北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

2008年度最高の行事写真 護衛艦はるな横須賀基地入港

2009-03-21 22:44:53 | 北大路機関特別企画

◆リムパックを終えて

 年度末。2008年度の自衛隊関連行事の総括として、今回から数回に分けて、様々な写真を掲載していきたい。とはいえ、本日は、時間が無い(この記事も、梅田駅の快速急行車内で執筆中)ので、記事の規模は小さいです。

Img_2901  2008年度、最高の写真とは、富士にて砲焔も撮り、千僧では、迫力ある訓練展示の写真を撮ることができ、守山にて四本の連隊旗が揃った観閲行進の写真を撮ることができたが、やはり北大路機関の趣旨に沿えば、考えるまでもなく、自衛隊関連の写真では、護衛艦はるな、横須賀入港の写真が筆頭ではないか、と考える。

Img_8003  横須賀基地に停泊する、護衛艦はるな。電燈艦飾は行われていないが、艦のシルエットが際立って見える一枚。朝雲新聞に、リムパック参加の概要が発表されており、概ねの横須賀入港に関する日時が出ていたためその日時をたよりに、横須賀に連泊し、その際、アメリカ海軍の艦艇や、シンガポール海軍のフリゲイト、それに記念艦三笠などをみることができた。

Img_8252  今年度が最後の、というと、鉄道分野では、名鉄パノラマカーや新幹線0系、それにブルートレイン富士はやぶさ、などが挙げられる一方、自衛隊関連では、護衛艦はるな、の写真を鮮明に撮ることができ、最高の行事写真として挙げたい。この入港と出航については、事後、護衛艦はるな特集にて、扱いたい。

HARUNA

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岐阜基地へ訓練のため飛来した静浜基地のT-7初等練習機

2009-03-20 22:41:14 | 航空自衛隊 装備名鑑

◆T-7練習機

 本日も多忙なため、コネタ記事です。書きたいことが多くとも、時間が無ければ書けないというわけで、こういうときのコネタ、しばしお付き合いください。

Img_0552  岐阜基地に着陸態勢で進入するT-7練習機。プロペラ式のこの航空機は、静岡県の静浜基地から飛来した航空自衛隊の初等練習機である。初等練習機ということで、航空自衛隊に所属する多くのパイロットにとり、初めて操縦桿を握り、機体を動かす、という経験を積むこととなる航空機だ。

Img_0494  この日、2009年2月26日は、岐阜基地に空中給油輸送機KC-767の三号機がアメリカから到着した日であり、そのほかにも様々な機体が飛行、KC-767を撮りに集まった多くの航空機ファンを喜ばせていたが、当方にとって、もっとも意外で、新鮮だったのは、実はT-7練習機であった。

Img_0520  T-7が何故珍しいか、それは、静浜航空祭が例年、千僧駐屯地の第3師団創設記念行事ため行くことが出来ず、防府などの基地も遠いことから行くことが出来ない。結果、地上展示などで見ることは多い機体ではあるものの、着陸するT-7を間近に撮る機会というのは、今回が初めて、ということだったのである。

Img_0586  岐阜へは、訓練飛行のために展開したようで、入れ替わり複数のT-7が、進路を調整しつつ、着陸と離陸のタッチ&ゴーを繰り返しており、なかには一瞬危なっかしい操縦も見受けられた。KC-767は、理想的な写真を撮ることができたのだが、それ以外にも、T-7が撮れたということが、一つの収穫であった。

HARUNA

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ヘリコプター護衛艦はるな、現役時代に迎えた最後の朝

2009-03-19 23:51:55 | 北大路機関特別企画

◆前島埠頭から撮影

 本日は、非常に多忙なので、詳報に入ることが出来ないのだけれども、護衛艦はるな、が現役時代に迎えた最後の朝、というものを掲載したい。

Img_5572  横浜では新しいヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、が華々しく就役の時を迎えようとしている中、舞鶴では、海上自衛隊の洋上航空体系について、その基礎を固めた最初のヘリコプター搭載護衛艦である、はるな、が長い現役時代から退こうとしていた。全通飛行甲板の、ひゅうが、も、はるな、が基礎を固めたからこそ存在するといっては言い過ぎか。

