北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

アイスランド火山エイヤフィヤットラヨークトル氷河噴火活動へ日本政府が執り得る行動についての一考察

2010-04-20 23:51:03 | 国際・政治

◆火山爆発指数3以上の噴火

 アイスランド火山活動に伴う被害は、幸い人的被害は出ていないものの航空航路への火山灰の影響がかなり大きくなっています。

Img_7278  欧州では二百年ぶりの規模の噴火と言う事なので、今回の空中浮遊物による航空航路への影響と言うのは前代未聞の事案となるのですけれども、この際ですから、二つの問題について、例えば日本側からイニシアティヴをとってでも国際政治の議論対象とするべきではないか、という問題提起を行いたいと思います。中国海軍の動向に関して産経新聞と防衛大臣の記者会見で内容が異なる話や、徳之島米海兵隊ヘリ部隊移転案反対運動など気になる面も多々あるのですけれども、前者は情報が錯綜していますし、後者については改めて、という事で、本日は火山について。

Img_8871  航空航路への影響ですが、日本も世界有数の火山国で、非常に危険なVEI6クラスの噴火を過去に引き起こした事のある火山が、日本国土には幾つかあります。今回のアイスランドでの噴火災害は現時点でVEI3からVEI4の規模ということなのですけれども、アイスランド国内にはラキ火山のようにより大きな火山活動を起こす火山が複数あるわけですから、空前の規模で航空航路に影響を与えているのですが、これが絶後ではないということだけは確かですし、今後こうした状況になった場合には、どのようにして影響を最小限にとどめるかを考えなければなりません。

Img_9041  第一に考えるべきは、今回のような航空航路への影響が及ぶ位置での火山活動があった場合に、旅客機運用に関する政府間パネルを構築しなくては、北米東海岸や西海岸、欧州空域、東南アジア、日本周辺などの地域において将来的に再度大きな火山活動に見舞われ、航空航路への影響が生じた場合において、旅行客や商用、航空貨物の移動に大きな影響が及ぶことは目に見えています。そこで、緊急時を想定して、余裕のある航空機発着施設を予めピックアップしておき、被害のない規模の大きな空港を拠点空港として航空会社の旅客機や貨物機の発着を切り替えることが迅速に出来るよう、枠組みを構築しておく必要があると考える訳です。

Img_0586  エイヤフィヤットヨークトル氷河火山活動では、現時点で地中海沿岸諸国やスペイン国内の空港が火山灰の影響を受けていないという事から、イギリスなどは北米、アジア地域からイギリス国内へ帰る事が出来なくなった自国民をスペイン国内に集結させ、空母アークロイアルを含めたイギリス海軍艦艇、報道ではアルビオン級ドック型揚陸艦も出動していたようですが、艦艇派遣し、イギリス国内へ移動する、という手法が採られており、この為にイギリス政府はスペイン政府との間で合意を結んでいます。火山灰のように被害が広域化する災害に加えて、地震津波災害のような局地的な被害が空港などの発着機能に及ぼす影響も含め、必要に応じて航空航路の柔軟な変更と各国の空港施設の拠点機能の提供を迅速に可能とする国際協定を次の噴火に備えて締結しておく必要があるでしょう。

Img_8079  もうひとつは穀物先物取引市場高騰に備えての予防措置です。VEI3~4という規模ではありますが、影響については未知数です。このなかで火山灰が高空に漂う事で太陽光が遮断され、穀物生産に影響が及ぶ事は容易に想定できます。これがどれくらいの規模となるのかはスーパーコンピュータによる演算と世界各国での大気観測に依拠するほかはありませんが、フランスという欧州の農業大国にも火山灰の影響が及ぶ可能性はあります。先物取引価格が高騰すれば、途上国を中心に食糧不足を契機とする混乱が生じる可能性があり、生産数に影響していなくとも先物取引市場が高騰することにより、結局混乱が生じます。

Img_0696  自由市場に権力が介入することでの弊害というものは当然留意するべきなのですけれども、火山災害という緊急事態に際しての食料安定供給は、安全保障という面から取り組むべき命題です。価格高騰という状況に陥るまでに具体的な措置が取れず状況が悪化すれば、各国政府が穀物の国外輸出禁止措置など、非常に影響の大きな決断を執ることも予想され、そうした一定以上の価格高騰に陥らないためにも、先物取引市場の異常高騰に対しては、各国の協調した足並みのもとでの一時的な非常措置を執ることにより、輸出市場への政府直接介入と言う次の状況に展開する事を抑制するという意味からも重要です。

Img_0669  航空貨物による精密部品の安定した輸送と供給は日本経済にも重要な部分を占める命題ですし、欧州や北米地域などへの移動に国民は航空機を多用し、現実問題として欧州地域には12000名の邦人観光客が帰国できないという現状がある訳ですから、日本としては火山災害における航空輸送へのダメージコントロールについて、主体的に各国に提案する必要はある訳です。もうひとつは穀物価格高騰に続く食糧の生産国への囲い込みという状況が起これば日本は影響を受けるのですし、途上国にはそれ以上の大きな影響を及ぼし、安全保障上の問題に展開する可能性も含んでいます。次の災害に備えて、日本政府はこうしたことへ主体的な取り組みと各国への働き掛けを行っても良いのではないか、そう考えます次第。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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平成22年度陸上自衛隊主要演習概要発表 日米共同訓練・協同転地演習・方面隊実動演習・派米実射訓練

2010-04-19 23:48:25 | 防衛・安全保障

◆師団協同転地演習は第14旅団が担当

 陸上自衛隊は平成22年度主要演習の概要を発表しました。発表は8日で、15日付朝雲新聞に掲載されていたものですが本日はこちらを紹介。

Img_9923  発表されたのは、日米共同訓練、方面隊実動演習、協同転地演習、派米実射訓練について。今年度の日米共同訓練は西部方面隊が担当、方面隊指揮所演習“ヤマサクラ”を日米合同で実施、実動演習を北部方面隊と米陸軍、中部方面隊が米海兵隊と日本国内の演習場で、西部方面隊が米海兵隊とアメリカ国内で実施予定とのことです。

