■西部方面隊航空部隊再編下
沖縄防衛の第15旅団第15ヘリコプター隊、飛行隊から2012年度に1佐職のヘリコプター隊へ拡充されました、当初その編成は概ね第12ヘリコプター隊と同程度と聞いていたのですが、この点について幾つかお気づきの点がコメントに寄せられましたので改めて観てみましょう。
第9航空団創設で賑わいを増す那覇基地、南西諸島最大の防衛拠点であり年々、実際には日増しに脅威を増す大陸からの軍事圧力に対処する最後の拠点が沖縄本島の日米防衛施設です、そして第9航空団創設と並ぶ沖縄の防衛力強化事業の一つが、那覇駐屯地の第1混成団の第15旅団への拡大改編でした、元々沖縄返還に際し、師団を創設する、若しくは沖縄本島に混成旅団を置き九州南部にヘリコプター混成団を置くという構想がありましたが、財政上と脅威状況から実現した無かったものが冷戦後具現化したかたちです。
ただ、南西諸島防衛の要となる第15旅団ですが、この航空部隊が縮小されている可能性が、昨日寄せられたコメントから浮上してきました。南西諸島のヘリコプター、第1混成団時代に第101飛行隊が隷下に置かれており、早い時期からV-107輸送ヘリコプターとLR-1連絡偵察機を装備、これは南西諸島が本州島の全長に匹敵する大きな面積を有しており、急患輸送を筆頭とした災害派遣には航続距離の大きな航空機が不可欠であった事から配備されたというもので、実際に沖縄県は災害派遣要請を受けての出動件数が最も多く、その多くが急患輸送となっています。また、2000年頃まで、陸上自衛隊ヘリコプターも沖縄塗装という救難任務を反映した独自の塗装を採用していました。
第15ヘリコプター隊は、第1混成団から第15旅団への拡大改編に在って目玉事業の一つとなっています。ヘリコプター隊長は1佐職が充てられており、第1混成団時代には普通科部隊は普通科連隊を持たず、2個普通科中隊と重迫撃砲中隊に施設中隊を併せた第1混成群が置かれているのみであった編成を新しく編成となった第51普通科連隊と第15施設中隊というれっきとした戦闘部隊となり、ヘリコプター隊はその空輸任務を請け負う事となったのです。
第15ヘリコプター隊は、南西諸島の空中機動任務へCH-47とUH-60JAを編成完結当時、各8機の16機を装備していました、隊本部付隊としてLR-2連絡偵察機が装備されており、第15ヘリコプター隊は第1飛行隊と第2飛行隊の2個飛行隊編成、それぞれが、UH-60JAを運用する飛行隊とCH-47J/JAを運用する飛行隊に分けられているもので、基本的な編成は相馬原駐屯地の第12ヘリコプター隊と同等の編成であるとのことでした。記念式典では、LR-2が1機とUH-60JAが3機にCH-47JAが3機祝賀飛行として編隊飛行を見せつけました。
那覇の航空部隊運用をここで少し振り返る事としましょう。2012年の那覇駐屯地祭において説明ボードには第15飛行隊の保有航空機は、UH-60JAが4機、CH-47J/JAが2機、と哨戒されていたようですが、2013年の那覇駐屯地祭において、祝賀飛行を行った編隊がUH-60JAが3機とCH-47J/JAが3機という編成で、増勢された可能性がある、とのお話があります。そこで調べてみますと飛行隊からヘリコプター隊への拡大改編において、機数が増強されたとのことで、隊本部の機体を除き、実質、第12ヘリコプター隊と同等の規模となっていた、というものです。
ところが、第15ヘリコプター隊が縮小されている可能性が出てきています。2014年の那覇駐屯地創設記念行事に際して、第15ヘリコプター隊の所属航空機として地上展示に展開したCH-47J輸送ヘリコプターは、西部方面航空隊の部隊マークをしるしており、この点を問うてみますと臨時に管理替えとして稼動航空機が展開している、とのことでした、解説の方が第15旅団の方でしたので疑問は持たなかったのですが、また、訓練環境としては沖縄本島には在沖米軍演習場は多くあるものの自衛隊が独自に使える演習場はほぼ限られ、大きな演習な九州へ展開する必要があるとのことでした。
CH-47J/JAの那覇配備数が縮小しているのではないか。これは、コメント欄にてお寄せいただきました島根県の美保基地への防災能力強化を期した航空自衛隊ヘリコプター空輸隊新設を要望した際の防衛省側資料に、CH-47J/JA配備状況図が示されていたのですが、ここに那覇駐屯地へ配備されている陸上自衛隊の機数は“数機”であり、対して熊本県の高遊原分屯地へ配備されているCH-47J/JAについては保有数に“10機”との明示があった点です。数機という表現では2機であるのか9機であるのか曖昧ですが、逆に高遊原の10機という数字は注視すべきでしょう。
高遊原分屯地は、健軍駐屯地の分屯地で、熊本空港に隣接しています。高遊原分屯地は分屯地ではありますが、西部方面航空隊が展開しており、西部方面ヘリコプター隊第3飛行隊と第8師団第8飛行隊が置かれています。西部方面航空隊にはこのほか、目達原駐屯地に第3対戦車ヘリコプター隊、AH-1S対戦車ヘリコプターからAH-64D戦闘ヘリコプターへ一部換装されることで第3戦闘ヘリコプター隊に改称されるのですが、高遊原分屯地はもともとUH-1が20機装備されている部隊でした。
北大路機関:はるな くらま
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
