2021年も終わりですね。
今年はマーク・トウェーンの『ハックルベリー・フィンの冒険』を講談社の青い鳥文庫から刊行することができました。
すごく光栄なことですし、この作品を訳している時はなんだか夢を見ているみたいでしたが、夢を見ているのなら、覚めないうちにやらなくちゃと思って必死に訳しました。
2021年の最後のGetUpEnglishは、この名作の冒頭文をご紹介します。
You don’t know about me without you have read a book by the name of The Adventures of Tom Sawyer; but that ain’t no matter. That book was made by Mr. Mark Twain, and he told the truth, mainly. There was things which he stretched, but mainly he told the truth. That is nothing. I never seen anybody but lied one time or another, without it was Aunt Polly, or the widow, or maybe Mary. Aunt Polly—Tom’s Aunt Polly, she is—and Mary, and the Widow Douglas is all told about in that book, which is mostly a true book, with some stretchers, as I said before.
Now the way that the book winds up is this: Tom and me found the money that the robbers hid in the cave, and it made us rich. We got six thousand dollars apiece—all gold. It was an awful sight of money when it was piled up. Well, Judge Thatcher he took it and put it out at interest, and it fetched us a dollar a day apiece all the year round...
『トム・ソーヤーの冒険』って本を読んでなけりゃおれのことなんて知らないだろうけど、全然オッケー。あれってマーク・トウェーンって人が作った本だけど、大体ほんとのことが書かれてる。大げさに書いてあるとこもあるけど、大体ほんとのことが書かれてる。
誰だって一度や二度はウソつくから、少し大げさに書かれてたって全然オッケーだ。もっともポリーおばさんや、ダグラスさんの未亡人や、メアリーみたいな人はウソつかないだろうけど。トムのポリーおばさんのことも、ダグラスさんの未亡人のことも、メアリーのこともみんな書いてある。大げさに書かれてるとこもあるけど、だいたいほんとのことだ。
その本には盗賊たちが洞穴に隠したカネを、おれとトムが見つけてカネ持ちになる話も書かれてる。おれたち六千ドルずつもらえることになって、その金貨をぜんぶ積み上げてみたら、びっくりするくらい高い山がふたつできた。これをどうしたらいいかと思ってたら、判事のサッチャーさんがぜんぶあずかってくれて、利子もつくようにしてくれて、おれとトムは何もしなくても毎日一ドルずつもらえることになった。
「日本マーク・トウェイン協会 Newsletter No. 53 October, 2021」の寄稿記事もぜひご覧ください。
『ハックルベリー・フィンの冒険』(青い鳥文庫、上、下)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000352320
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000353152
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上巻
下巻
始まりは2020年1月10日、青い鳥文庫『ハックルベリー・フィンの冒険』の翻訳をめぐる冒険
上杉隼人
「『ハックルベリー・フィンの冒険』の冒険を、今の子どもたちにいちばん読みやすいかたちで出せないか、検討しているところです」
講談社の青い鳥文庫編集部の山室秀之さんから『ハックルベリー・フィンの冒険』の翻訳依頼メールを受信したのは、2020年1月10日(月)の午後だった。
こんな光栄な話はないし、ぜひ引き受けてみたいが、大きな問題がふたつあった。
言うまでもないことだが、『ハックルベリー・フィンの冒険』はアメリカ文学にとどまらず、世界文学の名作中の名作だ。アーネスト・ヘミングウェイ、J・D・サリンジャー、カート・ヴォネガット、ソール・ベローほか、のちの重要なアメリカ作家にとどまらず、わが国の大江健三郎をはじめ、世界中の作家が愛読し、自身の作品にエッセンスを組み込みつつ、精力的な作品を書き上げてきた。(これについては、柴田元幸編訳『「ハックルベリー・フィンの冒けん」をめぐる冒けん』[研究社]にわかりやすく語られている。)
マーク・トウェインによって『ハックルベリー・フィンの冒険』が書かれることがなければ、20世紀のアメリカ文学のみならず世界文学は、まるで違うものになっていたことは間違いない。
こんな世界の名作を、わたしが訳せるだろうか?
青い鳥文庫で訳出するにあたって、わたしが考えなければならなかった最初の問題がこれだ。
わたしはスター・ウォーズやアベンジャーズやマーベル関連のジュニア・ノベルを多く訳しているので、青い鳥文庫の山室さんもそのことに注目して、お話をくださったのだと思う。だが、『ハックルベリー・フィンの冒険』となると、全然話が違う。少年少女向けとは言え、基本的にオリジナル・テキストをすべて訳し、現代の子供たちが普段読む物語と同じような小説に仕上げなければならない。
もうひとつは『ハックルベリー・フィンの冒険』に関しては、柴田元幸『ハックルベリー・フィンの冒けん』(研究社、2017年)が刊行されたことで、これ以上の翻訳は必要ないと個人的に思うからだ。
文法もつづりも論理も間違っているけれども英語の限りない伸びやかなハック・フィンやジムの語りを、日本語で伝えるにはどうしたらいいか?