Img_6820  日米共同訓練は、現在でもイラク、アフガニスタンにおいて大規模な軍事行動を行う米軍から実戦経験に基づく様々なものを修得し、加えて同盟国である日米の部隊が協働しての要領を学ぶことで有事の際の連携を強化する、という意味から非常に重要な訓練であり、得るものの多い訓練となっています。

Img_6430  中央即応集団の演習も、東部方面隊管区内において実施を予定しているとのことです。日米共同訓練ではありませんが、緊急時や国際貢献任務に際しては大臣直轄部隊として緊急出動する部隊となっていて、その訓練内容や装備密度などもかなり配慮されたもののとなっているようです。

Img_3456  協同転地演習とは、かつて北方機動演習として北海道において有事の際に増援部隊を本土から迅速に派遣するための要領を錬成することが目的の訓練で、近年、北方重視から全国の部隊の展開能力を高めるための訓練として、名称を協同転地演習と改め、その位置づけが大きく変化してきました。

Img_4887  協同転地演習となりますと、昨年度は第十師団が実施したのですが、本土から北海道に展開させて、広大な演習場を利用し、大規模な訓練を併せて実施することから、車両、鉄道、輸送機、旅客機、艦船とあらゆるものを利用して北海道へと展開する大規模な演習としてしられています。

Img_3454  師団による協同転地演習は、中部方面隊が担当して、善通寺駐屯地の第14旅団が六月下旬から八月上旬にかけて北海道矢臼別演習場などで実施する予定です。連隊規模での協同転地演習は東北方面隊が担当、神町の第6師団が実施、七月に東富士演習場において実施するとのことです。

Img_1566  方面隊実動演習について。方面隊実動演習は、北部方面隊が担当、8月から9月にかけて北部方面隊管区において実施されるほか、西部方面隊が担当して11月から12月にかけて西部方面隊管区において、それぞれ実施されるとのことですが、実施部隊は現在検討中、とのことです。

Img_9732  派米実射訓練について。派米実射訓練は、射程が非常に長く日本国内の演習場では実射訓練が困難な装備品をアメリカ国内の射撃場を借りて実施するものです。射程180kmの88式地対艦誘導弾部隊は六個部隊が九月下旬から十一月上旬においてカリフォルニア州ポイントマグー射場において実射訓練を実施します。

Img_9725_1  地対空ミサイルについても方面隊が運用する射程の長いものについてはアメリカで訓練を行います。ホーク部隊や03式中距離地対空誘導弾部隊は各高射特科群、下志津の高射教導対から17個中隊が、九月下旬から十二月上旬にかけてニューメキシコ州マクレガー射場において実射訓練を行うとのことです。

HARUNA

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駒門駐屯地創設50周年記念行事2010.04.04速報

2010-04-18 23:47:08 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆戦車・装甲車の観閲行進

 駒門駐屯地創設記念行事、50周年行事という節目の年であった事から、初めて足を運んだのですが正直驚きの連続でした。

Img_42861  駒門駐屯地は第1戦車大隊の駐屯地、という印象が強かったので今津駐屯地祭の行事と同じようなものかな、という先入観がありましたけれども、昨年の武山駐屯地祭では第一教育団の第一機甲教育隊が74式戦車と90式戦車を観閲行進と訓練展示に参加させていましたし、多少は教育用に配備されているのかな、という考えにて富士山麓へ足を運びました次第。

Img_3976  国際活動教育隊、教育隊であり教育任務と評価支援を行う80名規模の部隊なのですが、中央即応集団指揮下の部隊、つまり幕直接部隊であることから隊長には1佐が当てられている、ということはしっていたものの、駒門駐屯地司令を務められていたとはしりませんでした。式典などで秋葉駐屯地司令が国際教育隊長だったと聞きまして驚きました次第。

Img_3922  国際教の車両などは清水港祭で見学していましたが、軽装甲機動車、96式装輪装甲車などを運用しているということは知っていました。しかし、教育支援部隊が小隊規模ときいていましたから、もう少し規模は小さな部隊、と思っていたのですけれども、車両などは多かったように印象づけられました。一方、73式大型トラックの装甲型も装備されているのですけれども、重度の花粉症、実際には風邪にてそこまで探す気力はありませんでした。

Img_4182  第一戦車大隊。二個戦車中隊の精鋭が有事に備えています。第一師団の機動打撃を担当する部隊なのですけれども、かつて三個戦車中隊を基幹としていた編成は、第一師団の改編とともに戦車よりも普通科部隊を重視する編成に移行したことで二個戦車中隊を基幹とする編成に縮小されました。第一師団は普通科を重視し市街地での任務に備える、ということですが、対戦車隊は解体され重火力は激減、そして市街地では不可欠な装甲車も不十分、一方で戦車火砲は大幅削減と、防衛大綱の装備削減という弊害をもろに受けている印象。

Img_4239  74式戦車は、戦車としては旧式化していることは否めないのですけれども、打撃力は105ミリ砲に新型砲弾を採用して攻撃力を維持するなどまだまだ侮れない能力をもっていますし、戦車の位置づけ、ポテンシャルというものはかなり高いものがあります、戦車をこちらが運用しているということは有事の際には相手にも対戦車戦闘の準備を強いることになりますし、この点重要でしょう。日本では有事の際には専守防衛を貫く限りかならず戦場は市街地になります。そこで最大の防御力と高い機動力、高度な監視能力と強力な打撃力を持つ戦車、もっと配備数の面で重視してもいいと考えるのですけれどもね。

Img_4020  第一高射特科大隊。第一中隊に近接した目標に対処する93式近距離地対空誘導弾、第二中隊に81式短距離地対空誘導弾が装備されています。93式は恐らく12両、81式は4セットが配備されていて、対空レーダーP14,低空レーダーP18とともに組織的な対空戦闘を展開することが可能です。81式は対空疎開に限界のある火力や拠点の防空にあたり、93式は突発的な脅威に備えます。師団の規模を考えますと装備密度はかなり高く、陸上自衛隊の空からの脅威への真剣な姿勢がみてとれます。一方で、もう少し機関砲の有用性と評価してもいいのでは、とも思ったりします。

Img_4330  第一機甲教育隊。観閲行進では次々と戦車が行進してきますので、駒門といえば第一戦車大隊よりも第一機甲教育隊の戦車の方が多かったのか、という驚きがありました。少なくとも一個中隊が90式戦車により編成されていまして、第一中隊が90式戦車と87式偵察警戒車、第四中隊が74式戦車、第五中隊が74式戦車を観閲行進へ参加させていました。