沖縄防衛の第15旅団第15ヘリコプター隊、飛行隊から2012年度に1佐職のヘリコプター隊へ拡充されました、当初その編成は概ね第12ヘリコプター隊と同程度と聞いていたのですが、この点について幾つかお気づきの点がコメントに寄せられましたので改めて観てみましょう。
第9航空団創設で賑わいを増す那覇基地、南西諸島最大の防衛拠点であり年々、実際には日増しに脅威を増す大陸からの軍事圧力に対処する最後の拠点が沖縄本島の日米防衛施設です、そして第9航空団創設と並ぶ沖縄の防衛力強化事業の一つが、那覇駐屯地の第1混成団の第15旅団への拡大改編でした、元々沖縄返還に際し、師団を創設する、若しくは沖縄本島に混成旅団を置き九州南部にヘリコプター混成団を置くという構想がありましたが、財政上と脅威状況から実現した無かったものが冷戦後具現化したかたちです。
ただ、南西諸島防衛の要となる第15旅団ですが、この航空部隊が縮小されている可能性が、昨日寄せられたコメントから浮上してきました。南西諸島のヘリコプター、第1混成団時代に第101飛行隊が隷下に置かれており、早い時期からV-107輸送ヘリコプターとLR-1連絡偵察機を装備、これは南西諸島が本州島の全長に匹敵する大きな面積を有しており、急患輸送を筆頭とした災害派遣には航続距離の大きな航空機が不可欠であった事から配備されたというもので、実際に沖縄県は災害派遣要請を受けての出動件数が最も多く、その多くが急患輸送となっています。また、2000年頃まで、陸上自衛隊ヘリコプターも沖縄塗装という救難任務を反映した独自の塗装を採用していました。
第15ヘリコプター隊は、第1混成団から第15旅団への拡大改編に在って目玉事業の一つとなっています。ヘリコプター隊長は1佐職が充てられており、第1混成団時代には普通科部隊は普通科連隊を持たず、2個普通科中隊と重迫撃砲中隊に施設中隊を併せた第1混成群が置かれているのみであった編成を新しく編成となった第51普通科連隊と第15施設中隊というれっきとした戦闘部隊となり、ヘリコプター隊はその空輸任務を請け負う事となったのです。
第15ヘリコプター隊は、南西諸島の空中機動任務へCH-47とUH-60JAを編成完結当時、各8機の16機を装備していました、隊本部付隊としてLR-2連絡偵察機が装備されており、第15ヘリコプター隊は第1飛行隊と第2飛行隊の2個飛行隊編成、それぞれが、UH-60JAを運用する飛行隊とCH-47J/JAを運用する飛行隊に分けられているもので、基本的な編成は相馬原駐屯地の第12ヘリコプター隊と同等の編成であるとのことでした。記念式典では、LR-2が1機とUH-60JAが3機にCH-47JAが3機祝賀飛行として編隊飛行を見せつけました。
那覇の航空部隊運用をここで少し振り返る事としましょう。2012年の那覇駐屯地祭において説明ボードには第15飛行隊の保有航空機は、UH-60JAが4機、CH-47J/JAが2機、と哨戒されていたようですが、2013年の那覇駐屯地祭において、祝賀飛行を行った編隊がUH-60JAが3機とCH-47J/JAが3機という編成で、増勢された可能性がある、とのお話があります。そこで調べてみますと飛行隊からヘリコプター隊への拡大改編において、機数が増強されたとのことで、隊本部の機体を除き、実質、第12ヘリコプター隊と同等の規模となっていた、というものです。
ところが、第15ヘリコプター隊が縮小されている可能性が出てきています。2014年の那覇駐屯地創設記念行事に際して、第15ヘリコプター隊の所属航空機として地上展示に展開したCH-47J輸送ヘリコプターは、西部方面航空隊の部隊マークをしるしており、この点を問うてみますと臨時に管理替えとして稼動航空機が展開している、とのことでした、解説の方が第15旅団の方でしたので疑問は持たなかったのですが、また、訓練環境としては沖縄本島には在沖米軍演習場は多くあるものの自衛隊が独自に使える演習場はほぼ限られ、大きな演習な九州へ展開する必要があるとのことでした。
CH-47J/JAの那覇配備数が縮小しているのではないか。これは、コメント欄にてお寄せいただきました島根県の美保基地への防災能力強化を期した航空自衛隊ヘリコプター空輸隊新設を要望した際の防衛省側資料に、CH-47J/JA配備状況図が示されていたのですが、ここに那覇駐屯地へ配備されている陸上自衛隊の機数は“数機”であり、対して熊本県の高遊原分屯地へ配備されているCH-47J/JAについては保有数に“10機”との明示があった点です。数機という表現では2機であるのか9機であるのか曖昧ですが、逆に高遊原の10機という数字は注視すべきでしょう。
高遊原分屯地は、健軍駐屯地の分屯地で、熊本空港に隣接しています。高遊原分屯地は分屯地ではありますが、西部方面航空隊が展開しており、西部方面ヘリコプター隊第3飛行隊と第8師団第8飛行隊が置かれています。西部方面航空隊にはこのほか、目達原駐屯地に第3対戦車ヘリコプター隊、AH-1S対戦車ヘリコプターからAH-64D戦闘ヘリコプターへ一部換装されることで第3戦闘ヘリコプター隊に改称されるのですが、高遊原分屯地はもともとUH-1が20機装備されている部隊でした。
北大路機関:はるな くらま
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