ハックにこの漢字が書けるか? ジムはこの言い回しをどんな日本語で言うか?
名翻訳家、柴田元幸はこうしたことをとことん考えて、誰にもできなかったすぐれた訳を作り上げてしまった。柴田訳『ハックルベリー・フィンの冒けん』は、日本の翻訳史をすべて塗り替えてしまった名訳と言える。
そしてここでははっきり言えないが、柴田元幸『ハックルベリー・フィンの冒けん』に、わたしはおそらくほかの誰より強い関わりを持っているかもしれない。『ハックルベリー・フィンの冒けん』は何度も読んだし、柴田訳のすごさを誰よりも強く感じている。
この柴田訳のあとに、ひどいものはとっても出せない。
わたしが大きく悩んだもうひとつの問題がこれだった。
☆
2020年1月10日の午前10時頃だった。
山室さんからの『ハックルベリー・フィンの冒険』の翻訳依頼のメールを受信する前だった。
本マーク・トウェイン協会の会長も務めた偉大な文学者、渡辺利雄がご逝去されたという知らせを、ご長男の渡辺英彦さんから電話でいただいた。
これもここでははっきり言えないのだが、渡辺利雄との付き合いは20年以上におよぶし、『講義アメリカ文学史』「全3巻」(2007)、同「補遺版』(2009)、『入門編』(2011)[すべて研究社]をはじめ、多くの偉大な仕事を残したアメリカ文学者、翻訳者であり、すぐれた教育者でもあった渡辺利雄から、一言ではとても語れない多くのことを学んだ。
今のわたしがあるのは、渡辺利雄のおかげである。
2006年の夏に、氏の軽井沢の別荘にご招待いただき、奥様の淳子さんと共に大変温かくもてなしていただいたことを昨日のことのように思い出す(その淳子さんも2021年6月4日に亡くなった)。
よく考えて、2020年の1月11日の早朝、青い鳥文庫の山室さんにメールを送信した。
☆
「『ハックルベリー・フィンの冒険』の新訳、ぜひ挑戦させてください!」
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渡辺利雄の専門は、マーク・トウェインであり、『ハックルベリー・フィン』であった。
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今回の青い鳥文庫版翻訳にあたって、注意したことがふたつある。
ひとつは、『ハックルベリー・フィン』の原書の持ち味は決して崩すことなく、現代の日本の子供たちに抵抗なく受け止めてもらえるものにしなければならない。
言うまでもなく、これは大変むずかしいことだった。まずは先ほど述べたように、マーク・トウェインのオリジナル・テキストを全部自分なりに訳す必要がある。
カリフォルニア大学出版局の『125周年版』(Adventures of Huckleberry Finn, 125th Anniversary Edition, 1994 ) を底本としたが、当然のことながら、教養のあるネイティブでも理解がむずかしい言い方がたくさん出てくる。
だが、21世紀に生きるわれわれにはインターネットという強力な武器がある。研究者や愛好家が協力して現代アメリカ英語に書き換えてくれているサイトもあって、特にSparkNotesの「『ハックルベリー・フィンの冒険』スタディ・ガイド」(www.sparknotes.com/nofear/lit/huckfinn)は大変参考になったし、こちらを常時参照しつつ、『125周年版』のテキストを訳していった。
ここでも、柴田元幸訳『ハックルベリー・フィンの冒けん』のすごさを思い知ることになる。どうにか自分なりの訳を作ってみたものの、よくわからないところは柴田訳を、時々ではなく、随時確認した。中には自分の訳もなかなかだと思うことも稀にあったが、柴田訳はその部分をさらにうまく訳している。わたしの訳も運よく柴田訳と同じ表現になることもあったが、それでは柴田訳の剽窃になってしまうので、泣く泣く違う表現にしたところも少なくない。
だが、これはあくまで青い鳥文庫のための翻訳作業の第一段階であって、ここから少年少女向けに圧縮しつつ、言い換えていくことをしなければならない。
これも大変なことだったが、曲がりなりにも自分の全訳を作っていたのが大きかった。そしてスター・ウォーズ、アベンジャーズのジュニア・ノベル翻訳を通じて、スーパー・ヒーローたちから学んだ/学んでいることが、やっぱり大いに役立った。
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でもおれたちが今度はクモを取りに行っているあいだに、家の子供たちがそれを見つけて、開けたらネズミでも出てくるのかなと思って開けたら、ほんとにネズミたちが次々に飛び出してきて、間の悪いことにサリーおばさんもやってきて、うわあ、これはなんだいと大声を上げたけど、ネズミたちもおばさんを退屈させちゃいけないと思ったようで思い切り動きまくったから、おばさんをギャアギャアよけいに大騒ぎさせることになった。(青い鳥文庫『ハックルベリー・フィンの冒険』下巻、192ページ)
こんな調子で翻訳作業は終えることができたが、もうひとつしなければならないことがあった。
青い鳥文庫『ハックルベリー・フィンの冒険』の読者は、「小学校上級・中学から」だ。19世紀アメリカで書かれたオリジナル・テキストには、21世紀の日本の小学生、中学生にはなじみがないこともたくさん記されている。
