北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】廬山寺-節分,元三大師良源が鬼を祓った追儺式鬼法楽は寒さ残る京都に春を呼び込む

2023-03-08 20:22:04 | 写真
■御所東に源氏庭の廬山寺
 セッツブーンは先月の話題ですが御所の東にありますお寺の節分の様子などを紹介しましょう。

 廬山寺、ろさんじと読みます。この一角は京都観光という視点からはちょっと歩み及ばない方が多いと聞くのですが、しかし京都散歩といいましたならば御所のすぐ隣の非常に閑静な、それでいてバスで交通の利便性もバルで一杯やる利便性も高い街並みとおもう。

 仙洞御所の一部を移築したという本堂、御所の高い木々が鎮守の森のような静けさと鴨川のせせらぎに囲まれた、しかし隣に河原町通が通ります一角にこの寺院は佇んでいる。もともとは豊臣秀吉の京都大改造の際に当地へ移転した寺院の一つですが、にぎわいが。

 上京区寺町通広小路上ル北之辺町、ここはおそらく来年の大河ドラマなどで人気の一角になるのだろうなあ、とそんなことを考えています。しかしこの日は節分、追儺式鬼法楽という祭事が執り行われまして、もちろん祭事は大混雑となるので気配だけでも、と。

 元三大師良源、この方は廬山寺の開山という方なのですが延喜12年こと西暦912年、近江国浅井郡虎姫、つまりいまの湖北の長浜に生まれたといいまして、豪族木津氏の出自というのですが12歳で仏門に入り、比叡山に上ります。南都仏教との法論等で頭角表す。

 比叡山延暦寺、しかしこの頃比叡山は大火に見舞われる。こうした中で平安京の北辺、北大路通沿いの船岡山南麓に良源が與願金剛院を造営したのは天慶元年こと938年、比叡山を望む高台ではあるも船岡山に堂宇を構えるあたり、火災の被害の大きさを思わせる。

 良源さん、規律厳守など生臭坊主排除と寺院での修業邁進に尽力しまして、村上天皇皇后安産祈願など朝廷行事とともにつながりを深めますと天台座主となり、延暦寺の復興に尽力します。右大臣藤原師輔、この人は藤原道長の祖父にあたりますが、知己も得ました。

 藤原師輔とのつながりは、のちにこの人の十男にあたる尋禅が天台座主として良源の跡を継ぐことになりますが、そこまでに縁深まるほどに延暦寺復興へも尽力したといいまして最澄の時代の小さな堂宇を再建したものが、今日の根本中堂の原型となります。

 追儺式鬼法楽、ついなしきおにほうらくと読みますが、この寺の元三大師が鬼を退治した、といいます故事から来ました祭事です。さてさて、この日は節分だったのですが、廬山寺では有名な節分神事が執り行われます、それは元三大師良源が鬼を祓った為という。

 良源さんが夜叉の扮装として疫病神を祓ったという故事がある、それはこの節分が立春の前日に当たり、そもそも古くからこの季節の分水嶺には邪気が舞う、邪気は疫病を流行らせるといい、このための悪霊払いの神事は朝廷神事として古くから行われていた。

 角大師という名前でも親しまれる良源さんですが、これは護符として鬼のような絵の記されたものを京都の玄関先に掲げているところを散見します、この大本という。追儺式鬼法楽はこれを現代も再現するというもので、煩悩を表す赤鬼と青鬼と黒鬼が舞い踊る。

 赤鬼と青鬼と黒鬼が舞い踊る追儺式鬼法楽は、節分らしいひと時を感じる祭事なのですが、何しろ混雑する。いやこの日も追儺式鬼法楽の4時間前から撮影位置を確保しているカメラ愛好家が数名居まして、空挺団降下訓練始めではないのだから、とおもったりも。

 源氏庭という、それほど大きくはないが、混雑は基本的にしないという静かな庭園がありまして、ここは静けさを感じるうえではちょっとお勧めしたい立地なのですけれども、この日は節分の追儺式鬼法楽、ちょっとですが、久々の活況を垣間見ることができました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】鞍馬寺,金剛の由来と鑑禎そして空海-鞍馬の雪やま巡り古名に定着した背景を考える

2023-03-08 20:00:59 | 写真
■雪の鞍馬は美しい
 雪景色を情景として辿るのは楽しいがその背景の歴史を調べるのも知識と資料の探索がまた一興という。

 雪の日は貴船神社が混雑するという、いや実際には京都市も中心部が雪風舞う程度の白雪がうっすらと雪化粧されるほどの天気であっても、実は鞍馬はこんな感じです、という風景が広がります。階段はそうした中でも除雪されていますので、拝観に不自由はない。

 鞍馬寺の歴史、近現代までは長らく天台宗寺院となっていました。天台宗、こう響きとともに雪煙の奥には比叡山、そして比叡山が遠望できます。こちらも市内からは毎日見上げる、しかし大津市となっています延暦寺が堂宇と信仰を広げる比叡が遠望できるのですね。

 鑑禎が平安遷都より先立つ時代に開いた庵を、清水寺に所縁ふかい坂上田村麻呂と同時期に、空海とともに東寺を建立しました藤原伊勢人が一回り大きくしましたというお寺、堂宇そのものは山門である仁王門のほかは、いわれれば山頂というほかは馴染みある大きさ。

