橋下徹大阪市長・日本維新の会共同代表の「 愛人2、3人住まわせて新しい船場にしてほしい」発言がマスコミに取り沙汰されている。その多くが女性の反発を視野に入れた愛人容認発言だとして把えているようだ。
次の記事が発言を詳しく取り上げていた。《橋下徹・大阪市長、講演で「皆さん、愛人2~3人住まわせて」》(The Huffington Post/2014年04月08日 14時01分)
発言の全文を参考引用してみる。
「経済人・大阪維新の会」主催の「自ら考え、行動しよう!大阪都構想シンポジウム」で、「大阪都構想・大阪活性化への究極の切り札」と題した講演の中での発言だそうで、〈政治主導による規制緩和の一例として、大阪中心部を南北に貫く目抜き通り・御堂筋沿道の高さ制限緩和について語ったあと〉出てきたものだという。
橋下徹「もう一つは御堂筋の沿道、人が住めないっていうんです。一番きれいな通りですよ、大阪の中で。あそこに住みたいって人もいると思うんですね。何で住んだらだめなのって(市職員に聞いたら)、いやあ今まで住んでなかったし、考えたこともありま せんって(答えた)。
それでも役所は頭いいですから、色々考えて、今回、中央通りと心斎橋の長堀通りの間は人が住んでいい。1階から全部マンションにしたら大変なことになるんで、上3分の1だけはレジデンスOKということにしました。さっそく計画がいくつかあがっています。
大体大阪の財界人は、大阪で稼いで住むのは西宮、芦屋って、ダメですよ。戻ってきて貰わないと。そのためにも超高級なレジデンスをつくって貰いたいと思っていますから、ぜひ財界の皆さん、あそこに住んで下さい。お金持ちが住んでくれれば、その周りにお金持ちを狙った店がいっぱいできてくるんですよ。色んな高級な飲み屋が出てくるし。
レジデンスにまた、愛人を囲う経営者も出てくるじゃないですか。また愛人専用の宝石店とか高級ブティックとか、来るんですから。だからね、あそこは規制緩和でレジデンスやりますんで、ぜひ皆さん、愛人2、3人住まわせて、新しい船場にしてもらいたいと思っています。
拍手が起きて、皆さん、大丈夫ですか。僕は決して自分の奥さんにそういうことは言えませんから。だから皆さんにやって貰いたいんです」――
最後の発言の「僕は決して自分の奥さんにそういうことは言えませんから」と言っていることに現実知らずの矛盾がある。自分の奥さんに愛人を囲うからと言って実行する人間は特殊な例を除いて皆無だろう。
特殊な例として考えられるのは不仲になって夫が妻に離婚を申し立てても妻が承諾しないものだから、「じゃあ、俺は出て行く。別のマンションを借りて、愛人と住む」と宣言するといった例であろう。
橋下徹は2012年に(当時も市長)、まだ茶髪の弁護士だった2006年、大阪市内の高級クラブ勤務の女性と不倫していたする記事を7月発売の週刊誌に取り上げられたことがある。橋下徹は7月18日午後記者会見して釈明している。
橋下徹「事実の部分と事実でない部分があるが、先ずは妻に説明したい。僕のポカで家族に迷惑をかけた。子供には本当に申し訳ない。
(女性との関係は)飲食までは認める。まだ妻に説明していない。これから凄いペナルティーが待っている」
同7月18日退庁時の対記者団発言。
橋下徹「妻は怒っている。きちんと妻に話して謝り続けないといけない。妻にとって最低の夫。子供にとって、これほど最低な父親はいない。
(自身の進退について)僕が携わる選挙で審判がある」――
飲食を共にした関係のみで肉体関係は否定していながら、「凄いペナルティーが待っている」とか、「妻にとって最低の夫。子供にとって、これほど最低な父親はいない」と自己を激しく卑下している。
一般的には天地神明に誓って飲食関係のみだと言い張って身の潔白を訴えるものだが、激しく自己卑下しなければならない心理の裏を返すと、肉体関係を事実と前提として、それを罪と意識しなければ、そのような心理は成り立たない。
しかし橋下徹はこのように激しく自己卑下した程には妻以外の女性との肉体関係に潔癖ではないことを曝すことになる。
