伊勢志摩サミット出席後の5月27日のオバマ大統領の広島訪問が決まったことを受けて、5月10日、安倍晋三が官邸で記者団の取材に応じた。
昨日5月12日ブログに書いた発言を再び取り上げる。
安倍晋三「日本は唯一の戦争被爆国として、2度とあの悲惨な体験を世界のどんな場所であっても、再び繰り返させてはならない、この思いで核兵器の廃絶を一貫して訴えてきた。今回、オバマ大統領が広島を訪問し、被爆の実相に触れ、その思いを世界に発信することは、核兵器のない世界に向けて大きな力になると信じている。そして、その世界を実現するために、オバマ大統領と共に全力を尽くしていきたい」(NHK NEWS WEB)
要約すると、「日本は唯一の戦争被爆国として核兵器の廃絶を一貫して訴えてきた。オバマ大統領の広島訪問は核兵器のない世界に向けて大きな力になると信じているし、核兵器のない世界を実現するためにオバマ大統領と共に全力を尽くしていきたい」となる。
兎に角核兵器を廃絶するんだ、核兵器のない世界を実現するんだという強い思いを、ひしひしかどうか分からないが、伝えようと意欲を持たせた発言であるはずだ。
そのような思いもなく以上の発言をしたなら、相当なペテン師である。
当然、発言通りの強い思いなのかを検証しなければならなくなる。検証するために今年2016年4月11日にエントリーした当「ブログ」を取り上げなければならない。
2016年3月18日の参院予算員会。
横畠裕介内閣法制局長官「憲法上、あらゆる核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない。(但し)核兵器に限らず、武器の使用には国内法、国際法上の制約がある」(時事ドットコム)
ここで言っている「国内法」とは一般武器使用に関わる今回改定された自衛隊法などを指しているのだろうが、核兵器保有に関わる国際法とは核拡散防止条約を指している。
但し核拡散防止条約は第10条第1項で、〈各締約国は、この条約の対象である事項に関連する異常な事態が自国の至高の利益を危うくしていると認める場合には、その主権を行使してこの条約から脱退する権利を有する。〉と規定している。
要するに核拡散防止条約よりも国家の安全保障を上に置いている。
と言うことは、国家の安全保障を核拡散防止条約と必要に応じて取り替えることができることを意味していることになる。
例え日本が核拡散防止条約の締結国であったとしても、条約よりも国家の安全保障の優越性が認められている以上、安倍晋三のように手段を選ばない国家の安全保障を金科玉条としている政治家にとっては核保有の制約は最終的には核拡散防止条約ではなく、日本国憲法が唯一カギを握っていることになる。
その憲法が「あらゆる核兵器の使用がおよそ禁止されているとは考えていない」と、保有の制約を取り外している。
行く末はこれまでの経験から言っても、日本を取り巻くことになる安全保障環境に先手先手を打つ形になることは目に見えているはずだ。
憲法や法律についての内閣の統一解釈は内閣法制局が行い、その長である内閣法制局長官の見解は憲法や法律についての内閣の見解を代弁している。
以上見てきたことから考えて、この日の午後の官房長官の記者会見で菅義偉は「日本が核兵器を使用することはあり得ない」といった趣旨の発言をしているが、核拡散防止条約が国家の安全保障の優越性が認めている以上、横畠長官の「禁止されているとは考えていない」は将来に対する備えを言ったはずだ。対立関係にある核兵器を所有する外国に対する安全保障上の対抗の必要可能性に備えて、現在から憲法は禁止していないことを国民に知らしめておくということであろう。
――中略――
そして横畠長官の日本国憲法は核兵器の使用を禁止していない発言は安倍内閣の統一解釈だということである。
このことは2016年4月の鈴木貴子の質問主意書に対して「憲法9条は一切の核兵器の保有や使用をおよそ禁止しているわけではない。しかし核拡散防止条約及び非核三原則に基づき、一切の核兵器を保有し得ない」(Wikipedia)とする答弁書を閣議決定していることが何よりの証明となる。
この閣議決定にしても、核拡散防止条約や非核三原則よりも国家の安全保障を優先させていることを承知の(「保有し得ない」の(今回追記))禁止事項と見なければならない。
このブログを書いた時には鈴木貴子の質問主意書も政府答弁書も衆議院の「質問答弁情報」に記載されていなかったために「Wikipedia」の記事を利用したが、現在記載されている政府答弁書から、必要個所を抜粋してみる。
