■あたらしい時代のはじまり
宮城での新天皇御即位と共に本日から平成時代は令和時代となりました、文字通り“新しい時代”の始まりです。

自信のない国家日本、平成時代から令和時代へ遷ろう中に現在の日本を示す実情のように思えます。自信のないとは自分を信じる力でもありますし、自分の所属する社会や自分たちの規範と自分達の価値観も含め、曖昧模糊とした脆く崩れやすくなったように思います。この自信の無さとどう向き合うのか、向合わずとも好いのか、令和時代の課題と思う。

軍事力という絶対の自信が昭和初期の日本はありました。戦艦長門に陸奥、日清日露の戦争に打ち勝った自信がそのまま第一次世界大戦の国際連盟常任理事国へ、大正時代には軍縮と引き換えに陸軍近代化を達成、軍事力という自信が醸成する世論が無ければ、アメリカイギリスフランスオランダ中国を相手、末期はソ連イタリアも加わり、戦争は出来ない。

経済大国という絶対の自信が戦後の日本には在りました、1968年には西ドイツのGNI国民総生産を追い抜き、当時はGNP、その規模は世界第二位へ躍り出ました。しかし、中国に2009年GDP国内総生産で追い抜かれる、これよりも1991年のバブル崩壊に伴う低成長時代が平成一杯に渡り響き、かつての安定成長を再構築できなかった事で自信を失います。

しかし、自信の無い国日本、という実情はこうした国の在り方から国民の心象が醸成される、というよりも、何か一人一人の要素へ細分化し、伝播しているようにも思えてなりません、いうなれば、何を目標とするべきかという事が些末な短期的な数値を全てのように誤認し、なにか息苦しさのようなものが社会全体を覆っている様にも思えてなりません。

平和憲法が無ければ自らが外国を侵略しない国家へ代表を選出する自信が無い、日本は民主主義国家の筈なのですが、主権者である国民は政治参加の時間を捻出する努力を怠っている印象があります、実際政治参加というものが住民集会や政党討論会や勉強会にどれだけの事案を捻出するよう努力しているでしょうか、だからこそ選挙に参加しつつ、現状が。

価値観の多様性を創造する自信が無い。前例踏襲に陥っているとは言いませんが、我が国ではどうも加点主義として秀でた点を積載するよりも減点主義として、何か或る原初状態の満点部分から減点する要素ばかりを探すようにも思えます、故に人と違う事を行う事への何か恐れの様な、自分が進む道へ自信を持ちにくい心象が発展を阻害しているようにも。

新しい技術を受け入れる自信が無い、映像検索技術は著作権を侵害する可能性が、情報共有技術は電子不正操作を助長する可能性が、相互暗号技術は銀行法に違反する可能性が、平成時代は日本国内において開拓された新技術、育て方によっては基盤の世界基準を日本から創造出来得る可能性、従来枠組と整合性を持たせる自信が無く、押し潰してしまった。

法整備一つとっても細分化され、適法とする分野を限定列挙するが如き法整備は、適法か否かという基準を社会通念と法運用の範囲内で画定する自信が無いが為に、規制緩和というよりも明確化という号令のもとで縛る法律を徐々に増やし続けている、これは違法と適法の分水嶺を明確化しますが、個人の裁量と社会の柔軟性を自ら閉ざしているように思う。

令和時代の課題は、自信の無い国日本が、自信の無い社会を構成する中で自らが決断する為の基準を自ら裁量として取り戻するには、自信を補強する為に選んだ法規制が自らをがんじがらめとして、息苦しい日常が生き苦しい社会を醸成している現状から自信の中心とするべき指針と長期方針を、どのように取り戻すかが、最初の大きな課題となりましょう。

希望はあります。最大の希望は前例に無い新しい道を拓く勇気が示された事でしょう、そう、天皇陛下が御譲位され上皇へ上られた事です。前例だけを考えるのではなく、新しい一歩を歩む事への自信、こうしたものを考える機会となりました。令和時代、その時代を良くするもそうしないも、今を生きる我々が主役で決める立場にあるのだといえましょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
宮城での新天皇御即位と共に本日から平成時代は令和時代となりました、文字通り“新しい時代”の始まりです。

