北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ハイチPKO自衛隊派遣 国連PKO施設に対する耐震診断を実施

2010-03-13 17:22:22 | 国際・政治

◆耐震診断、という支援

 防衛省HPによれば、陸上自衛隊による国連ハイチ安定化任務への参加任務の一環として、耐震診断の実施が行われているそうです。

Apkoimg_0578  ハイチへの支援が遅れたことは過去にも掲載しましたが、過去の阪神大震災では、兵庫県知事が災害派遣命令を出すべき立場にあるにもかかわらず公用車の迎えを自宅でずっと待っていて、当時の首相、現在は連立内閣の一員ですが、こちらも状況の重大性への認識が希薄で初動が遅れ、大きな被害が出た事はまだ記憶に残っているのですが、もうひとつ、中部方面隊に責任を押し付ける形となったことも思い出しました。

Apkoimg_9912  ハイチ地震でも現在の政府は対応が遅く、野党に指摘され重大性を認識した、という状況でした。本来ならば人員や部隊が外征型ではない自衛隊は、緊急人道支援任務として初動を自衛隊が担当し、国連PKOによるハイチ安定化任務に引き継ぐというのが理想的な派遣形態なのですが、初動で遅れたことでPKOとして参加することとなりました。

Apkoimg_6732  国際連合ハイチ安定化ミッション(MINUSTAH)に派遣したハイチ国際救援隊において、同救援隊の文民要員(技官)3名が中心となり、本日、MINUSTAHからの要請により、MINUSTAH関連施設の耐震診断を開始しました。引き続き、現地の建物の構造的な特徴を考慮しつつ、MINUSTAHから示された建物について耐震診断を行います。http://www.mod.go.jp/j/news/2010/03/12c.html

Apkoimg_6786_2  多くの国で建築物強度としてあるのですけれども、耐震性、となると通常の建築物強度とは少し違ってくるものがあります。また、日本国内でかなりの件数の耐震診断を実施しているという実績と、この診断が過去に日本を襲った地震を教訓として検証されたもので、加えて模擬地震実験などを通じて得られた数値、ということに意味があるとえいるでしょう。

Apkoimg_1546_2  今回はPKO任務にあたる国連施設に対する耐震診断を実施した、という事なのですが、今後は更に拡大して実施されるともとれる発表です。文民でも対応できる任務ということもあり、今後は他のハイチ政府公共施設などの耐震診断等を行い、防災から減災、という近年の日本で重視されている災害文化、というものを広げることが出来れば、と思ったりします次第。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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平成二十一年度三月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報2

2010-03-12 23:51:18 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 先週行われた春日井駐屯地祭は、訓練展示が模擬戦ではなく災害派遣展示であったのですが、一方で荒天が予想されていたものの小雨に収まっていました。

Gyoujiimg_2604  まもなく新年度ということですけれども、昨年は新型インフルエンザへの警戒から自衛隊関連行事が大幅に縮小された事を思い出します。今年は22年度防衛予算から油購入費がかなり削られていますので、訓練や行事はどうなるのでしょうかね、少し気になりますが、新しい年度と言うのは心躍るもの、しかし三月一杯は本年度です。他方、駐屯地祭、基地祭、航空祭などは行われないとのこと。

Gyoujiimg_1420  第50普通科連隊の善通寺駐屯地から新高知駐屯地への移駐式典が再来週に行われるとのことで、移設とはいえ久々に新しい駐屯地の創設記念行事、移駐行事では部隊のパレードなどが予定されているとのこと。日程は地方議員さんからバイアスの掛かった内容とともに紹介されているのですが、高知地方協力本部HPには三月下旬とあります。こちらは紹介され次第掲載したいと思います。

Gyoujiimg_2466  3月17日水曜日、1200~1400時に三井造船玉野事業所において、新しい海洋観測艦しょうなん、の引き渡し式と自衛艦旗授与式が執り行われます。海上自衛隊からは海上幕僚長赤星慶治海将が出席、呉地方総監武田壽一海将が執行者として式典を執り行います。進水式とともに自衛艦旗を授与されて出航してゆく姿は、対岸から見送るだけでもグッとくるものがあったりします。

Gyoujiimg_3567  浜松広報館の広報行事が明日13日土曜日と明後日14日日曜日に行われます。整備を学ぶ航空自衛隊第一術科学校が運用する各種戦闘機、支援戦闘機を広報館展示格納庫北側エプロン地区において展示する予定となっていて、0930~1530にF-15,F-2が展示される予定とのことです。

Gyoujiimg_4867_1  F-15JやF-2は国内では博物館には並んでおらず航空祭で無ければ見る事の出来ない機体、飛行展示はありませんが、戦闘機を見てみたい!、という方は足を運んでみるのもいいのではないでしょうか。常設展示もいろいろな航空機が展示されていて、素朴な興味に応えてくれる施設として楽しめます。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

  1. 3月13・14日:浜松広報館戦闘機・支援戦闘機特別展示・・・http://<wbr></wbr>www.mod<wbr></wbr>.go.jp/<wbr></wbr>asdf/ai<wbr></wbr>rpark/i<wbr></wbr>bento_j<wbr></wbr>youhou/<wbr></wbr>ibento_<wbr></wbr>jyouhou<wbr></wbr>_08nend<wbr></wbr>o_kette<wbr></wbr>ibun.ht<wbr></wbr>ml
  2. 3月17日:海洋観測艦しょうなん引渡式・自衛艦旗授与式・・・http://www.mod.go.jp/msdf/formal/info/news/201003/030901.pdf

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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夜行急行能登・寝台特急北陸、明日最終列車運行で廃止 2010.03JRダイヤ改正

2010-03-11 23:50:17 | コラム

◆金沢~上野間夜行列車全廃へ

 第一空挺団初降下を見学した際に、ちょうど上野駅に行ったので、ブルートレイン北陸と夜行急行能登を撮影してきました。明日最終列車運行でダイヤ改正とともに廃止されるこの列車の写真を本日は掲載します。

Img_5679  能登、北陸を撮ったのは1月10日ということなので、ざっと二か月前、しかしそれでもかなりの列車ファンがカメラを並べていたのには驚きましたね。上野駅は柱が多いので、前の人が邪魔にならないように並ぶ事が出来るのですけれども、今頃はどうなっているのでしょうか、昨今、報じられるように度を過ぎた方もいらっしゃるようで心配ではあります。