Img_4368  教育隊は、機甲科の新隊員教育、陸曹候補生教育を担当します。戦車中隊は、陸曹教育中隊と陸士教育中隊から成っていて、前述しましたように武山駐屯地の第一教育団に所属しています。首都近辺の戦車部隊は、第一戦車大隊に加えて、この第一機甲教育隊、そして富士教導団の戦車教導隊が富士駐屯地に駐屯していますので、戦車中隊だけで十個中隊規模の戦車が富士山麓に控えているということに。これらを考えると、日本海側から首都圏へ向けての脅威が冷戦時代にあったわけなのですけれども、準備は相応に為されていたのか、と国家の防衛への決意のようなものを感じましたね。

Img_4418  駒門駐屯地祭の観閲行進は、こういう意味で思った以上の戦車が行進していて、90式戦車もかなりの数が行進していました。驚きましたね。新戦車、10式戦車になるのでしょうか、来年度には富士教導団の富士駐屯地祭でお目見えするのでしょうかね、併せてこの第一機甲教育隊にも配備されるのでしょうか、新型戦車の来年度行事での登場を少し期待して待ちたいです。

Img_4257  第一後方支援連隊第二整備大隊の78式戦車回収車、駒門には戦車部隊、高射特科部隊、国際教のほか、そして方面直轄施設群の第364施設中隊などが駐屯しています。陸上自衛隊ですが、なるほど戦車はまだあるところにはあるということで、驚かされることの多い50周年行事でした。

HARUNA

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大卒・防大卒以外の幹部昇進を制限へ 自衛隊幹部新人事制度導入案を国会提出へ

2010-04-17 23:52:40 | 防衛・安全保障

◆上級曹長制度を新設

 アイスランド南部エイヤフィヤトラヨークトル氷河での火山活動、欧州中部・北部全域に火山灰による航空航路閉鎖の影響がでているようで、火山爆発指数(VEI)は現時点で3以上とのこと、4を越えると今度は農業、畜産業へ影響が懸念されます。話は変わって、本日は時事的話題。過去の最先任上級曹長制度導入は、このための準備だったのでしょうか。

Img_4409 自衛隊幹部 新人事制度導入へ :4月17日 4時36分 ・・・防衛省は、自衛隊幹部の若返りを図る必要があるとして、中学校や高校卒業の自衛官の幹部への昇級を制限するとした新たな人事制度の導入を目指すことになりました。 およそ25万人いる自衛官のうち、「3尉」以上の階級に当たる幹部は4万人余りいますが、終身雇用制度をとっていることから、幹部の平均年齢は、アメリカ軍と比べて7歳高い41歳と、高齢化が課題となっています。

Img_6531  防衛省は、幹部の高齢化がさらに進めば部隊の運用に支障が出かねず、若返りを図る必要があるとして、新たな人事制度の導入を目指すことになりました。それによりますと、現在、おおむね40歳代で幹部に昇級している中学校や高校を卒業した自衛官について、幹部への昇級を制限し、幹部の補佐や小規模の部隊の指揮などに当たる「上級曹長」という階級を新たに設けて処遇することにしています。

Img_1099  これにより、幹部に昇級できるのは、原則として防衛大学校や幹部学校、それに一般の大学を卒業した自衛官に限られることになります。防衛省は、こうした人事制度を来年度から導入するため、夏の概算要求に組織改編に必要な予算額を盛り込んだうえで、来年の通常国会に法律の改正案を提出したいとしています。http://<wbr></wbr>www3.nh<wbr></wbr>k.or.jp<wbr></wbr>/news/h<wbr></wbr>tml/201<wbr></wbr>00417/k<wbr></wbr>1001390<wbr></wbr>4091000<wbr></wbr>.html

Img_6813  幹部学校ではなく、幹部候補学校とNHKは勘違いしているようですが、幹部学校は陸上自衛隊ではCGSなどの教育を行う機関、幹部候補学校は久留米で候補生の教育を行う機関です。自衛隊に曹長という制度ができたのは第二混成団が善通寺に新編された頃の話です。曹長制度ができた頃は一曹の数が多くなりすぎたことで、もう一つの階級を加えた、という経緯がありました。

Img_6907  今回は、原則として中卒、高卒の自衛官を幹部に昇進できないようにする、という前提を加えた上で、上級曹長という階級を新設する、という部分が曹長制度を導入した頃とは異なっています。幹部自衛官へ部内選抜で昇級させる制度について、これを改めるという提案はどうなのでしょうか。

Img_2263  目的は幹部の高齢化、ということが挙げられているのですけれども、戦闘職種であっても経験は相応に能力に反映されるわけなのですし、必ずしも体力が第一、という任務だけが自衛隊の任務ではありません。例えば本部管理中隊や管理業務における幹部自衛官の職務は体力よりも経験が重要になってきます、そこまで年齢というものは大きく反映されるものなのでしょうか。

Img_6525  もう一つ、幹部自衛官への道は開かれている、というものは旧日本軍以来の伝統です。特に将校が諸外国ではいわゆる貴族階級に独占されていたという国が多数を占めていた時代においても、二等兵から将校への道が、非常に狭き門でありながら開かれていたわけでして、これが士気に及ぼした影響というものは証言や回顧録などを読むかぎりあったようです。

Img_6758_1  幹部に昇進しなくとも、例えば米軍の精度のようにプロフェッショナルとしての曹という位置づけが完全に定着していれば問題はないのでしょうが、いきなり導入される上級曹長という制度はそれに当たるのか、議論は充分なされたのか、そして旧軍以来の昇進制度を改めて、という方式では少し不安が残ります。

Img_9600  曹士から幹部へ、という現行の制度にも部内を含め難色は皆無ではないのですけれども、たとえば幹部としての資質などの問題や適性の問題を省みずに進んでしまった場合、こうしたことによる弊害は、もちろん、この種の問題は、どういった組織にとってもあり得ることなのですけれども、自衛隊でも例外ではない、という話は聞きます。しかしだからといって道を閉ざす、という制度上の転換に置き換えてしまうのも考えが浅いのではないでしょうか。

