北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(16)90式戦車を羨ましく思う東千歳の観閲行進(2011-10-09)

2022-09-04 20:17:23 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■観閲行進特集大団円
 前回は74式戦車に関する話題で盛り上がりましたところです。

 90式戦車、観閲行進特集もいよいよ今回までとなっていまして、諸般事情から毎週掲載できる写真数を此処数週間抑えている為に長々となっているのは恐縮なのですが、いまみても90式戦車の大群というのはいま10式戦車に代わりつつある中でも勇壮といえます。

 しかし、この90式戦車、もう少し本州へ広範に配備できなかったのか、と思うのです。もちろん50tという90式戦車の重量は38tの74式戦車ほど簡単ではない、橋梁通過や路盤の問題がある事は承知していますが、10式戦車の44tは運用可能なのですから、と思う。

 戦車輸送車、戦車そのものを軽量化できないとしても特大型運搬車が22tで、90式戦車を積載すると72tとなる、ただ、44tの10式戦車を積む73式特大型セミトレーラは18tで合計重量は58tとなるのですから、やりようはあった様にも思うのです。数が揃っていれば。

 90式戦車の廉価版を開発できなかったか、要するに冷戦が終結し戦車の予算が下がったのであればそれまで通りの高価な戦車を少数量産するのではなく、予算を抑えた廉価版を前と同じ数量産し、兎に角短期間で74式戦車を第三世代戦車に置換えられなかったか、と。

 車長用独立監視装置と砲手用自動追尾装置も画期的な開発ですが、車長用独立監視装置はM-1戦車はもちろんM-1A1戦車にも搭載されておらず、M-1A2になって追加されたもの、開発時から標準装備されていたのは非常に限られたものでしたので、拘る必要はあったか。

 砲手用自動追尾装置は1994年に開発されたルクレルク戦車や2004年に開発されたメルカヴァMk4,2010年の韓国K-2戦車くらいです。あれば便利だが無くとも。ならば先ず省略型90式戦車を十分整備した上で近代化改修において後日追加装備する選択肢はあった筈だ。

 1500hpのエンジンと複合装甲、これがあれば90式戦車は凡庸と呼ばれたのかもしれませんが、第三世代戦車として役割を担えたでしょうし、なにより年産15両とか20両ではなく74式戦車なみの年産70両、は厳しくとも60両程度、つまり月産5両というものでした。

 月産5両ならば現実的に防衛産業が生産ラインというものを維持できる水準で量産はでき、74式戦車を置き換えられた。90式戦車は、もちろんすばらしい戦車です、戦争は数だ、といわれるかもしれませんが戦場には地形があり無限に戦車が入れるわけでもありません。

 高性能な戦車は、すると戦域あたり投入できる戦車に地形という上限があるのですから性能で優位を保つという考え方は合理的ともいえます。ただ、それを理由に74式戦車を延々現役に置いたことは失策ではなかったか。最大の失策は戦車削減の方便となった事です。

 日本の戦車削減は細川内閣時代に冷戦後の防衛力見直し気運が高まり、1200両の戦車を900両に削減する事から始まりました。ただ、現代の戦車定数300両というのは、余りに無茶です。そして削減される戦車の大半は74式戦車という自然減となる戦車が対象でした。

 第三世代戦車への置き換えが遅れたことで、第二世代戦車とともに部隊の枠というものが削減対象になってしまった構図だ。74式戦車は信頼性が高いといわれますが、これは言い換えれば90年代一杯に指摘された90式戦車の自動装填装置の問題、全てが問題ではない。

 廉価版という方便で90式戦車から高価な機構を省けば、それだけ量産できたはずです。先日、越えなって74式戦車を間近に見る機会に恵まれましたが、優れた戦車である一方で乗員技量が思った以上に反映される戦車という印象で、世代差を感じました故に思うのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】丹後の海-まいづる号!京都丹後鉄道時代の北近畿タンゴ鉄道KTR8000形気動車は特急の旅路

2022-09-04 18:28:14 | コラム
■京都-東舞鶴,特急の旅
 特急は特別急行の略称なのだから単に速達列車というだけではなく加点の価値が欲しいところですよね。京都にはそんな満足感を感じさせる良い列車があるのだ。

 京都駅に停車する特急はしだて・まいづる号。今やおんぼろの183系特急電車は顔のものとなり、東舞鶴駅に向かう特急の洗練された車輛が行き交う事となりました。最後には古いので今の内と乗っていましたが利用する身からしては新型の方が乗って愉しいですね。

 タンゴディスカバリー号、1996年に京都駅が未だ今の姿となる前に運行が始まりました列車です、電車、と書きたいところですが非電化区間に乗り入れる為に気動車方式となっていまして、東舞鶴駅までは電化されていますが京都丹後鉄道の非電化区間にのりいれます。

 北近畿タンゴ鉄道KTR8000形気動車、型式名称はこうなっています。タンゴディスカバリー号として運行されている当時から乗り心地といいますか展望席もあって良い特急でしたけれど、リニューアル改修ののちには更に見違えるような水準になり、おちついている。

 丹後の海、リニューアル後の本車にはこうした愛称がつけられています。ここはパブリックスペースになっていますので座席を離れてふと景色を愛でる際には広いソファーに落ち着いて、なにか珈琲でも紅茶でも緑茶でもいっそバーボンでもひとつ嗜みたくなる色合い。