Img_5626  まず最初に。アメリカではトヨタ自動車の大規模リコールで評価額が下がったという事でトヨタ車オーナー1000万が賠償300億㌦を求めて集団訴訟を行ったのだとか。それならば日本でも米国某M社のOSで蒙ったデータ消失などの損害を集めて訴訟を起こせば、とおもったり。約款云々以前に頻度が看過できないものですし、毎回毎回論文や資料、作業データが飛んで損害を受けていますからね。

Img_5651  もうひとつ、シーシェパードの自分で衝突させて大破した船を弁償してもらおうと調査捕鯨船団の一隻に潜入して拘束された船長さんが海上保安庁から逮捕状を受けたのだとか、シーシェパードは捕鯨妨害に次いで、今度は日本のマグロ漁を例によって日本から遠く離れた海域で妨害しようとしているとのことですから、何とかしてほしいものです。こうなったらば、日本もマリンウルフやオーシャンタイガース、アトランティックベア、南極海ホークス、太平洋ホエールズというような対妨害部隊を編成しては、と思ったりもします次第。閑話休題。

Img_5631  東京上野と北陸金沢511.2kmを結ぶ夜行急行能登、京都在住の身としてはあまり縁のない急行列車なのですけれども、この急行に使われているボンネット型489系は、昔は雷鳥を中心に国鉄特急の花形として使われていた電車で、記憶の片隅か最近ならば臨時列車としてみることができる電車です。このボンネット、ふるさと雷鳥など臨時列車で使われることもあるのですけれども、雷鳥、この雷鳥もまもなくのダイヤ改正で一往復を残してサンダーバードに置き換えられるということもあって、通常の485系さえもまもなくなくなってしまう、という意味で、ちょっと郷愁を感じてしまいますね。

Img_5659  もともと、このボンネット特急は、東海道新幹線開業以前の東海道本線特急こだま号に使われていた車両から、このデザインが始まったのですけれども、定期運行は、この急行能登、そしてホームライナーくらいなのではないですかね。急行能登は、上野発の列車で2333時上野発車、0001に大宮、0109に高崎をでて0416に直江津、富山に0541、終点金沢に0629時に到達するダイヤで運行されています。

Img_56781  金沢始発で上野駅16番ホームに到着する姿は、上野駅の巨大な柱の数々のなかをゆっくりと進んでくる姿もあって、力強い印象を与えるのですけれども、乗車率は一部の季節をのぞいたらば高くないのですとね。満員になるのは年末と大型連休くらい、これが廃止の一因です。車両の老朽化もあるのでしょうけれどもね。

Img_5660  それにしても、能登、見かけることはあるのですけれども、見かける回数では舞鶴の輸送艦のと、の方が回数も多いですし、東京と金沢を結ぶ急行ということで、京都から金沢に行く機会でも、京都から東京に行くときでも掠らない路線を走っているので、乗る機会はなかったのは残念です。東京に早朝に到着すると、そのまま上野駅で到着する時間帯と重なる、ということで、ああ、まボンネットが頑張ってるんだ、と思ってみていました。

Img_5665  489系はもともと特急車です。北陸本線で敦賀と金沢を往復している急行車よりは内装は豪華で、なんと大きなソファーが嬉しいサロンカーまであるのですけれども、基本的にリクライニングシートを備えた座席車の特急車両を急行に使っているわけで、大阪と新潟を結ぶ583系急行きたぐに、のような寝台車は連結していたいわけです。まあ、583系のようなボックスシートよりも混雑しているときはリクライニングシートの方がいいのでしょうけれどもね。

Img_5681  夜行急行というと、急行料金の上限は1260円、高い寝台券を購入しなくても利用できますから、そういう意味でやすい移動には理想的な電車だったんですけれども、昨今の格安高速バスと比べれば運賃は高いですし、なによりも夜行列車が激減している中で、人々の移動手段の選択肢に夜行列車、という存在が忘れ去られているような気がしますね。急行料金込みで自由席9240円、指定席9750円、グリーン車は14390円。空いているときには自由席を向かい合わせにして簡易寝台のように使っている人もいたのだとか。なるほど。しかし、こういう話を聞くと、今回のダイヤ改正では生き残ることになりました急行きたぐに、こっちの方に乗っておこうかな?。

Img_5690  寝台特急北陸、こちらはブルートレイン。今回の廃止で、生き残るブルートレインは、日本海、あけぼの、北斗星。日本海は来年あたり、もう駄目かもわからんね、というのは東山陸橋や京都駅二番ホームでよく聞こえる話。去年のダイヤ改正で富士、はやぶさ号が廃止、ブルートレインはどんどん減ってゆく。

Img_5696  そんな中でこの北陸は、個室の比率が高いということで、利用率は凄く高いと言うこと。指導教授の先生が数え切れないほど利用されているという話なので間違いないです。開放B寝台と同じ値段で個室が使えるのならば、それはもちろん個室を利用したい人も多いでしょうね。

Img_5785  ちなみに、この北陸は、ブルートレインでは最短の距離を走るものとして有名で、営業距離は517.4km。割引券も発行されていて、北陸新幹線金沢開業までは残るんでは?、といわれていただけに、廃止が発表されたときには北陸新幹線までもたなかったか、それにしても残念だなあ、と思いました次第。

Img_5772  B寝台個室がかなり数があるので、理想的な列車なんだけれども、ね。防犯上の事も踏まえて、やっぱり寝台は個室の方がいいのではないでしょうか、もっとも開放型寝台の方が仕切りはカーテンだけなのですけれども、広々としていていい、という声も聞こえてくるのですけれども。

Img_5719  北陸は、上野を2303に出発して高崎は0032、糸魚川を0434、富山に0533到着、終点金沢には0624に到着するので、東京でめいっぱい仕事しても翌朝の金沢に到着、ゆっくり休める、というもの。機関車が牽引する客車方式、ブルートレインなので電車のように音もそこまで大きくないでしょうし。

Img_5745  A寝台個室シングルデラックス利用で運賃特急料金寝台券を合計して24160円、B寝台一人用個室ソロを利用で17110円。残念なことに食堂車は連結していませんが、もっともこの運行時間帯ならば食堂車ということはちょっと意味が少ないでしょうか、しかし個室が全くない寝台特急日本海を京都駅で見送る身としては、個室が多い列車で到着時間の早い運行というのはうらやましいですね。日本海の場合は、三沢基地行くにも、青森駐屯地行くにも、八戸航空基地に行くのにもちょっと不便ですからね。