Img_5571  除籍、自衛艦旗を返納する前ではあるのだが、はるな、の上甲板をみてみると、既に、5インチ砲の砲身は取り払われているのがわかる。更に、短SAM発射器やCIWSも撤去、これは、そのむかし、はるな、が就役当時のスマートな姿に若返ったようにもみえた。しかし、この日は除籍の日である。

Img_5585  上空から爆音が響き渡る。頭上を見上げると、哨戒ヘリコプターSH-60Jが、朝から舞鶴飛行場を拠点に発着訓練を繰り返していた。前日も2000時頃まで発着訓練を行っており、こうした訓練が市街地に近い基地で夜間行えるのも、旧海軍時代からの舞鶴という街との繋がりがあってのことなのかもしれない。

Img_5606  急に機首を引き起こし、一気に減速して、着陸態勢に入るSH-60J,この急激な引き起こしは、遠くから見ていても驚かされた。動く護衛艦へのヘリコプターの着艦は、夜間、陸上基地へ着陸するよりも難しいとのことで、あらゆる状況を想定した厳しい訓練が行われていたのがみえた。

Img_5608  前島埠頭では、この日の護衛艦はるな自衛艦旗返納行事を、遠くからでも見よう、という地元の人たちが訪れていた。釣り人も多い前島埠頭であるが、望遠鏡を手に、除籍行事をさびしそうにみていた人たちもいたのが印象的だった。ひゅうが就役で沸く横浜と横須賀とは対照的に、海上自衛隊洋上航空は、世代交代を果たしつつあった瞬間である。

HARUNA

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そして歴史へ 護衛艦はるな 自衛艦旗返納行事 速報

2009-03-18 23:24:36 | 北大路機関特別企画

◆護衛艦はるな 1973~2009

 本日、快晴の舞鶴にて、海上自衛隊の護衛艦はるな、は、自衛艦としての全ての任務を完遂し、自衛艦旗を返納、除籍された。本日は、その行事の様子を速報というかたちでお伝えしたい。

Img_4368  自衛艦旗返納行事へ整列した隊員。飛行甲板には、乗員が整列している。護衛艦はるな、は1973年に就役した日本最初のヘリコプター搭載護衛艦で、3機のヘリコプターをオンデッキ式格納庫と発着甲板により運用することが可能、本艦の就役を以て、海上自衛隊の洋上作戦能力は、大きく向上した。

Img_5631  満載排水量6800㌧、全長153㍍、搭載する蒸気タービン2機の出力は70000馬力に達し、速力は31ノットを発揮する。前述のように、ヘリコプター3機を搭載。ヘリコプターの運用空間を確保するという工夫から、艦前部に武装を集中した、力強い艦容を有することとなった。

Img_56681  はるな、の搭載機は、HSS-2より始まり、HSS-2A,HSS-2B、そしてSH-60Jと進んでいる。海上自衛隊艦上航空機体系の進展とともに歩んだ護衛艦であり、歴史そのものであるともいえよう。余裕のある設計は、新型機の搭載にも対応することができ、護衛隊群旗艦としての任務にも対応することができた。

Img_5726  舞鶴音楽対が演奏する荘厳な音楽とともに、はるな、に掲げられた自衛艦旗が、ゆっくりと降ろされる。同時刻、横浜では、新しいヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、が自衛艦旗を授与されている。この瞬間が、DDH[ヘリコプター搭載護衛艦]の世代が入れ替わる瞬間であったわけだ。

Img_5751  折りたたまれた自衛艦旗。護衛艦はるな、は先代にあたる旧海軍の戦艦榛名よりも長い期間、第一線にあった。はるな、はその長い期間にわたり、ヘリコプター搭載護衛艦として海上防衛の最前線で、絶え間ない訓練による抑止力の維持と各国との交流、そして大規模災害への派遣と行い続けた。

