■臨時情報-NATO首脳会議
ロシアのウクライナ侵攻を受け緊張続く欧州ではスペインのマドリードにてNATO首脳会議が開催され、我が国からも岸田総理大臣がNATO加盟国ではありませんが出席しています。
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NATOのストルテンベルグ事務総長は27日、NATO即応部隊について、現在の4万名規模の部隊を30万規模に増強する計画を発表しました。この構想はマドリードにて開かれているNATO首脳会議に発議するとし、冷戦以降最大の集団的抑止力と集団的防衛力構築の改革になる、としています。しかし即応部隊は近年増強されたばかり、驚かされました。
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NATO即応部隊NRFは加盟国各国が陸軍部隊等の中で充足率が高く装備を近代化した師団や旅団を指定部隊とし、有事の際には即座に欧州連合軍司令部隷下へ抽出できる体制を示します。しかし驚かれるかもしれませんが、NATO即応部隊NRFという制度は1949年にNATOが創設されて以降、冷戦時代には存在しない制度でした、これは冷戦後のもの。
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2003年にNRFは正式に運用開始となりました。もともとは2002年のNATOプラハ会議においてアメリカの当時のラムズフェルド国防長官の要請によりNATOが世界規模で活動可能となるNATO加盟国15か国からなる即応部隊を創設する方針が示され、具体的には五日間から一ヶ月以内に出動可能という構想、そして冷戦時代にはこの制度はありません。
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冷戦時代、NATOはもっとも即応対処が求められた時代である為に不思議に思われるかもしれませんが、冷戦時代のNATOはソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍の西ドイツ侵攻やトルコギリシャ侵攻などを念頭に置いていた為、緊急展開を行うというよりはNATOが防衛体制を固めている地域に相手が侵攻に来る、という想定であったためでした。
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冷戦後のNATO即応部隊が必要とされた背景には、1998年のコソボ派遣を契機に、NATOが創設当時想定していなかった加盟国以外の地域への、所謂“域外派遣”という任務が、冷戦後の欧州への脅威がロシアとの関係正常化によりロシア軍侵攻よりは欧州周辺地域での地域紛争が激化し欧州へ影響を及ぼす可能性に転換し、その抑止が求められた構図です。
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2003年の段階でNRFは2万5000名という“ささやかな”規模で想定されていました、具体的には、地上部隊は4000名規模の旅団を3個旅団、海上部隊は空母打撃群に2個常設水上戦闘群と2個常設機雷戦群、空軍部隊は作戦機24時間当たりの200任務飛行所要、というものが見込まれていました。その任務は当時の情勢を受けテロ対策や非戦闘員退避など。
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NRFの増強、冷戦時代にもなかった変革である為に驚かれるかもしれません。しかし、これは冷戦時代と比較するならば逆に緊張緩和を見込んだ措置といえるのかもしれません。何故ならば前述の通り、冷戦時代にNATOは第一線で守りを固めていたもので、具体的に言えば西ドイツ領内にアメリカ第5軍団やイギリスライン軍団など大部隊が駐屯していた。
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冷戦時代の方式を用いるならば、NATOの大群がバルト三国やポーランドとルーマニア等に駐留することとなります、が、ウクライナ戦争を受け、これらの地域にNATOは部隊を駐留させてはいるのですけれども、駐留しているのはNATO多国籍大隊のみ、旅団でさえありません、つまり、前に出て守りを固めるのではなく、加盟国は自国領内で待機させる。
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NATO多国籍大隊に代えてNATO旅団戦闘団が幾つもロシアとの国境に展開する訳ではない、加盟国は万一の際に即座に派遣可能な即応部隊を置く、という方式となります。冷戦時代の自衛隊の北方機動演習と似たもので、一見大胆な防衛政策にみえるものの、実のところ慎重に、しかし確実な抑止力整備を目指しているということなのかも、しれませんね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ロシアのウクライナ侵攻を受け緊張続く欧州ではスペインのマドリードにてNATO首脳会議が開催され、我が国からも岸田総理大臣がNATO加盟国ではありませんが出席しています。
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NATOのストルテンベルグ事務総長は27日、NATO即応部隊について、現在の4万名規模の部隊を30万規模に増強する計画を発表しました。この構想はマドリードにて開かれているNATO首脳会議に発議するとし、冷戦以降最大の集団的抑止力と集団的防衛力構築の改革になる、としています。しかし即応部隊は近年増強されたばかり、驚かされました。
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NATO即応部隊NRFは加盟国各国が陸軍部隊等の中で充足率が高く装備を近代化した師団や旅団を指定部隊とし、有事の際には即座に欧州連合軍司令部隷下へ抽出できる体制を示します。しかし驚かれるかもしれませんが、NATO即応部隊NRFという制度は1949年にNATOが創設されて以降、冷戦時代には存在しない制度でした、これは冷戦後のもの。
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冷戦時代、NATOはもっとも即応対処が求められた時代である為に不思議に思われるかもしれませんが、冷戦時代のNATOはソ連軍を中心としたワルシャワ条約機構軍の西ドイツ侵攻やトルコギリシャ侵攻などを念頭に置いていた為、緊急展開を行うというよりはNATOが防衛体制を固めている地域に相手が侵攻に来る、という想定であったためでした。
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冷戦後のNATO即応部隊が必要とされた背景には、1998年のコソボ派遣を契機に、NATOが創設当時想定していなかった加盟国以外の地域への、所謂“域外派遣”という任務が、冷戦後の欧州への脅威がロシアとの関係正常化によりロシア軍侵攻よりは欧州周辺地域での地域紛争が激化し欧州へ影響を及ぼす可能性に転換し、その抑止が求められた構図です。
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2003年の段階でNRFは2万5000名という“ささやかな”規模で想定されていました、具体的には、地上部隊は4000名規模の旅団を3個旅団、海上部隊は空母打撃群に2個常設水上戦闘群と2個常設機雷戦群、空軍部隊は作戦機24時間当たりの200任務飛行所要、というものが見込まれていました。その任務は当時の情勢を受けテロ対策や非戦闘員退避など。
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NRFの増強、冷戦時代にもなかった変革である為に驚かれるかもしれません。しかし、これは冷戦時代と比較するならば逆に緊張緩和を見込んだ措置といえるのかもしれません。何故ならば前述の通り、冷戦時代にNATOは第一線で守りを固めていたもので、具体的に言えば西ドイツ領内にアメリカ第5軍団やイギリスライン軍団など大部隊が駐屯していた。
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冷戦時代の方式を用いるならば、NATOの大群がバルト三国やポーランドとルーマニア等に駐留することとなります、が、ウクライナ戦争を受け、これらの地域にNATOは部隊を駐留させてはいるのですけれども、駐留しているのはNATO多国籍大隊のみ、旅団でさえありません、つまり、前に出て守りを固めるのではなく、加盟国は自国領内で待機させる。
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北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
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