 藤原南家の出身である藤原伊勢人、鑑禎が造営した毘沙門堂とともに観音堂を造営したといい、堂宇はこの頃から大きくなった、という事が理解できます。そしてもう一つ、この辺りは山岳信仰の聖地であり、いわゆる“鞍馬天狗”のような伝承と信仰にもつながる。

 鞍馬弘教という信仰が成立するとともに毘沙門天と千手観世音と護法魔王尊の三尊を一体として信仰する流れが成立するのですが、鞍馬弘教は成立した時代が戦後、応仁の乱ではなく第二次世界大戦後のものとなり、近代神智学という曖昧な影響を受けているのですが。

 三尊、鞍馬寺では金星より地球に降り立ち生物の進化を見届ける神という位置づけで説明されています、これはヒンドゥー教における1850万年前に金星から地球に降臨した霊的存在で人類を含めすべての生物の進化を見守るサナトクマーラという存在と、確かに重なる。

 大日如来という大毘盧遮那仏は密教経典が体系化され、当時新興宗教であったヒンドゥー教との法論が為されていましたが、これが様々な経典とともに日本に伝わるころには、調和と一言で説明するに複雑な哲学を形成していました、何しろチベットと中国経由だから。

 鞍馬、古名に定着した背景があったのか、近代神智学の影響から似ている地名とあやかったのかは資料探索の蓄積がなければ一概には言えないのですけれども大黒天や五大明王の信仰は、インドのヒンドゥー教との法論の頃に起源をもつ仏教の信仰でもあるのですね。

 密教による山岳修験の場ともなりました鞍馬ですが、密教というものも日本に至るまでの源流をたどりますと奥深く、日本の歴史とともに哲学や価値観の複雑さというものを垣間見るようです、そもそも金剛という名前さえ、外来語となっているほどに、なのです。

 金剛乗はヴァジュラヤーナ、真言乗はマントラヤーナ、日本仏教の原語はサンスクリット語なのですね。金剛という言葉は釈迦の降魔成道において説法を行った菩提樹の根元を金剛宝座というもので、これは論蔵という律蔵、経蔵とともに仏典三蔵の一つに記される。

 こんごう、この名を出しましたのはヘリコプター搭載護衛艦くらま、が長年事実上の旗艦を務めた佐世保基地第2護衛隊群に配備された日本最初のイージス艦こんごう、装甲コルベット金剛や高速戦艦金剛、の由来となった艦ということで最初に連想した故なのですが。

 ひえい、比叡山も護衛艦の名前になっていますし、あたご、愛宕山も望見する京都にあって、世界というのは複雑なのか単純なのか、広いのか狭いのかがわからないからこそ、文明というものには伸びしろがあり、未来があるのだ、こう考えつつ、下界の仕事へと戻りました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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H-3ロケット打ち上げ失敗-惜しむな開発費!19年開発期間と費用2061億円,H-2は8年開発期間2700億円

2023-03-08 07:00:52 | 先端軍事テクノロジー
■技術開発は将来投資!
 H-3ロケット、H-2シリーズに続く新型国産ロケットですが、昨日3月7日に実施された初の打ち上げに残念ながら失敗しました。どの分野でも日本の共通する問題ですが開発費を甘く見ているよう思う。

 自衛隊の反撃能力として今後開発される中距離ミサイル、射程2000km台のミサイル開発が今後本格化しますと、ロケットモーターの開発技術や量産技術が整備されてゆくこととなりますから、言い換えればH-3の失敗に失望する事無く、逆に必要な予算を掛けなければ日本だけ低コストで開発できる魔法の王道は無い事を再確認された構図と云えます。

 反撃能力、この種の技術は技術者の養成と経験が必要ですので、実のところ北朝鮮のミサイル開発ではありませんが、奢ることなくトライ&エラー方式でミサイル開発を今後進める事と成りますので、その技術が逆に宇宙開発に寄与する事となるでしょう。言い換えればH-3と自衛隊反撃能力、開発を2010年代前半から並行し行うべきだったともおもう。

 H-2ロケット、旧型ロケットの開発費はH-2Bロケットの開発費が271億円、H-2Aロケットの開発費が1532億円で、全体の原型となるH-2ロケットの開発費が2700億円となっていまして、このH-2Bロケットの開発費が271億円というのは当時の諸外国のアトラスシリーズなどの開発費と比較しても常識外の開発費となっていました。例外だったのです。

 問題は、H-3ロケットの開発費が2061億円となっていまして、1990年代に新規開発されたロケット開発費が2700億円であったのに対して、同様に新規開発である、しかし相応にインフレが進展し物価が異なっている2020年代のH-3ロケットの開発費がH-2よりも抑えているのですから、開発費というものを無理に圧縮した副作用が表面化した構図です。

 開発期間の長期化、H-3ロケットの課題はH-2Bロケットが開発されたのは2003年、その前型であるH-2Aロケットが開発されたのは2001年、H-2ロケットが開発されたのは1994年ですので、実質H-3ロケットだけ開発に20年間を要しているということです、工芸品で無く工業製品の開発長期化は関係者異動と引き継ぎを含むため、一般論として非合理です。

 宇宙開発予算、言い換えれば2061億円の開発費を20年に分けて支出した為、これは逆に短期間で異動の無い限られた関係者が集中的に数年間で3000億円程度を集中しなければ、日本の技術者がいかに勤勉であろうとも、桁外れの低い予算で開発できるような魔法は出す事が出来ないという事を認識すべきなのかもしれません、研究開発費、どの分野でも重要なのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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