■山鉾巡行 御池通
祇園祭山鉾巡行は、四条烏丸より長刀鉾を先頭に執り行われる。祇園祭といえば山鉾、という印象をもたれる方が多い中で、これは必ずしも正しくは無いのだが、他方、もっとも優美で荘厳な行事であることも確かだ。
さてさて、七月十八日に掲載した山鉾巡行、四条通の様子に続いて、本日は御池通の様子を掲載したい。実のところ、途中に河原町通りを経て、この御池通に至るのだが、諸般の事情にて大学院に行く必要があり、中座するかたちとなった。その後、共同研究室から京都市内にある地下鉄、市営バス、私鉄というほぼあらゆる公共交通機関を駆使して再び山鉾巡行へ馳せ参じた次第。
四条通と比べて、御池通は道幅も広く、特に歩道がアーケードではないので、殊更広い印象を与える。小生が完全装備にてカメラを構えている丁度目の前の情景は、烏丸御池を越えて、いよいよ山鉾を廻し、それそれの保存会が置かれた町内に戻る、そういう瞬間であった。
この大きな菊水鉾(多分)が転回するには、まずおおくの青竹などを車輪の下に敷き、ここに多くの水を掛けることからはじめる。何分、重量は10㌧を越え、さらに高さも20㍍を越えている。転回させるというのは苦労の蓄積であり、この困難を汗と技量と心の調和にて乗り切ることが、山鉾巡行の曳き手にとっての華なのでは、ともおもえたりする。
丁度、正午を過ぎたこの時間帯。この日の山鉾巡行は、記憶を辿ってみてもここ数年を見渡しても屈指の晴天に恵まれており、広角レンズにて撮影し写る青空と、京都の都大路に一年ぶりに繰り広げられる伝統行事の情景が相まって、なかなか撮れないような光景を人々に魅せてくれた。
じつは、こうした山は、そこまで重量がないことから転回に時間があまりかからない。
ここで、時間の掛かる鉾を追い越すこととなっている。競争ではないので、木目細かく定められた順番に従って執り行われている。
望遠レンズの圧縮効果が、多くの山鉾を一枚に収めている。曳き手が、山鉾ごとに異なる装束にて曳いている点に注目。
ここは京都市内のビジネス街をやや外れたあたり。マンションなども目立つ。写真の奥の辺りが、地下鉄烏丸御池駅があるあたりである。
この日は本当に暑かったのだが、アーケードに囲まれた四条通とは異なり、この御池通の歩道は広く、その分たくさんの出店が軒を連ねていた。早朝から連続しての行脚(特に途中中座した距離を含めると本当に行脚という表現が正しいやも)、補給を取ろうと言うことで合間をみて焼き鳥の特大とたこ焼、そしてアイスクリームを補充する。焼き鳥は並んでいたものを炭火で暖めなおそうとしていたが、冷めていた方が良いという事でそのままお願いした。
写真はアイスクリームの屋台裏より撮影。山鉾巡行実施本部、と大書された天幕が張られている。冷却容器に収められたアイスをダブルにしてもらう。安価に提供するべく、アイスクリームというよりはラクトアイスというべきな印象であったが、それでも火照った身の上には、歯に凍みる感覚が嬉しい。
菊水鉾。鉾を展開させる前に、裃で着飾った町内の長老(?)たちが、転回の様子を一番良く見ることが出来る場所に着席する。
山鉾は、京都市中心部の町内保存会にて代々受け継がれた、文字通りその街の宝物であり、転回という瞬間が滞りなく行われるように、長老達の視線は鉾に注がれる。若い頃には囃子の弾き手、そして山鉾の曳き手として祭事を支えた人たちである。
唐破風造の屋根に乗る人たちは振り落とされないようにしっかりと掴まっている。もちろん一度に転回などできない、青竹に水を掛けながら、その都度扇に合わせて掛け声が響く、掛け声とともに転回する情景は、演劇の世界に迷い込んだような錯覚だ。
放下鉾。幟を手に進む山鉾。悲しいかな小生、一目で識別できる山鉾は限られており、写真と照合する際に、この幟がないとけっこう識別が大変である。
戦艦榛名と戦艦比叡の識別は出来るのだけれども、山鉾の識別もできるようになりたい。さて、稚児が乗る山鉾は現在、長刀鉾だけであるが、1929年まで、この放下鉾にも稚児が乗っていた。現在は稚児の人形にて山鉾巡行に参加している。
船鉾が続く。神功皇后が韓国を攻めた時の船がモデルとされているが、祇園祭には、もう一つ大船鉾というものがあった。これは元治の乱の戦乱により焼失し現在に至るのだが、焼失を免れた大船鉾の遺構はあり、復元されれば、と思ったりもする。こういった山鉾は休み山鉾と呼ばれ、他にも幾つかがある。
船鉾は、文字通り出陣の戦舟を模ったものであるが、大船鉾は凱旋の船を模したものといわれている。その船鉾が、転回してゆく。正面からみるとの、こうして展開している様子をみるのとでは、印象は全く違う。祇園囃子は印象的なのだが、音は残念ながら写真には写らない。またデジタル一眼レフなので動画撮影も出来ないことから、こういった動作を写す事で動きを表現したい。
山鉾巡行が最後に転回を終えたのは1440時。公式HPなどをみると、1230時頃に終了するような印象を受けなくも無い山鉾巡行(実際、読売旅行の方々など1230時頃には大挙退去していった)であるが、とんでもない!、これからが本番といってもいいくらいなのである。こうして町内に戻った山鉾は、この日のうちに来年の祇園祭に向けて解体される。
HARUNA
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