Img_2260  例えば、一等准尉、二等准尉、三等准尉、上級曹長にも最上級曹長制度などを階級に反映させて、制度が定着したのちに、幹部への昇級制度というものを再考する、というかたちでもいいのではないでしょうか。議論を不十分に進める、もしくは制度交渉を充分でないまま進めるというのは将来にリスクを残します。

Img_6738_1  今回、目的の一つに人件費の削減、というものが少しでもあるのならば、考え直すべきでしょう。米軍では司令部付最上級曹長や上級准尉の給与では中佐クラスの給与を支給されているわけで、大きな経験のある兵士というものはそれだけに軍事機構にあっては不可欠な人材、というように考えられているわけです。

Img_2351  もっとも米軍では体力検定などから予備役に落とされる兵士もいるわけなのですから、必ずしも自衛隊と併せて考えることはできないのですが、経験と能力に応じて、国は国防の責務にあたる方へは応じなければならないのであって、幹部への昇級制度を新しい制度でもって絶つのならば、准幹部制度については慎重に考えるべきでしょう。

Img_0888  一方で、諸外国の制度を参考にするというのは、短絡的であるし反対です。人事制度や階級制度はその国の軍事機構の変遷や歴史によって培われた部分が大きいのですから、都合のいい制度をそのまま持ってくると失敗します。もっとも都合のいい制度だけを持ってくる、という事での失敗は必ずしも軍事機構などの制度だけではないのですけれどもね。

Img_2067  曹長から初級幹部へ、部内選抜で昇進したとしても、もちろん、困難はいろいろあります。職域によってこれは事なるのですけれども、艦艇勤務であれば初級幹部よりも先任海曹という立場の方が環境が良い場合もあるでしょうし、幹部となれば転勤が定期的にあります。しかし、そうした困難を乗り越えて、という方は大切にした方がいいのではないか、とも考えます。

Img_1171  もうひとつは、飛行学生制度などの面での昇級制度をどう扱うか、ということです。定義の上では幹部に昇進できないことになるのですが、防大、一般大学出身の搭乗員と、高校からの飛行学生出身の搭乗員とのあいだでの区別、というものがでてくるのか、ということについても少し疑問が湧いてきます。そしてもう一つ、曹と幹部では定年が違ってくるのですが、自衛官経験の長い隊員は管理業務などで欠くことのできない人材、それをあたかも正社員と契約社員のように昇進制度に壁を設け、派遣切りのごとく若い定年で退官させる、ということには無理があるようにも思います。予備役制度が脆弱で、しかも管理業務では軍属にあたる登用方式を採らない自衛隊の制度では、やはり現行制度の維持が重要で、他方、幹部にならないままで准幹部として昇級する制度を構築しないまま、昇進制度を閉ざす、ということには大きな疑問を感じます。日本型としてこれまで培ったものがあるのですから、無理にかえる必要はないのではないでしょうか。

HARUNA

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京王電鉄 2010年に開業百周年を迎えるKEIOの多彩な車両

2010-04-16 23:54:00 | コラム

◆けいおう!!

 京王電鉄特集。個人的には京王帝都電鉄という印象が強かったのですが、1998年に社名を京王電鉄に変更しました。けいはん!、と百周年特集を掲載しましたから、本日は、けいおう!、と音の似た電鉄会社の特集です。

Img_2521  京王帝都電鉄という名前は、1910年9月21日に創立された現在の京王線を主軸とする京王電気軌道、192年9月24日創立の井の頭線を建設した東京山手急行電鉄、のちの帝都電鉄が合併して誕生した社名です。電動客車878両m貨車2両を中心に年間旅客輸送量約6億、84.7kmの路線を運行している会社です。

Img_3084  京王電鉄、その路線をみてゆきましょう。八王子と新宿を結ぶ37.9kmの京王線、渋谷と吉祥寺を結ぶ12.7kmの井の頭線とともに2kmの動物園線、0.9kmの競馬場線、8.6kmの高尾線、22.6kmの相模原線を路線として展開していまして、約2100名の従業員が運営しています。それでは、京王電鉄の車両について掲載してゆきます。

Img_2508  9000形、264両が運用されている車両で2000年から導入が開始された車両です。伝統的に京王電車は東急車両のものがつかわれてきたのですが、東急車両と日本車両が製造した車両となっています。VVVFインバータ制御方式の車両にボルタレス式台車をはいたもので、バリアフリーを考慮して車体の寸法に工夫されています。

Img_2498  京王線の電車は、井の頭線を除き1372mmの軌間を採用しているのですが、普通は1067mmと1435mmという軌間が一般的、こうしたなかで1372mmというのは、京王線がその昔、東京都内の路面電車に直接乗り入れることを目的として路線を整備したことから、この軌間が採用されることになったとのことです。

Img_3011  8000形。243両が運用されていますこの車両は、1991年から運用が開始された車両で、既に引退した5000形を置き換える形で導入されました。前面のデザインは先進的で、かつて通勤電車のイメージを大きく転換させた5000形の思想を受け継いだものといえて、グッドデザイン賞を受賞しています。

Img_2491  VVVFインバータ制御方式の車両でダイレクトマウント軸箱方式台車を採用した車両となっています。京王電鉄は、特急よりは停車駅が多いのですが、快速や急行よりは速いダイヤで運行されている準特急という種別がダイヤに盛り込まれています。2001年のダイヤ改正で誕生したこの種別は新宿と調布が特急と同じ、調布から八王子は急行という運用となっています。ちょっと面白い運行といえますね。

Img_2517  7000形。二両編成、四両編成、六両編成、八両編成、十両編成、併せて190両が運行されています。8000形、9000形は基本的に八両編成、十両編成で固定運用されていますので、様々な路線での運行が可能となっていて汎用性が高くなっています。1983年のデビュー当時は緑色を基調とした塗装から通称グリーン車という愛称で呼ばれました。

Img_2464  しかし残念、グリーン車という名前なのですが京王電車はすべてロングシートとなっています。グリーン券は不要なのですが、旅客輸送需要の高いこの路線ではロングシート車でなければ対応できない、というわけですね。後述する6000形をステンレス車化した設計、というかたちで導入された車両なのですが、近年は制御装置をVVVFインバータ制御として運行しています。ちなみに、7000形は6000形のマイナーチェンジ、という位置づけなのですから8000形が登場するまで、京王電車は一つの系列車両により構成されていた、という形になるのですね。

