■ヨコハマ湊街シンボルのひとつ
国際港湾都市として知られる横浜市、海に面した湊街としてのシンボルは多くあるが、その筆頭に1930年から1960年までの期間、活躍した氷川丸を推す声も多いのではないかと思う。
氷川丸は、横浜と北米のシアトルを結ぶ北太平洋航路をゆく客船として日本郵船が建造した旅客船で、ここ横浜にて1930年に建造された。氷川丸は、いわゆるシアトル航路三姉妹として続く日枝丸、平安丸に先駆けて誕生した経緯がある。氷川丸は、太平洋戦争に病院船として参加し、樹陰の努力、そして幸運とに恵まれ生き残る。引揚船として人々を日本への帰路を運んだのち、戦後も再び太平洋航路に返り咲き、1960年に引退した。そして1961年には、ここ横浜にて、保存されることとなったわけだ。
氷川丸のブリッジ。手前には舵が設けられているものの、現代的な船舶とはまったく異なるブリッジという印象だ。氷川丸は、総トン数11622㌧、10289重量㌧。全長は163㍍、幅は20.1㍍である。客室定員は、一等客室76名、二等客室69名、三等客室186名となっており、客船引退後は、海上ホテルや海上レストランとして、そして夏にはビアガーデンとしても親しまれた。
レーダー装置。建造当時はもちろん、レーダーを搭載していなかったのだが、第二次大戦の戦後、再び太平洋航路に返り咲いた際に、氷川丸にはレーダーが搭載された。氷川丸は最大速力18.2ノット、巡行速力15ノットであり、過密する太平洋航路を再び行くにはレーダーが必要であったとのこと。
氷川丸はチャーリーチャップリンや秩父宮夫妻が乗船したことでも知られる。また、本船は、ロンドン海軍軍縮条約の批准書を日本に運んだことでも知られる。ロンドン海軍軍縮条約の批准に尽力した加藤友三郎は、先日掲載した三笠の艦橋上において、日本海海戦を戦った一人であり、なるほど、横浜と横須賀、氷川丸と三笠には、わずかながら繋がりがあるのだなあ、と考えさせられた。
船内をゆく。真っ白な船内の壁に電燈の光が反射して、あたかも間接照明のようなほの暖かい印象を伝えている。通路とともに連なる客室の扉が続き、壁の掲示には船室の配置などが記載されており、目的の場所に行くには何処を通れば良いのかということが判るようになっている。
食堂。船内では、日本料理などを楽しむことが出来たが、特に、かの喜劇王は、天麩羅を堪能できるということで、氷川丸を選んだとのこと。天窓からは自然光が降り注ぎ、さぞ料理に彩りを添えたことだろう。喫煙室やラウンジなどが一等客室の乗客向けに用意されており、おおよそ三週間という期間、乗客は思い思いの時間を過ごしたのだろう。
氷川丸や日本郵船の歴史を掲載したパネル。ちなみに近年の客船は、カーフェリーやクルーズ船が中心となっており、プールや娯楽設備に溢れているが、北太平洋航路を行く旅客船としての本船は、むしろ今日の国際航空路線にあたるもので、更に厳しい北太平洋をゆく関係上、あまり甲板上に娯楽設備を配置できないという事情もあったりする
一等客室。氷川丸では、客室の様子を見学することが出来る。二つのベッドが並び、洗面台やテーブルも用意された洒落た内装。ここだけに閉じこもると確かに厳しいが、そのために前述のようなラウンジなど様々な設備が用意されている。特に喫煙室は、今日では愛煙家にとってアラモの砦であるが、当時は社交の場として必須の場所であったため、広々としている。
こちらは一等特別室。一等客室の更に上のグレードといなっている。一見、一等客室との相違は間接照明になっているので、一等客室と大きな違いを印象付けられるのだが、よくみてみるとさらに洗面台などが見当たらない。また、椅子などもふかぶかとしたクッションが取り付けられている。
一等特別室には、こういった応接間もあり、加えて洗面台や浴室なども用意されている。航空機の国際路線という選択肢が無かった時代、今日的にいうとファーストクラスにあたる設備であるが、旅行情緒というものを持ち込んで比べてみると、昔の方が、と思うのは小生が懐古趣味だからなのだろうか。
氷川丸の機関室。本船は、ディーゼル推進方式を採用している。B&W型ディーゼルエンジン二基により推進し、出力は18272馬力で、二軸推進となっている。この機関室には、機関部分の仕組みについても展示されており、この点、機関が撤去された三笠と比べると、本船の方が当時の姿を忠実に伝えているといえる。
三等客室。なんというか、B寝台である。ちなみに、デッキなど一等客室区画に行くには事前に申し込みを行う必要があったというので、ここで船窓を眺めるか、花札やトランプでも持ち込むか、なるほど、かなり上とは異なる印象だったのだろう。ちなみに、本当に時間が余っていたようで、三等客室の乗客は、船窓に飽きたらキッチンで芋の皮を剥いたり、掃除を手伝ったりしていたのだそうだ。
氷川丸の歴史を紹介している。実は、この氷川丸、2006年12月に保存していた会社が経営難になる一端閉館、一般公開を終了したのだが、日本郵船が氷川丸を引き継ぐということになり、いわば再び日本郵船の船として氷川丸は今年4月25日に公開を再開している。氷川丸へは、東急線が乗り入れるみなとみらい線元町中華街駅から山下公園に足を進めると、すぐ見つけることが出来るので、横浜に足を運ばれた際には是非、見学をお薦めしたい。
HARUNA
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