 まいづる号はしだて号として運行されているこの列車、バーカウンターもあるのか、と思われるかもしれませんがここは運転台の真後ろ、鉄道愛好家やちびっこサンが前面展望を愉しめるカウンター構造となっています、移動を愉しむのだから居心地同様景色も大事ね。

 京都丹後鉄道、東舞鶴駅まではJR西日本の路線ですけれども2015年にこの列車運行は第三セクターの北近畿タンゴ鉄道から上下分離方式の、線路を北近畿タンゴ鉄道が所有するのですが列車は特急も普通も団体も回送も京都丹後鉄道が管理する方式に転換しました。

 WILLER TRAINS、京都丹後鉄道というのはツアーバス運行で有名なWILLERが管理するところとなっています。この一大改編に併せてKTR8000もリニューアルを行ったという訳ですが、先代は国鉄宮津線を結んだエーデル丹後、キハ65形の観光列車型でしたので気合が。

 KTR8000のリニューアル、列車でお困りの際には水戸岡鋭治さんに、という構図でしょうか、かの鉄道リニューアルの専門家水戸岡鋭治さんに依頼しまして、客室天井と壁には白樺材と床は楢の板張りとし、座席には楓の全体的に木材を採用、とこう仕上がりました。

 展望席から山陰線の沿線風景を眺める、前のビジネスホテル的な展望スペースも好きではあったのですが座って落ち着いて眺めますと、これは乗客が少なかったという恩恵でもあるのですが居心地良い。なお1編成あたりリニューアルの総工費は8000万円とのこと。

 東舞鶴駅まで。リニューアルはしましたが円錐積層ゴム式ボルスタレス台車を通じて伝わる参院選と舞鶴線の路盤に330hpで各車2基が搭載される小松製作所製SA6D125エンジンの鼓動、揺れと騒音というかたちで、この車輛も足回りは古いのだと、感じるのですが。

 特別列車ジオパークディスカバリーとしまして過去には鳥取駅まで運行されたこともあるという。なるほど長距離ではあるけれども、これだけ車内設備が充実しているのならば、長時間乗車でも少し車内を散策しつついつもと違う風景を見ていれば飽きないともおもう。

 軍港都市舞鶴、舞鶴というのは同じ京都なの、と問われる程に京都駅からは若干距離がありまして、一時は北陸新幹線が舞鶴経路を検討した際にこれで30分で行けると喜んだ程なのですが、時間を掛けて行くにも愉しい列車というのは日常の清涼感といえるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ザポリージャ原発IAEA国際原子力機関調査団現地調査,核事故の場合での東欧南欧滞在邦人安全確保という問題

2022-09-04 07:00:10 | 国際・政治
■臨時情報-ウクライナ情勢
 ザポリージャ原発という欧州最大の原子力発電所の安全は確保されるのでしょうか。

 ザポリージャ原発へのIAEA国際原子力機関調査団の現地調査が進められています。グロッシ事務局長以下の調査団は査察を行うとともに一部の調査団員は数日間滞在を行い原発職員への聞き取り調査などを行っています。恐らくIAEAが公式の調査結果を発表するまでは時間を要するでしょう、少なくとも現地職員の安全が確保されるまでは、です。

 IAEA職員の安全とは、ザポリージャ原発はロシア軍制圧下にあり、ロシア軍にとり不都合な情報発表は現地に留まる職員の拘束や意図的な誤射等に曝されるリスクがあるためです。グロッシ事務局長はウィーンのIAEA本部に戻り、原発の安全と欧州の安全を確保するにはザポリージャ原発の非武装化とウクライナ当局への移管が不可欠であるとしました。

 グロッシ事務局長は原発について、6名の専門家が引き続き現地での調査を行い、来週以降も2名の専門家が駐在するとしています。なおIAEAはロシア側に要請した区域の調査は可能であったといい、来週前半までに調査報告書をまとめ公表するとのこと。所謂電源喪失の常態には無く一部原子炉の再稼働は開始されていますが、緊張はつづいているもよう。

 日本政府は、もう少し核事故の回避に対して明白なメッセージを送るべき時ではないかと考えます。そして核事故が何れの理由であろうと発生した場合は理由の如何に関わらず、より踏み込んだ施策を執り得るという姿勢を明確にすることで、何らかの抑制的な効果は期待できます。少なくとも、自衛隊機の東欧展開強化は必要となる、邦人救出という形で。

 核事故となった場合、一基の原子炉が破壊された際でも放射性降下物はロシア南部とクリミア半島などウクライナ南部を汚染した後に黒海からルーマニアとブルガリア東部を汚染、数日以内にトルコ西部とギリシャ北部を汚染する事は確実と見られています。すると東欧及び南欧の航空輸送混乱は必至であり、邦人救出というものを検討せねばなりません。

 核防護器材の供与などは必要でしょうし、なにより現在想定されている事故は原子炉一基の爆発であり、この時点で最悪の事態ではあるのですが軍事占領下の原発における事故は事故対処が制限され、他の原子炉が制御不能となるという重大な問題があるのです。事は広範囲に及ぶ原子力事故の懸念、まだ回避できる段階ですが、無関心ではいられません。

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