Img_5754  金沢と上野は、夜行急行能登と寝台特急北陸と、夜行列車二本で結ばれていたのですけれども、今回のダイヤ改正で一気に全て廃止になってしまう、ということになります。北陸新幹線が開業すれば、移動の所要時間は短縮されるのでしょうけれども、どうしても終電は夜行列車よりも早くなります。この部分は夜行バスが置き換えるのでしょうね。

Img_57141  さて、夜行列車はどんどん減っているのですが、一方でデジタルカメラの普及でカメラマンが増加して、インターネットの普及で情報も簡単に入手できるようになったので、鉄道を被写体として選ばれる方も多くなっているのですが、ほかの乗客の方の視線、そして後ろのカメラの写界を配慮考慮して、カメラを構えるくらいの余裕は欲しいですよね。

HARUNA

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阪急電鉄開業100周年 マルーンが大阪・神戸・京都を結んで一世紀

2010-03-10 23:40:51 | 北大路機関特別企画

◆2010年3月10日:阪急電鉄創業100年

 本日、阪急電鉄は創業から100周年を迎えました。Weblog北大路機関発祥の地が十三駅、ということもあり、百周年の本日は、Weblog北大路機関も阪急特集です。

Img_3897  阪急電鉄と言えば大阪梅田を中心に、神戸三宮、京都河原町、宝塚を結ぶマルーン一色の地味な電車というイメージを持たれる方も多いかもしれないが座席はアンゴラ羊の高級感あるものが採用されていて、窓には重厚なアルミ製鎧戸、内装は木目調化粧板が張られた暖かみのあるものに仕上がっています。クロスシート、ロングシートともに他の鉄道線にのって初めて気づく配慮がある電車を運行しています。

Img_1744  阪急電鉄は営業距離144kmの大手私鉄で、宝塚本線24.5km、神戸本線32.3km、京都本線45.3kmを中心に10の路線から成り立っています。1923年、日本で最初にパンタグラフを採用、1926年には民営鉄道として最初の複々線路線を一部区間で実現しています。

Img_1855  1959年には複々々線が実現して、1967年には日本で最初に千里線へ自動改札機が実現しまして、技術的にも日本で先端をゆく会社であったりもします。先進的な部分をいち早く取り込む一方で比較的早い時期にアルミ車を導入しても塗装はマルーンのままなど保守的な一面もあるので、こういうところが、阪急カラー、というところなのでしょうね。

Img_0792  しかし、阪急といったら阪急百貨店や芦屋の高級住宅地、沿線に誘致した数々の大学や私立高校といった都市計画のほうがピンとくるかもしれません。沿線の宅地開発は、阪急の象徴ともいえる事業で、大阪府豊能郡の池田町室町に住宅街を整備したことを筆頭に多くの宅地開発を行ってきました。

Img_0120  宅地開発は広く行われていまして、箕面市の桜井、豊中市豊中と東豊中と曽根、池田市の石橋、宝塚市の雲雀丘、稲野と新伊丹を中心とする伊丹市、西宮市の西宮北口、尼崎市の武庫之荘や塚口と園田、神戸市の岡本といった住宅街が整備されました。阪急の駅を中心に街を創り上げていったという事ですね。

0810img_6051  旅客輸送需要がある場所には既に鉄道省が路線を整備していましたので、それならば住宅街を整備して需要を生み出せばいいのだ、という概念は時期的には阪急の小林一三社長の考え出したものが最初のようなのですが、小林氏の同郷で後輩の五島慶太氏もそれに見習うことになりました。

Img_2213  五島氏は先輩の小林氏とおなじ鉄道経営者で東京横浜電鉄の社長を務めた人、阪急に見習って造成されたのは田園調布住宅街で、東京横浜電鉄とは今日の東急電鉄です。こうして阪急電鉄が鏑矢を放った鉄道会社の宅地開発は、鉄道会社の事業拡大の一つのモデルとなっていきました。

Img_2490_1  阪急電鉄は電鉄会社ではあるのですけれども、デパートから宝塚劇場まで、阪急阪神東宝グループ300社の中心にある企業で、阪急電鉄だけで年間旅客輸送八億という旅客輸送を担っているのですが、その実態は従業員5000、年商の半分は鉄道輸送で、そしてもう半分は街づくり、という企業だったわけです。

Img_2501_1  阪急電鉄というと、今では揺るがぬ存在、マルーンの電車ここにありといえるのですけれども、箕面電車として箕面に路線を引いてから、神戸本線や宝塚本線が開業するまでは、小さい私鉄、という印象が強かったようです。そこで本日は、阪急の三本線について、その創業時代の話を百周年という事で掲載します。

Img_2795  阪急の始まりは箕面有馬電気軌道が1910年3月10日に開業したところから始まります。東風吹く風に先駈けて♪開く梅田の東口♪行き交う汽車を下にみて♪北野にわたる跨線橋♪、いまから百年前の話です。梅田と宝塚間の24.9km、石橋と箕面の4kmが始まりの路線でした。

Img_2843  しかし、創業時に専務の小林一三氏は沿線に遊園地造成や宅地開発などを行い、阪急電鉄へと大きく展開させることとなります。創業当時は木製1型電車が単行で単線の新淀川鉄橋を渡り行き交っていたとのこと、乗客ははじめてみる電車に思わず下駄を脱いで乗車して、沿線で老人が手を挙げると電車は停車して駅でなくとも乗車できた、そんな時代であったということです。

Img_2922  日露戦争終結から五年、第一次世界大戦へと繋がるモロッコでの独仏の対立や中国大陸での動乱を背景に、日本は全力で近代化を試みていた時代、幾つもの鉄道線が計画され、そのなかで実現したいくつかの路線の一つが、箕面有馬電気軌道であった、ということです。今日の配線か存続かではなくどこに新しい路線を建設するか、という時代だったんですね。

Img_3643  阪神急行電鉄として躍進を遂げるのは十年後、神戸本線の開業1920年、いまから90年前の話です。鉄道敷設には鉄道省の許可が必要な時代で、鉄道省線と競合する区間というのはなかなか敷設許可が降りず、軌道、つまり路面電車として開業している会社も多かった時代、既に阪神電鉄が大阪と神戸を結んでいました。