Img_5797  乗員退艦。舞鶴音楽隊が奏でる勇壮な軍艦マーチとともに、護衛艦はるな、から乗員が行進して退艦してくる。火災タンカー第十雄洋丸撃沈処分、能登半島沖工作船侵入事案に際しての初の海上警備行動、テロ対策特別措置法に基づくインド洋派遣、リムパック環太平洋合同演習、様々な歴史が、一つ、締め括られる瞬間。

Img_5842 はるな艦長、星山良一1佐から自衛艦旗が返納される。ここに、護衛艦はるな、は現役の自衛艦から、歴史上の一隻へと出航していった。栄光の艦番号141は塗りつぶされ、しばらくは、かつての護衛艦きくづき、のように舞鶴基地の中央に係留される。ご招待いただきました、艦長の星山様、護衛艦はるな、の乗員の皆様、 舞鶴基地の皆様、ありがとうございます、ご苦労様でした。次の任務でのご活躍を期待しております。

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海上自衛隊ヘリコプター搭載護衛艦はるな 現役護衛艦として舞鶴基地に佇む

2009-03-17 22:20:38 | 海上自衛隊 催事

◆舞鶴に、はるな健在!

 護衛艦ひゅうが、護衛艦ひゅうが就役、ヘリコプター護衛艦ひゅうが。ここ数日間、アクセス解析では、例外的に、富士はやぶさ、ブルートレインが数日間上位に上がった以外は、新型艦のキーワードにて本ブログを訪問される方が多い。

Img_5475  Weblog北大路機関は、昨日0100時過ぎにアクセス解析開始から91万アクセスを突破しました。たくさんのアクセスありがとうございます。こうして、ひゅうが、が多くの注目を集める中、海上自衛隊最古参のヘリコプター搭載護衛艦はるな、の写真を撮影してきたので、本日はこの特集を掲載したい。

Img_5474  常夜灯が賑やかな舞鶴基地北吸桟橋。舞鶴基地では、護衛艦はるな、が自衛艦旗を掲げ、いよいよ迫った除籍のときを静かに待っていた。明日、18日、ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、がいよいよ就役するのだが、同時に海上自衛隊艦上航空の基礎を築いた、はるな、が除籍される。

Img_5431  今日でこそ、海上自衛隊は大型水上戦闘艦勢力では世界第二位、洋上哨戒機の総数でも米海軍に続く規模を有している、大洋海軍としての地位を確たるものとし、遠くインド洋に補給艦を中心とする部隊を展開させ、先日は、遥かアフリカ沖に跳梁跋扈する海賊を取り締まるべく出航するだけの規模を有するに至っている。

Img_5490  しかし、その海上自衛隊の基礎を築いた護衛艦の存在を忘れては今日の海上自衛隊を語ることは出来ず、華やかな大都市の夜景、自然を湛えた俯瞰風景、車窓に流れる活気ある街並み、日本という社会を軍事安全保障という位置から支える、平和主義を実現するための抑止力の礎となったことは忘れるべきではない。

Img_5412  あきづき型、あやなみ型、たかつき型、あまつかぜ、おやしお、うずしお型、あつみ型、海上自衛隊の発展に寄与し、無言の圧力として日本に対する正当性無き脅威に備えた数々の艦艇、はるな型のネームシップ、はるな、もいよいよ歴史の中の艦船になろうとしている。しかし、支えた乗員は次の艦艇に移り、伝統は受け継がれる、次世代へと。

Img_5472  舞鶴基地からみて対岸の造船所には、イージス艦あたご、が定期整備で入っていた。あたご型は、“現在”海上自衛隊最大の護衛艦である。イージスシステムの眼、SPY-1レーダーにはカバーが被せられており、もしかしたら、このあとしばらくしたらドックにはいって整備を行うのかもしれない。

Img_5486  舞鶴航空基地では、SH-60Jヘリコプターが発着訓練を行っていた。時刻は1900時過ぎ、夜間に発着訓練を行うのは、護衛艦のASW[対潜戦闘]任務において、潜水艦の脅威は昼夜を問わず、結果夜間のヘリコプター発着も当然行われるため、こうした訓練の必要性は高い。夜間のこうした航空機発着訓練を撮影したのは、小生、今回が初めてかもしれない。