2012年の不倫騒動が持ち上がった翌年の2013年5月1日、既に周知の事実となっているが、アメリカ軍の普天間飛行場を視察した際、基地司令官に対して米兵の性犯罪抑止として、米兵個人が対処・利用すべき問題であって、米軍が組織として関与して米兵の利用に供すべき問題ではないはずなのに風俗業の活用を勧め、同年5月13日には旧日本軍が関与して設立・管理した従軍慰安婦制度そのものを戦前の当時は必要だったと擁護する潔癖感なき発言をしている。
ここでは旧日本軍の拉致・誘拐に等しい従軍慰安婦強制連行は措くとして、個人対個人の商業的肉体関係は個人本人の潔癖感に関わる問題だが、そこに軍が組織として関与した場合、軍自体の潔癖感を麻痺させる状態に置くことになって、組織としての精神的機能の一部を損なうことになり、組織自らが組織を傷つけることになる。
敵兵捕虜に関しても、1899年採択ハーグ陸戦条約の「俘虜は人道をもって取り扱うこと」との規定に反して、あるいは1864年締結のジュネーヴ条約に1929年に作成、付け加えられた.「俘虜の待遇に関する条約」の「捕虜は常に人道的に待遇しなければならない」との規定に反して虐待等の非人道的な扱いを行った場合、軍が組織として守らなければならない潔癖感を麻痺させる行為となって、組織としての精神的機能不全を来すことになるのと同じことであろう。
旧日本軍は従軍慰安婦に関しても敵兵捕虜に関しても、さらに付け加えるなら、味方日本軍兵士の人命尊重に関しても軍組織としての潔癖感を麻痺させ、精神的機能不全に陥った組織のまま終戦を迎えた。
そして橋下徹はこういったことに無感覚なまま、旧日本軍が組織的に管理・運営した従軍慰安婦制度を擁護し、沖縄米軍司令官に米軍が組織的に風俗産業を活用することを勧める潔癖感のなさを曝した。
橋下徹の「愛人2、3人住まわせて新しい船場にしてほしい」発言の本質的な問題点はこの潔癖感のなさと共通項を成すはずだ。
市政の長であり、一党の共同代表という立場にありながら、御堂筋沿道界隈の“経済的活性化の究極の切り札”として階下何階かは商業施設、上3分の1はレジデンス(居住階)とする高さ制限緩和のマンション建設を推奨、そこに「愛人2、3人 住まわせて」、愛人専用レベルのレジデンスとすることで、それら大勢の愛人を誘発剤として愛人専用の宝石店や高級ブティックがマンション内の商業施設に進出することを期待した、橋下徹の経済活性化の動機付け(=愛人という種類の女性利用)の程度の低さ・卑俗さであり、潔癖感のなさであって、この潔癖感のなさはまさに従軍慰安婦制度容認発言や米軍に風俗業の活用を進めた潔癖感のなさと共通する。
4月8日、大阪市役所で。
橋下徹「しゃれ、冗談の極みだ。聞いた人の解釈の仕方だ。
(「自分の奥さんにはこんなことは言えない」と語ったことについて)そんなものを認めて、どこの世界に堂々と(妻に)言える男がいるのか」(47NEWS)――
「そんなものを認めて、どこの世界に堂々と(妻に)言える男がいるのか」と言うなら、最初から、「僕は決して自分の奥さんにそういうことは言えませんから」などと言わなければよかったはずだ。
但し、自身の発言を「しゃれ、冗談の極みだ」で片付けることは許されない。経済活性化の動機付けに愛人を囲うことを勧め、愛人が集まることを期待して、そのような方策を披露したのである。
一旦披露しておきながら、マスコミから批判を受けると、「しゃれ、冗談の極みだ」とする。狡猾さだけが浮き立つ。
事実「しゃれ、冗談の極みだ」ったなら、最初から「これはしゃれ、冗談の極みです」と断って、「真面目な話に戻ります」と、政策的に正当性を獲得し得る経済活性化の動機付けを披露すべきだった。
例えば高さ制限の緩和だけではなく、マンション建設後の固定資産税を地方税であることから何年間かは安くして建設参入を促進するとか、民間企業が決めることだが、マンション内商業施設のテナント料を安く抑えて入店し安くするために入店から何年かは利益の何%、それ以降から何年は少し上積みして利益の何%といった活性化の方法を披露するとか、そういった経済活性化の正当な動機づけで発言を締め括っていたなら、マスコミに批判を受けることもなかったし、経済活性化の動機付けの程度の低さ・卑俗さや潔癖感のなさを曝すこともなかったはずである。