■椛は春待ち桜傍ら秋を待つ
拝観に歩みを進めますと間もなく中秋は晩秋に向かうという季節の移ろいを実感はするもの。

永観堂の紅葉、まだまだ先の話と中秋にふと思うところですがここ永観堂が高揚の際に混雑しますのは敢えて触れるまでも無いでしょう。しかし、その由来を聞きますとそもそも此処が永観の時代に浄土教に帰依し、大きな転換を迎えた際、植物との出会いがあった。

永観さんの時代の国家安泰を願った天台宗や真言宗から浄土信仰への転換は、考えてみますと転換し民衆の支持を集められたかどうかというものが、千年間続く事が出来た寺院なのかどうか、古地図などを視てその上で今の地図を並べますと気付く事でもあるのです。

薬王寺悲田院として施療院を造営したのは永観の時代なのですが、柿の木や梅ノ木を植えるとともに梅の実などを薬草、強壮薬としても用いていまして、椛の薬用はと問われますと難しい所はありますが、いわば植物と共に在る寺院という価値観を定着させたかたちで。

椛の永観堂、そしてここは紅葉の季節には物凄い拝観者でもみくちゃにされ、椛を視るのであって拝観するところではないのではないかという切迫感さえ感じるものの、この為の椛の手入れは、英国庭園の春待ちというような準備期間よりも遥かに手が込む準備という。

春待ち、庭園では緑芽吹くころへの準備というある種楽しみな冬の仕込みではあるのですが、椛は晩秋の彩でありますので、新緑眩しいころからの準備が必要なのですね。春待ちといえば桜の桜花も、と思われるかもしれませんが、桜の開花時期は季節と品種で決まる。

紅葉は、例えば中秋の季節に桜の木々を巡りますと、そろそろ葉を落として冬支度をと紅葉をしている事に気付かされ驚くのですが、椛一つとっても、日照条件や気温と、それから刈込み具合などでぜんぜんと色合いがちがいますし、なにより夏の温度がものをいう。

迷彩柄のようにまだらの模様となる事がここ数年続いていますが、紅葉一つとって普通に丹念に手入れされているだけではそれだけ絵見事な紅葉というわけにはいかないのだ、とは永観堂の椛に詳しい方のお話しというものでして、しかしここ十数年、夏が特に暑い。

暑いのではなく最早熱いのだ、こう表現する他ないのは京都の夏でして、先日の中秋の名月では、こんなものかと思っていた蝉の鳴き声も、少し岐阜基地や小牧基地の周辺などを散策しますと、もうとっくに蝉の季節が終わっていると教えられ、京都の熱の異常さ。

永観堂では、この異常な、特に東山の強烈な西陽の照射とともに京都盆地の鍋のような蒸し焼きのアスファルト舗装増しを前に、椛には場所によっては覆いで遮蔽し、なかには氷を敷いて温度の上昇を抑える事もあるという。なにそれ凄く行きたくなる、という話です。

氷を敷くといいましても苔の上にさらりと敷いて温度上昇を抑える程度ですから、氷床一面に涼をというような凄い話ではないのですけれども、まあ、大変な話です。そして、永観堂の椛、植物園や単に椛が多く植えられているところの紅葉というだけではありません。

歴史と共に在る椛なのだ、こう考えますと、紅葉の季節の雑踏についても暖かい視点で見る事は、いややはりこの季節の少しだけ色づき始めている頃合いを拝観するほうがいいようにも思えるのですが。混雑するというのも、拝観ができる限度があると思いますからね。

禅林寺永観堂、しかし、この禅林寺が永観堂として親しまれるには、もう少し興味深い出来事が永観さんの時代にありまして、椛の名所として親しまれる寺院は、椛以外こそが季節の移ろいを引き立てている、それが歴史の奥深さと好奇心が広げる世界観だと、おもう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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拝観に歩みを進めますと間もなく中秋は晩秋に向かうという季節の移ろいを実感はするもの。

永観堂の紅葉、まだまだ先の話と中秋にふと思うところですがここ永観堂が高揚の際に混雑しますのは敢えて触れるまでも無いでしょう。しかし、その由来を聞きますとそもそも此処が永観の時代に浄土教に帰依し、大きな転換を迎えた際、植物との出会いがあった。

永観さんの時代の国家安泰を願った天台宗や真言宗から浄土信仰への転換は、考えてみますと転換し民衆の支持を集められたかどうかというものが、千年間続く事が出来た寺院なのかどうか、古地図などを視てその上で今の地図を並べますと気付く事でもあるのです。

薬王寺悲田院として施療院を造営したのは永観の時代なのですが、柿の木や梅ノ木を植えるとともに梅の実などを薬草、強壮薬としても用いていまして、椛の薬用はと問われますと難しい所はありますが、いわば植物と共に在る寺院という価値観を定着させたかたちで。

椛の永観堂、そしてここは紅葉の季節には物凄い拝観者でもみくちゃにされ、椛を視るのであって拝観するところではないのではないかという切迫感さえ感じるものの、この為の椛の手入れは、英国庭園の春待ちというような準備期間よりも遥かに手が込む準備という。

春待ち、庭園では緑芽吹くころへの準備というある種楽しみな冬の仕込みではあるのですが、椛は晩秋の彩でありますので、新緑眩しいころからの準備が必要なのですね。春待ちといえば桜の桜花も、と思われるかもしれませんが、桜の開花時期は季節と品種で決まる。

紅葉は、例えば中秋の季節に桜の木々を巡りますと、そろそろ葉を落として冬支度をと紅葉をしている事に気付かされ驚くのですが、椛一つとっても、日照条件や気温と、それから刈込み具合などでぜんぜんと色合いがちがいますし、なにより夏の温度がものをいう。

迷彩柄のようにまだらの模様となる事がここ数年続いていますが、紅葉一つとって普通に丹念に手入れされているだけではそれだけ絵見事な紅葉というわけにはいかないのだ、とは永観堂の椛に詳しい方のお話しというものでして、しかしここ十数年、夏が特に暑い。

暑いのではなく最早熱いのだ、こう表現する他ないのは京都の夏でして、先日の中秋の名月では、こんなものかと思っていた蝉の鳴き声も、少し岐阜基地や小牧基地の周辺などを散策しますと、もうとっくに蝉の季節が終わっていると教えられ、京都の熱の異常さ。

永観堂では、この異常な、特に東山の強烈な西陽の照射とともに京都盆地の鍋のような蒸し焼きのアスファルト舗装増しを前に、椛には場所によっては覆いで遮蔽し、なかには氷を敷いて温度の上昇を抑える事もあるという。なにそれ凄く行きたくなる、という話です。

氷を敷くといいましても苔の上にさらりと敷いて温度上昇を抑える程度ですから、氷床一面に涼をというような凄い話ではないのですけれども、まあ、大変な話です。そして、永観堂の椛、植物園や単に椛が多く植えられているところの紅葉というだけではありません。

歴史と共に在る椛なのだ、こう考えますと、紅葉の季節の雑踏についても暖かい視点で見る事は、いややはりこの季節の少しだけ色づき始めている頃合いを拝観するほうがいいようにも思えるのですが。混雑するというのも、拝観ができる限度があると思いますからね。

禅林寺永観堂、しかし、この禅林寺が永観堂として親しまれるには、もう少し興味深い出来事が永観さんの時代にありまして、椛の名所として親しまれる寺院は、椛以外こそが季節の移ろいを引き立てている、それが歴史の奥深さと好奇心が広げる世界観だと、おもう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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