北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】東福寺,紅葉の木々に浮かぶ通天橋は厳しい修行に専念する雲水らを気遣う優しさが生んだ絶景

2022-11-30 20:22:55 | 写真
■ここが京都の紅葉その景色
 厳しい修行で知られる禅宗の、しかし厳しいのは修行だけであり目的と手段をたがえず目指すのは修練という中での心遣いが一つの風景を生みました。

 紅葉の季節だからこの東福寺は写真を掲載したいところ、なのですがここは午後一番を逃すと一番美しい通天橋の椛が太陽の陰りに覆われてしまい、しかも夕方前には三門が閉じられてしまう、何度か探訪しましたが遅すぎるか、椛が早過ぎ青椛か、と続きました。

 京都市東山区本町、ここは臨済宗東福寺派大本山であり本尊に釈迦如来を奉じる壮大寺院という。この壮大と云うのは誇張でもなんでもなく、JRと京阪の幾つかの駅から本堂仏殿まで、延々と塔頭寺院のなかを巡り至るという立地にありまして、これ歴史街道そのもの。

 東福寺、JRの駅でいえば奈良線として京都駅を宇治や奈良に向けて出発した際の最初の駅となります。京都、じつのところ歴史都市と考えられていますが、おもいきって歴史を紐解きますと常に日本史にあって最先端都市でありつづけた千年の首都でもありました。

 京都駅から電車で数分のところにここまでの大きな寺院が、こう紹介しますと、いやいや駅前に東寺と東本願寺に西本願寺、こういう応えもありそうですけれども、東福寺はそうした寺院の並びの中でも一つ思い入れのある寺院と思うのです、それはその名前から。

 興福寺と東大寺、奈良の古刹であるとともにわがくに仏教を象徴する寺院となっていますが、東福寺というのはその東大寺から"東"の一文字とそして興福寺からもう一文字の"福"とを冠しまして、東福寺という。奈良線で一駅というのも、なにか不思議に縁を感じます。

 嘉禎2年こと西暦1236年、開山に聖一国師円爾を招き開基が九条道家となりました寺院はもともと、天台宗と真言宗と禅宗の三宗兼学寺院という、新しい時代の寺院を目指し、時の鎌倉幕府の財政的援助を受け造営されたという、おくゆきぶかい歴史を有しています。

 三ノ橋川、東福寺は廃仏毀釈はじめ様々な歴史とともにその寺域はその最盛期よりもずいぶんと小さくなっている、とは聞くのですが敷地の広さでは京都最大という、そして広がった禅寺という経緯から、三ノ橋川という小川を挟むほどに大きくなりまして、そして。

 通天橋は雲水たちが修行に専念できるようにということでかけられたという。さて、ここ、コロナ前の紅葉の季節には人が多すぎて感染の心配は無くとも群衆雪崩の危険があり、撮影禁止の札が掛かっていました、いまはまだ無く、要するに観光客はまだ戻っていない。

 通天橋という、これこそ京都を代表と知るような情景と思うのですけれども、この風景は禅寺が大きく広がったとともに、禅寺では食事から就寝まで全て作法が定められており、呼吸一つまでふくめて修行という中、僧徒たちが移動に不自由しないよう、架けられた。

 椛はじつに二千もの多数が植樹されているという、なんでも禅寺ということで遊興の場として町衆が集うことの無いようにもともとあった桜の木々を伐採して、当時外来種であった楓と椛を植樹したようなのですが、まあ、遊興の場、転じて宗教とふれ合う場へ。

 禅寺が日本に入り始めました時代とは異なりまして、当時は桜花こそ謳歌するような遊興の場となったものの、当時を考えますと特に冬は食料移築など、簡単に餓死という単語が身近にあふれていた中世と近世には、とても紅葉を楽しむ余裕がなかったのではないか。

 紅葉を楽しむと言うことは、冬の雪景色を美しいと感じる余裕が生まれたことを意味しまして、冬の入り口である秋に冬の蓄えを考えずとも、物流と社会支援と社会基盤に政治基盤が安定していることを意味するのですね。豊かな時代になった証左なのでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】金閣寺/鹿苑寺,COVID-19という不思議な時代を生きる日常に不思議な紅葉の景色を添えよう

2022-11-30 20:00:50 | 写真
■北山文化は今も華やか
 金閣寺はコロナが増えすぎた観光客を少し間引きまして特に騒ぐ事が無くなったというのが拝観していてこころ落ち着く。

 金閣寺、実は避けてきた寺院でもあるのですが、これはコロナ前にそもそもWeblog北大路機関の創設当時は毎日のように掲載していました、これがある程度関心を誘う話題でもありましたし、実際きれいなものです、昭和に焼失し再建されたとはいえ、ここは美しい。

 北大路機関というほどですので北大路通沿いを中心に散策しているところですが、金閣寺は西大路通りの北辺、つまり北大路通りの終着点の近くにあります、見上げれば左大文字、この界隈の散策は楽しいのですが気づけばきぬかけの路に沿い遠出してしまう故注意を。

 避けてきたという割には写真掲載の回数が清水寺と並んで最も多い、いや実際この秋の紅葉散策でも久々の清水寺紅葉の拝観に続いて久々の金閣寺紅葉の拝観と巡り歩いたところなのですけれども、混雑する様子を強調するような状況には、まだ、至っていない幸い。

