■平成31年度-大津駐屯地祭
平成最後の行事撮影、行事そのものはこの二日後の下志津高射学校祭も行われているのですがですが、当方にとり最後の行事撮影となりました大津の様子を紹介しましょう。

中部方面混成団は自衛官候補生前期教育と中部方面退官愛における陸曹教育、そして即応予備自衛官教育訓練を一手に担う部隊で、元々は第2教育団と呼称されていましたが、即応予備自衛官教育訓練を統合する際、名を第2教育団から中部方面混成団、としました。

大津駐屯地祭、令和時代への改元を目の前にしまして始まった10連休最初の土曜日、平成最後の自衛隊行事撮影は近場、という事としました。整列する第47普通科連隊と第49普通科連隊の隊員、琵琶湖畔の大津駐屯地には中部方面混成団本部が置かれています。

第47普通科連隊と第49普通科連隊が即応予備自衛官部隊で、現役自衛官が退官時に申請する事で任官する制度です、通常予備自衛官の訓練日数は年間5日間ですが、即応予備自衛官は年間30日間、これは米軍州兵の50日間程ではありませんが、比較的長いものです。

中部方面混成団長の巡閲、この日は快晴のようにみえますが強風が物凄く、大津駐屯地最寄りの大津京駅へ至る湖西線が強風で運休となっていました。強風で湖西線止まる、と友人に通信しますと、空襲でもあったのか、と。強風といっても水上戦闘機ではありません。

陸曹教育隊は第109教育大隊共通教育中隊の自衛官候補生とは表情がちがう。強風といえば川西航空機が生んだ先の大戦における世界最強の水上戦闘機ですが、実はここ大津海軍航空隊へ配備されていました。琵琶湖畔の駐屯地には現在も強風発着の水上滑走へのスロープが維持されています。

第110教育大隊と第109教育大隊が中部方面混成団の自衛官候補生教育部隊です。第109教育大隊は大津駐屯地に駐屯していますが、第110教育大隊は現在松山駐屯地に駐屯しています。現在と書きましたのは昨年までは善通寺駐屯地に駐屯していた為、ということ。

観閲行進開始、大津駐屯地では自衛官候補生全員が徒歩行進に参加します、自衛官候補生といえば要するに昔でいう新隊員ですので流石に父母共に観閲へ集まります、ですから全員に晴れの場を、という構図ですね。其処此処に我が子を探す父母兄弟姉妹の姿がみえる。

女性自衛官が観閲行進の先頭を往く、時代も変わりましたね。もっと時代が変わったと思うのは、89式小銃に88式鉄帽で揃えている。私の時代は99式小銃だった、という方は極少数でしょうが、当方には新隊員装備といえば64式小銃に66式鉄帽、という印象が強い。

候補生たちの観閲行進です。実はこの自衛官候補生という制度、時代錯誤ですので曹候補学生共々撤回し、新隊員と曹候補士、という制度に戻すべきだと思うのですが。曹候補学生という制度は一定期間昇進できないと退職勧告が或る制度、要するに終身雇用でない。

第4陸曹教育隊の観閲行進、曹候補学生といえば曹候補士と認識していましたが、自動昇進できない制度となりました、それは悪くなさそうですが、評価を受けて競争を勝ち抜かねば退職勧告があります、少子化の時代にこんな人材使い捨て制度、募集難となっている。

第47普通科連隊の観閲行進です。第47普通科連隊といえば広島の海田市の連隊ではないか、と思われるかもしれませんが別に移駐した訳ではありません、連隊は即応予備自衛官主体ですので、海田市のまま部隊を第13旅団から中部方面混成団隷下となったのですね。

本部管理中隊の観閲行進、軽装甲機動車や偵察オートバイが加わっています、本部管理中隊情報小隊の所属車輌です。即応予備自衛官は年間30日間の教育基幹ですが全員元現役ですので、第一線部隊と同じ装備となっています。一種の非常勤自衛官、という運用ですね。