Img_5478  建造中の砕氷艦しらせ。横須賀基地では、保存か解体かの境界にある、旧しらせ、が除籍後、係留されているが、新しらせ、としてその名は受け継がれた。ヘリコプター護衛艦はるな、も、将来的にはミサイル護衛艦や、新しいカテゴリーの自衛艦として、その名は受け継がれるかもしれない。

HARUNA

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陸上自衛隊 春日井駐屯地創設42周年記念行事 訓練展示

2009-03-16 22:56:51 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆春日井駐屯地祭[2009.03.08]

 春日井駐屯地祭2009、詳報は、駐屯地の部隊が整列しての式典編、各種装備が行進曲と共に進む観閲行進編に続いて、今回で第三回目にあたる。

Img_3977  観閲行進の後に行われるのは、訓練展示である。訓練展示は、第10偵察隊によるオートバイドリル展示と、後方支援連隊に偵察隊、施設大隊が参加して行われた訓練展示模擬戦と、分けて実施された。既に訓練展示模擬戦の準備として、軽装甲機動車や偵察警戒車などが並んでいるのがみえる。

Img_3883  第10音楽隊による音楽演奏。第10音楽隊は、第10師団の直轄部隊で、守山駐屯地に駐屯しているが、この春日井駐屯地祭のような、第10師団隷下の部隊が駐屯する駐屯地の創設記念行事では、重厚な式典の演奏から、軽快なマーチまで演奏して式典に華を添える部隊である。

Img_3894  音楽演奏が終了すると、73式大型トラックが二台、式典会場の中心に入場してきた。これから何が始まるのか分からない人たちは首をかしげるところであるのだが、大型トラックの荷台からエンジン音が聞こえてくると、察しのいい人が気付きだすのだが、気づかない人は双発車?などと考えているのかもしれない。

Img_3897  エンジン音と高まりが頂点に達するとともに、開始の合図が春日井駐屯地いっぱいに響き渡り、勢いよく、73式大型トラックの荷台の幌が取り払われ、オートバイが次々と飛び出してくる。これが師団の目、第10偵察隊の精鋭、オートバイ斥候部隊によるオートバイドリルが開始された瞬間だ。

Img_2693  斥候部隊がトラックの荷台から次々と飛び出してくるという、意表を突く登場を果たしたオートバイは、そのまま一隊に集うと、駐屯地司令が座る観閲台に向けて整列。基本的に市販のオフロードバイクを元にした斥候オートバイなのだが、並ぶと、いきなり迫力が増して見えるのが凄いところだ。

Img_3907  こうした中、背景では第10偵察隊の隊員によるロープ降下の実演が行われていた。かなり、貴重な瞬間なのだが、実施した時間帯が悪かった。オートバイが飛び出す合図に使われた擬爆筒の煙が、まだ漂っており、悲しいかな、迫力の瞬間は白煙の向こう。隠密行動を旨とする斥候の象徴のような一コマになった。

Img_2734  オートバイドリルの開始。偵察隊の任務とは、実際に師団主力部隊に先んじて前進し、最初に敵対勢力と接触、戦闘を交わしてその総力を推し量り、抵抗が弱ければ偵察隊が撃破して前進し、堅固な抵抗に面した場合、偵察隊が戦闘により得られた情報を元に、師団が火力戦闘を展開することにある。

Img_3940  偵察部隊は、もともと軽戦車、今日的には中隊規模の戦車部隊を中核として編成されることが多いのだが、陸上自衛隊は、世界でも珍しく、オートバイによる偵察と斥候を重視している。この背景には、冷戦時代、陸上自衛隊が想定していた勢力が強力な機械化部隊と機甲部隊を有しており、この方式を行うのが非常に困難であったため、という点があるのではないかと思う。

