったら死んだそうである。大変な思いをしたらしい。今は休止中だが、熱帯魚を飼っている友人と盛り上がっていた時、もう一人にお前も飼わないか、といったら、子供の時に金魚に死なれ、それ以来そんな気になれないという。「お前金魚に名前つけてたろ?」子供向けの金魚の飼い方の本に、名前をつけてはいけない、と書いてあった。彼は中古のバス釣り用ボートを買ったが、それにその金魚の名前を付けたといっていた、恐くてボートの名前を訊かないまま今は廃船となったが。 そのせいかどうか、夏目漱石は猫に名前は付けなかったそうである。それに引替え、弟子の内田百閒は猫に去られて泣きっぱなしである。本物の猫を使い百閒の人形を作って『ノラや』の制作を考えたことがある。 撮影はというと、気難しく、飼い主にも抱かせない、と訊いていたが、なかなか優秀なモデルであった。昔、一瞬目があっただけで犬に2ヶ月べったり付きまとわれたことがあるが、私は同じレベルと見なされるのか動物には嫌われないようである。膝の上に一匹でいいではないか、と思いつつ計4匹に。明日は永井荷風に取りかかる。

※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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夏目漱石を無地の背景に座らせた。羽織の色がどうも気に食わない。段々濃くしていったら結局黒紋付が一番格好が良い、ということになってしまいそうである。13日からの丸善の人形展に、新たな手法の第一作、三遊亭円朝のポートレイトを青木画廊、深川江戸資料館に続いて出品の予定だが、これがすでに黒紋付である。漱石の家紋は菊に井桁で、それが喜久井町の町名の元になった、と漱石が書いていた気がする。しかしネットで検索してみたら、漱石の勘違いで、形が違う、なんて文章を見てしまうともう心配になる。ただでさえ座布団に着物が3人になってしまうので、漱石は紋なしの濃紺の羽織にすることにした。 漱石にまとわせようという猫の件は、私の悪い癖で、最初に頭に浮かんだのは、仏頂面の漱石の膝の上やら肩やら、そこら中猫にすり寄られている場面であった。面白いと思ったが、例によってやり過ぎである。漱石を座らせてみると、ただ膝の上に一匹で充分ではないか。となれば、飼い主に猫をまとわせておいて撮影し、それを漱石に合成する必要もなくなり、人に慣れない猫だろうと問題がないことになる。明日夕方、マタタビを用意して待っていていただけるそうである。



※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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一日  


画像の処理で、ちょっとしたことを試してみたら、上手くいった。これは今後、ことあるごとに使えそうである。技術という物は、必要になってから考えることに決めている。使わない物は情報を含めできるだけ身に着けない。ピストル持てば、必要ない場面で撃ちたくなるものであろう。 廃れていた古典技法オイルプリントを、文献相手に習得しようとしていた時、専門用語は話し相手がいないと意味がないな、とノートに書き写していて笑った。 三島由紀夫を226事件の将校に見立てた時、どこでも血だらけにする方法を考え、各所を血だらけにして喜んで作りすぎてしまったが、今回の方法は、最近おこなっている手法で人形を撮影する場合のみ有効なので、結局話し相手はいないことになる。近所の人に、ブログが制作のことばかりでつまらない、といわれ気味だし。 旅行中の女性から某所で乱歩関係者に会ったおり、私が乱歩を作っているせいで、男色方面の人か、と訊かれたそうである。確かに作るのは男専門だし。私は何事においても人間好き嫌いがないにこしたことはない、と考えているタイプだが、女性好きである。彼女に「そっちの方に決まっているじゃないですか」と冗談を送ったら、すぐに「何をいってるんですかー(笑)」。くらいの返事がくると思ったらパタリと返事がない。

※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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日本画では背景を一切描かないという手法がある。そんな背景に普通に陰影のある立体を配すことは、昔の切り貼りの映画ポスターならともかく上手く行かない。そこで夏目漱石で多少のグラデーションくらいは着けるかもしれないが、何もない背景を試そうと考えている。しかし着物に見事な柄のある美人ならともかく、髭を生やして座布団の上で腕組みの男では、殺風景にも程があるだろう。鏑木清方の『樋口一葉』は地味な着物ながら、裁縫の合間にフと小説のことに思いをはせ、という風に裁縫道具やランプが配されている。そこで考えたのが生きてる猫を漱石先生の周囲にはべらせることである。問題は、撮らせてもらおうと思ったご近所の方に訊くと、何匹かいた猫は一匹になってしまい、その猫は空腹の時にかろうじて膝に乗ることがあるくらいで、なかなか難しいだろう、とのこと。微動だにしない漱石に猫が絡むから面白いので、上手く行かなければ13日からの出品は諦め、愛想の良い猫が現れるまで席を空けて待つことにする。漱石のかぎ鼻の件は、真横くらいにしないと良く判らないことが判ったのでその辺はこだわらないことにした。 ところで10月に某漫画家のオマージュ展に写真で参加する予定なのだが、10月と訊いていたが、前期、後期の前期に廻ってしまい、本日、今月30日からだというメールが着た。ファンなら誰でも知っている場面を私なりに再現してみよう、と考えていたのだが、被写体の女性のスケジュールが微妙なのが心配である。夜勤明けなら、というが、それではなんとも申し訳ない。写真の最大の欠点はない物は撮れない、ということである。

※『タウン誌深川』“明日できること今日はせず”連載4回「哀しい背中」
みそろぎ人形展9月13日(水)〜19日(火)丸善丸の内本店4Fギャラリー
※深川江戸資料館にて九代目市川團十郎像を展示中。11月12日まで。

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