北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

大阪天神祭 千年を越える伝統とともに 本宮の陸渡御と船渡御

2008-08-07 17:56:50 | 写真

■大阪天神祭 日本三大祭の一つ

 京都では祇園祭の花傘巡行を終えた7月25日、大阪天神祭は本宮を迎えていた。前日の宵宮は、特別演習関係(?)で三条大橋界隈に展開していたので展開出来なかったが、本宮は撮影へ足を運ぶことが出来た。

Img_6230  日本三大祭は、京都の祇園祭、大阪天神祭と、東京の神田祭をさしている。京都三大祭として祇園祭を筆頭に葵祭、時代祭が挙げられる。神田祭は関東大震災の天災により山車の大半が焼失してしまい、規模は著しく縮小されたというが、この天神祭は、大川を覆うほどの船渡御が行われ、なるほど、祇園祭の山鉾巡行に対して、水の都大阪らしい伝統行事、という強い印象を与えてくれる。

Img_0649  蛇足ながら日本三大祭というのは江戸時代に定められたもので、神田祭も江戸時代の規模に戻せないものか、とも思ってしまう。山鉾巡行のように神田神社から日本橋、両国までに大規模な交通規制を引いて実施する、という祭事もあっていいのではないか、と考える。しかし、山車の場合は京都の山鉾保存会の努力などを伝え聞くと、やはり東京では無理なのだろうか。

Img_6233  天神祭へは、阪急よりも京阪で行った方が様になるよ!という知人の助言(?)に従い、京阪特急にて展開した。北大路からは、やはり阪急かJR京都駅の方が利便性が良く、場合によっては神戸に展開することも多く、京阪よりも阪急を選んでしまう。自然、写真も阪急(特に京都本線)の写真が多いのだが、京阪は利用してみるたびに、なるほど撮影する景色や電車の多様さでは唸らされるものも多いのだなあ、と。

Img_6250  さてさて、京阪天満橋駅に到着する。すると、天神祭への経路を示した掲示とともに、京阪中ノ島線に関する掲示が目立った。急ぎ、小生は撮影ポイントに向かい移動を開始する。向かうは陸渡御の乗船場である。ここで待っていれば、乗船に向かう祭事の様子を余すところ無く撮影出来るというわけだ。

Img_6277  そもそも、この祭事を遡れば951年にまで至るという。千年以上の歴史を誇る祭事である。大阪天満宮の祭神が街々の平安を見届ける為の祭事であり、巡行であった。巡行にはざっと3000名が歴史装束に身を包み大阪の街を練り歩き、船渡御では100隻以上の船や艀が大川を覆う。大川は旧淀川であり、川を最大限活かした祭事は、冒頭にも述べた通り、この大阪が水の都であることを何よりも示しているのではないか。

Img_6304  大阪天神祭は、六月下旬より始まり、七月七日には天神七夕祭、十一日には船渡御事始敷き、二十一日には神輿蔵出、二十二日には献酒祭、二十三日と二十四日には宵宮が行われ、この二十五日には本宮夏大祭神事が行われる。期間の長さでも祇園祭に比肩する規模だ。

Img_6316  夏大祭は、この大阪の街の平安を祈り、御霊を御鳳輦に移し巡行することから始まる。この行事の様子はテレビ大阪により中継されるのだが、中継クルーはなんと祭り装束に器材を背負い、中継にあたっていた。これには驚いた。特に器材の多いテレビマスコミは祭事や神事、行事の空気をかき乱し、某放送協会などは国宝建築物の柱にコードを繋ぐ為に兵器で釘を打つほどの暴挙を平然と行うが、テレビ大阪のクルーたちは、祭事への同化、祭事の一員としての報道人の模範を示しているようだった。

Img_6322  陸渡御に続き、撮影していたところより御鳳輦は乗船、船渡御が開始された。大阪ビジネスパークなどの高層ビル群を遠景に収めつつ、船や艀が次々と川を上ってゆく。実は、陸渡御は4kmを往くので、その終点を撮影位置に選んだ小生は少なからず拾うが蓄積していたりした。そしてなにより、体が水分を必要としていたので、移動を開始することに。ここからは橋梁を通行しつつ片手を伸ばし撮影した写真群。

Img_6333  御鳳輦が乗せられた御鳳輦奉安船を中心に、神事に加わる供奉船、そして市民らが乗る有料の列外船などが続々と進んでゆく。写真にみえるのは天神橋であろうか、観覧者が多く集まることから規制線が張られるが、やや下流に下った小生の撮影した周辺は、列を後ろから観覧するかたちにはなるものの、そこまで混雑は無い(山鉾巡行の御池通、烏丸御池以西よりもかなり空いている)。

Img_6343  どんどこ船。どんどこ船とはユーモラスな名称であるが、これが正式名称である。このほかに人形船や落語船など、おもしろい名称の船があり、これらの船は列を自由に航行することが出来る列外船、として航行している。名前から分かるように、音楽を奏でており、祇園囃子とは異なり、雅、というよりも商都大阪の活気が伝わってくるような演奏だった。

Img_6358  この船渡御は、神鉾を天満宮より流し、この神鉾が行く場所にて祭事を行ったというのが由来であるが、現在では、大川を遡ることで行事を行っている。なぜ下流に流す行事が遡ることとなったのかというと、昭和初期の地盤沈下にて橋梁の下を船が航行できなくなってしまったから、という背景があるそうだ。

Img_0681  文楽船の船上には、くいだおれ太郎の人形が。改めて記載するまでも無いが、天神祭の少し前、7月8日に閉店したレストランくいだおれ、の看板人形であった。大阪を代表するイメージキャラクターである、くいだおれ太郎が、日本三大祭に彩りを添えている。これには驚いてしまった。くいだおれ太郎の奇抜な風体をみると、なにか笑みが湧いて来るのは何故だろうか。

Img_0703  そもそも、この船渡御は、幕末の騒乱や明治時代のコレラ発生、第二次世界大戦の戦災に地盤沈下による橋梁下降、石油危機による原油価格高騰などにより度々中止されて今に至る。天神祭が行われているということは、大阪の街が平和である、ということのなによりもの証明なのかもしれない。

Img_0733  伊丹空港に向かう日本航空の旅客機。航空機が来るとカメラを向けてしまう悲しい習性。大阪の中心部からは、このように伊丹空港に向かう旅客機がよくみえる。大阪モノレールで結ばれており、便利な立地だ。最近某知事が議論提唱の為に伊丹空港廃止も含め関西国際空港の再生を論じ、物議を呼んだが、そもそも黒字の伊丹空港、それも大阪兵庫に跨るこの空港の廃止を提唱するということは、ある種滑稽に思えてしまった。

Img_0726  さて、この後、大阪天神祭は、壮大な花火により夜空と川面を照らしつつ、この本宮を終える。しかしながら、諸般の事情で、大学院の共同研究室に足を運ぶ必要があり、一応は、中座して再度花火の時間帯に、というのも考えたのだが、京都と大阪は遠くは無いが、近いというのも難しい。

Img_0704  翌日は早朝から舞鶴基地へ展開する予定がある。距離としては舞鶴基地は、京都府の日本海側であるし、直線距離で比較するならば京都から舞鶴までは京都から神戸までとほぼ同じ、決して遠くは無いのだが新快速が運行されないJR西日本アーバンネットワークの圏外である為、所要時間では姫路や名古屋よりも遠く、本数も少ない。そういった理由もあり、花火に後ろ髪引かれつつも大阪を後にした。

HARUNA

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