北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】八坂神社,祇園造による本殿は令和時代に国宝へ-祇園の繁華街は高みに落ち着く社殿をめぐる

2022-09-21 20:22:18 | 写真
■千年前から賑わいと共に
 四条通に面した交差点の賑わいの向こうに見上げます楼門からは車道の混雑がそのまま続いている印象もありますが、雑踏よりも意気揚揚を感じるのがここの神域です。

 八坂神社、この数年間で大きな文化財としての認識の展開がありまして、2020年12月23日、本殿が国宝に指定されることとなりました。これだけではなく26棟の建造物が重要文化財に指定されるところとなりまして、これを祝う幟が参拝者に華を添えている印象だ。

 素戔嗚尊と櫛稲田姫命と八柱御子神らを祀る社殿、広大というよりも四条通の喧騒から一歩高みから静けさを湛えているとの面持ちで、しかし、祇園の繁華街に面しているところで時間帯によっては印象を季節の様に面持ち変える、佇まいが面はゆい、が、活気はある。

 境内には出店なども戻ってきている情景を見ますと、COVID-19は最悪期を脱したものだとしみじみ実感するところではあります。もっとも、当方人ごみが苦手となりましたもので、行事等は仕方ないにしても寺社仏閣巡りの際には前以上に静寂を探すようになります。

 本殿は国宝に指定されているものですが、この建物は祇園造といまして、数多ある神社では本殿と拝殿を別棟とするところを、入母屋屋根で覆いある種一つの建物として造形している独特の建築様式を採ります。ただ、祇園造の起源については、定かではありません。

 祇園造による本殿は、承応3年こと西暦1654年、徳川家綱により再建されたと記録されています。ここもCOVID-19では大変な事になっていまして、暫く鈴の綱から感染を警戒し、センサーにより鈴の音が聞こえるようになっていましたのも、今からするとなつかしい。

 境内は忠盛灯篭という、円山公園へ至る鳥居に当りから椛の木下にて眺めた様子が個人的には好きなところでして季節を椛の色合いから感じる事が出来ます、椛が紅葉する頃合いとなりますと、また混雑しますので、そういうときは静かな場所でお茶と読書と時折寺へ。

 西楼門、明応6年こと1497年の建築、八坂神社を参拝する際にはこの重要文化財と指定されています四条通沿いの楼門から詣でます、南楼門の方が大きいのですが、交通の利便というところですか、阪急の河原町や京阪の四条駅から四条通沿い不思議とこちらを選ぶ。

 大国さまと白うさぎの像、重要文化財の神馬舎や絵馬堂と並ぶところなのですが、楼門からそれ程ではないのだけれども階段の小路を曲がりますと、本殿に至るというこの径とともに歩み進めますともともと重要文化財であった西楼門と蛭子社社殿そして石鳥居を望む。

 斉明天皇2年こと西暦656年に創建されたと伝わる社殿のはじまりですが、もともとは花見小路あたりまで神域が広がっていたといいますので、街に近い社殿というよりも神域の一部が繁華街となった訳なのですが、忠盛灯篭というものを見ますと考えも変わります。

 忠盛灯篭は平清盛の実父平忠盛が白河上皇の衛視を務めていた時代、祇園の御しのびを愉しんでいた際に物の怪に襲われた、とおもい白河上皇が恐れおののいたところを平忠盛が落ち着いて松明で照らすと、乞食坊主であり危うく斬るところを落ち着いて見極めた、と。

 祇園に通う際にここ八坂神社の境内を通る程なのですから、平安朝の頃からここには賑わいがあった、という証左でもありますので、ここが賑やかなのは千年単位である意味伝統なのだなあ、なんていう事も考えてしまいますね。しかし上皇猊下、昔は自由でしたねえ。

 八坂神社は賑やかであっても落ち着きある、ただ座って落ち着くには少々賑やかすぎるものでして、どちらかといいますとなにか買い物で迷った時などに、繁華街が近い訳ですので神社にお参りし、少し落ち着いてから、こう日常に触れあえる社殿でもあるのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】八坂神社,祇園祭の神社である八坂神社は祇園社として御霊信仰への畏れから創建に至った

2022-09-21 20:00:18 | 写真
■どうしても考えたい
 八坂神社は御霊信仰への畏れから創建に至った神社である故にどうしても考えたいことが有ります。

 八坂神社といえば祇園祭を執り行う社殿で、元々祇園神社や祇園社や祇園感神院と呼ばれた社殿を明治元年の神仏分離令により八坂神社と改めたという。御霊信仰といいまして志半ばに斃れた方々が怨念を残し、災害や疫病の原因になったと考えた故の創建でした。

 御霊信仰、というわけではないのですがこの時期になりますと、安倍元総理大臣の国葬が間もなくというところで、しかし一部に国葬へ反対している声があり、報道などで大きくとりあつかわれています。個人的な見解とお断りした上で、これには思う事があります。

 南都といわれる奈良で起きた事件、元首相暗殺という事件ですが、事情はどうあれ、参議院選挙期間中という、国政選挙に際して主権者である国民と政治家が最も近くなる機会を狙って暗殺事件が起きており、清き一票ではなく一票より一発という暴挙が行われました。

 安倍氏は自由で開かれたインド太平洋という世界観とともに外交政策を展開していましたが、これは第二次世界大戦直後に制定された日本国憲法、中でも九条の認識からは離れるものであり、この点を筆頭に反対者は割合少なくとも人数としては多かったのは確かです。

