北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】知恩院,華頂山-桜の紅葉進む秋の京に壮大三門に始まる法然所縁の地は吉水御坊を探訪する

2022-11-02 20:22:51 | 写真
■桜の紅葉進む秋の京
 桜の紅葉は一瞬、秋の散策は早めにとお勧めすると共に歩み進めるならばなにか心打つものを見上げたい。

 知恩院、この三門を見上げるたびにあっという新鮮さは幾度重ねても続く。東山三十六峰が目の前に日本らしい情景を広めるとともに、しかし日本らしいというには壮大といえる三門が、ここは東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町、浄土宗総本山、知恩院です。

 承安5年西暦1175年に比叡山を降りた法然により開かれたという御山は後に法然と同じく比叡山を降りた親鸞さん、この時御年29歳ということですが、当地で法然から教えを受けたという。日本仏教が一部の貴人から大衆の信仰に支えられる転換点となった場所だ。

 法然所縁の地、御影堂に法然上人像を阿弥陀如来を阿弥陀堂に御本尊として安置します寺院は石段の上にあります寺院です。石段は、三門とともにその奥に急な石段が見えているのですが、遠目には此処が壁のように見えてしまう、この先に御影堂へとのぼってゆく。

 自衛隊の駐屯地や航空祭を探訪する際にはこれでもかというほどに下調べし、街並みから交通手段はもちろん過去に探訪したことがあっても太陽の向きから建物の配置まで衛星写真からヒューミント情報まで駆使て情報とともに情報の階段と舗装路を探訪するのですが。

 寺院探訪となりますと、情報を全く考えず、そういえばここにこうした寺院が、と調べるでもなく気ままに探訪します、何故でしょう、こう考えたのですが、まあ、近いからというのと、違った場合でも次にほかの自社仏閣を探訪できる余裕もあるのかもしれません。

 華頂山という山号の寺院故に坂之上の御堂、ただ、この急な階段は男坂と呼ばれていまして、隣に傾斜が緩やかな女坂があります、坂を見上げるにとどめてゆったり上るもよし、一気に登ってしまうもよし。その先に法然さんの信仰への源流と云える景色があるのです。

 平成の大修理、実は、ひさしぶりに知恩院を拝観しよう、こう考えたのは何年前だったでしょうか、まあこの階段を上って拝観に望んだらば、本堂が工事の準備を進めている最中で、みてみますと平成の大修理、こう大書されていまして、要するに拝観の時機を違えた。

 木造建築の伽藍は維持しなければ朽ちるに任せますと倒壊してしまいます。故に平成大修理が必要ということは理解するのですが。いきなり探訪した寺院が航空機格納庫のようなものに覆われているのは寂しい、情報収集を怠った事を悔いるとともに、反省はしないが。

 狩矢父娘シリーズ、田村亮さんと藤谷美紀さんの競演という山村美紗さん原作のドラマを見ていましたらば、そうだよこのときだよ、という背景に修理中の知恩院がでていました回の再放送がありまして、そうか、一ついってみるか、思いたちましたのがこのはじまり。

 吉水御坊とも呼ばれます当地は、比叡山延暦寺を降りた法然が庵を開いた場所がここ東山吉水である由来なのですが、専修念仏、つまり南無阿弥陀仏と唱えれば誰でも救われるという解釈は、成仏という概念と救いの無い中世の日本において広く受け入れられました。

 庵から始まりましたこの寺院、当時は無人の山裾だったのでしょう、当地で法然は40年近い長期に渡り布教に勤しみ、その40年間には讃岐への配流、そして4年後に京都へ戻る事が許されると吉水御坊に戻るも荒れ果てており、近くに大谷禅房という堂宇を建てました。

 大谷禅房は、現在知恩院勢至堂当りとなっていまして、こう、全て伽藍で結ばれている今日の知恩院は、法然の没後、法然を懐かしんだ浄土宗の信徒たちが集まりました堂宇が大きくなりまして、幾度か延暦寺の攻撃で破壊されましたが再建し、今日に至るという。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都発幕間旅情】長浜城(滋賀県長浜市)歴史浪漫の城郭は天正地震で琵琶湖に崩落

2022-11-02 20:00:12 | 旅行記
■長浜城と天正地震
 この城郭を語る時は常に過去形となるのには理由が在るのです。

 長浜城、琵琶湖に面する城郭です。城下町は江戸時代に彦根藩が重要な交通拠点として整備したという背景がありまして、ここ長濱は湖北の冷涼な気候にあります風光明媚な場所なのですが、駅前に城郭、という迫力とともに古い町並み活気ある町並みが広がります。

 城郭があるというのは良いことです、街の象徴になる。そんなことはバブル時代的な発想、こう思われるのかもしれませんが2019年に尼崎城が再建されて、城下町だ、こう盛り上がっているところを実際に目にしていますから、やはり象徴って大事なのだよね、と思う。

 城郭も、例えば京都ですと西舞鶴の田辺城、城門だけを再建した再建城郭なのですが、これがあるのとないのとでは街の風情がだいぶんと違う様になりまして、もともとは天橋立への乗換駅という町並みを、細川氏の時代に築城したころのにぎわいを取り戻した、と。

 琵琶湖一円をみますと、彦根城、じつは長浜城から見えるのですが、ここが城下町として、ここは国宝天守閣ですのでひときわ大きな観光拠点となっているのですけれど、威勢よい風情をとどろかせています。しかし、琵琶湖一円、昔は城郭の宝庫だったのですよね。

