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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】金閣寺/鹿苑寺,室町幕府三代将軍足利義満の絢爛豪華北山殿は禅寺の鹿苑寺金閣寺へ昇華

2022-11-23 20:22:44 | 写真
■青空に映える椛と金閣
 禅寺としては世界で最も知名度が高いものの禅寺らしくない禅寺という印象の鹿苑寺です。

 鹿苑寺の始まりは応永4年こと西暦1397年に遡るという、ただこの地に寺院西園寺が開かれたのは西暦1225年、鎌倉時代です。当時へ池の海上航路を継承し莫大な富を得ていた藤原家の傍流西園寺家は、朝廷行事の資金拠出により京都での影響力を高めていました。

 西園寺は、関東執奏として幕府と朝廷の仲介と云う重責に在り幕府と京都を結んでいました。ただここで転機となる出来事が、鎌倉幕府の滅亡です。この際に当主西園寺公宗は幕府を滅ぼし建武の親政を進める後醍醐天皇の暗殺を画策、実行前に発覚し処刑されます。

 藤原家の傍流でもありますので西園寺家は廃絶する事は避けられたのですが北山の一帯は莫大な財産と共に1335年に没収され、しかし西園寺そのものは半世紀以上荒れ地の様に放置されました、ここを応永4年こと西暦1397年、足利義満が朝廷から得る事で歴史が動く。

 三代将軍足利義満、北山殿という別荘となるのですが、応永4年が一応ここ鹿苑寺の歴史の始まりとしています、この頃既に足利義持に将軍職を譲って四代将軍の将軍宣下を経ているのですが、北山殿から院政のような影響力を行使し始めます、違う意味で凄いと思う。

 足利義満は大陸との間で日本国王を自称し、実のところ大陸に対して卑下した外交政策はあまり好きにはなれないのですが、日明貿易により莫大な財力を手にします、その勢いで朝廷から当地を得たという、なにか中国との貿易で成金となるとここを手にするのですね。

 北山殿であって鹿苑寺となるのは更に後の応永27年で西暦ですと1420年となります。足利義満は影響力は大きかったものの寿命には勝てず没する直前に北山殿を禅寺とするよう遺言を残しまして、足利義満の法号鹿苑院殿に因み、ここは禅寺の鹿苑寺となるのです。

 寺院の中でも考えてみますと方丈庭園などはいちおう垣根越しにみることは許されているのだけれども、思い返すとこの寺院は、建物の中を公開している部分が殆どない、金閣の一層が開放構造故に外から見えるのと、あとは茶室の一部を外から見えるのと。この位か。

 衣笠山を借景に風景として金閣寺は知っているのだけれども、おちついて考えると寺院としての金閣寺をほとんど真面目に見てこなかったのだなあ、こう思いつつ、しかし、金閣寺なんて何度も見たものよ、ときざな風をふかしていた自分をお恥ずかしいと少し省みる。

 集合写真禁止、集合写真を禁止します、こういう看板が金閣の前に幾つも並んでいまして、これはコロナ前にはなかったところです、いやコロナの最中には密集そのものが禁止されていたところですが、そしてここで集合写真を撮影する団体や修学旅行生も居ない。

 コロナ対策は密集回避なのでしょうけれども、この集合写真禁止は、なるほど威力がありますね、格段にこのあたりの人口密度が減ったように思える。いや非常に少ない、そして各国観光客の国内受け入れ再開ののちにも、それほど混雑していない、実感します。

 カメラが貴重だった時代、といいますか平成初期までは集合写真には一応大きな意味があったのかもしれませんがいまはクラウドのように繋がる時代、修学旅行でも友人と友人とその友人たちを結ぶ如く多くの仲間の写真をつなげてゆけば一枚でなくとも全員が結ぶ。

 金閣寺の金閣、それでも皆さん此処を中心に見ているのですよね、仕方ない所ではあるのですが方丈庭園など、いやいっそ当地に在った七重塔などを再建することができたならば、もう少し広い視野で鹿苑寺を眺める事が出来るのかもしれない、そんな事を思いましたね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】金閣寺/鹿苑寺,西園寺は西海貿易制した藤原家傍流の地を継ぐ足利義満の北山殿包む紅葉

2022-11-23 20:00:12 | 写真
■金閣寺の紅葉は鮮やか
 金閣寺といいますか今まで金閣ばかりみていまして寺院の広がりもそして木々さえも良く見ていなかったように少し顧みる。

 鹿苑寺こと金閣寺にこれほどの紅葉が、驚かされましたのは、横浜の知人にそういえば金閣寺の紅葉はいまどのくらいいろ付いたのだろう、と素朴なやりとりがありまして、金閣寺、紅葉はどのあたりだっただろうかと曖昧な受け答えをしてしまいました次第です。

 北区金閣寺町、左大文字を仰ぐこの立地は、京都と云えば金閣寺という程に修学旅行の定番ではあるのですが、臨済宗相国寺派の寺院、禅寺と云う割には華美な金閣ではあるのですが、一歩引いてみますと、三門も堂宇も、こじんまりとした、確かに禅寺と気づきます。