Img_2515  6000形。36両しか残っていない貴重な車両です。1972年から導入されたこの電車は250両が生産されました。京王線初の20メートル4扉車となっていて、都営地下鉄新宿線にも乗り入れています。7000形からはステンレス車となっていて地金剥き出しというかたちで運行されていたのですが、6000形はアイボリーを基調とした塗装で登場、運行されていました。

Img_2514  1963年から1500v昇圧対応として京王線に導入された5000形に続いて導入された車両なのですが、パノラミックウィンドウの5000形と比べると、片目のウインク状となった前面形状が特色です。都営新宿線乗り入れを想定して導入された6000形ですが、地下鉄乗り入れ仕様の車両は昨年全廃となっていて、まもなく見れなくなるかもしれない車両です。

Img_3088  1000形。井の頭線で運行されている車両です。井の頭線は帝都電鉄として整備された路線ですが、この関係で軌間は1067mmとなっています。明大前駅で京王線と連絡している井の頭線ですが、軌間が違うことから相互乗り入れはできません。この1000形は、1995年から導入が開始された車両で、VVVFインバータ制御方式のボルタレス台車、軽量ステンレス構造の8000形を基調とした設計となっています。

Img_2965  しかし車両形状は、二枚の前面窓を有する湘南型としていて、この部分は先代の3000形を踏襲したものとなっていますが、パノラミックウィンドウの採用など先進的な面もあります。表示灯の電動幕からLED化など改修を受けていて、5両編成27本の135両が運行されています。

Img_30752  3000形。1962年から導入された車両で、135両が製造されたのですが、京王電鉄線で残っているのは10両のみ、貴重な電車です。FRPカバーに七色のバリエーションがあり、長らく井の頭線で頑張っていましたが、前述の通り1000系に置き換えられつつあり、二編成10両がのこるのみとなっています。

Img_29812  東急車両製のもので、東急初代7000形と並んで、日本最初のステンレスカーとして製造された車両。アメリカのパット社と技術提携して製造されました。界磁チョッパ制御方式の車両で、淘汰が進んでいるのですが上毛鉄道、岳南鉄道、松本電気鉄道、北陸鉄道、伊予鉄道に中古車両が譲渡され、現役で頑張っています。

Img_2472  京王帝都電鉄時代、1963年までは現在地下駅となっている新宿駅は自動車道との併用軌道で、路面電車、という印象の強い電鉄でした。しかし、昇圧を果たした後は今は中古車両が地方私鉄で頑張るのみとなった当時の最新鋭5000形の導入や複々線区間の整備などを精力的に試み、今日に至ります。

Img_3096  新宿、渋谷に拠点を持つ京王は、輸送密度の高い人口密集地域を運行していたことで、利用者が多く、鉄道事業以外の分野へは長く参入しないかたちで成長を遂げて今日に至ります。通勤輸送への需要が大きいのですが一方で高尾山と首都中枢を結ぶ観光列車としての需要があり、経営とは対照的に多彩な沿線風景が特色の一つです。

Img_2523  この京王電鉄、本年に百周年を迎えるのですが、同時に全車両のVVVF制御化を期して着々と車両体系の整備を進めています。これは言い換えれば、遠からず3000系、6000系は5000系と同じ道をたどることを意味していまして、次の百年への出発準備、というかたちになっているようにみえます。

HARUNA

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祝!京阪電鉄開業100周年 大阪天満橋~京都五条1910.04.15運行開始

2010-04-15 23:49:19 | 北大路機関特別企画

◆けいはん!!百周年!!

 本日は京阪電鉄が大阪天満橋と京都五条駅間を開業させてから100周年を迎える京阪開業100周年という記念日です。

Img_96  京阪電鉄は、京都と大阪を結ぶ49.3kmの京阪本線、京都中心部から更に乗り入れる2.3kmの鴨東線、大阪の新しい3.0kmの中之島線、7.6kmの宇治線、6.9kmの交野線、14.1kmの石山坂本線、7.5kmの京津線という90.7kmを運行する鉄道会社で、大阪と京都を結ぶ鉄道として発達してきました。

Img_596  この京都と大阪を結ぶ区間は、大阪神戸と並び鉄道競争の激戦区として知られ、JR、阪急も路線を整備していて、厳しい競争下にあって京阪電鉄は乗り心地の良い特急、快速急行と多数の準急や普通電車を中心にきめ細やかなダイヤを組み、重要な交通手段として今日に至ります。

Img_436  京阪は1951年から特急運行を開始、エアサスペンションとクロスシートにより乗り心地の良い車両にテレビカーを組み込み、特急料金不要というかたちで運行しました。1971年からは特急に冷房が装備されるようになり、テレビカーにはカラーテレビが設置されるようになり、快適さはさらに向上しました。

Img_06812  今日特急として運行される旧3000形と8000形にはダブルデッカー車が組み込まれる編成となり、ダブルデッカー車の特急料金不要と言うのは全国初、これは今も変わっていません。そしてテレビカーには個別スピーカが接地され、特急料金不要の車両としては最高峰のサービスを供しています。

Img_2253  京阪電鉄は、1877年に鉄道省線が大阪と京都を結んだ際に、東海道本線から距離がある事で鉄道線の恩恵にあずかれなかった淀川左岸の交通の利便性向上についての気運が高まり、1906年に財界が手を合わせ、京都と大阪を結ぶ新鉄道の建設を目指し、京阪電気鉄道株式会社が誕生しました。

Img_0697  しかし官営鉄道という鉄道省路線との競合を避ける目的でなかなか敷設許可が国から下りなかった経緯があります。路面電車というかたちで軌道線の敷設許可が下りました。こうして街道沿いに大阪天満橋と京都五条の間に線路が敷設、46.6kmの路線が1910年4月15日に開業しました。

Img_1437  開業した京阪電鉄線は、電車こそ小型の1型で今日と比べれば決して速くは無かったのですが、非電化であり蒸気機関車が客車をけん引していた東海道本線にたいして圧倒的な速度を誇っていて、街道沿いに建設された京阪本線の誕生は沿線の活性化に大きな役割を果たしました。