Img_2766  偵察隊には、可能ならば斥候要員を多数乗せることができる89式装甲戦闘車や、チェンタウロのような強力な火力を搭載した戦車駆逐車を装備して威力偵察を行うことが望ましいのだが、他方で、オートバイ斥候は極めて素早く軽快に移動することができ、戦車でも撃破することが難しく、この方式も、日本本土への師団規模の直接武力侵攻を想定するならば、妥当なのかな、とも思える。

Img_2816  オートバイ斥候は、極めて厳しい状況に際しても確実な情報を得るために、厳しい訓練を続けており、この技術は、災害派遣に際しても、通常では考えられないような地域に進出して、情報収集や情報伝達を行うことができる。他方、一つ必要な装備ではないかと考えるのは、情報を画像も含めリアルタイムで上級司令部に送信する手段の搭載であろう。

Img_3965  物凄いスピードにて、ジャンプ台を飛び跳ね、高速で行き来し、低速でも確実な運転をこなした第10偵察隊のオートバイは、最後には見事なウィリーにより、会場から去っていった。オートバイドリルが終了すると、今度は、空包が弾ける迫力の模擬戦へと展開する。この様子は、次回お伝えしたい、お楽しみに。

HARUNA

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ソマリア沖海賊対策 海上自衛隊に派遣命令 護衛艦が出航

2009-03-15 18:19:53 | 防衛・安全保障

◆海上自衛隊アフリカ沖へ

 海上自衛隊は、海上警備行動命令を受け、ソマリア沖において活発な活動を繰り返している海賊の取り締まりを行うべく、昨日、護衛艦二隻が呉基地を出航した。

Img_7418_1  出航式典に参加していないので、呉基地の旗艦というべき、第四護衛隊群旗艦、ヘリコプター護衛艦ひえい(はるな型)の写真にて代用。ソマリア沖海賊対策事案では、13日に、麻生総理大臣らが出席し、安全保障会議が開かれ、ソマリア沖に護衛艦を派遣することが正式に決定した。これを受けて、浜田防衛大神は、海上警備行動を発令し、海上自衛隊に護衛艦の派遣を命令した。

Img_5532  14日、呉基地において行われた出航式典において、麻生総理大臣は、ソマリア沖アデン湾において海賊事案が急増していることは周知の事実である、とした上で、任務を果して全員無事に帰国することを心から祈念します、と訓示した。これに対して、派遣部隊指揮官の五島浩司1佐は、国民の大きな期待に応えられるよう、厳しい環境でも集中力を切らさず、部隊一丸となって任務を完遂します、と挨拶した。ソマリア沖に派遣される護衛艦「さざなみ」、「さみだれ」は、昨日1400時に広島県の呉基地から出航した。二隻の護衛艦は、早ければ四月上旬にもアフリカ沖に到達し、海賊対策任務に就くとのこと。

Img_1035  海賊対策について、自衛隊法に基づく海上警備行動を発令する形で対応しているが、13日の閣議では、新しく「海賊対策法案」が閣議決定された。海賊対策法案の概要は、海上自衛隊が護衛を行う対象を外国籍を含むすべての商船を含めるとしている。自衛官の武器使用基準は、正当防衛と緊急避難を原則とし、加えて警告を無視しての接近する海賊船に対する停船させるための射撃を認める、としている。買う続対策法案は、実施計画の国会報告を義務づけているほか、新たに“海賊罪”を設け、海賊行為を行った者に対しては無期もしくは五年以上の懲役を科す、としている。

Img_1117  今回の、ソマリア沖海賊対策事案について、最大の問題は、インド洋対テロ海上阻止行動給油支援任務のように、出口戦略が確立されていないということで、収束するまでの期間、海上自衛隊は護衛艦を遠くアフリカ沖に恒常的に展開させる必要があることに加えて、この派遣がいつ終了するかが、展望できないということである。

