■横浜中華街散策
京浜急行電鉄の充実した高速鉄道網は、横須賀と横浜を多くの列車と格安な運賃で結んでいる。同じ湊街でありながら、軍都横須賀と商都横浜の違いには、毎回驚かされる。そんな横浜中華街に、親友のM氏とともに足を運んだ。
さてさて、安政の五カ国条約にて開港都市に指定された横浜。江戸時代末期、日本では英語を解する人口も極端に少なく、国際港湾都市への変革を独力で成し遂げられない時代にあって、外国人居留者が必要としたのは、中国人の召使であった。多くの中国人は、その必要から華僑として日本を訪れ、同じアジアの視点から日本の近代化にも欠かせられない尽力を加えたのは周知の通り。その華僑が、生活の場として自国文化を定着させたのが中華街である。
さてさて、護衛艦はるな舞鶴への出港を見送った小生、時間が許せば在来線にて護衛艦とともに舞鶴に出迎え、という計画も為しえなかった訳では無いが、やはり神奈川県にいるならでは、ということをしようと思い立った(つまり観光)。それよりも航海の安全を祈念しようと足を運んだのは、馬祖廟である。そもそも鄭和の南海遠征として、中国から遠く中東、アフリカ東岸までの航路を見守ったのも馬祖廟というので、御利益は確実なもの。
横浜中華街には、中国から持ち込まれた文化の数々が、中共や台湾の文化と調和し、中華街を形成している。なるほど、世界に多くの華僑人口を有するかれらにとり、航海の安全はなによりも重要なものであり、その集める信仰の大きさが、この横浜の地に馬祖廟を建てたほどだ。ここは無心に、参拝を行う。
横浜の中華街は、日本において主要な中華街として知られる神戸や長崎の中華街よりも大きい。これは、彼らが、開国間もない日本において、輸出入の仲買人などの仕事を掌り、その役割が重視されたことに起因しており、いわば必要に応じて大きくなった中華街である。近年は、その役割をほぼ終えて、観光拠点として異国情緒を楽しむことが出来る横浜の名所に記されている。
馬祖廟を参拝し、更に脚を進めて小生一行は、関帝廟に足を運ぶ。実は、ここは商売の守り神としても知られており、馬祖廟よりも前からここにある。日本が排他的な文化体系を有していた時代にはここには無く、いわゆる華人会館などの奥にて華人たちからの信仰を集めていたのであるが、近年では、このように荘厳な装いにて、多くの人々からの崇敬をあつめている。
横須賀にて見送った艦船の航路の安全と責務の完遂を、ここ横浜の地より祈った次第。いわゆる神社にあたる場所なのだが、日本の神社には数え切れないほど参拝を重ねた小生にも、こうしt寺院への参拝の回数は少なく、ここ関帝廟の空気は、新鮮に感じられるものである。ちなみに、神戸にもやや中華街より離れたところに関帝廟はあるので興味のある方は足を運ばれて見てはどうだろうか。
さてさて、縁日ではないが、一通り参拝を終えた小生一行は、横浜中華街を散策である。神戸の中華街は、いわゆる屋台があり、食べ歩きという文化が根付いているのだが、横浜中華街には、屋台風の店が多少あっても、基本的に店内で飲食という方式である。同じ中華街でも、異なる点はあるのだなあ、と、やや空腹の一行は、美味しい中華料理に向けて大きく舵を切った次第。
HARUNA
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