第3中隊は軽装甲機動車化中隊です。年間30日の訓練ならば、と思われるかもしれませんが、聞けば中々大変で予備自衛官のように分割出頭等は認められず、訓練計画30日間は決定し動かせません。その分、俸給に加え即応予備自衛官雇用協力金が雇用主に支払われる。

第4中隊は高機動車部隊です。第13旅団隷下の時代には3個中隊編成でしたが混成団編入と共に師団普通科連隊と共通編成となりました。そして連隊本部は海田市に置かれていますが、隷下の各中隊は即応予備自衛官出身者の多い駐屯地へ中隊単位で分駐しています。

第49普通科連隊の観閲行進、豊川駐屯地からの参加です。こちらも第10師団隷下にありましたが現在は混成団隷下部隊です。この撮影位置は木陰で気持ちがいい、そしてこの日大津駐屯地はかなり来場者が少なく感じました、湖西線強風運休の影響なのでしょうかね。

第1中隊、高機動車化中隊です。本記事の写真はCANONのPowershotG3Xにて撮影しました、三脚の上に載せてね。EOS-7DmarkⅡを手に持ちつつ、G3Xはレリーズを装着して一眼レフと同時に撮影したものです。適当に撮影した構図なのですが、中々に優秀です。

第4中隊は軽装甲機動車化中隊、続行する高機動車は重迫牽引車で120mmRT重迫撃砲を装備する重迫撃砲中隊です。軽装甲機動車化中隊が同じ方面混成団の隷下部隊であっても違っているのが、ちょっと不思議ですね、運用上は第4中隊で統一してしまえばよいのに。

重迫撃砲中隊、高機動車の牽引している重迫撃砲が車輪部分だけでも確認できるでしょうか、通常弾で射程8.1kmあり射程延伸弾を用いれば最大射程13km、これは野砲の射程30kmには及びませんが、第一線を護る普通科部隊には心強い直掩火器といえるでしょう。

第10特科連隊第3大隊第6中隊のFH-70榴弾砲です。射程30kmで強装薬を用いた場合は最大射程39km、第10師団隷下の装備で豊川駐屯地からの参加です。後ろに見えるのは大久保駐屯地から参加しました第4施設団隷下の92式地雷原処理車、装備の紹介ですね。

74式戦車、今津駐屯地第3戦車大隊第2中隊の車両です。遠からず戦車大隊は第3偵察隊と統合され、第3偵察戦闘大隊となり、この74式戦車も16式機動戦闘車となります。新しい装備ですが元々は2016年に10式戦車が配備予定、戦車縮小政策でこうなりました。

自衛隊体操開始。観閲行進に続いて大津駐屯地名物、飛び出せ青春の様な迫力と共に一個大隊が駆け足で集合です。そして観閲行進の撮影地から当方も陣地変換、G3Xは7Dと並行連結し、二基のカメラを両手で保持し同時に撮影です。この手法は相馬原で試しました。

EOS-7Dは最良のカメラですが、G3XはかつてPowershotG16のように広角の予備を担う器材として参加しています。そしてCFカードの7Dと違いG3XはSDカードですので画像をそのままPCに取り込める即応性があるのですね。速報記事がこれ程遅れてしまったが。

G3Xはバリアングル液晶を採用していますので、出遅れて最前列まで遠い状況でも、こうした撮影が可能です。7Dと連装する事でG3Xと同じ構図を確保できる。補助カメラというよりは支援カメラとして、図体は大きいですがG3Xは日に日にその性能が不可欠となる。

UH-1J多用途ヘリコプターの飛来、自衛隊体操が完了すると共に、いよいよ訓練展示模擬戦闘へと大津駐屯地祭は展開してゆきます。駐屯地祭最大の迫力を撮影へ、EOS-7Dを操作しつつG3Xも片手間で操作する、若干無理を含んだ撮影が、いよいよ始まる訳です。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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平成最後の行事撮影、行事そのものはこの二日後の下志津高射学校祭も行われているのですがですが、当方にとり最後の行事撮影となりました大津の様子を紹介しましょう。