Img_1086  海上自衛隊の護衛艦は1995年防衛大綱改訂以来、一貫して削減される傾向にあり、遠からず護衛艦定数の見直しか、派遣規模の縮小かが議論される時期が来るのでは、ともいえる。他方で、今回の任務では、海賊は駆逐艦や潜水艦を持っている訳ではないので、護衛艦が搭載する対潜兵装や対空ミサイル、対艦ミサイルなどは、使用する機会は無いとおもわれる。防衛大綱に定められた護衛艦定数とは別枠で、ヘリコプターと艦砲などを搭載した比較的軽武装で、長期航海に向いている居住性を備えた外洋哨戒艦、というようなものが将来的に整備されることが検討される、ということもあるかもしれない。なお、海上自衛隊の今回のソマリア沖派遣では、隣国のジプチを活動拠点とするとのこと。

HARUNA

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名鉄7000形パノラマカー 名古屋本線・犬山線にて機能保全運転

2009-03-14 02:23:58 | コラム

◆永遠の名車パノラマカー

 2008年12月27日のダイヤ改正にて、営業運転を終了した名鉄パノラマカー。その姿を三ヶ月半ぶりに撮影することができたので、その様子をお伝えしたい。

Img_4166  名鉄犬山線を快走、いや回送で走る7000形パノラマカー。“もっと身近に ますます便利”をキャッチフレーズに行われた12.27新ダイヤ。2008年12月27日のダイヤ改正では、特急が使いやすく!、ダイヤが分りやすく!、乗換がスムーズに!と、大規模な運用体系の革新が行われたが、同時に、このダイヤ改正とともに、パノラマカーが定期運行から退いた。

Img_4127  栄生駅の留置線に停車するパノラマカー。昨日、仰々しく東海道本線夜行列車120年の歴史に幕、と書いたのだが、考えてみれば、サンライズ瀬戸・サンライズ出雲が、東海道本線を端から端まで踏破して、四国へ山陰へ頑張っている、それよりも貴重なのは、パノラマカーが走っている様子を写した写真だろう。今日は、ソマリア沖へ向けて呉基地から護衛艦が海上警備行動で出動し、海賊対処法案が閣議決定。他方、来月上旬に北朝鮮が長距離ロケットの試験を行うなど、動きがあったのだが、パノラマカーの方が速報性の面で大きいので掲載。

Img_4142  西春駅に停車するパノラマカー。動いているパノラマカーを見るのは、三ヶ月半ぶりというところか。展望車を有しつつも特急料金を必要としない車両として、デビュー。名鉄の看板電車として、1961年から2008年まで定期運行に就き、今年一杯は団体列車として特別運行に就いたのち、廃車となる予定だ。

Img_4145  石仏駅に近づくパノラマカー。定期運用が終了したのちでも、パノラマカーが走っているのは何故かというと、これは機能保全運転と呼ばれるもの。つまり、停車したままにしておくと、錆が生じたり、老朽化部分が痛むことになるので、定期的に動かすことにより、稼働状態を維持させることが目的とした運転だ。

Img_4155  パノラマカーは現在、二編成が犬山線の布袋駅に隣接した留置線に置かれており、布袋駅のホームからも見ることができる。ちなみに、パノラマカーだけでなく布袋駅には見所がある。布袋駅は、木造の非常に古い駅舎が維持されていることでも有名で、パノラマカーと併せて、一見の価値がある駅舎だ。

Img_4163_2  パノラマカー石仏駅を通過。三ヶ月半ぶりのパノラマカーだ。パノラマカーの機能保全運転は、基本的に名古屋本線の栄駅と、犬山線の布袋駅の間で行われており、一ヶ月間に数回行われているとのこと。このパノラマカーの機能保全運転は、回送電車扱いであるので、乗車することはできないが、撮影することはできる。

Img_4165  パノラマカーの象徴の一つであった逆富士山型の方向幕表示板は取り外されている。実はあの逆富士は、鉄道友の会からブルーリボン賞を贈られた際に、ブルーリボン賞受賞を記念する表示のために取り付けられたものを、そのまま方向幕表示板として用いたもの。もともと、パノラマカーはこの姿でデビューしたので、原型に戻った、ともいえる。

