北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

地下鉄サリン事件から本日で十五年 日本のテロ対策はどうなったか

2010-03-20 23:38:31 | 防衛・安全保障

◆自衛隊の対応は万全だった、とはいえるのですが

 F-35Bが垂直離着陸に成功したそうです。X35から随分時間が掛かりましたが、一歩前進ですね。これはかなり大きな話題なのですけれども、日本では地下鉄サリン事件から十五年、という事の方が大きな話題となっています。

Img_0282_1  地下鉄サリン事件。自衛隊指揮官という本が講談社から出版されたのは2002年、防衛大学校出身で毎日新聞記者の瀧野隆浩氏が取材をもとに著した一冊で、地下鉄サリン事件、日本海海上警備行動、MiG25亡命事件、沖縄領空侵犯警告射撃といった自衛隊の転機となった事件、その現場に居合わせた指揮官を、本人や周りの人からの取材で立場や信条、そして心情という面から扱った一冊です。ここに地下鉄サリン事件が最初に出てくるのですけれども、除染の指揮を採った化学科幹部の中村勝美3佐の話が出てきます。

Img_4352  当時大宮化学学校で教官の任にあたっていた中村3佐が警察の機動隊への省庁間協力での化学戦教育と防護服着用法、M8検知紙の使用法等を教育したことから始まり、翌日、突如発生した地下鉄サリン事件を電話で知り非常呼集、市ヶ谷駐屯地に派遣幕僚として6名が化学学校から前進、市ヶ谷駐屯地の第32普通科連隊、福山隆連隊長が派遣隊員に現場の指揮は専門家のアドバイスをよく聞き、その場の最高階級のものが執るように、との命令のもと出動、全ての現場に化学剤の知識と経験のある化学学校からの教官を充て、携帯除染器の11?に5%の除染用アルカリ溶液を充填して出動、検知・作業見積もり・除染・水洗・除染後の検知までを実施、そういった内容を記していました。

Img_7869  地下鉄サリン事件での犠牲者は死傷者6500名以上という、戦後といいますか、世界でも有数のテロ事件となりましたことは記憶とともに、世界のテロ対策関係にあたる方々によって研究されています。神経ガスを使っての無差別テロというものは空前、そして絶後のものですからね。その一方で、大宮化学学校を含め、万一の中の万一という状況があった時に、この国が生き残るため、という責任から準備されていた化学戦の準備というものが、実際に対応することのできた基盤にある、ということでしょうか。平和であっても備え、というものは不可欠なのですよね。

Img_6283  こうした中で、週刊文春の事件記者を経て作家となった麻生幾氏が、2000年に文芸春秋社から“極秘捜査-警察・自衛隊の対オウム事件ファイル”という一冊を出版しています。麻生氏は、小説“宣戦布告”などを著していますので、一種の小説と見ることも出来るのですけれども、阪神大震災を扱った“情報、官邸に達せず”等を読んでみますと、説得力といいますか、扱われているものがかなり真実味の気配を示してくれるものがあります。このあたり、何とも言えないのですが、ともあれ一冊を読んでみますと、オウム事件が有事に発展した場合への備えは相応に行われていたのかもしれない、と思わせるものがありました。

Img_6168  読み解けば装備への故意なのでしょうか稚拙な誤植もありましたけれども、オウムが所有していた業務用無人機がサリン散布に使われた場合への通信大隊の準備や、強制捜査に向かう警察が万一被害を受けた場合への部隊の対処準備などが描かれていました。元富士学校の大宮ひろ志氏による著書“そこが変だよ自衛隊”、光人社より出版された自衛隊の生活を面白おかしく紹介した一冊にも、一文だけですが、空挺団の対処準備、というものが紹介されていました。まだ事件から十五年、ということで実際はどうであったのかは、噂で伝え聞くとしか記せないのですけれども、準備は行われていたようですね。

Img_7146  第32普通科連隊の福山連隊長が当時の事を回顧する形で地下鉄サリン事件への対処について、軍事専門誌である月刊軍事研究に掲載されていましたけれども、冒頭に紹介しました“自衛隊指揮官”に記されていたMiG25亡命事件について、当時、法務幹部として函館駐屯地に前進した大小田八尋氏が学研から“ミグ25事件の真相”という一冊を執筆しています。地下鉄サリン事件に関しても、一連のオウム事件への準備は、MiG25亡命事件が数十年を経て当事者から語られたように、もう少し待てば、法の枠内で最善を尽くした、ということが出されるかもしれません。

Img_0542  他方で、地下鉄サリン事件について、純軍事的にみたならば、サリン散布以外に例えばクラッカーによる電子騒乱や流言飛語の流布など複合的に行っていたならば被害は拡大していた可能性があった、と指摘されています。こうした中で、オウムが次の同規模テロに移る前に除染を完了して、警察の捜査を支援できる体制を構築することができたのは、不幸中の幸いと言いますか、危機管理で問題があると言われがちな日本の危機管理能力が実は比較的高い水準にある、ということを示す事が出来ました。

Img_0126  ただし、やはり危機管理という観点からはもう少し、例えば東京都の青島知事が迅速に災害派遣要請を出すことが出来なかったのか、とか、省庁間協力という位置づけをもう少し流動的に行う事は出来なかったのか、情報共有の在り方を更に広範に実施できていれば、ということを感じる点が、阪神大震災の時ほどではないのですけれども、ある訳です。地下鉄サリン事件の後には、9.11同時多発テロの影響もあって、有事法制が出来たのですけれども、平時から有事に移行する枠組み、というものがもう少し、これはテレビの討論番組を含めて、為されてもいいのでは、と思います。

Img_0698  パキスタン国籍の者が車検証のない自動車を運転していたとして警察に逮捕され、武装勢力に日本から自動車を不正に輸出していたことが判明しています。9.11以降、日本では関連するテロ事件は起きていないのですけれども、テロが起きるはずがない、とされた米本土中枢、そしてイギリス、スペインでもテロが発生し、まさか、という盲点を突かれた形となっています。今後、将来、この国が再び試練にさらされた際に、指揮官として命を預かる立場にある人が、情報や機構が生む力と共存する負の要素で隔靴掻痒に陥らないためにも、議論と検討というものは、より広く行われるべきなのだろう、と思います次第です。最後になりましたが、地下鉄サリン事件で犠牲になられた方々の冥福を謹んでお祈りいたします。

HARUNA

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コメント (6)
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