北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【M-5撮影特報】琵琶湖飛行艇救難訓練,南海トラフ地震想定南海レスキュー事前訓練(2024-10-17)

2024-10-31 20:01:49 | 詳報 陸海空自衛隊関連行事
■US-2琵琶湖に
 US-2飛行艇、むかし”あしやからの飛行”という九州の芦屋基地を舞台にした救難飛行艇部隊の映画が有りましたが今回は琵琶湖からの飛行、というべきでしょう。

 琵琶湖へのUS-2着陸、いや着水、こころなしか白波に緑がかっているような印象があるのだけれども、うまくいきました。海水を念頭に浮力計算しているということで、淡水に着水して大丈夫かは新明和が二日がかりで計算したとのことでしたが。

 南海レスキュー事前訓練、滋賀県警の警備船と会合し負傷者を輸送するという訓練、前ニューズウィークにて新宿が核攻撃を受けた場合の死者数は15万という数字が示されたことがありますが、南海トラフ地震の最大死者総定数は32万、核兵器二発分だ。

 津波の影響を受けないとともに、地滑りを別とするならば琵琶湖は飛行艇を運用するには南海トラフ地震においてほぼ安全が確保された発着点ということになるます。天正地震では琵琶湖も地滑り被害が多発したが、南海トラフは震源がかなり遠い。

 高島市に陸海自衛隊の統制所が設置され、けっこう大きな、折りたたむと担げるのだけれども通信アンテナを設置して天幕まで広げていました。が、安全を第一に、沖合7kmほどのところに降りていました、琵琶湖の中央、ということですね。

 統制所、実はこの発着は月曜日に予定されたもおが悪天候で二日延期されたという経緯があるのですが、延期された初日には通信アンテナや天幕などは無く、US-2だけがゆっくりと上空を飛行しただけと謂うことでした、本番は、本番らしい雰囲気になった。

 海抜85m、琵琶湖の水面その海抜は実は京都駅よりも高いところにありまして、すると海上自衛隊が慎重なのは、高い海抜に降りる初の経験と謂うこともあるのかなあ、と思ったりはします、海抜の高い飛行場はあっても湖面というとなにしろ淡水湖が初だ。

 彦根城と長浜城がみえるのかあ、と高島市からの風景に驚くとともにここは風車村という、
US-2飛行艇、琵琶湖に飛行艇、といいますと不思議な印象をうけるのですけれど、歴史を見ますと大津海軍航空隊、という戦時中に水上戦闘機強風などを運用していた部隊が。

 長浜城は、先代の長浜城が天正地震で倒壊し琵琶湖に沈んだ、ということを思い出しますと、ちょっと複雑な気分ではある。いまの長浜城は鉄筋コンクリート、雲仙普賢岳の島原城のように次回は長浜城に指揮所をおいては、とおもったりもするのですけれど。

 大津駐屯地、海軍航空隊はいまの大津駐屯地にいました。あの紫電改に繋がる水上戦闘機強風です。駐屯地には海鷲の石碑など、当時を思わせるものが資料館にありまして、F-1支援戦闘機やF-86D戦闘機なんかが並べられている。F-1戦闘機、か今は。

 強風の設計と生産は川西飛行機、いまの新明和工業です、するとUS-2飛行艇を製造している新明和工業ですので、琵琶湖とUS-2という関係も、まあ1940年代と2020年代というけっこうな期間が空いてしまったけれども、無関係、というほどではないのだなあ。

 大津駐屯地には強風のスロープがもう周りの建物はかわってしまっているのですが、考えるとあんな7km先に降ろすよりも、PS-1飛行艇なんかの時代は大村航空基地にスロープを活用していたのですから、そのまま大津にあげてしまえ、ともおもったりする。

 岩国から展開した今回の発着は来年の南海レスキューにおける本番に備えての発着と謂うことですので慎重さが求められたのでしょう、ただ、実績を積んでゆきますと、なにしろ大津海軍航空隊以来の所縁、案外思い切った運用が将来できるのかもしれません。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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ウクライナ情勢-セリダヴがポクロフスク周辺での激戦地!ロシア軍が構築するハリコフ占領地地下要塞

2024-10-31 07:00:56 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 機械化部隊の重要性というものは自衛隊が予算上棚上げしてきた問題です。

 ロシア軍は地下要塞の建設を開始している、これはISWアメリカ戦争研究所10月24日付ウクライナ戦況報告においてハリコフ方面のウクライナ軍旅団報道官の発言を紹介したもので、この背景としてロシア軍は長期間にわたり機械化部隊による攻撃を実施していないため、冬期においての陣地構築に苦慮した結果、地下陣地を構築している可能性がある、と。

 地下要塞、とは地下に数階分の陣地を構築する、この背景にはウクライナ軍旅団報道官の発言に、ハリコフ方面でロシア軍はほとんどの期間、機械化部隊を運用していないためで、厳しい冬期を地下にこもることで乗り切ろうとしている可能性があるとのこと。この日、ウクライナ軍はクルスク州のコレネヴォ南東で前進に成功したとしています。

 ウクライナ軍のクルスク州逆攻撃は、ロシア軍によるハリコフ州再侵攻をうけてロシア軍に兵力分散を強要するために第二前線を構築したと繰り返し強調されていることから、ロシア軍がハリコフ州において機械化部隊による攻撃を行えないことは、ウクライナ軍の戦略目標が達成されたともいってよいでしょう。■

 ポクロフスク周辺の戦況について、ISWアメリカ戦争研究所は10月24日に新しいウクライナ戦況報告を発表、これによればロシア軍は10月21日にポクロフスク南東のセリダヴへ大規模な攻撃を加えたとしています。攻撃はセリダヴの北方と東方と南方から攻撃を加えたが、ウクライナ軍は攻撃を阻止することに成功したとのこと。

 セリダヴがこの時点でのポクロフスク周辺での激戦地となっており、ウクライナ軍はセリダヴへの攻撃を阻止するとともにセリダヴ北東のヴォロディフカ鉱山に構築されたロシア軍陣地へ攻撃を加え、これを奪還したという。他方でこの日ロシア軍はクレミンナ北西のノボサドベやシヴェルスク南東のヴィムカ近郊で前進したとのことです。

 ポクロフスクへの攻撃について、ロシア軍は優先度を高く設定しているとされ、ウクライナ軍報道官の発表としてセリダヴ周辺にロシア軍は予備選力を集中、ただ、装甲車両を投入する頻度は少なく、基本的に歩兵部隊による攻撃を行い、発見した防御のうすい地域に第二次攻撃として歩兵部隊を更に集中する運用を行っているという。

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