そこで「これは今の子たちにはわからないかも」と思えることはできるかぎり注をつけることにした。
山室さん、さらには講談社の優秀な校閲者のみなさんのお力も借りて、「なぜハックは子供なのにタバコを吸ってる?」、「女性の溺死体は仰向けに漂うが、男性の溺死体はうつぶせに漂うとハックは言っているけど、ほんとうなの?」、「ハックを探そうとしてなぜ船は大砲を撃ち、水銀の入ったパンが流されたの?」、「難破船にテキサスと呼ばれる高級船室が出てくるけど、これって何のこと?」「どうして王と公爵は体にタールをかけて鳥の羽でおおわれて運ばれていくの?」「サイラスおじさんが使徒行伝の17章を読み直していたって言ってるけど、どうして使徒行伝17章なの?」といった、子供たちが疑問に思うかもしれないことには、できるかぎり注をつけて、できるかぎりわかりやすく答えてみた。
さらに、「ハックが黒人ジムを助けるのが、そんなに悪いことなの?」というこの作品の最大の問題については、注のほか、下巻の訳者あとがきで、当時の社会情勢について触れながら十分な字数を取って説明した。
日本の子供たちがハックとジムの筏の旅がどれだけ壮大であったか感じてもらえるように、地図も作って、日本を旅すればそれがどれくらいの距離になるか一目でわかるようにした。
この一連の作業においては、『125周年版』の詳細な註はもちろん、Michael Patrick HearnのThe Annotated Huckleberry Finn: Adventures of Huckleberry Finn, Tom Sawyer's Comradeに大いに助けられた。
さらにすべて挙げれば大変なリストになってしまうが、亀井俊介『マーク・トウェインの世界』(南雲堂、1995)、後藤和彦『迷走の果てのトム・ソーヤー 小説家マーク・トウェインの軌跡』(松柏社、2000)、石原剛『マーク・トウェインと日本―変貌するアメリカの象徴』(彩流社、2008)、亀井俊介監修『マーク・トウェイン文学/文化事典』(彩流社、2010)、平石貴樹『アメリカ文学史』(松柏社、2010)、中垣恒太郞『マーク・トウェインと近代国家アメリカ』(音羽書房鶴見書店、2012)、竹内康浩『謎解き「ハックルベリー・フィンの冒険」 ある未解決殺人事件の深層』(新潮選書、2015)など、わが国のマーク・トウェイン研究者の方々のすぐれたお仕事がなければとてもできないことだった。
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青い鳥文庫『ハックルベリー・フィンの冒険』の翻訳を開始したのは、渡辺利雄ご逝去の知らせをいただいた2020年1月10日の翌日、1月11日であった。すぐあとコロナウイルスによって全世界の情景は一変する。外出を控えることが求められ、家にいることが多くなった。これが個人的にはよかったのかもしれない。毎朝、毎晩、仕事の前後に、この翻訳を精力的に進めた。
2020年11月15日、第1稿を青い鳥文庫編集部の山室秀之さんに送信した……。
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楽しくて、わくわくして、はらはらして、気づけば涙もこぼれ落ちている……。
『ハックルベリー・フィンの冒険』は小説のあらゆる要素が詰まっています。
読者のみなさんがハック・フィンと生涯忘れることのない冒険をしていだけますことを、心から祈っております。
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青い鳥文庫『ハックルベリー・フィンの冒険』下巻「訳者あとがき」にこのように記しているが、現代の少年少女にマーク・トウェインの名作をそんなふうに味わってもらえたら、とてもうれしい。
上杉隼人(うえすぎはやと)
翻訳者(英日、日英)、編集者、英文ライター・インタビュアー、英語・翻訳講師。早稲田大学教育学部英語英文学科卒業、同専攻科(現在の大学院の前身)修了。訳書に『ハックルベリー・フィンの冒険』(講談社青い鳥文庫)のほか、「スター・ウォーズ」シリーズ[エピソード1~9]、『アベンジャーズ エンドゲーム』『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』(いずれも講談社)、『Star Wars スター・ウォーズ ライトセーバー大図鑑』(グラフィック社)、『マーベル・シネマティック・ユニバース ヒーローたちの言葉』(KADOKAWA)、『最後のダ・ヴィンチの真実 510億円の「傑作」に群がった欲望』(集英社インターナショナル)、チャーリー&ステファニー・ウェッツェル『MARVEL 倒産から逆転No.1となった映画会社の知られざる秘密』『若い読者のための宗教史』『若い読者のためのアメリカ史』(すばる舎)、ウィリアム・C・レンペル『ザ・ギャンブラー ハリウッドとラスベガスを作った伝説の大富豪』(ダイヤモンド社)、ジョン・ル・カレ『われらが背きし者』(岩波現代文庫)など多数(70冊以上)。
(日本マーク・トウェイン協会 Newsletter No. 53 October, 2021 初出)