Img_5263   阪急電鉄、当時は箕面有馬電気軌道という社名でしたけれども、大阪と神戸を結ぶ路線の許可を鉄道省に求めた時代、当然、阪神電鉄は鉄道省に苦情を申し入れましたが、なんとか敷設許可も下りて、1920年に神戸本線が上筒井間での区間開業した際に、既に路線と固有の乗客をもっていた阪神電鉄からは複々線化工事の検討など勢いもあって、いやあ同情するよ、阪神には今更追いつけないだろうからね、という言葉が寄せられたのだとか。

Img_5440  この発言の主は阪神電鉄の乗務から、といわれているのですが、ここから阪神電鉄と阪急電鉄は戦争状態にはいっていった、と伝えられています。戦争ではなく、競争では、という気もしますが、伝えられる資料を読み解くと、いや、これはもう、という部分があります。そこで、少しその状況を紹介しましょう。

Img_7198  箕面有馬電気軌道は神戸本線着工で、阪神急行と社名を改めたのですが阪神電鉄は、阪急神戸本線開業とほぼ同時期、車内で乗客にハンカチの記念品配布を行った、と伝えられています。乗客の維持、という意味でしょうか。すると、開業したばかりの阪急神戸本線でも負けてはいられないと言うことで記念品のタオルが配られたとのこと。当時大阪~神戸間は運賃40銭、今ほどタオルもハンカチもやすかった時代ではありませんので赤字になっていたのではないでしょうか。

Img_8095  宝塚にあった阪急の宝塚大劇場前に阪神電鉄系列のバス会社が路線を開業して大阪とを結ぼうとした際に、阪急社員がバリケートを設置したとか、話が残っています。似たような話は近畿日本鉄道と名古屋鉄道の間でもあったのですが、もう少し阪急阪神の方が激しいような気もします。

Img_7997  年末年始には阪急が神戸本線の西宮北口と夙川の中間に臨時駅を仮設して西宮神社への参詣輸送で阪神電鉄からの乗客移転を試み、怒った阪神が当時電気事業を行っていた関係で沿道の街灯を停電させて対抗した、という話、今津線沿線の東光寺での催事に臨時運行を行った際に道路の歩道に障害物を置いたなど、勇ましい話(?)は数多く残されています。

Img_9305  駅員さんがバリケートを構築したり、停電させたり、と戦前の話なのだとはいえ、かなりきわどいことが行われていたのですけれども、サービスの維持と運賃値上げを行わない、定時運行と安全厳守など、鉄道事業者としての不可欠な部分でも競争は行われていたことは言うまでもありません。

Img_9341  さて、こうした中で1921年、阪急電鉄は運行の高速化のために架線と車両の間に、トロリーポールではなくパンタグラフを採用します。パンタグラフといえば、逆に日本国内ではトロリーポールの車両の方が動いている車両では明治村の京都市電暗いしか思い浮かばないのですが、当時としては最新の技術で、パンタグラフ採用は、日本では阪急が最初であった、ということです。

Img_9375  こうして、大阪と神戸の間は当初50分を要していましたが、40分にまで短縮され、トロリーポールの時代は度々外れて立ち往生したのにくらべ、故障の発生率は大きく低下した、と伝えられています。1930年には全鋼製電車900系が投入されて、1934年に大阪神戸間は特急で25分に短縮、1936年には三宮駅が開業し、阪急は神戸中心部に直接乗り入れることが実現しました。

Img_9380  京都本線の開業についての話です、京都本線はは、45.3kmと、現在のところ阪急では本線と名が付く中で最長の路線なのですけれどもその昔は京阪電鉄系列の新京阪が整備した路線でした。開業は1931年。現在の京阪本線は大阪までJRの新快速や阪急特急と比べて遅い印象があります。

Img_9847  京阪本線より早い路線を、そのための高速線として開業した路線が現在の京都本線、ということになっています。ここはおもしろい話があって、電車ファンならずとも他の鉄道線や高速道路と併走するときはなかなか手に汗を握るものがあります。握りすぎて”電車でD”という”頭文字D”のパロディ本が巻を重ねていることもあるのですが、新京阪が現在の京都本線を整備したときにもにたようなものがあったという話が残されています。

Img_9892  新京阪電鉄は、大型で特急用のP6型、小型で普通電車や千里山線や嵐山線用のP5編成という二系列から成っていたのですが、多くの運転士は新鋭で大型高性能のP6編成を運転することを夢見て、運転士としてP5で経験を積んでいきました。品行方正で優秀な運転士でなければP6の運転台へは上げてもらえなかったということなのですけれども、1300時天神橋発京都行き特急だけは、その例外であったようです。

Img_9940  というのも、同時刻、鉄道省が誇る特急つばめ号が大阪駅を東京に向けて発車しているからです。相手は蒸気機関車、モクモクと煙を上げながら東海道本線を進む姿は遠くからも見えたようで、早い時期から直流1500ボルトであった新京阪線としてはここから追い上げるわけです。新淀川の鉄橋で高々と白煙をあげる機関車をみつけるとP6もどんどん加速、正雀を過ぎて吹田のあたりで再び機関車の蒸気が見えてきます、ここは直線区間なのでP6は勝負をかけて茨木、高槻を越えた場所で再び東海道線に接近、天王山の戦いや山崎の決戦とよばれるこの場所でP6は、つばめ号を追い抜くと向こうは特急料金が必要な日本最速の列車、P6の社内からは拍手さえもわき起こった、と伝えられています。ええと、P6に乗務するには品行方正で、優秀な、と言われていたはずなのですが・・・。というように、宝塚本線、神戸本線、京都本線は興味深い歴史とともに建設されました。第二次世界大戦により輸送合理化の為の国家方針により京阪電鉄と合併して京阪神急行電鉄になり、戦後には分社化、今日の阪急電鉄に至るまでの話も、それはそれは興味深い話があるのですが、かなり長くなりますので、本日はこのくらいにしたいと思います。最後になりましたが阪急電鉄創業100周年、おめでとうございます。

北大路機関

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普天間飛行場移設案 日本案決定に向けての政府案・国民新党案・社民党案出揃う

2010-03-09 23:46:36 | 国際・政治

◆名護市陸上部が最有力、社民党は国外のみを提示

 アメリカ空軍は2025年からF22の除籍を始めるという方針を固めたそうで、航空自衛隊FXとF22の話を掲載しようかと思ったのですが、普天間問題を掲載することにします。ホワイトビーチが候補に加わった話は、昨日に掲載しましたが、あの文章はPCがトラブルを起こす前に作成したものです。しかし、昨日に連立与党の普天間移設案が出揃いましたので、本日はこちらを掲載します。

