試験問題に答える成績で測る日本世界第3位「課題解決意欲と課題解決能力」とは何を意味するのか

2014-04-02 07:03:59 | Weblog


 


      《生活の党PR》

      《3月28日(金)鈴木克昌代表代行・幹事長定例記者会見要旨》

      【質疑要旨】
      ・みんなの党渡辺善美代表の8億円問題について
      ・国民投票法改正案の賛否について
      ・武器輸出新三原則について

 世界の15歳対象に課題解決意欲や解決能力を測定するOECD(経済協力開発機構)一昨年2012年試験で日本の15歳は世界第3位の成績を収めたという。

 いわば日本の15歳は世界で3番目に課題解決意欲と課題解決能力を持っているということである。見事であって、その栄誉を素直に受け止めるべきだろう。《15歳の課題解決能力 日本は世界3位》NHK NEWS WEB/2014年4月1日 18時16分)が伝えている。

 44の国と地域の15歳が参加、日本からは約6300人が参加したというから、全体として相当数の15歳が受験したことになる。

 どのような問題が出たかと言うと、多くは日常生活を想定した問題で、2例挙げている。

 ▽駅の自動券売機で指定された条件に近い切符の購入。
 ▽ロボット掃除機の動き方を観察して規則性を見つけ出す。

 回答はパソコン操作で行うというから、パソコンが普及している国に有利ということはないだろうか。

 平均点は500点で、日本の15歳は552。1位はシンガポール、2位韓国。

 この3カ国はOECD実施の国際学習到達度調査(PISA)の成績優秀常連国でもある。

 因みに65カ国・地域の15歳男女約51万人参加の2012年実施PISAの上位成績を見てみる。

 「読解力」
 上海→香港→シンガポール→日本→韓国

 「科学的応用力」
 上海→香港→シンガポール→日本→フィンランド→エストニア→韓国

 「数学的応用力」
 上海→シンガポール→香港→台湾→韓国→マカオ→日本

 きっちりと連動しているというわけではないが、上位を占めている点で関連性がある。

 結果を分析した文部科学省の解説。

 文部科学省「所属している学校など子どもたちの状況による差はあまりなく、全体的に得点が高い傾向で、総合的な学習などの効果が出ているのではないか」――

 但し記事は、〈課題を解決する際の忍耐力や柔軟性について自己評価させた結果、日本の子どもはいずれも最下位だった〉と伝えている。このことについての文科省の発言。

 文部科学省「粘り強く課題に取り組む力なども育てていきたい」(解説文を会話体に直す)――

 「課題解決の忍耐力や柔軟性」が最下位の日本世界第3位「課題解決意欲と解決能力」という精神性は逆説に過ぎ、そこに整合性を見つけることはできない。

 上記2012年実施国際学習到達度調査(PISA)で既に同じ傾向を見せている。

 「数学で学ぶ内容に興味がある」の回答割合日本38%は2003年比で+5ポイント増えたものの、OECD平均53%-15ポイント、全65カ国・地域中62番目で、PISA調査を「どのくらい真剣に頑張ったか」と問う「努力値」自己評価調査(10段階)で、日本の平均は「6・3」、全参加国中最低で、2003年、2006 年も最低だと「毎日jp」が伝えている。

 このPISAテストの上位ランクに反した数学関心度と努力値の低さという逆説性は「課題解決意欲と解決能力」日本世界第3位に反した「課題解決の忍耐力や柔軟性」の最下位という逆説性と相互関連し合っているはずだ。

 「毎日jp」記事が伝えている新井健一ベ ネッセ教育総合研究所理事長の発言。

 新井健一理事長「テストの得点は改善されたが勉強に受け身の子供がまだ多いということではないか。自ら学ぼうという『主体的な学び』を如何に身につけさせられるかが今後の課題だ」――

 「受け身」で、「主体的な学び」となっていないということは、PISAテストに於ける数学関心度と努力値の低さや課題解決意欲や解決能力を測定するOECD(経済協力開発機構)テストでの「課題解決の忍耐力や柔軟性」最下位と併せ考えると、勉強をやらされている状況――非自発的状況に自らを置いているということであって、その状況とは日本の教育が暗記教育そのものの構造を呈していることを意味しているはずだ。

 自発的教育は決して暗記教育とはならない。自発性は主体性を骨組みとして成り立っているからだ。

 いわば日本の暗記教育がつくり出している前者・後者双方の逆説性と言うことになる。と言うことは、日本の児童・生徒に問題があるよりも日本の教育そのものが問題だと言うことになる。

 大体からして、試験問題に答える成績で測る「課題解決意欲と課題解決能力」とは何を意味するのだろうか。果たして、「駅の自動券売機で指定された条件に近い切符の購入」が素早く正確にできたからと言って、あるいは「ロボット掃除機の動き方を観察して規則性」を短時間に的確に見つけ出すことができたからと言って、「課題解決意欲と課題解決能力」を正確に測ることができるのだろうか。

 今まで経験したことのない問題解決の事態に遭遇しても、へこたれずにその事態を乗り越えるべく挑戦するのが「課題解決意欲」であり、過去の様々な経験の中から解決方法を見い出して可能な限り素早く問題を処理していく臨機応変な応用能力を「課題解決能力」と言うはずだ。

 私自身は持ち合わせてはいないが、失敗した場合の周囲の非難を考えた場合の怯みや笑い者になるかもしれない恐れ、あるいは責任問題の重圧等を克服して問題を処理していく能力であろう。

 決してテストで測ることはできないはずだ。
 
 もしテストで測ることができ、実際に日本の15歳に「課題解決意欲と課題解決能力」が備わっているなら、15歳になっていきなりその意欲と能力を獲得したというわけではないだろうから、15歳以下の年代も年齢相応に備えていて、15歳以上の年齢も15歳の世界第3位の意欲と能力を向上させていくだろうし、さらに未成年者全体に限った意欲と能力という道理はないはずだから、日本人全体を通した意欲と能力と言うことになる。

 では、これ以上、愛国心教育だ、道徳教育だ、教育委員会制度改革だ、大学入試改革だ、一体何を望むことがあるのだろうか。

 望むこと自体が逆説性を帯びることになる。

 尤もテストで測った「課題解決意欲と課題解決能力」世界第3位は虚構でしかなく、「受け身」で、「主体的な学び」となっていない日本の15歳の教育状況と、「課題解決の忍耐力や柔軟性」が最下位という日本の15歳の精神性を実際の姿とすると、だからこそ愛国心教育や道徳教育が必要だとする主張は成り立つかもしれないが、このような教育状況と精神性は非自発的教育構造の暗記教育が要因となっている以上、教え込まれてそれに従うという暗記教育のもとの暗記知識植え付けの強化には役立っても、自律した批判精神の涵養には役立たないはずだ。

 つまり、いくら愛国心教育を行っても、道徳教育を教科化して教えこんでも、「受け身」で、「主体的な学び」となっていない日本の15歳の教育状況であることと「課題解決の忍耐力や柔軟性」が最下位という精神性に変わりはないということである。

 日本の教育が暗記教育を構造としている以上、あくまでも非自発の力学を受けることになるからだ。

 尤も安倍晋三等の国家主義者たちにとって国家に言いなりの非自発の国民は好都合な存在に違いない。そのための愛国心教育であり、道徳教育でもあるはずだ。

コメント
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