■青空の八坂神社は観月祭
熱さが暑さには切り替わったものの中途半端な暑さは蒸し暑さに通じる今日この頃です。
旧暦8月15日、旧暦というものは若干変動するものでして、平成30年の2018年では09月24日が旧暦8月15日となりますし、令和元年の2019年には09月13日が旧暦8月15日、令和2年2020年は10月01日、令和3年の2021年では09月21日となりました。
中秋の名月か、蝉がまだまだ鳴いているのに、こう思ったところではありますが、要するに気候変動で昔はこの頃には涼しい風が、この京都盆地にも吹いていたのだろうなあ、今涼しい風といえば台風の雨風くらいだものなあ、そうも考えつつ楼門を見上げてみますが。
八坂神社、所用あって近くまで探訪しましたので参拝と歩み進めましたならば、観月祭と扁額がありましたので、そうか中秋の名月か、こう感じました次第です。こんな時代ですので中々友人知人集い観月祭、という訳にもいかない、なんとも色あせた時代の旧暦です。
東山区祇園町北側に鎮座します社殿は斉明天皇2年こと西暦656年に南都奈良の僧侶円如が創建し、祇園神が東山の麓にあります祇園林に降臨した事が、当地に社殿と祈りが始まった基点ともされています。平安遷都の前であっても大津京始め人々の営みが在った。
四条通に面した八坂神社は、少し小高い所にありますから、阪急河原町の、これも河原町で全国的に通じると思う地名なのだけれども、そのあたりからも朱色の楼門は望見することができまして、ちょっと混雑していますけれども祇園のあたりにと歩み進めれば直ぐ。
令和4年2022年は09月10日、旧暦8月15日となります。そしてこの日は観月の日ともなります、さてこの観月というもの、元々は中国大陸のものでして、しかし月を愛でる風習は、古代以前の頃から祭事等を通じ日本でも馴染まれていた、これが祭事となったのは。
貞観年間、西暦ですと859年から877年の時代ですが、日本の貴族社会へ大陸の文化として伝わりました。貞観年間は古富士噴火として知られ山梨県平野部全域が溶岩流に呑まれた貞観富士噴火、そして千年前の東日本大震災として知られる貞観地震等が起ったころ。
観月祭ともなれば御馳走といいますかお供え物を、という運びとなりまして美味しい和菓子を揃える口実に喜びつつ、しかしまあ日本の制度の幾つもの始まりが、大災害続いた貞観年間に始まったものといいますから、日本はほんとうに災害と御縁がある、運命という。
千年前の東日本大震災として知られる貞観地震等が在った頃からの祭事なのですから、こうちょっと一年くらい保存の利く高級な羊羹や缶詰などの非常食などを買い揃えて、翌年の祭事の際に賞味期限内に美味しく頂く、そんな文化に書き換えても良いのかな、とも。
中秋節という旧暦8月15日、平安時代の頃に貞観年間の災厄を忘れられるようになった安定期、観月祭にあては次第に規模を大きく公式行事となるように進みまして、延喜19年こと西暦919年、時の宇多法皇が日本独自の十三夜の月見というものを催すこととなります。
宇多法皇の時代、この頃から始まりました観月祭にあっては詩歌や管絃を奏でつつ酒を酌むという雅な催しとなっていまして、舟遊びとして水面に揺れる月を愉しむという、中々雅なものではあったようですね。しかし八坂神社の観月祭は神事として月を愛でるもの。
夕刻より夕立というものが流れてきましたが時雨というところでして、一献二献と酒杯を重ねて静かに待っていますと、こう雲の間から静かに満月が姿を示すというなにか風流というか神がかった月の出ではありましたが、情緒あふれる中秋の名月というところでした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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熱さが暑さには切り替わったものの中途半端な暑さは蒸し暑さに通じる今日この頃です。
旧暦8月15日、旧暦というものは若干変動するものでして、平成30年の2018年では09月24日が旧暦8月15日となりますし、令和元年の2019年には09月13日が旧暦8月15日、令和2年2020年は10月01日、令和3年の2021年では09月21日となりました。
中秋の名月か、蝉がまだまだ鳴いているのに、こう思ったところではありますが、要するに気候変動で昔はこの頃には涼しい風が、この京都盆地にも吹いていたのだろうなあ、今涼しい風といえば台風の雨風くらいだものなあ、そうも考えつつ楼門を見上げてみますが。
八坂神社、所用あって近くまで探訪しましたので参拝と歩み進めましたならば、観月祭と扁額がありましたので、そうか中秋の名月か、こう感じました次第です。こんな時代ですので中々友人知人集い観月祭、という訳にもいかない、なんとも色あせた時代の旧暦です。
東山区祇園町北側に鎮座します社殿は斉明天皇2年こと西暦656年に南都奈良の僧侶円如が創建し、祇園神が東山の麓にあります祇園林に降臨した事が、当地に社殿と祈りが始まった基点ともされています。平安遷都の前であっても大津京始め人々の営みが在った。
四条通に面した八坂神社は、少し小高い所にありますから、阪急河原町の、これも河原町で全国的に通じると思う地名なのだけれども、そのあたりからも朱色の楼門は望見することができまして、ちょっと混雑していますけれども祇園のあたりにと歩み進めれば直ぐ。
令和4年2022年は09月10日、旧暦8月15日となります。そしてこの日は観月の日ともなります、さてこの観月というもの、元々は中国大陸のものでして、しかし月を愛でる風習は、古代以前の頃から祭事等を通じ日本でも馴染まれていた、これが祭事となったのは。
貞観年間、西暦ですと859年から877年の時代ですが、日本の貴族社会へ大陸の文化として伝わりました。貞観年間は古富士噴火として知られ山梨県平野部全域が溶岩流に呑まれた貞観富士噴火、そして千年前の東日本大震災として知られる貞観地震等が起ったころ。
観月祭ともなれば御馳走といいますかお供え物を、という運びとなりまして美味しい和菓子を揃える口実に喜びつつ、しかしまあ日本の制度の幾つもの始まりが、大災害続いた貞観年間に始まったものといいますから、日本はほんとうに災害と御縁がある、運命という。
千年前の東日本大震災として知られる貞観地震等が在った頃からの祭事なのですから、こうちょっと一年くらい保存の利く高級な羊羹や缶詰などの非常食などを買い揃えて、翌年の祭事の際に賞味期限内に美味しく頂く、そんな文化に書き換えても良いのかな、とも。
中秋節という旧暦8月15日、平安時代の頃に貞観年間の災厄を忘れられるようになった安定期、観月祭にあては次第に規模を大きく公式行事となるように進みまして、延喜19年こと西暦919年、時の宇多法皇が日本独自の十三夜の月見というものを催すこととなります。
宇多法皇の時代、この頃から始まりました観月祭にあっては詩歌や管絃を奏でつつ酒を酌むという雅な催しとなっていまして、舟遊びとして水面に揺れる月を愉しむという、中々雅なものではあったようですね。しかし八坂神社の観月祭は神事として月を愛でるもの。
夕刻より夕立というものが流れてきましたが時雨というところでして、一献二献と酒杯を重ねて静かに待っていますと、こう雲の間から静かに満月が姿を示すというなにか風流というか神がかった月の出ではありましたが、情緒あふれる中秋の名月というところでした。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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