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《「東日本大震災復興特別区域法の一部を改正する法律」成立小沢一郎生活の党代表談話》
本日、生活の党が主導し成立を目指していた「東日本大震災復興特別区域法の一部を改正する法律」が、参議院本会議を全会一致で可決、成立しました。 これを受けて、下記の通り小沢一郎代表の談話を発表しました。 談話は党ホームページでもご覧いただけます。
『東日本大震災復興特別区域法の一部を改正する法律の成立に当たって』
平成26年4月23日 生活の党代表 小沢一郎
本日、東日本大震災復興特別区域法の改正により、復興整備事業について土地収用法の特例を設けることなどを内容とする法律が成立しました。被災地での復興が遅れているとされる大きな理由は、住宅再建やまちづくりがなかなか進まないことにあります。その原因は、住宅整備事業が50戸以上の規模でなければ収用対象となっていないこと、及び、事業予定地には多くの手続を要する相続手続未処理や多数共有の土地が数多くあり通常手続での早期着工は困難であることにあります。
我々は、当初から、被災地の声を受けて、このような問題に対応するためには、先に工事着工を行い、権利の調査、補償金の支払い等については、工事と並行して行えるような制度が必要であると主張し、率先して議員立法の案を作成して、野党各党を含む関係方面に働きかけてまいりました。一方、政府与党は、従来、支援人員の増大、運用の簡素化等の措置で十分対応可能という理由から、立法上の措置による解決に消極的であったところです。最終的には、被災地や関係方面からの声の高まりを受けて、与党も含めた形で調整が行われ全会一致で可決され成立しました。
この法律成立は、官僚機構が反対する内容のものを、少数野党である我々がリーダーシップを発揮して全党の理解と賛同を得て、議員立法で成立させたという、国会が立法機関としての本来の役割を果たした議会制民主主義の典型的な成功例であるという重要な意義があります。この役割を中心になって果たすことができたことを誇りに思います。
今後、用地取得が迅速かつ円滑に進むかどうかは、法律の趣旨を踏まえた運用が適切になされるかどうかにかかっています。法律の運用方針をあらかじめできるだけ明確化、具体化しつつ、運用を最大限柔軟に行うべきであるとの認識の下、我が党が中心になってとりまとめた委員会決議も、本法律成立と併せて行われたところです。今後の政府の運用を厳格に監視してまいります。
我々は、これからも、「国民の生活が第一」の理念の下、官僚機構の既成概念にとらわれることなく、そして、単なるパフォーマンスに終わることなく、現実を見据えつつ必要なことを筋を通して提案、実現していくために全力を尽くしていく所存です。最後になりますが、本法律の作成に当たって様々な建設的提言をいただいた関係機関の皆様、調整等にご協力いただいた関係政党の皆様に心より感謝申し上げます。
元々安倍晋三お仲間の国家主義者・全体主義者の文科大臣だから、当然と言えば当然だが、図らずも己の教育勅語観を曝すことになった。
「教育勅語」の原本と見られる文書が50年ぶりに発見され、文部科学省が「軍国主義教育の象徴のように使われたが、重要な文書だ」として公開していくことを決めたと、《「教育勅語」の原本発見か 公開へ 》(NHK NEWSWEB/2014年4月8日 11時47分)が伝えている。
記事解説。〈文部科学省によりますと、教育勅語は明治23年に発布され、親孝行や法令順守、それに緊急事態が起きた時は身をささげて国のために尽くすことなどが示されていて、戦中にかけ、国民道徳の基本として全国の学校で朗読されていました。
戦後、国家主義的、軍国主義的な教育を一掃するために、衆参両院が教育勅語の排除や失効を確認する決議を行っています。
教育勅語の原本は昭和37年以降、所在が分からなくなっていたということですが、おととし、50年振りに東京国立博物館にある文部科学省の保管庫から原本とみられる文書が見つかったということです。
文書は茶色に変色していて、当時の担当者のメモには、関東大震災で文部省庁舎が焼けた際、 金庫の中に入れていた教育勅語が熱で劣化したと記されているということです。
