北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

F-2支援戦闘機にAAM-4空対空ミサイルを搭載! 岐阜基地飛行開発実験団

2010-03-03 23:25:35 | 先端軍事テクノロジー

◆空自FX隠れた本命?進化するF-2の能力

 航空自衛隊次期戦闘機選定、本命のF-22輸出型は音沙汰なし、F-35は攻撃機だし選定に間に合わず、タイフーンは欧州機という運用上の不具合の危惧、F/A-18EやF-15FXは基本設計が古い。

Img_6023  そんななかで、次期戦闘機選定がなんとするべきか決まりかねてるうちに、戦闘機をライセンス生産し続けてきた防衛航空産業が、F-2支援戦闘機の生産終了とともに維持が難しくなりつつあるという事で、戦闘機の運用基盤ごと失われつつあります。日本で部品を含め生産しているからこそ、行える修理と整備、その基盤が失われれば稼働率が下がりますから、より多くの戦闘機が必要となり、予算も多く必要になります。そんな中で、一つの打開策としては、F-2の生産継続という選択肢があり得るのではないかな、と思う今日この頃です。

Img_6035  F-2支援戦闘機は、空対艦ミサイル四発を搭載する対艦攻撃に重点を置いた航空機として日米共同開発されていて、アクティヴフューズドアレイレーダーを搭載、長く研究を続けてきた複合素材の採用による機体の軽量化や、フライバイワイア方式の機体制御などが惜しみなく投入されている機体で、総合性能は非常に高いのですが、一つ欠点がありました。空対空ミサイルでは、中距離ミサイルとしてAIM-7スパローを運用していたのですが、このミサイルはレーダーにより誘導する方式なのですけれども、ミサイル本体を発射した戦闘機がレーダーで誘導してやる必要があるものでした。

Img_6034 航空戦で用いられるミサイルはレーダーで目標を追尾する中射程のレーダーホーミングミサイル、目標のエンジンなどが発する赤外線を追尾する短射程のミサイルに分けられるのですが、現代の航空戦は、秒単位の変動する状況との戦いですから、ミサイルを発射したのち、ミサイルが目標に命中するまで誘導しなくてはならない方式のミサイルと、ミサイルが発射されたらば目標までレーダーで自分で命中することが出来るミサイルとがあれば、後者の方が、戦闘機が航空戦で生き残るには好都合です。この点で、命中までレーダーで誘導しなくてはならないF-2の問題は、大きな欠陥といわれていたわけです。

Img_6037  航空自衛隊は、レーダーホーミングミサイルで、発射後誘導が不要なミサイルとして99式空対空誘導弾AAM-4とこの種のミサイルとしては世界的に有名なアメリカ製のAIM-120AMRAAM空対空ミサイルをF-15戦闘機に搭載し、運用しているのですが、昨年からF-2支援戦闘機へも、このAAM-4空対空ミサイルの搭載試験を行っています。写真は、岐阜基地の飛行開発実験団に所属するF-2初号機に搭載されたAAM-4空対空ミサイルと、そして外側に搭載されている燈色のものが精密誘導爆弾であるGPS誘導爆弾JDAM。これは試験飛行を終えて岐阜基地に着陸するときに撮影した写真です。

Img_6041  AAM-4は、発射後にレーダー誘導が不要である撃ち放し方式の空対空ミサイルですが、精密誘導を行う場合はレーダーによる指令誘導が可能な方式を採用していて、射程は100km程度ある、とされています。ミサイル本体は、アメリカ製のAIM-120AMRAAMよりも大型となっていますが、これはAIM-120AMRAAMが航空機を攻撃することに重点を置いているのに対して、日本の防空の場合では巡航ミサイルなどへの迎撃も必要であるだろう、と考えられ、威力を高める必要からミサイルに搭載する炸薬を多く搭載しているため、ミサイルが大型化しています。

Img_6042  発射後の誘導が不要な撃ち放し方式のミサイルですから、一機の戦闘機が同時に多数の目標に対処することが出来るという特性がありまして、このミサイルをF-2が運用能力を獲得することは、その能力を大きく高めることになるでしょう。更にAAM-4には、空気取り入れ口を設けてダクテッドロケットエンジンを搭載し、極超音速で射程を延伸する改良型の開発が行われています。また、ミサイルの誘導シーカー部分にも改良を施し、次世代の航空戦に対応できるレーダー誘導ミサイルとして開発が進められていますから、この将来発展性が大きいAAM-4をF-2に搭載するという意義は重要です。