 長浜城、壮大な城郭は琵琶湖に突き出るまさに水の城郭と云う威容を誇っていたとは伝わるのですが、その城址は殆ど琵琶湖に沈んでいます。城郭が琵琶湖に沈んだ背景は、天正13年11月29日、西暦ですと1586年1月18日に発生した巨大地震が城郭を壊した。

 天正地震は歴史地震として過去に記録される数多の地震の中にあって最大規模の巨大地震であったという、この被害は若狭湾から伊勢湾三河湾沿岸と本州を縦断する大被害を及ぼしており、四国や京都にも被害の記録が残ります、ただ、時代が時代故に記録は限られる。

 岐阜県北部の庄川断層か阿寺断層、養老断層や伊勢湾断層と養老桑名四日市断層帯などが、一斉もしくは時間を掛けて一つの地震が連動して動いた等の可能性が指摘されていますが、長浜城に帰雲城、長島城と大垣城といった城郭が破損倒壊しています。損傷城郭も又多い。

 山内一豊の居城でありました長浜城は、長女与祢と乳母が倒壊に巻き込まれ死亡しました、この際に琵琶湖に突き出た天守閣は石垣ごと琵琶湖に崩落したといい、水没した長浜市街地は湖底に下坂浜千軒遺跡として残っているといいます。これが当時の城郭のない理由だ。

 紅葉というのは京都では十一月中旬から、こういう印象があるのですけれども一番早く色づく木々がありまして、実のところこれを紅葉前線の前哨戦と呼んでいるところ。それは桜の木々です。桜は椛が紅葉のきせつにはもう既に店じまいしている印象があるのですね。

 桜の名所を辿りますと、要するに十月中旬から桜が紅葉している季節という。そして桜の葉たちの紅葉もそれほど朱色紅色に色づくわけではなく、ちょっと赤色を帯びてきたかとおもうと、さっと散ってしまう、その儚さ潔さは桜花の様、こうして秋の始まりがわかる。

 花見見物の名所、桜の紅葉は十月中旬というところですが、京都の夏は酷暑、だからこそそろそろ涼やかな季節になったのかなと考えますと、そのころにはもう準備万端というのがおもしろい。こうおもうと、秋というのは気づかないだけで早く近づいているような。

 晩秋の紅葉の季節となりますと、じつは紅葉の木々の中に遠景では先に葉を落として黒々と異彩をはなっているあたりに、ちょっと歩み進めて近づいていますと、それは一寸先に冬の装いとなっています桜、とそんなことは多いのですね、早めに桜の紅葉を楽しみたい。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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オーストラリア北部にB-52戦略爆撃機配備-アメリカ空軍が計画,核兵器搭載可能云々より重要な視点とは

2022-11-02 07:01:20 | 国際・政治
■臨時情報-南シナ海情勢
 オーストラリアへアメリカ空軍がB-52戦略爆撃機の配備を計画している、10月31日にオーストラリアABCのスクープをロイターやNHKが一斉に報じました。

 オーストラリアのティンダル空軍基地米軍用訓練施設にオーストラリア政府はアメリカ空軍のB-52戦略爆撃機の配備を行う方針を発表しました。オーストラリアに配備するB-52爆撃機は6機程度、オーストラリアが1億ドルを投じて整備している飛行場設備に配備するという。アメリカ軍はオーストラリアからのこの地域での抑止力強化を目指しています。

 ティンダル空軍基地の施設は飛行隊運用施設と整備施設などが整備されています。これまでオーストラリア国内にアメリカ軍の常駐施設が整備されたのは第二次世界大戦時代の話であり、今回の施設はオーストラリア軍との共同施設となるようですが、今後、中国本土からある程度の距離を隔てたオーストラリアの地政学的重要性は高まるかもしれません。

 B-52戦略爆撃機は核兵器が搭載可能である戦略爆撃機である、こう強調されていますが、いまのところ戦略爆撃機用の核兵器管理施設のオーストラリアへの整備計画はありません、一方でこのB-52戦略爆撃機はアメリカ空軍が開発を進める極超音速兵器の運用能力があり、これは従来の巡航ミサイルよりも速度を遙かに高めた光速の巡航ミサイル、通常兵器です。

 オーストラリアのB-52,核兵器搭載可能という点が強調されていますが、核兵器の運用能力はそれほど大きな意味が有るものではなく嘉手納のF-15C戦闘機も三沢のF-16戦闘機も岩国のF/A-18E戦闘攻撃機にもB-61先述核爆弾の搭載は可能で、大きな意味はないのかも知れません。過去にはM-198榴弾砲を富士で演習する際も核兵器が発射可能といわれた。

 M-198榴弾砲は核兵器発射が可能と反対が起きましたが、155mm核砲弾さえ提供されるならば、陸上自衛隊のFH-70榴弾砲でも発射可能でして、これは普通のアタッシュケースに麻薬や銃器を運搬可能だと詰め寄るようなものかもしれません、一方でB-52戦略爆撃機をアメリカがグアム以外に拠点を置いたことのほうに、大きな意味があるといえましょう。

 沖縄は最早最前線、B-52のオーストラリア配備は、沖縄などの在日米軍基地やグアムの空軍施設が中国の巡航ミサイルや中距離弾道弾の飽和攻撃に対してもはや後方の安全な基地ではなく、オーストラリアまで後退する必要を突きつけられたといえるのかもしれません。一方、南シナ海の情勢緊迫化へ地理的に近いオーストラリアのポテンシャル増大を示した証左といえます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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