中部方面混成団は自衛官候補生前期教育と中部方面退官愛における陸曹教育、そして即応予備自衛官教育訓練を一手に担う部隊で、元々は第2教育団と呼称されていましたが、即応予備自衛官教育訓練を統合する際、名を第2教育団から中部方面混成団、としました。

大津駐屯地祭、令和時代への改元を目の前にしまして始まった10連休最初の土曜日、平成最後の自衛隊行事撮影は近場、という事としました。整列する第47普通科連隊と第49普通科連隊の隊員、琵琶湖畔の大津駐屯地には中部方面混成団本部が置かれています。

第47普通科連隊と第49普通科連隊が即応予備自衛官部隊で、現役自衛官が退官時に申請する事で任官する制度です、通常予備自衛官の訓練日数は年間5日間ですが、即応予備自衛官は年間30日間、これは米軍州兵の50日間程ではありませんが、比較的長いものです。

中部方面混成団長の巡閲、この日は快晴のようにみえますが強風が物凄く、大津駐屯地最寄りの大津京駅へ至る湖西線が強風で運休となっていました。強風で湖西線止まる、と友人に通信しますと、空襲でもあったのか、と。強風といっても水上戦闘機ではありません。

陸曹教育隊は第109教育大隊共通教育中隊の自衛官候補生とは表情がちがう。強風といえば川西航空機が生んだ先の大戦における世界最強の水上戦闘機ですが、実はここ大津海軍航空隊へ配備されていました。琵琶湖畔の駐屯地には現在も強風発着の水上滑走へのスロープが維持されています。

第110教育大隊と第109教育大隊が中部方面混成団の自衛官候補生教育部隊です。第109教育大隊は大津駐屯地に駐屯していますが、第110教育大隊は現在松山駐屯地に駐屯しています。現在と書きましたのは昨年までは善通寺駐屯地に駐屯していた為、ということ。

観閲行進開始、大津駐屯地では自衛官候補生全員が徒歩行進に参加します、自衛官候補生といえば要するに昔でいう新隊員ですので流石に父母共に観閲へ集まります、ですから全員に晴れの場を、という構図ですね。其処此処に我が子を探す父母兄弟姉妹の姿がみえる。

女性自衛官が観閲行進の先頭を往く、時代も変わりましたね。もっと時代が変わったと思うのは、89式小銃に88式鉄帽で揃えている。私の時代は99式小銃だった、という方は極少数でしょうが、当方には新隊員装備といえば64式小銃に66式鉄帽、という印象が強い。

候補生たちの観閲行進です。実はこの自衛官候補生という制度、時代錯誤ですので曹候補学生共々撤回し、新隊員と曹候補士、という制度に戻すべきだと思うのですが。曹候補学生という制度は一定期間昇進できないと退職勧告が或る制度、要するに終身雇用でない。

第4陸曹教育隊の観閲行進、曹候補学生といえば曹候補士と認識していましたが、自動昇進できない制度となりました、それは悪くなさそうですが、評価を受けて競争を勝ち抜かねば退職勧告があります、少子化の時代にこんな人材使い捨て制度、募集難となっている。

第47普通科連隊の観閲行進です。第47普通科連隊といえば広島の海田市の連隊ではないか、と思われるかもしれませんが別に移駐した訳ではありません、連隊は即応予備自衛官主体ですので、海田市のまま部隊を第13旅団から中部方面混成団隷下となったのですね。

本部管理中隊の観閲行進、軽装甲機動車や偵察オートバイが加わっています、本部管理中隊情報小隊の所属車輌です。即応予備自衛官は年間30日間の教育基幹ですが全員元現役ですので、第一線部隊と同じ装備となっています。一種の非常勤自衛官、という運用ですね。