Img_6115  F-4戦闘機の後継機というものは、なかなか決まりそうになく、そうした中で、老朽化だけが進んでゆく、という状況にあるのですけれども、F-2支援戦闘機の生産継続を行うのならば、近代化改修の為に必要な技術情報は、F-2に関しては日本側が持っているのですから、F-2の生産を継続してゆくのならば、将来の近代化を行う場合には、日本が独自に行う事が出来る自由度が広くなります。ステルス性はステルス機に比べれば低く、超音速巡航も出来ないF-2ではありますが、日本が独自に改修できる、という自由度では、他の候補機を圧倒しているのですよね。

Img_6166  日本の領空は非常に広いのですが、その広い空を隣国と比べて少ない作戦機で防空を行う事が出来るのは、機体の性能もさることながら、防衛産業各社が少ない機体が全て自前で整備して修理し、点検し飛行させることが出来るように運用基盤を創っていることが挙げられます。そして、こうした基盤を持たない国では旧式化してしまうような機体でも、日本であればバージョンアップして使えるように能力を向上させることができるわけです。この基盤を維持するためにも、本命となるようなステルス機などが誕生し、日本で生産することが出来るときまで、F-2の生産を継続して、更に一機一機の能力を高めてゆくことも重要なのではないかな、とAAM-4&JDAMを搭載したF-2を見上げて、ふと思いました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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チリ中部近海地震に伴う津波災害への防衛省自衛隊対処状況

2010-03-02 23:49:37 | 防衛・安全保障

◆陸海空自衛隊から730名、航空機72機が出動

 日本時間2月27日1534時に発生しましたチリ中部沿岸でのマグニチュード8.8の地震は、津波を引き起こし、半世紀ぶりに太平洋を越えて日本列島に到達しました。

Img_0849  1960年のチリ地震に伴うチリ津波、半世紀前の災害では、日本本土に到達した津波により三陸海岸を中心として132名が死亡、市街地も大きな打撃を受け、自衛隊は災害派遣を実施しています。その期間は一ヶ月以上に及び、半世紀前のチリ津波が及ぼした被害の大きさがうかがい知れます。

Img_7818  今回のチリ津波でも、千島列島の幌筵島では2㍍の高さを記録していて、日本にも1㍍以上の津波が押し寄せました。当初は3㍍に達するという予測もあり、気象庁による大津波警報発令以前の段階という、早い時期から防衛省では準備を開始させ、津波到達以前に部隊を展開させていたと報道発表されています。

Img_9319_2  災害派遣の予防というかたちでの派遣の事例としては、過去にも既に雲仙普賢岳災害派遣を始めとして火山噴火災害などでは事例があるのですが、津波災害に対して、災害発生前に被害の局限化を図る派遣というのは、今回が初めてなのではないでしょうか。一方で、今回の対応は非常に迅速で、自衛隊の即応力の高さを示してくれました。以下、斜線部は防衛省HPのhttp://www.mod.go.jp/j/news/2010/03/01e.htmlからの引用にて紹介します。

Img_0195_1 (1)活動部隊・・・陸 自:北部方面隊・・・ 第7飛行隊(丘珠)、第11飛行隊(丘珠)、東北方面隊・・・ 東北方面総監部(仙台)、東北方面航空隊(霞目)、第6師団司令部(神町)、第22普通科連隊(多賀城)、第44普通科連隊(福島)、第6偵察隊(大和)、第6特科連隊(郡山)、第6戦車大隊(大和)、第6飛行隊(神町

Img_0293_1  第9師団司令部(青森)、第9偵察隊(弘前)、第9特科連隊(岩手)、第9戦車大隊(岩手)、第2対戦ヘリコプター隊(八戸)、第2施設団(船岡)、第4地対艦ミサイル連隊(八戸)、東部方面隊・・・東部方面航空隊(立川)、第1師団司令部(練馬)、第31普通科連隊(武山)、第34普通科連隊(板妻)、第1戦車大隊(駒門)、第4対戦ヘリコプター隊(木更津)、西部方面隊・・・ 第101飛行隊(那覇)、中央即応集団・・・第1空挺団(習志野) 、その他・・・ 施設学校(勝田)、岩手地方協力本部(盛岡)、宮城地方協力本部(仙台)