文部科学省は今後、この文書を国立公文書館に移して原本かどうか確認するとともに修復し、公開することにしています。〉――
〈親孝行や法令順守、それに緊急事態が起きた時は身をささげて国のために尽くすことなどが示されていて、戦中にかけ、国民道徳の基本〉としていた。要するに国家奉仕を義務づけ、それを以て国民道徳とするバイブルとされていた。
国家奉仕を国民道徳とする基本が子の親に対する様々な徳目に基づいた孝行であり、親は同じく様々な徳目に従って大人として社会に尽くし、社会に尽くすことを通して国家に尽くすことが天皇の名に於いて要求されていた。
記事は当然のこととして安倍晋三お仲間の国家主義者・全体主義者の文科大臣である下村博文の発言を伝えている。4月8日の閣議後の記者会見。
下村博文「教育勅語は軍国主義教育の象徴のように使われたことが問題だったが、戦前の教育に於ける重要な文書であり、国民が教育勅語の位置づけを学ぶことは大切だ」――
どうも意味不明である。「教育勅語は軍国主義教育の象徴のように使われた」ということは、「教育勅語」は戦前の日本に於いて軍国主義教育の教科書として位置づけられていたことになる。
だとしたら、「戦前の教育に於ける重要な文書」とするのは否定的視点からの価値づけでなければならないことになる。
国家主義者・全体主義者の下村博文が果たして戦前日本を否定的視点で俯瞰することがあるのだろうか。
首相官邸NPを覗いてみた。《下村博文文部科学大臣記者会見テキスト版》(文科省HP/2014年4月8日)
記者「賛否両論というか、教育勅語の中で義勇奉公という側面ばかりが戦後教育の中で強調されていた面はあるかもしれませんけれども、一方で、非常に常識的なといいましょうか、夫婦相和ですとか親孝行とかという現在にも通じることも書いてあるとは思うのですけれども、その原点に触れられるということの意味を、大臣はどのように捉えているかお聞かせ願えますか」
下村博文「教育勅語そのものの中身は、至極全うなことが書かれているというふうに思いますし、当時、それを英文、あるいは独文等にして、ほかの国でもそれを参考にしたという事例があるということも聞いておりますが、その教育勅語のその後の活用のされ方ということについて、軍国主義教育の更なる推進の象徴のように使われたということが問題ではないかというふうには思います」
要するに「中身は、至極全う」ではあったが、使われ方に問題があったということになって、使われ方に否定的視点を向けていることになる。
と言うことは、戦前の日本の戦争を例え侵略戦争と位置づけていなくても、戦争への駆り立てに役立ってもいた軍国主義教育でもあるだろうから、国民教育にそのような使い方を仕向けた国家体制(=国体)そのものを否定しなければならないはずだが、下村博文が政治家の立場からの靖国神社参拝者である以上、戦前の日本を否定する考えに立っていないことは明らかである。
昨年2013年8月2日の記者会見発言。
記者「8月15日ですが、これは前後も含めて、大臣は靖国神社に行かれる予定はありますでしょうか」
下村博文「私は、毎年8月15日には、『下村博文と靖国神社を正式参拝する会』というのがありまして、5、60人の方々と参拝をしております。ただ今回は、モスクワに世界陸上で14日から行く予定になっておりますので、この夏に靖国神社を参拝する予定はございません」
記者「前後も含めて、大臣として参拝しないのでしょうか」
下村博文「私は既に参拝をしておりますが、大臣としても参拝をしておりますが、いつどういう形でしたということは、ここでは申し上げません」――
戦前の軍国主義国家・全体主義国家日本を否定していない以上、教育勅語の使い方に問題があったとする認識はタテマエ上のものであって、戦前の日本の教育を支配した「教育勅語」に関しては「中身は、至極全うなことが書かれている」ことを理由に肯定する立場であることが分かる。
下村博文の認識に妥当性があるかどうか、次のHP――《教育勅語と現代語訳》から、勅語全文はアクセスして確認して貰うとして、勅語に書いてある各社会的立場に基づいた守るべき徳目を並べてみる。漢字以外は片仮名を用いているが、平仮名に変え、旧漢字は現代漢字に変更、()内に意味を書き添えた。
子の守るべき徳目。
「父母に孝」(親に孝行を尽くせ)
「兄弟に友」(「けいていにゆう」兄弟仲良くせよ)
