何も分かっていない安倍晋三の第48回国家公務員合同初任研修開講式訓示の精神論で彩られた実体のなさ

2014-04-04 06:23:40 | Weblog




      《生活の党PR》

      《3月31日(月)小沢一郎生活の党代表定例記者会見要旨全文 》
   
      『消費税増税、日本の経済全体に相当の影響を与える』

      【質疑要旨】
      ・みんなの党渡辺代表、8億円借り入れ問題について
      ・消費税増税にあたって

      《4月2日畑浩治生活の党総合政策会議議長民主党2党共同「東日本大震災復興特別区域法改正案」衆議院提出》

  安倍晋三が4月2日(2014年)午前、中央省庁採用国家公務員合同初任研修開講式に出席、訓示を垂れた。訓示となると、誰しもが偉そうなことを言うが、特に安倍晋三は何も分かっていないままに精神論だけは立派な、行動の実体を伴わせるだけの力を持たない、偉そうなことを並べ立てている。

 首相官邸HPから全文を引用して、如何に何も分かっていないか、分かっていないゆえの言葉の実体のなさを指摘してみる。

 新人国家公務員参加者は女性179人、男性544人の締めて723人。女性の割合は約25%。「女性の社会進出」を言う割には掛け声倒れになっているようだ。

 第48回 国家公務員合同初任研修開講式 安倍首相訓示
 
 桜満開のもと、今まさに、国家公務員としての歩みを踏み出そうとする、皆さんを、行政のトップである内閣総理大臣として、心から 歓迎したいと思います。

 この壇上から、皆さんの、若々しい、そして真剣なまなざしを見ていて、本当に心強く思います。

 国家・国民のために身を尽くす。崇高な「志」を持って、国家公務員となる道を選んでくれたことを、大変うれしく思います。
「鉄は熱いうちに打て」という言葉があります。

 社会人としてのスタートは、厳しいものかもしれない。つらい思いも、することでしょう。しかし、そうした経験の一つひとつが、若い皆さんにとって、将来の成長の糧となることは間違いありません。

 皆さんには、いかなる試練にも耐えていってほしい。そして、立派な公務員として成長し、それぞれの「志」を果たしてもらいたい、と思います。

 鉄は、打たれても、水にひたされても、火に焼かれても、びくともしません。しかし、そのまま放っておけば、錆びて役に立たなくなってしまう。

 鍛えれば、ツヤが出る。手を抜けば、さびが付く。

 人間の「志」も、鉄のようなものです。皆さんには、初心を忘れることなく、研さんに励み、「志」を高く持ち続けてほしいと願います。

 日本は、今、時代の大きな転換点にあります。

 東日本大震災からの復興は、いまだ道半ばです。急速に進む少子高齢化に対応するとともに、強い経済を再生しなければなりません。責任あるエネルギー政策の構築も、教育の再生も、待ったなしです。

 外に目を向ければ、成長センターであるアジア・太平洋に、一つの大きな経済圏が生まれようとしています。TPP交渉は、最終局面にあります。

 先週、北朝鮮が弾道ミサイルを発射しました。南西方面では、主権に対する挑発も相次いでいる。日本を取り巻く安全保障環境は、一層厳しさを増しています。ウクライナ情勢も、アジアにとっては、対岸の火事ではありません。

 こうした諸課題から、私たちは、目を背けることはできません。先送りは許されません。真正面から、一つひとつの課題と向き合い、答えを出していくことが求められています。

 だからこそ、これから政策の企画立案を担う、皆さんに、3つ申し上げたいと思います。

 「現場に足を運べ。」

 「世界に目を向けろ。」

 そして、「チャレンジを続けよ。」

 霞が関の机にしがみついていても、何も変わりません。皆さんは、国民全体の奉仕者であり、国民のための行政を進めなければならない。「現場」に出かけ、国民の声に耳を澄ましてほしい、と思います。

 グローバルな時代にあって、「日本のことしか知らない」ガラパゴス人間では、話になりません。いかなる行政分野にあっても、広く世界と交わりながら、最善の判断をしてほしい、と思います。

