《生活の党PR》
《4月18日(金) 鈴木克昌生活の党代表代行・幹事長定例記者会見 》
『米大統領訪日を理由にTPP交渉決着を急いではいけない』
【質疑要旨】
・鹿児島2区補選、小沢代表応援入りについて
・参議院原子力協定採決における民主党の動きについて
・議員歳費削減問題について
・地方教育行政法改正案の対応について
・選挙制度改革について
安倍晋三が4月21日靖国神社に真榊を奉納した。4月23日のオバマ大統領訪日や中韓に対する外交的配慮からの靖国参拝に代わる真榊奉納だという。
閣僚では総務省の新藤義孝が4月12日に、拉致担当相・国家公安委員長の古屋圭司が4月20日朝に既に参拝している。オバマ訪日前の駆け込み参拝だと伝えている報道もある。
新藤は参拝後、「国のために働いた人に尊崇の念を込める行為は、どの国でもなされている」 (TOKYO Web)と言い、古屋は「国のために命を捧 げた英霊に哀悼の誠をささげることは当然のこと」(毎日jp)とコメントを発表している。
自民党政調会長の高市早苗も昨年8月15日に靖国に参拝し、「国家国民を守って公務死された方々の死を悼みながら、国民として感謝の気持ちを捧げてきた。世界中どこにおいても、国家のために命を捧げた方を悼み、尊崇の念を捧げる行為は行われている」(asahi.com)と言っている。
安倍晋三の場合にしても、参拝理由を「お国のために戦い、尊い命を犠牲にされた兵士に尊崇の念を捧げる」ためを常套句としている。。
いわば安倍晋三等々の参拝者は戦没兵士の「国のために戦い、尊い命を捧げた」犠牲行為・国家奉仕行為を最大限に讃えている。
参拝者がそのように讃える以上、兵士自身が自らの尊い命を捧げる自己犠牲の対象とした、あるいは自己奉仕の対象とした戦前日本国家=大日本帝国国家を参拝者自身にしても讃える対象としていなければ、整合性を失って矛盾が生じることになる。
勿論、戦前の大日本帝国軍隊兵士が大日本帝国国家を自身の命を犠牲にする価値ある国家、あるいは身命を賭して奉仕するに価値ある国家だと認めていたことは、ごく少数の例外はあっても、その大多数に於いて疑いの余地のないことだが、戦後の参拝者にしても、犠牲の価値があった戦前日本国家であると、あるいは奉仕の価値があった戦前日本国家としていなければ、兵士に対する賞賛は成り立たないことになる。
いわば国のために戦った兵士を讃えるということは戦わせた国家を讃えることに他ならない。
また、兵士が国のために戦い、命を捧げるということは全身全霊で自らの身を以って国家を体現することを意味する。兵士個々が国家を一身に背負い、国家の戦争意志を国家に代わって貫徹するという意味での国家の体現である。
「天皇陛下のために・国のために」という思いと言葉こそが兵士たちの国家の体現を証明し、命を厭わない玉砕が国家体現の究極の最終表現としてあった。
そのように大日本帝国国家を体現して国のために戦い、尊い命を犠牲にした兵士たちを讃えるということは、参拝者にしても戦死者を通して大日本帝国国家を自ずと体現していることになる。
何しろ大日本帝国国家を自らに体現させ、戦い、尊い命を犠牲にした戦死者に尊崇の念を持って厳粛に向き合うのである。参拝者自身が戦死者を通して大日本帝国国家を体現しなければできない参拝行為であろう。
戦死者と参拝者が、前者がかつて持ち、その死せる魂の中に失わずにいると信じ、後者が戦死者を通して持つことになる大日本帝国国家体現を響き合わせてこそ、後者の前者に対する尊崇の念を持たせた厳粛な賞賛が可能となる。
戦前の大日本帝国国家を否定していたなら、戦死者が生前一身に背負っていた大日本帝国国家体現をも否定することになって、「国のために戦った」という口実の賞賛は成り立たなくなる。
要するに安倍晋三やそのお仲間たちの靖国参拝者たちは、自分たちは気づいていなくても、戦死者を讃える行為を通して大日本帝国国家を体現しているのである。
彼らは決して戦前時代を日本の歴史の暗部と見ていない。
だからこそ、国家指導者の立場から大日本帝国国家を自らの一身に体現して悲惨な戦争を指導し、国内外に膨大な戦死者を出したA級戦犯をも尊崇の念を持って哀悼の意を捧げることができる。