 北山の美しい情景ですが、しかし、これは体験としてそして実感したことなのです、年々といいますか写真として記録しますと明らかに拝観者といいますか来場者が増えているのですね、拝観ではなく単に京都百景を撮影というか物見遊山という人々が増えていました。

 衣笠山を借景に、撮影する機材はフィルムからデジタルカメラに移行します、最近ですとカメラにフィルムを装填したことのない方が増えているのではないでしょうか、そして写真がデジタルとなりスマートフォンとなり、誰しも撮影する機会は増えていったとおもう。

 金閣寺は、そしてWeblog北大路機関がその通りなのでしょうが、WeblogにSNSと個人が写真を発表する場所が、特に昔は写真を撮影しても同人誌を出すくらいしか個人に発表の場はなく、実際風景の同人誌を出している方との交流も増えているのですが、障壁は高い。

 京都であっても京都でなくとも、個人が写真を発表できるようになったということは、気軽ですし個人と個人を結ぶ手段が多様化したのは喜ばしいことです、繋がれば摩擦も対立も利用の悪意も増えるでしょうが、交流と交友に好意と厚意というものはそれ以上です。

 観光過多、ただ、写真を公開できるということは逆に公開の場にあわせるように撮影も盛んとなるわけでして、これは私自身もフィルムの時代と比べれば考えられないようなほどの写真を撮影しますし、撮影するべく散策する回数も増えています、これが全国規模に。

 金閣寺はその象徴的な印象の場所でして、これはコロナ前なのですが混雑が市バス並になっていた、ここで、もう撮影して薦められる状況ではないなあ、印象を持ったものでした。なにしろ、鹿苑寺そのものの伽藍は消して京都では大きくない、そこにあの大人数という。

 COVID-19は、この部分を劇的に変えた、というのでしょうか。いや実は身近な人で亡くなる方がでてしまいましたので、これも安穏とは出来ないのですが、混雑を避けるとともに静かに拝観する、感染症対策なのですけれども、混雑は整然、喧騒は静寂に、回帰する。

 不思議な時代なのです、いや2022年は既に三万名も我が国ではCOVID-19死者数が出ていますので、感染対策緩和によっても既に季節性インフルエンザの倍以上という概況となっています、ただ、強制力ある規制が無くともなんとかなっている不思議な日常の広がり。

 金閣を中心に鹿苑寺の拝観経路は一本道です、それ程滞留することもなく、そして元々屋内の建物は一般公開されておらず拝観経路に含まれていません、どうなることかとおもったこの時代ですが、不思議な時代の不思議な日常を、それなりに愉しむ事が、出来ている。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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岸田総理-防衛費2%増額を鈴木財務大臣に指示,防衛力崩壊の危機ではなく一部瓦解している現状の建て直しへ

2022-11-30 07:00:15 | 国際・政治
■防衛予算GDP比2%政策
 災害派遣を自治体土木系公務員と警察消防に移管できるだけでもずいぶん違うのですが今の自衛隊は任務が増えすぎている。

 岸田総理大臣は防衛費について、令和9年度にはGDP2%に達するよう予算措置を行う指示を浜田防衛大臣と鈴木財務大臣に示しました。これは28日夜総理大臣官邸で行われた浜田防衛大臣と鈴木財務大臣との会合において示されたもので5年以内に緊急的に強化を進める必要があるとし、財源がないからできないということでは許されない、としました。

 ミサイル防衛と島嶼部防衛、国際貢献任務の本来業務格上げと災害派遣要請の増加、日本の防衛予算が逼迫しているのは、新しい任務が増大に対して既存の枠組みと予算体系の延長線上で、予算を増額させなかった為であり、特にミサイル防衛は予算規模的にこの任務単体で海上保安庁の予算と同規模以上が必要、これを無理に既存予算に押しこめていた。

 自然崩壊に近い状態となっている装備や部隊が多い、師団は定員割れのまま、戦車は未だに74式戦車が本州の多数派を占めていますし、戦車を新型に置換える事無くそのまま廃止している。ヘリコプターは2011年の東日本大震災災害派遣の時点と比較し、陸上自衛隊は老朽化したヘリコプターを新造機で置換えられない為に機数では四割削減されています。

 自然崩壊は防衛産業にもおよび、なにしろ予算はそのままでミサイル防衛始め新しい任務をつぎ込んでいる為に、装備調達予算にしわ寄せが及び調達数が縮小され長期的な必要数も明示されないまま、赤字を当然のように民間企業に国が迫る事を常態化しており、赤字か撤退かという判断を迫られ、民間企業は当然撤退の選択肢、既存装備の維持費も上がる。

 予算増額というよりも、今のままでは破綻してしまい建て直しに膨大な予算を必要とする、という引き返し不能の線を、実はすでに超えてしまっていて、建て直しの予算を求められたことがGDP比率2%という状況となっているのかもしれません。この状況に陥る前に、例えば鳩山内閣時代にせめてGDP比1.3%としていれば、避けられた可能性はありました。

 ただ、安易にGDP比2%という数字が独り歩きしている印象が無いでもない。例えば、現在死活的に重要なのは、全廃されつつある観測ヘリコプターと定数割れが度を越している戦闘ヘリコプター、装甲車両全般、航空機では輸送機と練習機全般、そして弾薬備蓄です。人件費も不足していますが、装備については例えば基金を構築して、建て直しを行う今年ドイツが実施した方式という選択肢も、あるかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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