 椛、すごいじゃあないか、こう改めて思いました次第です。もちろん金閣寺の金閣を包む紅葉、というような植樹はないのですが、ここは金閣であって金閣寺ではない、そうつまり金閣寺をみているつもりで今まで金閣だけを眩しいとか豪華とか言っていた。違うのだ。

 北山文化は室町幕府がもっとも華やかな時代にひろまりましたものゆえに、金閣は再建されたのちこそ眩い以上の光を放っています、いかし、考えてみますとここはもともと北山殿とい足利義満の別荘だったわけでして、禅寺となったのはずいぶんと後で歴史は複雑だ。

 藤原公経が西園寺を造営した、この一帯は西園寺家の所領となるのですがもともとは藤原氏の分家となります西園寺の、しかし名の通りの寺院でありました。鎌倉時代元仁元年、西暦の1225年に寺院が造営された事に始まります、昨今鎌倉時代は大河ドラマで話題だ。

 平清盛、歴史に関心が無くとも平家物語などは義務教育でも学ぶところなので常識の範疇なのでしょうが、武家社会の基礎を構築した平家は西海貿易、瀬戸内海の海賊を鎮定し制海権を維持し貿易の権益も一手に握り莫大な財力を政治力や軍事力に代えたのが背景です。

 日本史は面白いが気付かないところが多い、そもそも平家は財力を政治力にといいますが、政治力が今風に言えば賄賂のようなものを想像するのですけれども、そうではなく当時は今の様な宮中行事が大規模であり、しかも誰かが資金を拠出しなければならないという。

 西海貿易、興味深いのは鎌倉幕府が源頼朝により開府となりましても、西海貿易を幕府所管とする動きが何故か無いのですね、税収も関税にあたるものは徴収していますが、港湾管理権や物流による利益などは、驚くほど武家の家計簿に出てこないのです、では何処に。

 西園寺家はこの西海貿易を所掌していた、平家は西海貿易の権益とともに利益により朝廷行事の費用負担を担ていたのですが、鎌倉幕府はその名の通り首都を鎌倉に、東国に配置しています、あの時代には京と鎌倉という二つの首都があったのです、これは特殊でした。

 鎌倉と京、これは江戸時代の江戸と京の関係を思い起こすかもしれませんが、首都を二つに分けたのは日本ではこの鎌倉時代が初めてであり、距離を置く事での優位性と実務性を理解した結果の江戸、鎌倉時代はそういう意味で暗中模索の中での二つの首都といえます。

 幕府も宮中行事に資金をかなり拠出はしていました、これは朝廷との関係を意識していた為です、しかし飢饉救済など朝廷が行わない公共事業にも幕府は関与していた、この中で日常の数多ある行事の資金を拠出していたのが、京都にあった西園寺家だったわけです。

 紅葉、そう思い出せば金閣寺は金閣の舎利殿ばかり象徴的な建物として紹介しますし、金閣寺といえばみなさん思い浮かべるとおりこの金閣を思い出す、それは銀閣寺が観音殿を思い浮かべる以上に、寺院の中でも金閣しかみていなかったのではないか、なにかこう反省する。

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【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-京都駅,ヱビスビールは思い出と近鉄百貨店プラッツ跡地で頂く

2022-11-23 14:41:31 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 京都駅前は京都の玄関口であるのですが昨今はもう一つの顔としてヨドバシカメラやビッグカメラが並ぶ電気街を構成しています、ただ昔はソフマップしかなかった、プラッツのね。

 榛名さんのところで育った白加賀、いや榛名山麓で白加賀という品種の梅があるそうでして、この白加賀をふんだんに用いました白加賀、そんな銘柄の梅酒があります。勝手に加賀ときき北陸のものとおもっていましたが、そんな梅酒が京都駅前で頂けるという。

 プラッツ。近鉄百貨店は風格ある建物で吹き抜けの大きな店内をエスカレータで一階二階と上ってゆくたびに、さてどんなお買い物を、こう気分が高揚したものでした。直ぐ北となりに東本願寺、南となりは京都駅に京都タワー、京都の玄関の不思議な空間を構成した。

 ヨドバシカメラが近鉄百貨店の跡地に来ると聞きまして、建物はそのままと勝手に思いこんでいたのですけれども、あっさり取り壊されてしまい、これならば最後に店内撮影禁止でも頼み込んで撮らせてもらうべきだったかと、思い出、すごく残念に思ったものでした。

 京都駅前、ヨドバシカメラはそうした思いからカメラ関連の機材を新調するにも三条サクラヤや遙か東京や名古屋と岐阜、大阪神戸と探したほどなのですが、いつごろだろうか、京都ヨドバシにも新製品を、と探しに行くようなりまして、そして通うのは晩酌の際にも。

 エビスバー、ヱビスビールというのは大学時代の思い出で、これは学生時代というのは騒ぐ第一のお手本のような生活、コロナ前までは繰り広げられたわけで、そんなオンオフしっかりの学生に多忙極めるにも関わらずおつき合いいただいた国際法の先生のお気に入り。