第3中隊は軽装甲機動車化中隊です。年間30日の訓練ならば、と思われるかもしれませんが、聞けば中々大変で予備自衛官のように分割出頭等は認められず、訓練計画30日間は決定し動かせません。その分、俸給に加え即応予備自衛官雇用協力金が雇用主に支払われる。

第4中隊は高機動車部隊です。第13旅団隷下の時代には3個中隊編成でしたが混成団編入と共に師団普通科連隊と共通編成となりました。そして連隊本部は海田市に置かれていますが、隷下の各中隊は即応予備自衛官出身者の多い駐屯地へ中隊単位で分駐しています。

第49普通科連隊の観閲行進、豊川駐屯地からの参加です。こちらも第10師団隷下にありましたが現在は混成団隷下部隊です。この撮影位置は木陰で気持ちがいい、そしてこの日大津駐屯地はかなり来場者が少なく感じました、湖西線強風運休の影響なのでしょうかね。

第1中隊、高機動車化中隊です。本記事の写真はCANONのPowershotG3Xにて撮影しました、三脚の上に載せてね。EOS-7DmarkⅡを手に持ちつつ、G3Xはレリーズを装着して一眼レフと同時に撮影したものです。適当に撮影した構図なのですが、中々に優秀です。

第4中隊は軽装甲機動車化中隊、続行する高機動車は重迫牽引車で120mmRT重迫撃砲を装備する重迫撃砲中隊です。軽装甲機動車化中隊が同じ方面混成団の隷下部隊であっても違っているのが、ちょっと不思議ですね、運用上は第4中隊で統一してしまえばよいのに。

重迫撃砲中隊、高機動車の牽引している重迫撃砲が車輪部分だけでも確認できるでしょうか、通常弾で射程8.1kmあり射程延伸弾を用いれば最大射程13km、これは野砲の射程30kmには及びませんが、第一線を護る普通科部隊には心強い直掩火器といえるでしょう。

第10特科連隊第3大隊第6中隊のFH-70榴弾砲です。射程30kmで強装薬を用いた場合は最大射程39km、第10師団隷下の装備で豊川駐屯地からの参加です。後ろに見えるのは大久保駐屯地から参加しました第4施設団隷下の92式地雷原処理車、装備の紹介ですね。

74式戦車、今津駐屯地第3戦車大隊第2中隊の車両です。遠からず戦車大隊は第3偵察隊と統合され、第3偵察戦闘大隊となり、この74式戦車も16式機動戦闘車となります。新しい装備ですが元々は2016年に10式戦車が配備予定、戦車縮小政策でこうなりました。

自衛隊体操開始。観閲行進に続いて大津駐屯地名物、飛び出せ青春の様な迫力と共に一個大隊が駆け足で集合です。そして観閲行進の撮影地から当方も陣地変換、G3Xは7Dと並行連結し、二基のカメラを両手で保持し同時に撮影です。この手法は相馬原で試しました。

EOS-7Dは最良のカメラですが、G3XはかつてPowershotG16のように広角の予備を担う器材として参加しています。そしてCFカードの7Dと違いG3XはSDカードですので画像をそのままPCに取り込める即応性があるのですね。速報記事がこれ程遅れてしまったが。

G3Xはバリアングル液晶を採用していますので、出遅れて最前列まで遠い状況でも、こうした撮影が可能です。7Dと連装する事でG3Xと同じ構図を確保できる。補助カメラというよりは支援カメラとして、図体は大きいですがG3Xは日に日にその性能が不可欠となる。

UH-1J多用途ヘリコプターの飛来、自衛隊体操が完了すると共に、いよいよ訓練展示模擬戦闘へと大津駐屯地祭は展開してゆきます。駐屯地祭最大の迫力を撮影へ、EOS-7Dを操作しつつG3Xも片手間で操作する、若干無理を含んだ撮影が、いよいよ始まる訳です。
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