北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【日曜特集】第7師団創設56周年記念行事(21)戦車前進!戦闘訓練展示は機甲師団の前進へ(2011-10-09)

2022-11-20 20:00:02 | 陸上自衛隊 駐屯地祭
■戦車連隊!これがその底力
 戦車部隊の躍動感ある写真とともに雑感所感など。

 10式戦車も90式戦車も、実のところ第四世代戦車の概要がどのように展開するのかが未知数であるなかの設計ではあったのですが、世界をみますと第四世代戦車については革新的な転換点となる戦車がでない中で第三世代戦車の改良が進んでいまして、特に防御面で。

 対戦車ミサイルへの備え。近年特に考えさせられるのはアクティヴ防御装置の搭載です。アクティヴ防御装置は対戦車ミサイルを検知し擲弾などを投射して迎撃するというソ連が末期に開発した防御装置、ここからはじまります、もっとも今年勃発した戦争で評価は。

 ロシア軍ウクライナ侵攻では緒戦数日間でアクティヴ防護装置を搭載したT-90戦車がウクライナ軍に供与されたジャベリン対戦車ミサイルに破壊され戦車ごとくろこげになっている写真が報道され、電源が入っていなかったのか迎撃できなかったか、議論となりました。

 カールグスタフでも効果が在った。上記の通りですがただ、今度はT-90がスウェーデン製カールグスタフ携帯無反動砲に撃破された車体が報道され、これで自衛隊も大量に装備しているカールグスタフが、効果が有ると認識すると共に、防御装置の限界を突き付けた。

 西側の第三世代戦車はともかくとして北海道に侵攻してくるだろう戦車に対しては有効だ、と認識できたのは僥倖ではあったのですが。このアクティヴ防護装置、イスラエルのラファエル社が開発し、ドイツのラインメタル社も追随、特別な装備とは言えないのですね。

 BAEシステムズ社はヴィッカース社時代に実用化を研究していましたが断念されつつ、技術的要素は残っていますし、日本は防衛装備庁が技術研究本部の時代から実施していました、この西側のアクティヴ防護装置が、実用化されつつあるのですね、性能も実用的に。

 アメリカがM-1エイブラムス戦車シリーズに搭載を開始します。レオパルド2戦車もドイツの改良型であるレオパルド2A7から本格的に搭載されますし、装甲戦闘車への搭載も、考えてみれば破壊されれば人的損害が戦車よりも遙かに大きく当然といえば当然だ。

 戦車は勿論装甲車にも、こうした動きがあります。アメリカ軍は別としまして、背景に考えられるのは欧州NATO諸国が冷戦終結後、徹底的といえるほどに戦車を削減し、ドイツ連邦軍などは東西統一時に4800両あった戦車を225両まで、削減されているのです。

 欧州ではフランス陸軍も戦車が200両、これだけしか戦車がないのに両国とも機甲師団を二つも維持しているのは不思議ですが、そして1000両以上戦車があったオランダは現在15両、まあ凄いものでして、自衛隊や韓国陸軍、トルコ陸軍や台湾陸軍などは例外的か。

 戦車の近代化改修が凄い背景には、戦車が削減されているために戦車の予算を限られた数の戦車に集中投入できるようになったのですね。もっとも、このために次世代戦車の開発が、戦車がこれだけしかなにも関わらず開発できないと新型戦車に乗り換えられない事に。

 EMBT,既存の戦車を改修するとともにEMBT欧州戦車のように、過去幾度も頓挫し中止されつづけてきました国際共同開発を選択せざるをえないような状況があるのですが。アクティヴ防護装置、ソ連制のものを維持していたロシアは燦々たる状態となっています。

 ロシア軍はいまやアクティヴ防御装置など装着もしていないT-62戦車を現役に復帰させていますが、アメリカが評価試験をおこなったトロフィーは、十分実用的であるとして装備が進められています、特に対戦車ミサイルは第三世代戦車の発想、原点にあるのですがね。

 戦車が生き残るためには第三世代戦車はその拡張性を以て近代化改修を重ねなければ、M-4シャーマンがアイシャーマンとなって第二世代戦車のT-62戦車を撃破する様な状況は考えられるのです。そしてこれは日本の第三世代戦車の改修の必要性を意味しています。

 ミサイル万能時代に対抗して重装甲だが軽量となった複合装甲という技術により命中しても貫徹させず受けとめることが可能となった、こうした構図があった。複合装甲、しかし対戦車ミサイルは重量の制約が実質ありませんしミサイルの威力を強化するのも容易い。

 ミサイルは戦車砲のように口径の制約を受けませんし、ブースターの出力を強化することで弾頭を強力なものと出来、要するに圧延均一鋼板1000mmの貫徹などは基本となっていますし、ミサイルが大型化しますと当然のように射程も5km10km15km延伸してゆきます。

