中国はいったいどこまで経済成長を続けるのだろう。そんなことはこの映画には関係はないが、中国のやる気を感じてしまう。中国には、これまでにも名作や大作があったが、この映画は、ただ大規模で、お金をかけているわけではないところが、恐ろしい。とてもよくまとまっている秀作であり、感動作である。しかし、なぜだかそれがちょっと悔しい。
1976年7月28日。中国・唐山市で直下型の大地震が起こる。それは、多くの人の人生を変えた。倒壊していく建物の中で夫を亡くした母。残された子どもたちは、生き埋めになっている。両方の命は助けられない。どちらかを選ばなければならない。早く決めるよう急かされ、“息子を…”と告げる母。ガレキの下で、まだ息のある娘は母のその声を聞いていた。そして、娘の遺体は父の隣に並べられる。母は、すべての責めを受け入れ、息子と生きることを決意する。
一方、次々と遺体が葬られていく中、被災地に大雨が降る。それをきっかけに奇跡的に息を吹き返した娘は、軍により助けられる。娘のことを想い続けながら日々を過ごす母。そして、娘も養父母の元で成長していた。
32年の時を経た2008年。四川で大地震が起こる。それを機に、親子の運命は、大きく動き始めて…。
大地震で、娘は母の言葉を聞いて傷つく。娘は大人になり、自分が母となっても忘れられない言葉として、自分を苦しめていた。だが、母も自分以上に傷ついていることを知ることになる。そこはもう、体が震えるくらい心が突き動かされる。
何と言っても、エピソードの一つ一つのつなぎ方が秀逸。娘役を演じるチャン・チンチューが美しく、それにも見入ってしまうのだけれども。
監督は、『女帝「エンペラー」』『戦場のレクイエム』のフォン・シャオガン。今作では、大地震そのものを表現するよりも、その後の人間ドラマに重きを置いている。
締めとして、このフレーズはできれば使いたくなかったが、しかしあえて使おう…号泣必至、である。
(3月2日、エル・シアターにて試写会。3月26日、公開)
1976年7月28日。中国・唐山市で直下型の大地震が起こる。それは、多くの人の人生を変えた。倒壊していく建物の中で夫を亡くした母。残された子どもたちは、生き埋めになっている。両方の命は助けられない。どちらかを選ばなければならない。早く決めるよう急かされ、“息子を…”と告げる母。ガレキの下で、まだ息のある娘は母のその声を聞いていた。そして、娘の遺体は父の隣に並べられる。母は、すべての責めを受け入れ、息子と生きることを決意する。
一方、次々と遺体が葬られていく中、被災地に大雨が降る。それをきっかけに奇跡的に息を吹き返した娘は、軍により助けられる。娘のことを想い続けながら日々を過ごす母。そして、娘も養父母の元で成長していた。
32年の時を経た2008年。四川で大地震が起こる。それを機に、親子の運命は、大きく動き始めて…。
大地震で、娘は母の言葉を聞いて傷つく。娘は大人になり、自分が母となっても忘れられない言葉として、自分を苦しめていた。だが、母も自分以上に傷ついていることを知ることになる。そこはもう、体が震えるくらい心が突き動かされる。
何と言っても、エピソードの一つ一つのつなぎ方が秀逸。娘役を演じるチャン・チンチューが美しく、それにも見入ってしまうのだけれども。
監督は、『女帝「エンペラー」』『戦場のレクイエム』のフォン・シャオガン。今作では、大地震そのものを表現するよりも、その後の人間ドラマに重きを置いている。
締めとして、このフレーズはできれば使いたくなかったが、しかしあえて使おう…号泣必至、である。
(3月2日、エル・シアターにて試写会。3月26日、公開)