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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

伊勢湾台風から六〇年,3.11東日本大震災-阪神大震災と並ぶ戦後巨大災害と現代台風の巨大化

2019-09-26 20:08:46 | 防災・災害派遣
■次の伊勢湾台風規模被害へ
 本日は伊勢湾台風上陸から60年祈念の日です。追悼と共に次の伊勢湾台風規模の被害に備えつつ、重ねて犠牲者の冥福を祈りたい。

 伊勢湾台風60年、本日2019年9月26日は昭和最大の災害と云われる伊勢湾台風が日本に上陸しました1959年9月26日から60年目となる日です。伊勢湾台風、戦後日本自然災害の中でも1995年1月17日の兵庫県南部地震、阪神大震災までは最大の災害であり、伊勢湾岸の愛知県と三重県では県民二割が被災、第二次世界大戦以来の惨禍となりました。

 ヘリコプターによる航空救難が組織的に実施された世界初の事例である、伊勢湾台風はこうした視点からも転換点となりました、航空自衛隊は初のヘリコプター部隊準備隊を訓練中でしたが急遽投入されました。また艦艇部隊では草創期の海上自衛隊が横須賀地方隊より、実戦経験のある総監部幕僚長を指揮官とした海上救援部隊を荒天下に派遣しています。

 空母キアサージの被災者救助、アメリカ海軍は日本救援へ航空母艦を展開させます。3.11東日本大震災ではアメリカ海軍の空母ロナルドレーガンが対日救援作戦“トモダチ作戦”へ参加していますが、はるか前、伊勢湾台風に空母は展開していたのですね。阪神大震災でもアメリカは空母インディペンデンスを被災者宿泊艦へ打診しますが実現していません。

 3.11東日本大震災以降、我が国では南海トラフ巨大地震の連動発生再来への警戒が高まり、津波防災への意識は大きく前進したといえます。防災意識が前進したならば経済的行動に結びつけるのが次の段階、防災施設や避難訓練が定着するその次の段階へ進む事が出来ます。しかし、こうした中で巨大台風への警戒が忘れられているようには思えてなりません。

 929hpaという猛烈な勢力で上陸した伊勢湾台風。最大瞬間風速は伊良湖で55.3m、名古屋市内でも45.7mに達し、死者行方不明者実に5098名、負傷者は38921名に昇り、全壊家屋36135棟と流失家屋4704棟、更に半壊家屋は113052棟であり大規模半壊に相当する床上浸水も157858棟、伊勢湾を中心に船舶被害が13759隻。数字から示す台風はこの通り。

 伊勢湾台風、しかし数字以上に戦後復興の最中に三大都市圏の名古屋沿岸部が徹底的に破壊され、長期浸水により復興に時間を要すると共に今ほど防災インフラが発達していない中、次の災害に備えての停滞を余儀なくされ、日本国家への影響というマクロ的視点で見た場合でも、2011年東日本大震災に比肩する衝撃を与えた、と言って過言でないでしょう。

 想定外か、と問われれば一例の逸話に伊勢神宮の大木が挙げられ、伊勢湾に巨大台風が来ないからこそ大木が育つ、との伝承があったとも。しかし、当時気象庁は台風進路を正確に予報しており、25日には緊急記者会見を開き当時としては異例の注意喚起を行っています。その上で、台風の速度は早く急激に成長し勢力を保ったまま紀伊半島へと上陸します。

 高潮が被害を拡大させた、とは識者や研究者が多く指摘するところで、高度経済成長期の建設ラッシュに併せ拡大されていた沿岸部の貯木場が高潮で破壊されると共に良質で巨大な木曾檜を始め貯木場の材木が破城槌のように沿岸部の住宅を一帯で次々と押し潰し、暴風に耐えた頑丈な建築物を始め砕くと共に人々を襲った事が、当時の“想定外”でした。

 昭和の三大台風、としまして枕崎台風や室戸台風、死者が3000名以上に昇る巨大台風が上陸しました。いや、1947年のカスリーン台風は上陸さえしていませんが、首都圏では利根川を中心に1930名もの死者行方不明者という大災害となりました。もっとも、スーパー堤防建設やダム建設と防潮堤強化、その後の防災インフラ整備を進める契機となるのですが。

 巨大台風の被害を甘く見ていないでしょうか、例えば我が国太平洋岸には台風進路に向けて湾口を開く湾が幾つかあります、伊勢湾、東京湾、大阪湾、広島湾、松島湾。数多ありますが上記の湾口の奥には大都市があり、高潮が台風と共に押し寄せれば津波と同じ危険、いや津波以上に暴風で逃げ場のない沿岸部を襲います。その危険性が認識されているかと。

 我が国防災インフラは伊勢湾台風以降大きく整備されており、実際、昨年の台風21号では大阪を中心に大きな被害が生じましたが、高潮の潮位は第二室戸台風の最高値を超えており、昭和中期に同等の台風が襲来したならば、阪神大震災に匹敵する人的被害を及ぼした可能性もありました。沿岸の防災は頑強です、しかし、その頑強さは永遠なのでしょうか。

 伊勢湾台風と同程度の台風、実のところ昨今の台風には伊勢湾台風と同程度の台風が似た進路、第二室戸台風と同じ勢力で上陸、という台風の大型化を痛感します。これは防災機構の頑強さに慢心する事無く、現在想定されないような上陸時の中心気圧870hpa以下というような規格外巨大台風、昭和五四年台風20号が洋上で870hpaでしたが、有り得ないか。

 防潮堤と沿岸部の低地建築物強靭化が現在の防災の主軸です。しかし、例えば瞬間風速90mという巨大台風は南方では発生しており、こうしたものが高潮を伴い、防潮堤そのものを破壊した場合、また、24時間雨量が1000mmを越える豪雨が複合災害をもたらす可能性は無いのか、更に堤防が強靭化した分、一旦決壊したらば排水まで、長期浸水に直結します。

 広域避難、東京都の江戸川区などでは最大規模の規格外台風が上陸した想定の下、最悪の場合は区内全域が水没、垂直避難として高層建築物へ避難した場合も浸水が一ヶ月近くに及び孤立者が懸念する状況になる、との被害想定を行い、この懸念を回避する為に広域避難として全住民の区外、安全地域、在るかどうかは別として、その検討を進めています。

 防災行政として、しかし具現化するには非常な困難を必要とします。なにしろ台風は広域災害ですので、一つの市町村や区に被害は集中しません、すると首都圏だけで数百万、京阪神地区でも少なくとも二百万規模の人員を収容できる避難所、其処への緊急移動手段、防災備蓄、昨今は停電対策等が必要となります。避難中に計画運休の可能性も生じうる。

 民間防衛の領域の命題であり、国そのものが防災を念頭とした施策や法整備を変えねばならない程に昨今の台風、巨大台風の頻度は増大しているのではないか、率直な感想です。勿論、その可能性は低い為に許容し得るリスクである、と民意が判断するならばその選択肢もあり得るのかもしれません。ただ、過去の伊勢湾台風の犠牲者への追悼を、念じるだけで終えて良いのか、考えてしまうのです。次の伊勢湾台風規模の台風に備えるのではなく、次の伊勢湾台風規模の被害に備える施策が求められます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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