自信のない国家日本、平成時代から令和時代へ遷ろう中に現在の日本を示す実情のように思えます。自信のないとは自分を信じる力でもありますし、自分の所属する社会や自分たちの規範と自分達の価値観も含め、曖昧模糊とした脆く崩れやすくなったように思います。この自信の無さとどう向き合うのか、向合わずとも好いのか、令和時代の課題と思う。

軍事力という絶対の自信が昭和初期の日本はありました。戦艦長門に陸奥、日清日露の戦争に打ち勝った自信がそのまま第一次世界大戦の国際連盟常任理事国へ、大正時代には軍縮と引き換えに陸軍近代化を達成、軍事力という自信が醸成する世論が無ければ、アメリカイギリスフランスオランダ中国を相手、末期はソ連イタリアも加わり、戦争は出来ない。

経済大国という絶対の自信が戦後の日本には在りました、1968年には西ドイツのGNI国民総生産を追い抜き、当時はGNP、その規模は世界第二位へ躍り出ました。しかし、中国に2009年GDP国内総生産で追い抜かれる、これよりも1991年のバブル崩壊に伴う低成長時代が平成一杯に渡り響き、かつての安定成長を再構築できなかった事で自信を失います。

しかし、自信の無い国日本、という実情はこうした国の在り方から国民の心象が醸成される、というよりも、何か一人一人の要素へ細分化し、伝播しているようにも思えてなりません、いうなれば、何を目標とするべきかという事が些末な短期的な数値を全てのように誤認し、なにか息苦しさのようなものが社会全体を覆っている様にも思えてなりません。

平和憲法が無ければ自らが外国を侵略しない国家へ代表を選出する自信が無い、日本は民主主義国家の筈なのですが、主権者である国民は政治参加の時間を捻出する努力を怠っている印象があります、実際政治参加というものが住民集会や政党討論会や勉強会にどれだけの事案を捻出するよう努力しているでしょうか、だからこそ選挙に参加しつつ、現状が。

価値観の多様性を創造する自信が無い。前例踏襲に陥っているとは言いませんが、我が国ではどうも加点主義として秀でた点を積載するよりも減点主義として、何か或る原初状態の満点部分から減点する要素ばかりを探すようにも思えます、故に人と違う事を行う事への何か恐れの様な、自分が進む道へ自信を持ちにくい心象が発展を阻害しているようにも。

新しい技術を受け入れる自信が無い、映像検索技術は著作権を侵害する可能性が、情報共有技術は電子不正操作を助長する可能性が、相互暗号技術は銀行法に違反する可能性が、平成時代は日本国内において開拓された新技術、育て方によっては基盤の世界基準を日本から創造出来得る可能性、従来枠組と整合性を持たせる自信が無く、押し潰してしまった。

法整備一つとっても細分化され、適法とする分野を限定列挙するが如き法整備は、適法か否かという基準を社会通念と法運用の範囲内で画定する自信が無いが為に、規制緩和というよりも明確化という号令のもとで縛る法律を徐々に増やし続けている、これは違法と適法の分水嶺を明確化しますが、個人の裁量と社会の柔軟性を自ら閉ざしているように思う。

令和時代の課題は、自信の無い国日本が、自信の無い社会を構成する中で自らが決断する為の基準を自ら裁量として取り戻するには、自信を補強する為に選んだ法規制が自らをがんじがらめとして、息苦しい日常が生き苦しい社会を醸成している現状から自信の中心とするべき指針と長期方針を、どのように取り戻すかが、最初の大きな課題となりましょう。

希望はあります。最大の希望は前例に無い新しい道を拓く勇気が示された事でしょう、そう、天皇陛下が御譲位され上皇へ上られた事です。前例だけを考えるのではなく、新しい一歩を歩む事への自信、こうしたものを考える機会となりました。令和時代、その時代を良くするもそうしないも、今を生きる我々が主役で決める立場にあるのだといえましょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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