 挑戦しない人間は、「失敗」することもないでしょう。しかし、誰もチャレンジしない国は、将来の発展などあり得ません。皆さんには、何事にもチャレンジする精神を持ち続けてほしい、と願います。

 200年ほど前、鎖国・日本は、北方の海で、外国からの脅威にさらされていました。

 そうした中、徳川幕府は、樺太が、外国の支配が見込まれる大陸の一部なのか、それとも独立した島なのか、それを確認するため、一人の役人を派遣しました。間宮林蔵です。

 彼は、一度目の探検で、大陸と樺太の間に、海峡が存在していることを発見します。のちに、「間宮海峡」と言われる海峡です。

 目的を達した間宮林蔵は、いったん北海道に戻りますが、すぐに、二度目の探検に出かけます。彼は、樺太の対岸にある、大陸へと渡る決意でありました。

 「見慣れない顔の日本人が出かければ、命が危ういかもしれない」

 樺太の人たちは、彼の渡航を止めたと言います。

 実際、彼は、現住民族に捕えられるなど、身を危険にさらしながら、アムール川の流域を1か月にわたって調べました。そして、外国の支配がどのように及んでいるかなど、この地域の事情を明らかにして帰国しました。

 外国とのせめぎ合いの中、日本の国土を守る。自らの使命を十分に理解した上で、間宮林蔵は、与えられた任務を単にこなすだけではなく、能動的に、未知の領域にも果敢に飛び込んだのです。

 こうした先人たちのチャレンジ精神を、皆さんにも、大いに学んでもらいたいと思います。

 しばしば、霞が関は、「タテ割り」との批判を受けます。

 しかし、それでは、困難な課題に立ち向かうことはできません。

 社会保障の充実、安定化は、待ったなしです。同時に、財政も立て直さなければならない。経済が悪化してしまえば、社会保障も、財政再建も、できません。

 もはや、国家的な課題を、どこか一つの役所だけで解決できるような時代ではない。だからこそ、皆さんには、所属する省庁の視点ではなく、常に、国家全体の視点で物事を見る、「真の国家公務員」であってほしいと思います。

 幕末の時代、徳川家の家臣であった岩瀬忠震(いわせ・ただなり)は、「日本の孤立を避けるため、開国すべし」と唱え、欧米列強との条約調印を推し進めました。

 その交渉力の高さには、あの米国総領事・ハリスも舌を巻いたほどであった、と言います。
 
 その岩瀬に対して、鎖国維持が大勢を占める幕府の幹部たちは、条約調印を進めれば、不測の事態が生じ、徳川家の存続をも危うくなりかねない、と批判しました。こうした批判に、岩瀬は、このように答えたと言います。

 「国家の大政に預る重職は、この場合に臨みては、
 
 社稷(しゃしょく)を重しとするの決心あらざるべからず。」

 社稷(しゃしょく)とは、国家のこと。危機にあっては、「徳川家よりも、国家の方が大切だ」と、決然と言い放ったのです。

 皆さんも、それぞれの省庁に属する公務員である以前に、国家に属する「国家公務員」である。これからも、その意識を強く持ち、国家・国民のために全力を尽くしてください。

 「タテ割り」の表記は「縦割り」となっていたが、私自身が「タテ割り」に直した。漢字は字そのものに意味を表しているが、21世紀の極度に発達した情報社会になっても引き継いでいる日本人の無形の制度であることから、情報社会化して急激に普及することとなったカタカナ表記に合わせて、「縦」「タテ」とカタカナで表記していることにしている。

 安倍晋三は本人は単細胞だから気づかないだろうが、全ての課題解決の核心は「タテ割り」という制度如何にかかっている。

 安倍晋三「しばしば、霞が関は、『タテ割り』との批判を受けます。

 しかし、それでは、困難な課題に立ち向かうことはできません」――

 だとしたら、霞ヶ関の「タテ割り」の制度に絡め取られずに、それぞれが常に自由な立場に自分を置くことを第一義的課題としなければ、「困難な課題に立ち向かうこと」は不可能ということになる。

 いわば新人公務員に対する他の要望も同様の不可能に見舞われることになり、言ってもムダということになる。

 しかしその処方は示さずに、「国家全体の視点で物事を見る、『真の国家公務員』であってほ しい」などと、「困難な課題に立ち向かうこと」だけを一方的に要望する矛盾を平気で犯している。