Img_4168  パノラマカーは、二両編成化されたものが、一本保存されるとのことだ。最後は築港線の東名古屋港駅にて、解体されることとなる。それでも、留置線に余裕があるのならば、あと10年くらいは、現存する編成を全部、どこかの車両基地に残して、もしくは駅の待合室として維持することができるのではないかな、と考える次第。

Img_4172  パノラマカーの後姿。もう少し、綺麗にしてはどうなのかな、と思うくらいに、逆富士型方向幕のあったあたりを見ると思う。パノラマカーは機能保全運転を終えると、布袋駅で他の編成との位置の入れ替え作業を行うとのこと。最後になりましたが、現地でいろいろお教えいただきました皆さん、ありがとうございました。

HARUNA

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さよならブルートレイン富士はやぶさ号 東海道夜行列車史120年の歴史に幕

2009-03-13 23:11:09 | コラム

◆ブルートレイン富士はやぶさ号撮影

 明日は、3月14日、ダイヤ改正の日である。言いかえれば、本日をもって運行を終了する列車が幾つかあるわけだ。歴史への引き込み線に消えるブルートレイン富士はやぶさ号を撮影したので、その写真を本日は掲載したい。

Img_4076  京都駅に到着する寝台特急富士はやぶさ号。最後の東海道・山陽本線ブルートレイン。この写真は3月11日、12日に撮影したものだ。本日、この時間も走り続けているブルートレイン富士はやぶさ号は特別な日を走っている。東海道本線、山陽本線から、明日のダイヤ改正を以て、ブルートレインが全て廃止されるからだ。本日が十三日の金曜日というのも、偶然ではあるが、一つの歴史が終わる日に相応しいのかもしれない。

Img_4087  日本に夜行列車が誕生したのは1889年、今から120年前である。東海道本線が全線開業したその年から、夕刻1645時に新橋駅を発車し、翌朝0440時に名古屋駅に到着、1145時に大阪駅に到着し、1250時に到着する夜行列車の運行が始まっている。速度が限られた当時、長距離列車は必然的に夜行列車となり、日本の長距離鉄道は夜行列車から始まったといえる。

Img_4099  日本の鉄道技術の発達は目覚ましく、長距離列車の高速化が行われたことにより、夜行でなくとも、東京と名古屋、大阪を結ぶことができるようになったことが、一つの転機となった。特急こだま号、現在は新幹線の名称であるが、1958年に誕生した、今日でいう在来線の特急として、誕生した特急こだま号により、所要時間が七時間半から六時間強に短縮され、日帰りが可能となった。

Img_4151  1964年の東海道新幹線開業により、こだま号、ひかり号が誕生、しかしながら、この時点では、既に夜行列車体系に大きな変革が行われていた。1956年、ブルートレインあさかぜ号の誕生だ。ブルートレインとは、青色の客車を用いた寝台特急を示し、当時の列車体系にあった長距離急行との差別化を図った、今でいうプレミアムトレインとして誕生したものだ。

Img_4502  特急富士が誕生したのは1912年、朝鮮からシベリア鉄道経由で大陸に向かう人々を乗せ、運行された特急車という位置づけであり、日本を代表する列車としての期待とともに誕生したものである。そのため、列車は1等車と2等車のみ、という編成。2等車が、今日のグリーン車にあたり、一等車は、貴賓車、というかたあちであったようだ。

Img_4512  1942年に、関門トンネルが開通したことで、寝台特急は、九州へ行くこととなったのだが戦局悪化と敗戦により、寝台特急や特急の運行が停止。その後紆余曲折を経て、寝台特急富士は、ブルートレインとして1964年に復活することとなった。夜行列車、そしてブルートレインは、日本鉄道史を語る上で欠かせない存在であるのだが、それも今夜発車したブルートレイン富士はやぶさ号の到着を以てひと段落することとなる。

Img_4542  ブルートレインが落日、そして東海道山陽道において終焉を迎えるのは、新幹線の存在、そしてサービスの陳腐化にある。かつて、富士号が運行を開始した時には、日本を代表する列車ということで、最高度のサービスを備えてデビューした。今日では、長い時間を寝台車で過ごすという旅情を残せば、夜行列車という存在そのものが、新幹線の未整備区間以外では、その需要に見合ったサービスを供することができなくなり今日に至る。