Img_6654海 自:固定翼部隊・・・ 第1航空群(鹿屋)、第2航空群(八戸)、第4航空群(厚木)、第5航空群(那覇)、第31航空群(岩国)、徳島教育航空群(徳島) 、回転翼部隊・・・ 第21航空群(館山)、第22航空群(大村) (このほか、発表には含まれていませんが艦艇部隊も対処任務にあたっていたと考えられます)

Img_9434 ○空 自:航空総隊・・・ 第3航空団(三沢)、第7航空団(百里)、偵察航空隊(百里)、警戒航空隊(浜松) 、航空支援集団・・・ 松島救難隊(松島)、百里救難隊(百里)

(2)派遣規模・・・人員延べ約730名、車両延べ約230両、航空機72機

Img_6643  防衛省HPによる報道発表では、以上の部隊が待機態勢、もしくは出動したとのことです。戦闘機部隊や野戦特科部隊、戦車部隊も含まれていますが、これは戦車や火砲で津波を撃退するのではなく、各部隊から人員を抽出して災害派遣部隊を編成した、ということと、情報収集の為に航空機を展開させた、ということです。

Img_6986  今回の待機態勢は、津波が日本本土に到達するまでの期間、通常の日本近海で想定されています海溝型地震に伴う津波よりも、到達までに時間があるために行われた措置なのですが、一方で、将来の東海地震における警戒情報発表においても、同様の待機態勢が採られるのだろう、と考えることが出来ます。

Img_1685 (3)主な対応状況
【28日】   
08時30分 防衛省災害対策室設置
10時00分  防衛大臣指示
・地方自治体との連携を強化すること
・部隊の情報収集などに万全を期すこと 
10時00分以降 青森県庁、岩手県庁、宮城県庁等の9都県庁、気仙沼市、石巻市、鴨川市等37市町役場等に連絡員を派遣。

Img_7908 10時20分以降 第9偵察隊(弘前)が地上からの情報収集活動のため駐屯地を出発。以降、人員約100名、車両約40両により東北及び関東地方各地において地上からの情報収集活動を実施。 
10時57分以降 第2航空群(八戸)P-3C×1機が離陸。以降、航空機72機(陸自32機、海自21機、空自19機)により情報収集活動を実施。 

Img_7915 13時15分以降 第22普通科連隊(多賀城)の人員約80名、車両約20両が駐屯地を出発。以降、東北地方各地において人員約470名、車両約120両が被害発生に備え事前展開。
19時10分 官邸対策室から官邸連絡室への改組を受け、防衛省災害対策連絡室に改組。
19時26分 航空機による情報収集活動を終了。 
23時45分 地上部隊の事前展開を終了。

Img_6683 【1日】   
00時04分 地上からの情報収集活動を終了。
11時00分 官邸情報連絡室の閉鎖を受け、防衛省災害対策連絡室を閉鎖。 
11時23分 県庁等へ派遣していた連絡員の活動終了
。(防衛省発表)

Img_0085  今回の災害派遣は、今後日本を襲うだろう東海地震や、その他の地震、その他の地震は地震予知連絡会の対象として警戒はされていないのですが、今後加えられた場合も考えれば、大きな経験として蓄積されてゆくことでしょう。そういう意味では、意義は大きかったということができます。

Img_9562_1  更にもう一つ付け加えるならば、これは二次的なものなのですけれども、完全に突発的な災害に対して、自衛隊が迅速に出動する能力と指揮系統がしっかりとしている、ということが周辺国に対して明示することが出来た、という一点を一つ挙げたいと思います。つまり、有事即応の能力を示した、ということです。

Img_9781  もちろん、これらのことは他の災害派遣に対しても当てはめることが出来るのですが、再規模災害への対処能力は一種の危機管理ですから、この対処能力が十分、という事は一種の抑止力となりますし、日本の非常事態への対処能力という明示は、日本との国際関係や投資関係などを展開するうえでも、好影響がある、といえるのではないでしょうか。