 暗殺事件、暗殺犯の言い分は、統一教会とかかわりが在った、こういう主張の一点張りであり、団体の大会において応援演説を行った事が理由という。そして祖父の岸信介元首相が首相時代に統一教会の日本での布教を許可した点にも恨みがあるという。信者ではない。

 一票より一発、次を防ぐには。問題なのは民主主義の日本において選挙政治で自分の意見を通せないならば暗殺してしまう方が影響力を通せる、五.一五事件や二.二六事件の叛乱軍と同じ認識を実行してしまった、同じような考えの人、一億人の一人程度なのでしょうか。

 御霊信仰、というわけではないのですが、暗殺事件により一人の歴代最長の首相在任期間を終えた政治家が命を絶たれ、流石に祟りという事は無いのでしょうが、同時に事件は日本の民主主義制度そのものを、その意図の有無にかかわらず、暗殺してしまった事となる。

 民主主義制度を暗殺してしまった、こういうのは一票より一発という理念に留まらず、法執行機関に厳しい警鐘を鳴らす事となりました事件により、これからは今までの様な自由な選挙活動よりは、暗殺事件へ配慮という、警備強化が選挙そのものを制限するでしょう。

 一票より一発、今回はまだ一回目なのですが、一票より一発という選択肢もあり得る、こう受け留めた方は他にはいないと言い切れるか。そんなのは百万に一人もいない、そ反論する方は危ない、日本の人口は一億二千万を上回っているのですから、危険性を示す。

 警備厳重な選挙集会、要するに街頭演説ではなく立会演説会を第一とした、今のアメリカの様な選挙制度、戦前から戦後しばらくの日本の選挙制度に回帰しようとした場合、今の日本の労働者は、果たして選挙期間中、立会演説会に集うだけの時間的余裕はあるのかと。

 国政選挙の投票率さえ低い我が国です、例えば労働法でも改正して選挙期間中の就業時間を規制し立会演説会に集まれる時間を捻出でもしない限り、それならば選挙に行かないが不満は抱き続ける、こうした、民主主義国家に在っての主権者不在となりかねません。

 国葬で手厚く見送る、こうする事で理由如何に関わらず、民主主義の第一線に斃れた政治家として、見送る事が、御霊信仰というわけではないのですが、節目になるようにも思う。しかし、民主主義よりは自分の正義だ、と通すならば、昭和初期までの歴史は繰り返す、危惧するのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ウクライナ軍-ルガンスク州及びドネツク州で反撃,課題はヘルソン州ロシア軍攻撃へドニエプル川の渡河か

2022-09-21 07:01:44 | 国際・政治
■臨時情報-ウクライナ情勢
 ウクライナ軍の反撃は成功しており、先日解放したハリコフ州を拠点として隣接するウクライナ領内の奪還に着手しているようです。日本の防衛を考える際にも参考となる点は多い。

 ルガンスク州へウクライナ軍の反撃が到達している、これはルガンスク州のガイダイ知事が州内のビロホリフカをウクライナ軍が解放したと発表したもの。地図を見ますと判りますが、先日ハリコフ州全域を解放したウクライナ軍には攻撃衝力があり、そのままルガンスク州奪還へ進出したかたちです。これはハリコフ州のオスキル川を奪還した事が大きい。

 リシチャンシクへ。ルガンスク州のリシチャンシク方面へ進出していると考えられるウクライナ軍は、リシチャンシクを抑える事でドネツク州を占領するロシア軍をバルジの様な突出部にて両翼包囲する事が可能となります。これは前述のオスキル川を確保した事で東岸へ渡河の自由権をウクライナ軍が得た事となり、兵力集中が容易となった為といえます。

 ロシア軍はドネツク州バフムートの確保に戦力を集中しているとみられる、こちらはCNN報道によりますが、バフムートはドネツク州北東部に位置し、バフムートカ川の水運と鉄道拠点であるアルテーニウシク駅があり、ここをウクライナ軍が死守している状況が地形上ルガンスク州を喉元に突き付けた匕首と成り得ます。ここはロシア軍兵站が生きている。

 バフムートは南部ヘルソン州からのロシア軍兵站線が維持されており、ロシア軍には火力の優勢を発揮する余力があり、同じドネツク州でもスリャビャンスク周辺ではウクライナ軍反撃が成功しロシア軍を圧迫している状況と対照的です。ハリコフ州開放に先立って行われたヘルソン州での反攻は陽動であったと解釈できますが、この解放も必要となる。

 ドニエプル川が焦点となる、ヘルソン州を奪還しなければウクライナ軍はドネツク州での優勢を決定的と出来ません、一方でウクライナ軍はHIMARSなど精密火力によりドニエプル川の橋梁をすべて破壊、ロシア軍が架橋した浮橋も二つ破壊し、ロシア軍の西岸地区での継戦能力を破綻させましたが、逆に今度はウクライナ軍にとってのウェットギャップに。

 ウクライナ軍が破壊した橋梁を修復するか浮橋などにより渡河手段を確保できるならば、ヘルソン州での決定的な反撃が実現するのかもしれません。ただ、この場合ロシア軍も渡河点の破壊へあらゆる手段を講じるでしょう。いっそ自衛隊の坑道掘削装置のような装備でもあれば、架橋ではなくトンネルで渡河できるとも思えるのですがなかなか難しいようです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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