Img_2245  この街道沿いに建設された京阪本線とともに、高速路線として新しい路線を建設する新京阪電鉄線が1921年に建設を開始、1928年には新京阪線として天神橋と西院駅との間で開業しました。この新京阪線はお気づきの通り、今日の阪急京都本線に当たる路線です。

Img_0939  新京阪線は特急を運行していて、1937年の東海道本線京都大阪間の電化実現までは、京都大阪間の旅客輸送需要について、その多くを京阪電鉄が担うようになっていました。新京阪線が開業するとともに京阪線を現在の京津線とは別に大津に延伸する計画が当時真剣に検討されていました。

Img_2618_1  この計画では、今では考えられない壮大な計画なのですが、更に名古屋までの路線を整備する名古屋急行線構想もたてられました。この計画が実現していれば、近鉄線、東海道本線、新幹線と並んで京阪線が名古屋まで乗り入れていることとなり、今日の鉄道路線体系が大きく変わっていたのかもしれません。

Img_2631_1  残念ながらこの長大な計画は1929年に世界恐慌が日本をも巻き込んだことで京阪電鉄は資金難となり、実現には至りませんでした。世界恐慌は京阪電鉄が大きく手を広げた事業の多くを吹き飛ばす打撃を与えたのですが、一方でこの時期までに今日の京阪電鉄の基盤が形成されることになりました。

Img_2640_1  1943年、第二次大戦にともなう輸送能力の効率化を期して、国策により京阪電鉄は阪神急行電鉄と合併、京阪神急行電鉄が誕生します。しかし戦後の1949年には京阪電鉄が終戦により戦時合併を解消、この一連の混乱の中で新京阪線は阪急京都本線として阪急側に残ることとなり、今日にいたります。

Img_2940  こうしてこの時点で京都と大阪は国鉄線、京阪線に加えて阪急線が運行される、という今日の体系ができあがったわけですね。一方で、戦時合併により誕生した近畿日本鉄道、名古屋鉄道はその規模を活かす形で存続され、今日の名鉄、近鉄と言う日本最大級の私鉄路線を展開しています。

Img_3865  京阪電鉄では先進的な車両を多々運行していて、ロマンスカーを日本で最初に導入したのも京阪電鉄でです。ロマンスカーといえば今日では小田急電鉄特急として知られていますが、もともとは1927年に京都への観光急行として京阪電鉄が導入した1550形がそのはじまりで、転換式クロスシートを備えた車両として導入されました。

Img_4816  もう一つの観光スポット琵琶湖を結ぶ浜大津へ直接乗り入れる車両として、60形びわこ号が導入、京阪電鉄を代表する車両となった、びわこ号は営業運転終了後の今日も保存されていて、再度運転可能な状態への復帰を目指すプロジェクトが現在進展中で、広く募金を募っています。

Img_4954  1930年代、東海道本線の電化が完成し、東海道本線の鉄道省運行列車の速達性が高まると、対抗する形で流線型の1000形が導入され、運用されました。この車両は現在、足回りを近代化して石山坂本線において700形となり、今日も元気に運行が続けられています。

Img_4961  戦後、新京阪では戦前から特急が運行されているのですが、新京阪線が阪急京都本線となったことで京阪本線にも特急を運行する必要性が生まれ、1700形、初代テレビカーが1954年に誕生しました。1954年といえばテレビ放送が本格的に始まり、街頭テレビに人が集まっていた、という時代です。

Img_5687  テレビカーにはモノクロテレビが搭載されていただけなのですが、当時の人気は絶大で、こうして京阪特急のなかでテレビカーは一つの代名詞としてブランドが培われていきます。1959年には高加速高減速が可能な2000形スーパーカーが登場、高性能車両を揃えるようになりました。

Img_5693  1963年4月15日には、さらなる大阪中心部への路線延長を目指し、淀屋橋延長が完成、京阪電鉄は新しい飛躍の一歩を遂げました。京阪電鉄は軌道線として敷設され、ということは先ほど記しましたが、実質的に路面電車と扱いが同じである軌道線として長く運行、電圧も低いままでした。

Img_5702  しかし、輸送需要に合わせる形で車両の編成も長くなり、1974年から鉄道線に対応する電圧への電車の昇圧工事が開始されます、これにあわせるかたちで、1978年、軌道線から鉄道線に転換されることとなり、京阪本線は鉄道に、淀屋橋と東福寺が鉄道線へ置き換えられました。

Img_6038  1989年には参上駅から出町柳駅までの鴨東線が開業、併せて現在の主力特急8000形が運行を開始、8000系に併せるように車両アコモゼーションの向上を期して旧3000系へのダブルデッカー車の組み込みが開始、のちに8000系にも組み込まれ、今日の京阪本線と特急の姿が完成します。

Img_5990  2008年10月19日には中之島新線が開業、淀屋橋とともに大阪の中心部に路線を延長させることが実現しました。新しくセミクロスシート3000形を快速急行として充当して、中心部の一つとして数えられながら鉄道線が整備されなかった中之島へ京阪が乗り入れました。

Img_6055  中之島新線は、市電撤退後に鉄道線から隔離された中心地と言う事もあり、京阪線乗り入れで活発な利用は期待されたのですが、その利用状況などから当初考えられたほどに需要はなかったとのことです。しかし、長期的には沿線開発の選択肢を広めたことにもなり、意義深い3kmの路線開発であったといえます。

Img_7320  2010年、百周年を迎える京阪は、選ばれる京阪、進化する京阪を目指し、京阪ブランドを確立するべく新塗装への置き換えを実施しています。これまでの馴染んだ京阪カラーが新塗装に置き換えられるのには一抹の寂しさを感じるのですが、新しい次の百年への前進、という位置づけであるわけです。

Img_7456  花鳥風月というキーワードのもとで快適な高速移動を実現するクラス1エレガントサルーン、これはダブルデッカー車を備えた片側2扉のクロスシート車である8000系や、旧3000系、現在の8030系特急が、このクラス1に当たる車両となり、塗装とともに車内なども新しいものに転換されています。

Img_7473  京阪特急の代名詞となってきたテレビカーですが、現状ではテレビというものは必ずしも特急に必須のものではない、という考えから、新しくセミクロスシート車に切り替えるという計画が進展中です。そういう時代なのかもしれませんが、テレビカー、という名前が無くなりつつあるのは残念ですね。