HARUNA

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自衛隊の自隊防災は万全か?チリ地震に伴う日本本土津波災害で感じた一視点

2010-03-01 23:08:49 | 防衛・安全保障

◆救助を行うべき自衛隊が被災者となることは避けねばならない

 チリ地震に伴う津波災害ですが、各地に爪痕を残したものの、人的被害は日本国内で皆無だったという事は幸いでした。しかし、過去幾度も津波被害に見舞われた日本は、この教訓を明日の糧として防災の準備と気構えを新たにすることが必要でしょうね。

Img_3557  この航空基地は、南海地震では滑走路や格納庫上も1メートルの津波に襲われます、その場合即座に滑走路を復旧させ、救援活動を開始します。小松島航空基地ちびっこヤング大会で一般に公開された管制塔併設の展望スペースで説明員を務めていた隊員さんから教えてもらった話です。南海地震の被害を楽観視せず、冷静に分析し、準備を進めている、ということには率直に感心するとともに、旧海軍時代から伝統ある航空基地も海に隣接している以上は津波被害からは例外ではないのか、ということを感じました。

Img_4287  小松島航空基地は、徳島航空基地、第14旅団司令部の置かれる善通寺駐屯地とともに四国有数の自衛隊の拠点です。小松島航空基地は、徳島県とともに将来、四国と紀伊半島を襲うであろう南海地震への備えを重要視していて、南海地震にたいする心構えや備えなどについての説明をしてくれました。小松島航空基地は旧海軍の水上機基地、航空基地にはスロープが残り、紀伊水道に臨む風光明媚な基地。太平洋から大阪への玄関、紀伊水道へ接近を試みる潜水艦に対して、無言の圧力を加える役割を戦前戦中から今日と将来に至るまで担う航空基地です。

Img_3308  それでは、地震がきたら、航空機は全機空中待避ですね!、と聞いてみますと、津波は地震発生から数分で襲来するということなので、地震の前兆現象などで待機できるような状況でなければ空中待避は難しいでしょう、という答えでした。もっとも、格納庫に収めている限り、航空機の被害は局限でくるとのことで、一安心しました。しかし、津波が防波堤を乗り越えてやってくるのか、気になり、別の場所で南海地震について聞いてみますと、1946年の南海地震では、実際にこの航空基地も津波の被害に遭っているということでした。

Img_3401  昭和南海地震は、自衛隊創設前の話で、徳島県に駐留していたのはイギリス軍、高台に駐屯していて津波被害は無かったとのことですが、地震も津波も初めての経験で、驚愕した、と記録されています。小松島航空基地には防波堤があるのですが、高さが充分ではないということになりますね。
 自衛隊創設当時、海上自衛隊が、ここ小松島航空基地に展開したときには、戦時中の空襲と戦後の南海地震によって基地には、現在も司令部として使われる旧海軍時代からの司令部と、小松島の名前の由来、美しい松並木が残っていただけでした、と教えていただきました。

Img_3434  小松島航空基地の哨戒ヘリコプターは呉基地の第4護衛隊群をはじめとした護衛艦の艦載機で、災害時には山岳崩壊や橋梁崩落、道路破損、瓦礫散乱という陸上交通が途絶したような状況において護衛艦を拠点に任務へ当たるのですから災害時に津波の被害を受けて、艦載機が被災する、というようなことは避けなければならないわけです。対処法というと、これは単純なのですが、基地周辺の防波堤の強化と滑走路や格納庫のかさ上げ、地上設備の密閉強化、ということでしょうか。幾つか海上自衛隊の航空基地、陸上自衛隊の航空部隊駐屯地では、同様に航空自衛隊の基地でも九州に思い当たる基地がありますし、災害に対して強い自衛隊、というものは、施設整備の面で考えられてもいいのではないでしょうか、災害の救助拠点が津波で洗われる、ということはあってはならないことですから予算面で配慮があってもいいのではないでしょうか。