 大学時代は尊敬する先生に数多出会いましたが、なかでも用語の基本と理念の応用に論理と法源や法哲学まで、よくあの短時間にまとめて分かりやすく講義してくれたという国際法の先生は印象深い。だからヱビスビールを今の時代嗜む度にふと昔を思い出してしまう。

 プレミアムブラック、黒ビールというのはビールの原材料である麦芽を焦げるまで炭焼きでローストすることで、独特の、同じように焙煎して深みを出す珈琲の如くという味わいを醸し出すのですね。ゆっくりいただく、なんでも泡を落ち着かせるのが風味の決めて。

 イギリスのパブではこうした黒ビールを、それも冷やしすぎない温めのものを、一杯いっぱいじっくりいただく。じっくりというのも、最近はCOVID-19さんの影響で長居にはちょっと考えさせられる時代ですので、おちついて呑めるのはもう少し先なのかなあ、とも。

 ペンネアラビアータ、おつまみペンネという。ぴりりとするスパイスは、まあ費用対効果のことはここはBARですのでもう少し隅の方に送りまして、ところでBARを強調したあとで和風ちっくな意見ですが肴にペンネは箸でつかみやすいのは、ありがたいのですよね。

 スペアリブ、要するに枝付き肉、お肉らしいお肉という。小さいですけれども、ナイフとフォークで美味しくいただける前半戦と、そして骨付きの際にあります、細かい筋張ったコラーゲン的なタンパク質と格闘する後半戦とで分かれています、後半は見られたくない。

 グリルされましたスペアリブは一本単位で頂けるのですが、こういうのは一気に三本五本注文しますと、写真映えするのかもしれないものの、二本目くらいから冷めているという、熱々を頂くには面倒でも一本づつ注文するべきか、いやはや食べたいとき旬で多数頼むか。

 エールは、これはきんきんと冷やしていただく、グラスで。このエビスバーの面白いところは、このときはカウンターで頂いているのですが、ここ、テラス席といいますか、七条通りにイスとテーブルが並んでいまして、要するに換気のいいお外でも窘めるのです。

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トルコ軍越境攻撃-シリア領内PKK施設へイスタンブールテロ報復,ウクライナ侵攻後にロシアとトルコ摩擦拡大

2022-11-23 07:01:03 | 国際・政治
■臨時情報-シリア情勢
 安全保障の均衡が破れると広範囲に突発的事態が起きるという実例ですので我が国安全保障を考える上でも参考となり得る事例です、トルコとロシアの摩擦もしくは競合関係が拡大している。

 ウクライナ情勢はシリア情勢へ波及するのか。安全保障問題は微妙な均衡に依拠して機能しており、一つが破綻しますと影響は波及します、例えば無関係に思えてもある地域の緊張を受けその地域から全く別の地域へ舞台を移動した、もしくは関心が特定地域に集中している状況で、それ以外の地域での予防外交が機能不随となっているなど要因となります。

 トルコは11月13日に発生したイスタンブールでの爆弾テロを受け、テロを実行したと考えられるPKKクルド労働者党の拠点地域へトルコ空軍による航空攻撃を実施しました。このテロはイスタンブール中心部イスティクライル通りにおいて発生し、6名が死亡し81名が負傷する大惨事となりましたが、実行犯が監視カメラに映り、当局に拘束されている。

 イスタンブールのイスティクライル通りでのテロはトルコ政府にとり2016年以来の大規模テロとなり、トルコのエルドアン大統領はテロを実行した組織への報復を命令していました。テロ組織への報復は正当な行為とおもわれるかもしれませんが、PKKクルド労働者党はトルコとイラクおよびシリアの国境地域での民族国家を目指す集団です。そして攻撃へ。

 報復攻撃は20日実施されましたが、この攻撃の標的となったのは越境攻撃、シリア領内のPKKクルド労働者党施設であり、31名が空爆により死亡したとトルコ国防省は発表しています。ただ、この空爆に加えてトルコ軍は陸軍による越境攻撃を行う準備が進められているとされ、これに対してシリアのアサド政権を支援するロシアが憂慮を表明しました。

 シリアは2011年より内戦が継続しており、ロシアはシリアのアサド政権支援を継続、シリア領内へ航空部隊や地上部隊を展開させています。しかしこのシリア駐留ロシア軍は2月のウクライナ侵攻以来、兵力派遣を維持することができず、また情勢悪化に対して軍をシリアへ派遣する兵力もないため、今回穏便に憂慮を表明し自制を促すこととしたもよう。

 ロシアがトルコとの競合関係を強めるのはこのシリア地域だけではありません、2021年4月に旧ソ連構成国である中央アジア諸国の中でも回教国とチュルク評議会という枠組みをOTSチュルク機構へ拡大、今月12日にはウズベキスタンのサマルカンドでOTS拡大後初の首脳会議行われ、ロシアの勢力圏においてトルコが着実に勢力を伸ばしているのです。

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