 トップアタック式軌道という戦車の装甲が正面装甲よりも遙かに薄い部分をねらう弾頭が、1996年にアメリカのジャベリン、自衛隊でも2001年に01式軽対戦車誘導弾が、もとをたどればスウェーデンのビル対戦車ミサイルが1986年には実験に成功していたものがある。

 これはもう装甲を強化するよりは迎撃する、という時代に転換をしいられているのですね。自衛隊の戦車については、アクティヴ防護装置の追加搭載、死活的に重要と考えるのですが。防衛装備庁のアクティヴ防護装置は、擲弾ではなく別のこう安全なものを投射します。

 防衛装備庁のものは、擲弾ではなくエアバッグを投射してミサイルの弾道を阻害するという、少々難しい方式を考えているもようで。普通科部隊の装甲化が不十分であるために従来の擲弾を投射するアクティヴ防護装置を採用した場合は擲弾の炸裂による影響が。

 普通科隊員がこちらで死傷する懸念があったのですね、故に難しいというか少々頓珍漢といえるような迎撃手段を考えているという、なぜ装甲車に乗せないのか。普通科と戦車の協同といいますが、機動力で戦車は陸上装備の中でも最高度の性能を有しているのです。

 1500hpのエンジンにものをいわせて90式戦車は70km/hで前進しますので普通科部隊に随伴能力を求めるには高機動車の機動力では道路上でなければ随伴できません、いや高機動車という区分も実質は路上高機動車ですので不整地では高機動の車では、ありません。

 予算不足が背景にあることは認識しているのですが、装甲車の不足はこうした部分に影響している。装甲車も73式装甲車であれば最高時速は戦車よりも遙かに、なにしろ現在では低速である74式戦車に随伴を求められた設計、第三世代戦車に随伴することはできません。

 戦車の機動力、そして現在最新鋭の装甲戦闘車は、いまだに最新鋭という89式装甲戦闘車ですが、こちらのエンジン出力は600hp、当時ではこれでよかったのかもしれませんが、現代の視点から考えれば、まあ設計が30年以上前なので当然なのでしょうが時代遅れで。

 1000hpクラスのエンジンにより不整地を遮二無二突破する能力が必要ではないか、こう考えるのですね、もちろん懸架装置技術の技術革新により600hpで1200hpの10式戦車を凌駕するほどではなくとも伍する機動力を発揮できればそれはそれで素晴らしいのですが。

 結果的に普通科部隊の装甲化の遅れが戦車の機械化部隊としての能力を抑えて仕舞う現実はあるように感じる。下車戦闘、アクティヴ防護装置を運用するばあいの懸念点となる視点ですが、装甲戦闘車も幾度か指摘しましたが、装甲戦闘車は最後の瞬間まで下車しない。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】清水寺,紅葉に浮かぶ清水の舞台と明治時代に禁じられた天空への願掛けは危険な跳躍観音信仰

2022-11-20 18:10:10 | 写真
■椛と見上げる清水の舞台
 江戸時代の構造物がこうして今も多くの拝観者を支えているのは数字だけでも凄いと思いますが改めて見上げると改めて凄い。

 清水寺を拝観していますと、舞台の一つ手前のところで修学旅行生さんたちが、ここの舞台から飛び降りた際の生存率について話し合っていました、実際この話題は例えば漫画などでも”ネギま”が20年ほど前に紹介していまして、意外な生存率の高さは有名という。

 音羽の滝、将棋倒しを警戒してという事なのかもしれませんが清水の舞台から音羽の滝への階段はこの日閉鎖され、安全な経路を一周するという一方通行、しかしそれゆえに会談と音羽の滝が、なにか静かな京の様な風情を醸し出している、そして清水の舞台の高さも。

 清水の舞台から飛び降りる、つもりで。友人知人で実際にこの高さを飛び下りた人は幸い一人もいませんが、清水の舞台から飛び降りるつもりで、という表現を使う人は案外多い印象があります。そしてこれ、元々は自殺的な意味を含むものではないともいうのですね。

 検非違使が賊徒と乱闘の際に賊徒の群れに包囲され舞台ほ端にじりじりと追い詰められたために意を決して飛び降り、そして応援を待って賊徒の掠奪から寺院を守った、それがそのはじまりでした、とは伝えられるのですがこれもいわば生きる為の道を見い出した訳で。

 舞台の欄干にて、お前は最後にするといったな、あれは嘘だ。うわああああ、と盗人宿と頭目の情報を吐いて用済みの賊徒を検非違使が落とすいうコマンドーのような展開は検非違使と賊徒の間には無かったと思うのですが、此処で飛び降りるには相応の意味があった。

 願掛け。飛び降りるという行為は江戸時代に在って一種の願掛けであったという、これは本堂の観音様に命を預けて舞台から飛び降り、高い段からの落下でも生還する事で願いが成就する、少々命がけと云いますか無謀といますかそうした願掛けであったというのです。