Img_9661  スマートな快速移動を実現するクラス2コンフォートサルーン、これは片側3扉でありながら1×2のクロスシートを挟んだセミクロスシート車であり、通勤輸送とリラックスした移動を両立させた3000系が充てられます。3000系に続くクラス2の車両がどのようになるのか、という事に興味がわきますね。

Img_7965  街と街を結ぶロングシートのクラス3シティーコミューターという三系列への分化が行われています。これにより、一部のセミクロスシート車のロングシートへの改修が行われていて、併せて、テレビカーの近代型車両への改修も行われていて新しい京阪、次の百年を行く取り組みを展開しています。

Img_7969  京阪電鉄は、新快速が130km/hで快走するJR西日本の東海道本線京都線や琵琶湖線や、もともと高速路線として京阪が整備したのちの阪急京都本線と比べれば、速度は決して速くはありません、多くのカーブにより、可能な限り加速、高速で走るのですが、迫力はあるものの、速度には限界があります。

Img_8030  また、運賃でも、JR西日本を利用するよりは安価に移動することが出来るのですが、阪急と比べた場合、やや運賃は割高になっています。しかし、京阪電鉄は選ばれる鉄道を目指して。車両の豪華さや、停車駅の利便性、駅での最大限の気配りとサービスにより、確たる地位を確立しています。

Img_9611  京阪電鉄は、本日開業から百周年を迎えました。沿線に多くの観光地をもち、そして大都市京都と大阪を結びつつ発展を遂げてきた京阪電鉄、次の百年はどのような展開になるのでしょうか、京都行くならおけいはん!、百年後の想像はできませんが今日のテレビカーやダブルデッカー車を供する、というようなサービス重視の精神は受け継がれるのでしょう。

HARUNA

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平成二十二年度四月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報3

2010-04-14 23:32:31 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 鳩山首相の普天間問題に関するアメリカでの発言が波紋を呼んでいます。一方で中国内陸部での大地震が発生し、不幸にも多くの犠牲者が出ているとのこと、ご冥福お祈りいたします。中国での災害だけありチリ、ハイチと比べ官房長官の立ち上がりも高いなかですが、今週末の行事について掲載。

Img_0840  日本では新潟中越地震での被害が記憶に残るところですが、この新潟中越地震に真正面から向かい合った新潟県上越市の陸上自衛隊高田駐屯地において今週末、駐屯地祭が行われます。第2普通科連隊が駐屯するこの駐屯地は、旧陸軍が駐屯地を置いてから今年で101年を迎える駐屯地です東部方面隊HP22年度行事予定では25日実施予定とのことです

Img_0174_1  第一師団隷下の第34普通科連隊、第3陸曹教育隊が駐屯する板妻駐屯地にて駐屯地創設記念行事が行われます。静岡県御殿場市の駐屯地なのですが、駅から遠いことで知られ、他方で東富士演習場に近い駐屯地ということもあり、山岳戦を始め野戦に強い連隊として知られているのが34連隊です。

Img_6011  長野県松本市に置かれた松本駐屯地でも駐屯地祭が行われます。この松本駐屯地に駐屯する第13普通科連隊は、第12旅団隷下にあって、こちらも日本の屋根、中部山岳地帯を防衛警備管区として受け持つ精強な山岳連隊として知られています。今週末は山岳連隊強化週間!?、と思ったりもしてしまいますね。このほか第306施設隊も駐屯しています。第12旅団HPの行事予定は21年度のものが掲載されています、詳しくは東部方面隊HPをご覧ください。

Img_8088  山形県神町駐屯地で行われる第6師団創設記念行事は、今週末の行事として最も注目される行事といえるでしょう。基幹連隊指揮システムを導入した第6師団は、昨年度の神町駐屯地祭では訓練展示模擬戦で無人機が実際に飛行させるなど、装備以外の展示でも驚かされる内容だったとのことです。

Img_9463  航空関連では、仙台市の霞目駐屯地において霞目駐屯地創設53周年記念行事が行われます。実際に足を運ぶと分かりますが、飛行場地区と駐屯地地区と別れたかなり広大な駐屯地で、東北方面航空隊が駐屯している駐屯地です。編隊飛行や訓練展示の実施に期待が高まりますね。

Img_3215  海上自衛隊小松島航空基地では、航空基地開庁45周年記念行事が行われます。ちびっこやんぐ大会と異なり、飛行展示も実施される航空基地祭で、注目なのですが、最寄りの駅から9.4km、タクシー事業所は無く、南小松島駅からかなりの距離をタクシーで移動するか、本数は少ないのですが徳島駅から路線バスを利用するか、交通の便が悪いことが難点です。

Img_3401  小松島航空基地は、第24航空隊司令部庁舎が第二次大戦中の歴史ある建物で、そして小松島の所以というべきでしょうか、松並木も立派なものが出迎えてくれます。この航空基地は、国籍不明潜水艦への対処とともに南海地震を睨む紀伊水道の要衝で、聞く話一つづつが使命感に繋がっていることに驚かされます。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

  1. 4月18日:東北方面航空隊創設記念霞目駐屯地祭・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/neahq/
  2. 4月18日:第六師団創設48周年神町駐屯地祭・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/
  3. 4月18日25日:高田駐屯地創設記念行事・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/12b/(21年度)http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/(22年度)
  4. 4月18日17日:松本駐屯地創設記念行事・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/12b/(21年度)http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/(22年度)
  5. 4月18日:板妻駐屯地創設記念行事・・・http://www.mod.go.jp/gsdf/eae/1d/
  6. 4月18日:小松島航空基地創設45周年記念行事・・・http://www.mod.go.jp/msdf/22aw/

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

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防衛省発表:中国海軍艦艇10隻が南西諸島の我が国排他的経済水域を突破

2010-04-13 23:09:33 | 防衛・安全保障

◆緊張の沖縄近海へ すずなみ、ちょうかい出動

 ロシア軍の装備計画見直しにより、T95を初め次世代の主力装備となる火砲や空挺軍装備の開発中止が発表され、日本の北方への脅威は一時的に軽減される可能性が示されました。