Img_9935  いろいろ案が提示されているようなのですけれど、いったい、キャンプシュワブ沖合案よりもどの点で優れているのかが全く見えてきません。キャンプシュワブ沖合が何故駄目なのか、ということも見えてこないのです。まず最初に、北大路機関として普天間移設案は、現行の名護市キャンプシュワブ沖合以外に案を、という問題に対して、解決策を考えたのですが、過去に掲載しましたとおり、民間空港として手狭になりつつある那覇空港に普天間飛行場を統合する、そして那覇空港代替施設を名護市キャンプシュワブ沖合に巨大な沖縄空港として建設する、沖縄空港が完成するまでの期間、暫定飛行場として一部が完成した時点で海兵隊を一時的にキャンプシュワブ沖合に移転させて普天間飛行場を閉鎖、民有地を全て返還して、キャンプシュワブ沖合の飛行場が全ての滑走路が完成した時点で那覇空港と沖縄空港が移行する、という提案を示しました。

Img_3381  この案は、どこからも似た案は提示されていないようなのですけれども、利点はかなり多いという事を強調してみます。まず沖縄県は発着枠が一杯となって懸案の那覇空港拡張問題が解決するとともに空港建設費用の多くが基地と重複することから国庫負担により建設される、那覇空港周辺住民には大型旅客機がヘリコプターに置き換わることで騒音軽減が見込める、普天間飛行場の宜野湾市には基地がなくなることで事故危険性の根絶と巨大な基地が返還され再開発計画を立てることができる、名護市住民には市街地に沖縄最大の空港が完成することで沖縄の玄関としての活性化が、米軍には陸海空自衛隊が展開する那覇に駐留することで交流と情報交換が容易に、自衛隊には米軍との一体化により基地警備の充実が、可能になるという利点があります。難点は、那覇市では騒音が低下することで国からの給付金など財政面での影響が生じ、米軍基地ができるという事で治安上のリスクの可能性が、宜野湾市では普天間飛行場が返還された場合地権者の特定が難しいことと、果たして再開発は可能なのかという疑問、名護市にはリゾート開発ほどではないにしても現行案よりも沖縄空港は大規模なものとなるので環境負荷の問題、という点。

Img_0003  今回提示された案は、キャンプシュワブ陸上案が最有力、嘉手納基地統合案、ホワイトビーチ拡張案、そしてグアム・テニアン案。民主党案として提示されているのがキャンプシュワブ陸上案で、こちらは国民新党も検討している案。このほかに民主党案として提示されているのはホワイトビーチ案。関西国際空港に移転するという案は、非現実的だとして今回は盛り込まれなかったようだ。ホワイトビーチ案は昨日掲載したように環境負荷が大きいという難点がある。名護市と比べれば住民理解についてのリスクもあり、漁業補償という問題も未知数。そもそも自民党時代に却下された案だ。キャンプシュワブ陸上案も昨日書いたように、沖合ではなく陸上部に建設した場合、自民党時代に繰り返し提示されていた地元には航空機の騒音は及ばない、という唯一ともいえる利点がなくなってしまうという大きな問題が解決されていません。興味深いのは、名護市沖合に建設する案が、環境破壊に繋がるという理由から却下されているのに、ホワイトビーチ案では環境負荷が凄いことになっている。自然環境重視なのか住民環境重視なのか全く逆になっていることで、果たして民主党は自然と人間どっちが大切なの?と。キャンプシュワブ沖合が駄目なのならば、何故なのか見えてこないというのはこのことです。環境に悪いから駄目というのはホワイトビーチ案と矛盾、住民が反対しているから駄目というのならキャンプシュワブ陸上案と矛盾。

Img_0190  社民党案からは、グアム・テニアン案が提示され、強行するならば地元が東富士演習場の使用制限を求めるとしたキャンプ富士案、規模的に収容能力では問題のある佐賀空港案というような国内案が次善策としての提案に留まり、明示されなかったという事が一つの特色でしょうか。グアム・テニアンんひついては、もともとアメリカ海兵隊側が反対している、遠すぎる、という理由から。そしてグアムには沖縄県からの移転が決定している部隊受け入れで収容能力は限界になっているし、テニアンは受け入れるインフラが全くないので一から建設することになる、これはコストが大きい。日本側が負担しなければならないコストが増えるのだけれども、社民党には日本の財政的余裕はそんなに大きいのかな、と思えてくる。現状でそういう分析をされたらば、それはそれで危ないのですけれどもね。次善策で県外案をもっているということなのだけれども、これを明記していないということは、そこを候補に入れていないということになるわけで、それ以前は国外案だけを押すと現実的でないので結局沖縄県内にはいってしまう、という危惧から県外案を検討していた、と過去に発言しているので、これは五月末で連立与党から離脱するという意図があるのかな、と思ってしまいます。もっとも、県外案でも、受け入れてくれる自治体がどこにも名乗りを上げていないので、無理なのでしょうけれども。

Img_9977  国民新党案は、キャンプシュワブ陸上案と嘉手納基地統合案。しかし、嘉手納基地統合案は、嘉手納基地の訓練を県外に移転して、というこれは米海兵隊ではなくて空軍と交渉を重ねなくてはならない問題で、交渉を複雑化させてしまうという大きな問題があるのが大きいですね。嘉手納基地は、戦闘機部隊だけではなく、早期警戒管制機や空中給油機など多数をそろえた第18航空団が展開していて、これを割って、というのは難しいかもしれない。もちろん、アメリカ空軍全体をみれば、一個の航空団が複数の基地に分散されて配置されている事例はあるのだけれども、嘉手納基地は航空機整備や備品・部品集積の一大拠点になっていて、これを移設することの方が難しいので、下手に分散、ということは難しいでしょう。訓練だけを分散、といっても嘉手納基地を拠点にする以上、分散できる範囲は限られているし、その分航空自衛隊が訓練空域をとられてしまうという問題も忘れられているように思えてきます。結局嘉手納統合案といいますと、読谷補助飛行場を再び接収して新しい飛行場を建設する、というくらいしか現実的ではないようなのですけれども、これはこれでもともと大きい嘉手納基地周辺の大きい騒音問題をさらに大きくさせてしまうという解決できない問題があります。また、国民新党は、新しい基地に15年の使用期限を設けようという構想のようですが、これは日米安保に15年の期限を盛り込むということにもなりますから、この点が一番非現実的でしょうね。もっとも現実的な案は現行案、というアメリカの主張はかなり説得力はあると思うのですけれども、一方でもう少し連立与党は妥当な案を見つけられなかったものですかね、と思います次第。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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ホワイトビーチ沖合案検討 なりふり構わず公約実現を目指す普天間基地移設問題

2010-03-08 22:59:13 | 国際・政治

◆名護市沖でなければ環境負荷や騒音問題は度外視?