「朋友相信じ」(友達同士相信じ合え」
「学を修め」(学問に邁進せよ)
夫婦の守るべき徳目。
「夫婦相和し」(夫婦は仲良くせよ)
社会人としての大人たちの守るべき徳目。
「朋友相信じ」(友達同士相信じ合え」
「恭儉己れを持し」(「きょうけんおのれをじし」人に対しては恭しく、自分自身は慎み深く振る舞うことで自分を維持せよ)
「博愛衆に及ぼし」(博愛を衆人に及ぼせ)
「学を修め」(学問に邁進せよ)
「業を習い」(仕事に習熟せよ)
「智能を啓發」(無知な人の目を開いて、真実に気づかせよ)
「器を成就し」(人間としての徳行と器量を成就させよ)
「進で公益ヲ広め」(自ら進んで社会一般の利益を広めよ)
「世務を開き」(「せいむをひらき」世の中の務めを学び開け)――
以上は子や大人が自律的に行うべき務めとして国家からの要求となっている。
「常ニ國憲を重んじ」(常に大日本帝国憲法を重んじよ)
「國法に遵い」(国の各種法律を遵守せよ)
「一旦(いったん)緩急あれば義勇に奉じ」(差し迫った事態が発生したなら、正義と勇気を捧げよ)
「以って天壤無窮の皇運を扶翼すべし」(「もっててんじょうむきゅうのこううんをふよくすべし」天地と共に永遠に続く皇室の運命を助け守れ)
以上は国民の自律的務めとして上に働きかける上からの要求と言うよりも、上の国家による下の国民に対する従属すべき務めとしての要求となっている。戦前に於ける国家と国民との関係からの上下の方向性で言うと、前者は国民という下の場所から国家という上の場所への方向性を持たせた徳目であり、後者は上の国家から下の国民への方向性を持たせた徳目と言うことができる。
この上下が合わさり、良好に機能したとき、国家による国民統治が破綻なく成就する。要するに国民統治装置としての役目を教育勅語に持たせていた。
このことは教育勅語の最後の言葉が証明している。
〈是(かく)の如きは独(ひと)り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以て爾(なんじ)祖先の遺風を顯彰するに足らん。
斯(こ)の道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の共に遵守すべき所、之を古今に通じて謬(あやま)らず、之を中外(ちゅうがい)に施して悖(もと)らず。朕爾(なんじ)臣民(しんみん)と共に拳々服膺(けんけんふくよう)して、咸(みな)そのを一(いつ)庶幾 (こいねが)う。〉――
「これらの徳目を守ることはあなた方臣民が忠義心に厚く、善良であるということを意味するだけではなく、汝らの祖先の風習や教えを讃えて広く世間に知らせることです。
そして祖先の風習や教えを臣民が忠義心に厚く、善良であるために伝統として守る、この関係は実は歴代の天皇が天皇の始祖の遺訓を伝統として守る関係に合致し、このような関係を心がけることによって臣民は古今を通じて過つこともないし、この関係を国内外に施せば、道理に適うことになる。
朕は臣民と共にこのことを常に心中に銘記して忘れず、臣民全員が皆んなしてこのような徳目を一つに合わせて行っていくことを切に願う」――
要するに教育勅語に掲げた徳目を用いて、それが天皇家の遺訓に重なる先祖代々の遺風であるとすることで守り従わせて、国民を馴致させる関係を国民統治の装置とし、国家に奉仕させる手順が描かれている。
この国民の徳目遵守に始まる国家奉仕のメカニズムこそが、教育勅語が既に全体主義・国家主義を含んでいることを示している。
確かに教育勅語が書いている徳目は表面的に見ると、下村博文が言っているように「中身は、至極全うなことが書かれている」とすることができる。
だが、全体主義・国家主義からの国民統治装置としての役目を持たせている以上、このような認識がないままに「戦前の教育に於ける重要な文書であり、国民が教育勅語の位置づけを学ぶことは大切だ」とするのは、掲げてある徳目だけに目を奪わせる偏った認識を招く上に、内包している全体主義・国家主義を気づかせないままに刷り込ませかねない、非常に危険で時代錯誤の教育勅語観を広めることしか役立たないはずだ。
下村博文は自らの単細胞に助けられて、教育勅語を立派な教育観に彩られている文章だと看做すことができ、そのような認識で以って文部科学大臣を務めている。単細胞、万々歳と言ったところか。