 生還率は85.4%といいましてこの願掛け、要するに20名飛び降りれば3名程度は残念な結果に終わる事となりますが、元禄7年こと西暦1694年から元治元年の西暦1864年の間に235回の方が、このちょっと物騒な願掛けに挑戦した、という。御利益は不明なのですが。

 元禄時代以前の概況はどの程度であったのかとか、検非違使の時代に飛び降りたという事は徳川家光の再建前である平安朝の時代にもやはり清水の舞台は有ったのかとか、いろいろと考えてしまう事ですが、生還率であって重傷でも四肢欠損でも生還と規定されます。

 願掛けは家族の病気や障害の治癒や仕官任官出世その他、本人の病気平癒も含まれたと記録されるのですが、一方この願掛けは懸造の堂宇から文字通り命がけで飛び降りる事に代わりは無く、また駄目だった場合の確立も20名中3名という、低いとも言えないという。

 明治維新後の明治5年、つまり1872年京都府庁は舞台飛び降りを禁止する布告を発布します。これは廃仏毀釈との関係なのですが、舞台飛び降りを封建的な悪習と解釈しまして、これを禁止するとともに清水寺へ舞台欄干周囲に安全柵を設置するよう行政指導しました。

 廃仏毀釈、という日本史における有数の文化破壊という新時代を求めるにもその方向性に悩む時代の日本の施策とはいえ、しかし人命を考えての施策ともいえまして、もう少しこの施策は明示日本から昭和初期の日本における人命尊重の流れを圧していれば、とも思う。

 三重塔を見上げる位置、春の頃合いには此処は桜の花々が春を示すところですけれども、桜は紅葉の季節に一足早く紅葉と冬支度を終えてしまいます、しかし椛の紅葉はこれから師走の頃合いまで、秋から冬への季節に彩りを添え、そして歴史を一頁積み上げるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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北朝鮮ICBM実験に対抗し日米と米韓が合同航空訓練,航空掩体は十分なのか-ミサイル標的となる日本の航空基地

2022-11-20 07:01:44 | 防衛・安全保障
■臨時情報-ミサイル防衛
 北朝鮮のICBM実験、日本ではミサイル防衛といえば迎撃に重点が置かれていますがもう一つ防衛施設の脆弱性対策などを真剣に検討すべきです。

 北朝鮮弾道ミサイル試験に対抗するべく、日米や米韓の自衛隊や空軍の戦闘機訓練が実施されています。この背景には北朝鮮には空軍作戦能力が限定され、有事の際に航空戦力により圧倒的な不利を被る可能性が高いために、航空戦力による示威が最大の抑止力になると考えられている為なのですが、これは別の視点でもみる必要があるのかもしれません。

 航空掩体は十分なのか。北朝鮮にとり空軍戦力の欠如が問題であり航空戦力にたたかれる懸念を強く持っているならば、逆に日米や韓国の航空基地などは絶対にたたかなければならない最優先目標であり、そして北朝鮮には充分と考える程度の弾道ミサイルの備蓄があり、更に弾道ミサイルによる核兵器の運搬能力構築をすすめています。この意味する点は。

 自衛隊、冷戦時代には百里基地を視察したNATO代表団のうちイギリスの空軍士官が、素晴らしいここまで周到に航空掩体を隠すとは流石日本だ、と感嘆した話があります。これはイギリス士官が掩体を探せなかったのではなく当時百里基地には航空掩体が無かったため、という笑い話と伝わるのですが、実戦のミサイル攻撃下で笑い事ではすまされません。

 三沢基地にはE-2C早期警戒機は配備当初から掩体運用となっていますし、ソ連に近かった千歳基地では飛行隊の半分は早い時期に掩体運用、近年では小松基地などで見えるところに次々と掩体が建設されていますが、戦闘機はすべて掩体運用とし、大型航空機は地下ハンガーを検討する必要もあるでしょう、例えば中国はミサイル爆撃機も掩体に入れる。

 日本の国内に後方は無い、掩体は前線基地に配備するという印象があるでしょうが、中国巡航ミサイルの射程延伸と北朝鮮弾道ミサイル配備数増大を前に、この基地は北朝鮮から離れているので後方基地、というような区分はもうありません、実際問題アメリカはオーストラリアの基地施設を強化しており、日本を前線と見做し、前線基地に近い扱いです。

 航空自衛隊の基地について、そもそも自衛隊に嘉手納基地のような巨大な基地が整備されな背景には、基地を分散させ一撃での損耗を回避するためのもの、という解釈があるそうです。基地を分散し戦域で集約する、という発想ですね。しかし、重ねて現代は精密誘導兵器の時代ですので、分散だけでなく掩体による全ての戦闘機防護も必要だと考えます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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