 普天間飛行場移設問題で、鳩山内閣に火が付きかけている状況ですが、もしかしたら母屋がほぼ全焼していて寝室で、たった今、その事実に気づいた、という状況なのかもしれません。

Img_2851  マニフェストに縛られており、予算的裏付けや地域合意を無視してなりふり構わずがんばっている、という状況なのですが、普天間も同様で、とになく名護市沖合でないのならば、環境負荷がどのように大きくなっても、危険性や騒音範囲がいかに広がろうとも、移設にどれだけ予算が掛かろうとも度外視、という流れになっています。普天間問題は名護市辺野古沖合への移設という日米合意の見直し、というマニフェストへの明記に縛られるあまり、このままでは移設先が決定せず、名護市に移設しなくてもいいものの、現在の宜野湾市にある普天間飛行場が維持されてしまい、自民党が苦難の末に日米交渉を重ね、ようやくアメリカ側が納得する位置にあるとともに周辺住民へ騒音被害が起きない名護市沖合に移設を決定したのに、民主党がすべてを台無しにして、騒音被害だけではなく、離着陸中に墜落すれば即住宅街、ブッシュ共和党政権時代のラムズフェルド国防長官をして世界一危険な飛行場、といわしめた普天間飛行場が、民主党のマニフェストに従ったことで維持される、ということになる訳です。

Img_9951  そこで、いろいろな場所を移設先に検討したのですが民主党はようやく、その部内で、移設候補となり得る場所は沖縄本島しか、合意に至ることができない、ということに気づいたのでしょうか、沖縄県うるま市、勝連半島のホワイトビーチ沖合に海上飛行場を建設する案を提示しました。勝連半島は、海上自衛隊の勝連基地のほか、アメリカ海軍の揚陸艦が入港できる埠頭が置かれた施設で、沖縄県に駐留する海兵隊戦闘部隊が揚陸艦に乗艦する際には不可欠の施設として知られています。このホワイトビーチは海兵隊に不可欠の施設ですから、機能を維持した上で、沖合の津堅島との間を大規模に埋め立て工事をおこなって、ここに海上航空基地を建設しよう、という壮大な案です。

Img_9943  ホワイトビーチと津堅島との間を埋め立てるという方式ですので、面積としては充分見込むことができ、半島と島との間は比較的遠浅の海底地形となっていますから、この区間を埋め立てる、というのは技術的には建設は不可能ではありません。そして海上、正確には海峡をすべて埋め立てるという方式になりますので、住宅街の上空を飛行、ということにはなりません。騒音問題が解決されている点は、国民新党が提案している名護市キャンプシュワブ陸上案、陸上に飛行場を建設して住宅街上空に離着陸コースを設定することになります。これでは、キャンプシュワブ周辺住民に、自民党政権時代の沖合案では無かった、地上へ騒音が届かない、という唯一といえるような利点を消し去った案ですので、問題があったのですが、これに対してホワイトビーチ沖合埋め立て案は騒音問題が少ないという利点が挙げられます。

Img_2530  それならば、大きな問題とは何か、と問われれば海峡をすべて埋め立てる訳なのですから、自動的に潮流が大きく変わってしまい、非常に大きな環境負荷が掛かる、というわけです。島と島の間を埋め立てる、という訳なのですから工法によっては羽田空港新滑走路のように海上に独立した構造物を建築して、下部を潮流が自由に行き来できる方式を採用すれば、この問題はある程度解決できるのかもしれませんが、少なくない費用を要します。飛行場といっても、海兵隊ヘリコプターの長距離移動には輸送期が用いられる場合を考えての滑走路の要求ですので、木更津や明野、相馬原のヘリコプター用滑走路とは用法が違うのですし、ヘリコプターを緊急時に増強する際鋸とを考えると駐機場もある程度確保しなくてはなりません、そこに環境調査や工法検討などを含め、工事にはいる前に行わなくてはならないことが山積していますので、既に測量や環境負荷調査を行った上で地元と調整を行っていた自民党時代のキャンプシュワブ沖合案と比べて、工期や代替飛行場完成の予定である2015年までの完成、というのは非常に厳しいといわざるを得ないかもしれません。

Img_0054  米海兵隊は、絶対条件としてヘリコプターを運用する上で不可欠な1500メートルの滑走路を飛行場に不可欠としています、ヘリコプターといっても、アメリカ本土のような遠い場所から日本まで、ヘリコプターの搭載燃料では太平洋を越えることはできませんから、大型輸送機に搭載してヘリコプターを輸送します、そのために必要な滑走路、これが第一点。第二に沖縄県には海兵隊地上戦闘部隊が駐留しています、海兵隊は大統領命令だけで出動できる緊急展開部隊で議会の承諾が必要な陸海空軍よりも身軽な緊急展開部隊ですから、火力も防御力も少な目で、その分は輸送ヘリコプターの機動力と攻撃ヘリコプターの火力に依存していますから、すぐそばに海兵隊地上部隊の駐留が必要になります。そして海兵隊は、いつどういう状況に投入されるかはわからない緊急展開部隊ですから、国土防衛と国際人道支援任務に投入されるだけと考えることができる自衛隊と比べれば、どうしても危険度は高くなりますので、沖縄北部演習場のような広大な訓練地で訓練することが必要になります。自衛隊の任務も過酷ですが、明日アフガニスタンに出動し、ヘルマンド州の高山部に立てこもる武装勢力を一人残らず掃討すべし!、とか、朝鮮半島情勢が悪化した際に北朝鮮沖合に輸送艦にて展開していつでも沿岸の脅威を排除して上陸できるように、というような命令は現時点では考えられないのですが米海兵隊の場合は考えられる、こうした上で犠牲者を最小限に抑えるべく訓練が必要とされているわけです。