我が国は、いわゆる非核三原則により、憲法上は保有することを禁ぜられていないものを含めて政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している。また、原子力基本法(昭和三十年法律第百八十六号)において、原子力利用は平和の目的に限り行う旨が規定され、さらに、我が国は、核兵器の不拡散に関する条約(昭和五十一年条約第六号)上の非核兵器国として、核兵器等の受領、製造等を行わない義務を負っており、我が国は一切の核兵器を保有し得ないこととしているところである。
その上で、従来から、政府は、憲法第九条と核兵器との関係についての純法理的な問題として、我が国には固有の自衛権があり、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法第九条第二項によっても禁止されているわけではなく、したがって、核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは、必ずしも憲法の禁止するところではないが、他方、右の限度を超える核兵器の保有は、憲法上許されないものであり、このことは核兵器の使用についても妥当すると解しているところであり、平成二十八年三月十八日の参議院予算委員会における横畠内閣法制局長官の答弁もこの趣旨を述べたものである。
このように日本国憲法は「自衛のための必要最小限度」にとどまる限り核兵器の保有も使用も禁止していないとしている。
そしてまた、「自衛のための必要最小限度」にも仕掛けがある。
このこともかつてブロウに書いたことだが、今夏参院選で自民党の推薦を受けて神奈川選挙区から立候補予定の元みんなの党、現在無所属の中西健治(52)が2015年6月9日、質問主意書で政府が言う「必要最小限度」は国際法上の範囲・内容を指すのか問い質したのに対する2015年6月16日閣議決定の政府答弁書が明らかにしている。文飾は当方。
「必要最小限度」が相手の武力攻撃の規模・態様に対応させて変化を余儀なくされるケースバイケースの可変性を構造としていることは今夏参院選で自民党の推薦を受けて神奈川選挙区から立候補予定の元みんなの党、現在無所属の中西健治(52)が2015年6月9日、質問主意書で政府が言う「必要最小限度」は国際法上の範囲・内容を指すのか問い質したのに対する2015年6月16日閣議決定の政府答弁書が明らかにしている。
〈お尋ねの「我が国に対する武力攻撃が発生し、これを排除するために、個別的自衛権を行使する場合」の「必要最小限度」とは、武力の行使の態様が相手の武力攻撃の態様と均衡がとれたものでなければならないことを内容とする国際法上の用語でいう均衡性に対応するものであるが、これと必ずしも「同一の範囲・内容」となるものではない。
新三要件に該当する場合の自衛の措置としての「武力の行使」については、その国際法上の根拠が集団的自衛権となる場合であれ、個別的自衛権となる場合であれ、お尋ねの「必要最小限度の実力行使」の「範囲・内容」は、武力攻撃の規模、態様等に応ずるものであり、一概に述べることは困難である。
国際法上の「必要最小限度」は相手の武力攻撃の態様と均衡が取れたものを言うが、憲法解釈で集団的自衛権の行使を容認した「武力行使の新3要件」に応じた武力行使に於ける「必要最小限度の実力行使の範囲・内容」とは武力攻撃の規模、態様等に応ずるものだとしている。
いわば「必要最小限度」とは、「それ以上切りつめたり小さくしたりした場合は必要性を損なうギリギリの限度」とする言葉の意味通りのことを言っているのではなく、相手の武器や兵士の規模・能力・数量(あるいは人数)に応じて必要となる兵力、あるいは戦闘能力と言うことになって、必要に応じて増減を図る必要対応性を持たせた変数として見る「必要最小限度」であることが分かる。
当然、日本国憲法は「自衛のための必要最小限度」にとどまる限り核兵器の保有も使用も禁止していないとしているその「自衛のための必要最小限度」にしても必要対応性を構造としていることになる。
かくこのように日本国憲法は禁じていないとする論理で核兵器の保有と使用の必要性が生じるかもしれない将来的な有事に備えていながら、「核兵器の廃絶の訴え」と「核兵器のない世界の実現」に強い思いを見せる。
ペテンそのものではないか。
そうでありながら、安倍晋三はオバマと並んで広島平和記念碑(原爆ドーム)を訪れて、「犠牲者に対して哀悼の誠を捧げる」と称してまことしやかに頭(こうべ)を垂れ、黙祷するパフォーマンスを演じるに違いない。
安倍晋三の中に核保有と必要ならば核使用の強い意思を存在させていることを忘れてはならない。