 このような矛盾は「タテ割り」がどのような行動様式に由来しているのか理解していないことによって起こる。

 当然、日本人の行動様式から来ていて、日本人の行動様式そのものが「タテ割り」の構造となっていることになる。

 日本は明治以来の中央集権体制だと言われている。実際には明治以前の封建時代から、日本は中央集権体制であり、それを引き継いで、過去ほど頑迷・強固ではないが、現在の中央集権体制となっている。

 なぜ日本という国に於いて中央集権体制を成り立たせているかと言うと、中央集権の構造自体が「タテ割り」となっていて、日本人の行動様式の「タテ割り」と相互反映し合って、あるいは相互補強し合って、現在も生きた化石のように生き続けることになっている。

 中央集権体制とは中央を最上位権威とし、地方を段階的下位権威として、上の権威が下の権威を段階的に従属させ、下の権威が上の権威に段階的に従属して、最終的には中央に従属する構造を言う。

 この構造は元々は日本人それぞれの行動様式である上の権威が下の権威を従わせ、従属させる、下の権威が上の権威に従い、従属する権威主義的な支配と被支配の上下関係と相互反映した造りを成していて、支配と被支配の力学は相当に弱まったものの、権威主義的な上下関係の血を現在も日本人の中に残していていて、基本的なところで中央集権体制を維持しているということであろう。

 また、この権威主義的な上下関係は上下権威共に相互に自律していないことによって成り立ち可能となる。自律とは自分で考えて、自分の判断に従って行動することを言うのだから、例え組織内の地位は上下関係にあっても、地位上の上下双方が主張すべきは忌憚なく主張し、反論すべきは忌憚なく反論するという人間的・精神的に自律的な対等関係にあったなら、権威主義的な上下の「タテ割り」の関係は生じることはなく、中央と地方の関係にしても、中央集権体制は他処の国の話となったはずである。

 要するに安倍晋三は「タテ割り」の弊害脱却のために新人公務員全員に先輩公務員にただ言いなりに従うだけの権威主義的従属を拒絶し、自律心を養い、自律的に考え、自律的に行動することを求めるべきだった。

 いわば個々が自律心を土台としなければ、「国民全体の奉仕者」であることを求めたとしても、「国民全体の奉仕者」を装いつつ、個別省庁の奉仕者となって、省益で考え、行動することになり、「国家全体の視点で物事を見る、『真の国家公務員』」など、ないものねだりとなりかねない。

 当然、「国民のための行政」を進めることを望んだとしても、国民に対する奉仕は程々にして、自身が所属する省庁により顔を向けた行政となりかねない。

 このような体たらくなら、グローバルな時代にあっても、「『日本のことしか知らない』ガラパゴス人間」どころか、省庁のことしか知らない「ガラパゴス人間」が精々といった確率は高くなる。

 自律人間となれずに権威主義的行動様式に囚われていたなら、「現場に足を運べ」、「世界に目を向けろ」、「チャレンジを続けよ」などと叱咤したとしても、そのような「チャレンジする精神」は夢のまた夢、絵に描いた餅とならない保証はない。

 間宮林蔵のエピソードを持ち出して、安倍晋三自身は得意になって話していたのだろうが、間宮林蔵と同様に「与えられた任務を単にこなすだけではな」い、「能動的に、未知の領域にも果敢に飛び込」むチャレンジ精神を願ったとしても、高望みとなる。

 要するにどのような要望も精神論としては立派な言葉の数々ではあるが、行動の実体を伴わせるだけの力を持たないだろうということである。

 安倍晋三が言うべき言葉は「自律した人間たれ」以外になかったはずだ。日本の国家体制や組織、そして個人の精神性までが権威主義的行動様式からの「タテ割り」を無形の制度としている間は年毎の訓示のたびに口を酸っぱくして何年続けてもいい言葉となる。

 だが、安倍晋三は思考・行動の基本は自律心だとする核心的なことは何も分かっていないから、行動の実体を伴わせるだけの力を持たせることは叶わない精神論でしかない要望を偉そうに並べ立てることとなった。ただそれだけの訓示だった。

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