Img_9312  したがって、社民党が提案しているような佐賀空港、大村航空基地、鹿児島県馬毛島という選択肢を選びますと、自動的に海兵隊地上部隊と空中機動、上陸演習を行う演習場負担が附いてくる事になりますね。飛行場移設、と社民党は言いくるめているのかもしれませんが、海兵隊地上戦闘部隊ざっと数千、それがこれまで九州や西日本に無かったほどの演習場を必要として移転される、という訳なのですから、地元としては納得するのでしょうか、もちろん巨額の公共事業費は地元経済を潤沢なものにかえてくれるのですけれども、地元の方々の合意というものがとれる見込みがあるのか、非常に慎重に事を進めてゆかなければなりません。

Img_1769  そもそも移設が考えられた目的は、地元の負担軽減です。しかし、社民党案は、非現実的なグアム移転案を除けば、沖縄の地元負担を本土並に引き下げるのではなく、本土の基地負担を沖縄並に引き上げる、という結果のものとなってしまっていますね。これでは本末転倒です。そして民主党案は、沖縄の負担軽減という題目はそのままですけれども、実際にはキャンプシュワブ沖合以外の場所に移転する、ということが第一目的になっています。これは方向性としては間違っていないのかもしれませんけれども、キャンプシュワブ沖合に移転するよりも沖縄県全体に環境や騒音の面で被害が増える案、騒音はキャンプシュワブ陸上案、環境はホワイトビーチ沖合案なのですが、こうした案が、キャンプシュワブ沖合ではない、というだけで模索されていることには、ちょっと何かがずれているのではないのか、と考えてしまいますね。

HARUNA

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間もなく二カ月、代替案無きインド洋海上阻止行動給油支援終了から

2010-03-07 23:51:20 | 国際・政治

◆本質は連環:インド洋給油と普天間問題

 五月まで五月末まで、と昨年内に解決を求められ出来なかった普天間問題の陰に隠れて忘れられがちですが、インド洋への補給艦派遣が終了してから間もなく二カ月ですね。

Img_0735  そもそも、インド洋へ補給艦を派遣して、アフガニスタンからイラク、アフリカ地域への武装勢力の移動を監視する各国海軍部隊へ給油を行い、後方支援を行う、という支援で、日本は同時多発テロ以降のいわゆるテロとの戦いに参加してきました。決定当時小泉内閣で首相補佐官を務められた元外交官の岡本行夫氏の言葉を借りれば、テロとの戦いは、今日の世界に属する世界と、イスラム教が生まれた世界の再現といいますか、その水準まで文明を後退させよう、という主張の人たちとの軋轢で、しかも後者の人たちが同時多発テロというかたちで、こちらの世界に圧力を掛けてきた訳ですので、これに対する選択肢、というのは限られている訳なのですよね。

Img_6129  そこで、日本は補給艦と護衛艦から成る派遣部隊を編成して、テロとの戦いに部隊を派遣してきました。過去の記事でも幾度か書きましたが、こうしてテロとの戦いに日本が参加しているということで、フロリダ州タンパ市にあるアメリカ中央軍司令部に連絡官を常駐させて、しかも、そこで行われる公式非公式の会合で様々な現地情報やテロ関係情報を得ることが出来ましたし、給油活動を通して各国海軍との間で、有形無形の人的関係を結ぶことが出来ました。しかし、これを現政権は、アフガニスタンの復興に直接寄与していないということで一蹴、給油活動の中止に踏み切った訳です。当初では、アフガニスタンへの民生復興支援を民間NGO主体で行うこととセットの筈だったのですが、いつの間にか治安悪化でうやむやにされ、代案が無いまま補給活動だけを中断して、日本はテロとの戦いから一方的に離脱しました。

Img_9891  アフガニスタンの治安状況は悪化している中でヘルマンド州を中心に米英軍の激戦が続く中、日本はインド洋からは離脱して、当初発言していたアフガニスタン陸上部での支援は実施しないまま、発言にさえ上らなくなりました。このあたりで、アメリカ側からは強い日本への不信感が生じている、と考えられますし、一方で給油終了から一ヶ月と経たない2月13日には民主党の小沢幹事長はアメリカのキャンベル国務次官補に対して毎日新聞2月13日の報道では、“極東でひとたび不安定な状況が生まれると、イラクやイランやアフガニスタンの比ではない。アメリカはもっとしっかり考えないとダメだ』という話をした」と明かした。そのうえで「極東の状況は非常に不安定度を増している”という旨の発言を行い、わざわざ神経を逆なでさせたあとで、同じく日米間の安全保障問題で懸案となっている普天間問題について政府連立与党ではグアム移転案、テニアン移転案が出てくる始末です。

Img_7932  結局のところ、普天間問題は、国内問題として認識されているようで、沖縄県と連立与党の間で様々な思惑が錯綜している状態なのですけれども、一方の当事者はアメリカ、一方の当事者は日本、という完全な外交問題なのですよね。そして、日米間の問題、というわけですから、普天間問題とインド洋給油との対米政策をアメリカ側から望見すれば、日本への不信感、という点で双方ともに一致してしまう訳です。日本への不信感は、日本が持つソフトパワーに対しても波及効果をもたらすことも否定できず、自動車リコール問題へも異なったフィルターを被せる事にもなる訳です。同時に、果たして日本はアメリカとともに同じ安全保障価値観を共有することが出来るのか、という不信感に繋がるのですよね。そして日米関係は安全保障面だけではなく、経済社会、国際金融の面にも連環しているわけで、こちらにも影響が及ぶ可能性を無視して、インド洋海上阻止行動給油支援と普天間問題の迷走が続いている、という状況があるわけです。

Img_7696  代案の無いままアフガニスタンに関わる任務から一方的に離脱し、アフガニスタン情勢の悪化に対しては黙殺と言われざるを得ないような対応を執りアメリカに意図しないメッセージを送った日本は、普天間問題でも問題を長期化させ、その所在さえも曖昧にしつつある迷走を通じて続く誤解を与えています。代案には、給油支援再開、第二次イラク復興支援自衛隊派遣任務実施、アフガニスタン治安作戦への自衛隊投入等など、幾つか考えられるのですけれども、日米間の安全保障と世界秩序、国際公序の価値観は共通のものである、という対応を示す必要は、大きいのでは、と思います次第。

HARUNA

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Weblog北大路機関 PC不調のため現在システム問題の確認と復旧中です