Img_1330  今度は、中日新聞で報じられた話です。陸上自衛隊守山駐屯地、ここには東海北陸地方の防衛警備及び災害派遣を担当する第10師団司令部が置かれています。2007年に報じられた内容では、この第10師団司令部が、耐震強度上問題があり、震度五強で倒壊のおそれがある、という報道でした。師団司令部の屋上に第10飛行隊へ配備されたUH1多用途ヘリコプターが着陸した際に建物に不具合があった、という話も聞いているのですが、耐震上で無視できない問題があったということで建て替えとなり、昨年、ようやく師団司令部が入る新庁舎が完成していました。

Img_1550  そういえば、2000年のトルコ地震、海上自衛隊が、おおすみ型輸送艦を中心に緊急物資輸送への派遣を行ったあの大地震ですが、トルコ海軍の艦隊司令部が置かれた基地で庁舎が倒壊して、指揮官クラスの将校を含め、将兵に大きな被害があった、という事例がありましたし、先日のハイチ地震では、PKO部隊の司令部庁舎や宿舎が倒壊し、指揮官を含め多くの犠牲者を出したことを思い出します。自衛隊の建物では、耐震強度に配慮された建物が多いのですけれども、倉庫をはじめ、耐震強度が確実に確保されているのかと問われれば、補強工事が行われていない戦前の建物も多く、明治時代の建物も残されています。

Img_2033  第10師団の司令部庁舎建て替えに際して、当時の師団長は、副師団長だったかもしれませんが新聞記者へ、東海地震に際して第一に救助へ当たらなくてはならない自衛隊が、被災者となって救助を待つようなことがあってはならない、と発言しています。全くその通りです、この点、更に全国の自衛隊駐屯地の耐震性に関して、一歩進んだ検証が必要でしょう。

Img_4314  しかし、ここで興味深い話があります。陸上自衛隊の豊川駐屯地、第10特科連隊をはじめ多くの部隊が駐屯する中部方面隊でも屈指の規模の駐屯地なのですが、ここは旧海軍の工廠があり、空襲により勤労学生を含め多くの犠牲者がでました。その当時の建物、かなり大きな建物が残っているのですが、こちらが耐震強度診断不能、と判定されたのです。それでは脆いのか、と思うのですが聞いてみますと、判定不能ですが、調べてみると鉄筋コンクリートでかなりの強度を持っていて、解体するには相当の費用を要するほど、というお話でした。強度的には未知数で、建て替えは望まれるのですが、しかし、脆弱、ということではないようです。同じような話は京都の東寺でも聞いたのですが、こちらは余談です。

Img_8900  航空基地の滑走路に関して、液状化現象による弊害、ということも、もう少し考えるべきかもしれません。朝雲新聞を読んでいますと、時として滑走路復旧訓練を行っている記事を目にします。なかなか実戦的な訓練で、模擬滑走路に500ポンド爆弾に相当する爆薬を複数設置して、航空攻撃が滑走路に対して行われたという想定を構築します。そして爆発により破孔が生じた状況から、滑走路を復旧するまでの状況を訓練するものです。

Img_8522  こうした訓練で、弾道ミサイルや航空攻撃を受けた場合でも滑走路の復旧が行えるだけの体制を持っているということはいえるでしょう。そして滑走路、航空基地は災害時に陸上交通が途絶した場合の救援拠点になるのですが、滑走路に亀裂が生じた場合でも迅速に復旧させることがでくるでしょう。

Img_8241  ただ、液状化現象にたいしてはどうでしょうか。1964年の新潟地震で、その問題が認識された地震に伴う液状化現象による被害ですが、広範に地面の形状が変化して大きな被害を与えます。1995年の阪神大震災では、海上自衛隊阪神基地が液状化現象の被害を受けています。これにより岸壁の低下や燃料タンクの傾斜など被害を受けましたが、艦艇基地ということで、その機能を喪失するような被害とはならなかったわけですが、これが航空基地の滑走路にたいして起こった場合は大丈夫なのでしょうか。

Img_71771  耐震、耐災性という観点から、踏み込んだ研究というものが更になされるべきなのでは、と思います次第で、災害時という有事に頼られる自衛隊だからこそ、自隊防災への設備や態勢も高めてゆくべきといえるでしょう。実は、今回のチリ地震に伴う津波警報、大津波警報で基地が被害を受けないか、ということを感じましたので、こうした記事を本日は掲載してみました。東海・東南海・南海地震を考える上でもう一つの視点として、見ていただければ幸いです。

HARUNA

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