Img_4549  富士はやぶさ号。夢空間編成のような(もしくはそのものの譲渡)を以て、例えば臨時運行のような形で運行した方が、結果的に機関士の養成やサービスを提供することができる程度の事業評価が行える程度に乗車率を高めることができただろうし、“廃止”というテーマ以外で、注目されることもあっただろう。少なくとも、日本を代表する列車とは何か、と問われれば、それは富士号である、と答えられるのは今日の編成では難しい。

Img_4563  さてさて、11日、12日に連続で撮影したのだけれども、京都駅は、この時間帯、琵琶湖線に最終の野洲行きが残るのみで京都線、嵯峨野山陰線、湖西線、奈良線の運行は終了、地下鉄も終電が発車した後であるため、カメラを手に、ブルートレインを迎える人は30~40名と少なめである(12日は50名以上いたかも)。しかし、時間帯を考えれば、多い方といえるだろう。

Img_4573  京都駅を出発する富士はやぶさ号。ブルートレインであるから、機関車が最初に牽引し、静かに京都駅を出発してゆく、繰り返されるように見える光景も見納めとなる訳だ。本日は、冷たい雨が降り注いでいる。この十三日の金曜日は、十年後、二十年後に振り返られるような特別な日となることは間違いない。東海道・山陽道の夜行列車が運行を終了した日として。

HARUNA

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山陽新幹線大幅割引 こだま指定席往復きっぷ JR西日本が発売

2009-03-12 22:52:32 | コラム

◆高速道路vs新幹線 名勝負再び

 山陽新幹線は、3月28日から開始される土曜日曜祝日の高速道路1000円乗り放題に対抗して、山陽新幹線こだま号を大幅割引することとした。かつての新幹線と高速道路という交通機関の勝負は、東海道から山陽道に改め、白熱しそうだ。

Img_5875  こだま指定席往復切符は最大四割引。発売期間は2009年3月10日から6月28日まで、利用期間は3月14日から6月30日まで。制約は幾つかあり、二名以上が同一行動で旅行する場合にのみ利用できるとのこと。片道のみの利用、連続する二日間のみ利用。こどものみの利用は出来ないということだが、最大四割という割引率は凄い。

Img_1692  新大阪から岡山駅までが往復6880円と、4840円安くなっている。新大阪から広島までの往復は11920円で7980円安くなっており、岡山駅から新山口までが10880円、これも6520円安い。博多から広島まで10880円、6520円安い。安くなった分で、宿泊代が捻出できる。これで岩国は完璧

Img_0128  三時間程度、というと山陽新幹線の新大阪駅からの場合、往復で、広島まで11920円、東広島まで1150円、三原まで10240円、新尾道まで9620円、福山まで8780円、新倉敷までが8140円、そして岡山までが6880円、相生まで6880円、姫路まで6880円。こども料金は3000円均一となっている。なお、乗り遅れた場合、乗車券のみ有効、特急券は別途買いなおし、ということになる模様。ぷらっとこだま、のようにすべて無効にならないだけ、良心的だ。

Img_1690  山陽新幹線の新幹線こだま号は、100系新幹線と500系新幹線(短縮編成)で運行されている。どちらもシャープなスタイルで、人気が高い車両だ。また、忘れてならないのは、こだま号の指定席には、東海道新幹線のグリーン車と同じ2×2のシートが採用されており、乗り心地は非常に良い。一人での利用が出来ない、という制約は、明らかに自動車の、特に高速道路との競合を想定しているということが判る。

Img_58741  山陽新幹線の新幹線こだま号。つまり、JR東海が運行する山陽新幹線乗り入れの新幹線こだま号では利用できない。他方で、大幅な割引に山陽新幹線が挑戦したことで、今後、東海道新幹線も、ぷらっとこだま、のようなサービスが生まれるのではないかと期待が高まる。他方で、山陽新幹線こだま号は、運行数に限りがあり、入手が困難な切符となるかもしれない。

HARUNA

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