2010-03-06 23:34:28 | 北大路機関 広報

突如電源が落ち、現在再起動を行いスタートアップ修復とともにシステム問題の確認を実施中です。

Img_2700  この記事は予備PCと低速の予備回線を利用して掲載しています。本日は、徴兵制に関する話題、普天間基地移設案に勝連半島ホワイトビーチが加えられたこと、どちらかを掲載する予定でしたが、現在、復旧作業を行っている関係で、掲載することが出来ません、あしからずご了承下さい。

Img_2685  幸い、一つは予備機器を利用して記事を作成しましたので、今回のトラブルに伴う本文消失という状況には陥っていませんし、もう一つの記事は、作成中に電源が落ちたのですけれども、一部の文章は保存措置を取った後でのトラブル発生でした。可能でしたら後日の掲載を考えています。

北大路機関

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平成二十一年度三月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報 1

2010-03-05 23:38:19 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 2010年もいよいよ駐屯地祭が行われる季節となりました。今週末は、高知駐屯地祭、春日井駐屯地祭が行われます。高知駐屯地祭は現駐屯地では今年度が最後、春日井駐屯地祭は三月一杯でおわる2009年度最後の駐屯地行事となります。

Img_2623  日曜日に行われる春日井駐屯地祭は、2009年度に行われる駐屯地創設記念行事としては最後になるものではないでしょうか。春日井駐屯地には、第10後方支援連隊、第10偵察隊、第10施設大隊が駐屯していて、後方支援部隊を中心に、師団の情報収集を担当する戦闘部隊が駐屯している駐屯地です。

Img_3850  式典、観閲行進、訓練展示、装備品展示、と行われる春日井駐屯地ですが、昨年は訓練展示で輸送部隊がゲリラの襲撃をうけ車両が損傷、パトロール中の偵察隊が負傷者を救出し、後方支援連隊が車両を戦車回収車により回収する、という内容で、そのほか、広い駐屯地を幾つかのエリアに区分して、テーマごとの装備品展示を行うという工夫された内容でした。

Img_48031  土曜日に行われる高知駐屯地祭は、間もなく高知駐屯地が新駐屯地に移設されるため現在の駐屯地での駐屯地創設記念行事は今回が最後となります。高知県香南市におかれている高知駐屯地には、善通寺の第14旅団に所属する第14施設中隊が駐屯している駐屯地です。第14旅団は、南海地震の直撃を受けるだろう徳島県の防災能力を高めるべく、飛行隊とともに新設される徳島駐屯地へ移駐する予定となっています。

Img_5634  新しい高知駐屯地へは、第2混成団の第15旅団への改編とともに新編された第50普通科連隊が駐屯することとなっていて、高知県の防災能力は、普通科部隊の駐屯によって強化されることとなります。第15旅団は四国の防衛警備及び災害派遣に備える部隊なのですが、同時に全国への機動展開能力も求められています、しかし、南海地震というものは如何に四国では警戒されているのか、ということが見えてくる改編、その直前という時期の高知駐屯地祭は、注目です。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

  1. 3月6日:高知駐屯地創設44周年記念行事・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/10d/
  2. 3月7日:春日井駐屯地創設43周年記念行事・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/mae/14b/

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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自衛館:渋谷の自衛隊、防衛省の広報施設は平成22年3月8日閉館に

2010-03-04 22:51:44 | 国際・政治

◆無関心な地域へこそ広報を試みた施設の閉館

 渋谷に自衛隊の広報施設が完成した!、と2008年に注目された自衛館ですが、この程閉館の日程が決定され、公表されていました。

Img_83531  自衛隊にかかわらず、全ての組織にあって最も重要なのは人材の確保、と考えて間違いは無いでしょう。適性のある優れた人材、というものは中々巡り会えないことでして、こうした理由から多くの人材を集めるには広報、というものが何よりも重要となってきます。中には広報は平時の実戦、と考えて人材発掘と獲得への意気込みを語る方もいました。

Img_7600  自衛隊では、駐屯地記念行事の一般公開や艦船の一般公開や体験航海、展示訓練、そして航空祭や基地一般公開を行い、地元との理解増進とともに、一般の方々への任務や意義の広報や、自衛官募集を行っています。ただ、なんといいますか、一般の方々にはこうした“行事”へ参加するというものには敷居があることも事実です。

Img_3022  こうしたことから、“特別な日”“限られた日”に行われる行事や一般公開ではなく、自衛隊に全く興味の無い方々に、まず接点を持ってもらおう、ということで常設的に展示を行う設備が必要とされました。その中には、各地の広報館が挙げられるのですけれども、もうひとつ、東京の渋谷に造られたのが自衛館、広報VTRや装備品模型の展示を行い、若者にアピールする施設という位置づけを担いました。しかし、こんなお知らせが出ていました。

Img_4399  自衛館の閉館のお知らせ:平成20年7月にオープン以来、多くのお客様に親しんでいただきましたが、平成22年3月8日(月)をもって終了することになりました。残りわずかな期間ですが、上記日程までは平常営業しておりますので、皆様のご来館をお待ちしております。自衛隊のオフィシャルPRスペースです。館内には、自衛官の募集資料・自衛隊関連のDVDソフト・自衛隊情報誌「MAMOR」など各種資料をご用意しており、すべてご自由にご覧いただけます。陸・海・空の制服をご試着いただくこともでき、お好みの背景を選んでの記念撮影が好評です。また、インターネットがご利用いただけるPCもございます。どうぞお気軽にお立ち寄りくださいhttp://www.mod.go.jp/gsdf/jieikanbosyu/jieikan/index.html

Img_6906  事業仕分の影響、そして事業評価が芳しく無かったのでしょうか、もっとも事業評価がどういう観点から行われていたのか、少し気になるのですけれども、渋谷という、これまで自衛隊と無関心という意味で距離のあった地域に開設された広報施設の閉館、というものはもう少し慎重に考えられるべきだったのでは、と思います。また、効果が無いのならば、それで諦めたとしても募集の必要性は低下しないのですから、事業評価を高めるべく拡充と施設数の増強、という選択肢も採られるべきだったのではないかな、と思うのですが、どうでしょうか。

Img_7863  最後にお詫びと訂正。昨日のF-2へのAAM-4搭載の記事ですが、本文にも少し書きましたようにAAM-4の搭載試験は昨年から行われています。そこでやたら古い写真を提示して、記事を掲載したのでは、という受け止め方があったようなのですが、実はただ、撮影の機会に恵まれず、昨日撮影することが出来ましたので掲載をしました、という次第です。一見するとようやく昨日からAAM-4を搭載、とも受け取られかねない、誤解を招く表現でした。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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