Img_3822  しかしその一方で、南西諸島の安全保障を考えさせる事案がありましたので本日はこの話題についてお伝えします。4月7日から9日にかけて東シナ海において中国海軍が艦船10隻をもって洋上演習を実施、その後10日にかけて南西諸島の我が国排他的経済水域を横切る形で東シナ海から太平洋へ展開したとのことです。余談ですが舞鶴から護衛艦すずなみ、が展開、三月の事案でも舞鶴から、あまぎり、が展開しています。

Img_1385  中国海軍は3月19日にも沖縄近海に五隻の艦艇を展開させ、排他的経済水域を通過していますので、先月の出現から三週間ほどで今回の事案が発生したこととなります。10隻の艦艇が沖縄近海の排他的経済水域内で行動を行う、というのはきわめて異例の状況です。

Img_9655  状況を俯瞰してみましょう。4月7日から9日にかけて東シナ海中部海域において、江衛級フリゲイトを中心として離発着訓練を実施していたことが確認されている、と防衛省は発表しています。恐らくP3C哨戒機が最初に発見したのでしょう、続いて舞鶴基地から展開した護衛艦すずなみ、が警戒監視にあたっています。

Img_0165  8日午前中には、艦載ヘリコプターKa27が警戒監視中の護衛艦すずなみ、に接近しまして100ヤードの距離まで接近したということです。東シナ海中部海域、とありますが、ここでは日本の排他的経済水域内において行われたのかについては防衛省から具体的な情報は発表されていません。

Img_6529  東シナ海の中部には日本と中国の200海里排他的経済水域の等距離中間線がありますので、この点は重要でしょう。9日に舞鶴基地へ足を運び桜並木と護衛艦を撮影したのですが、すずなみ、は舞鶴基地にいませんでした。日本海で訓練中、と思っていたのですが実は舞鶴から遠く離れた沖縄近海において中国海軍艦船への警戒監視任務に就いていたのですね、これは知って驚きました。

Img_1371  さて、4月10日、護衛艦すずなみ、ミサイル護衛艦ちょうかい、は沖縄本島南西140km、後述する10隻が我が国排他的経済水域を突破し、東シナ海から太平洋に進出しました。11日には再び沖縄南方海域に転進、洋上補給を実施したことが確認されています。一部報道では潜水艦を中心に輪陣形で行動していた、とも報じられていて、洋上で合流した、ということが分析できます。

Img_1455  今回確認されたのは、ソブレメンヌイ級ミサイル駆逐艦福州、寧波。江衛Ⅱ型フリゲイト連雲港、江衛Ⅰ型フリゲイト准北、銅陵。キロ級潜水艦2隻、ダーラン級潜水艦救難艦、福清級補給艦、艦隊航洋船の10隻、キロ級潜水艦は新型の潜水艦と報道されていましたのでロシアから輸入した12隻のなかで877型ではなく新しい636型、ということなのでしょうか。日本近海で浮上航行していたのを確認したのは今回が初めて、とのことでした。

Img_2213_1  ソブレメンヌイ級はロシアから輸入したミサイル駆逐艦で、シチル防空システムを搭載した中国海軍最初の艦隊防空艦として1999年に最初の一隻を導入、杭州と命名、二番艦は福州として2001年に導入しました。この二隻は建造中のⅠ型を輸入したもので、寧波はⅡ型で四隻目、満載排水量7940トン、海上自衛隊では、はたかぜ型に航空機運用能力を付与したような強力な艦です、SSN-22対艦ミサイルを運用していてマッハ2.5で巡航するミサイルとして騒がれましたが、その分大型で探知が容易、といわれ今日に至ります。ダーラン級は、DSRVを運用できる大江型とともに運用されている救難艦で釣り鐘型のレスキューチェンパーを運用するタイプです。

Img_5033  海上自衛隊ですが厳しい財政状況に際してでも、能力の近代化とともにそろそろ本格的にその勢力を冷戦時代ほどではなくとも、すくなくとも90年代の水準にまで戻す必要、そして南西諸島の陸上自衛隊に関しては第15旅団の拡大改編、航空自衛隊については第83航空隊の航空団への拡大改編、というものを真剣に検討する時期が来ているのかもしれません。

Img_6851  現時点では、大型水上戦闘艦の数と質、固定翼哨戒機・回転翼哨戒機でも数と質で海上自衛隊は中国海軍に対してかなり優位にあるのですが、急激にその勢力を拡張している中国海軍の能力は無視できませんし、その海軍力の増強に関しては不透明な部分も多々あります。これらに対しては相応に対応できる体制を組むことこそが、将来の不幸を回避するうえでは必要といえるのではないでしょうか。

HARUNA

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滝ヶ原駐屯地創設36周年記念行事速報 普通科教導連隊・評価支援隊

2010-04-12 12:44:13 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

◆デジタル迷彩の89式装甲戦闘車登場

 滝ヶ原駐屯地祭、京都から遠いですし当初は行く予定は無かったのですが、行くことが出来ることになりまして、最小限の撮影機材とPCを押し込んで名古屋経由で御殿場に向かう事となりました。Shin様、感謝です。

Img_6686  写真は第1中隊の89式装甲戦闘車で、大口径機関砲と対戦車ミサイル、暗視装置を強力なエンジンとともに搭載、戦車と行動を共にする北海道の第11普通科連隊にしか装備されていない強力な車両です。こうした車両を観ることが出来るのと、評価支援隊が駐屯、滝ヶ原駐屯地は撮影環境が良く、装備の注目度も高いです。

Img_6691  普通科教導連隊、富士学校富士教導団に所属して近接戦闘、陣地占領、警戒などを広く担う普通科職種の新しい装備の研究や厳しい状況に打ち勝つ戦術の開発、普通科幹部への専門教育などを担う部隊で、最新鋭の装備を最初に装備され、最新の運用を研究する部隊として、その精強さは広くしられています。

Img_6719  89式装甲戦闘車の車列にあって、もっとも注目されたのは、このデジタル迷彩を施した車両でした。近年、市街地での戦闘という可能性が高まる中、人口密集地が多い日本の防衛を担う陸上自衛隊にあっては、見通しが利かず通信や火力行使が制限される中、突発的な戦闘が生じる一方で索敵が難しく掃討も困難な状況に際して、防御力と火力拠点となる装甲車両の意義は高く、しかし運用の研究が必要なものです。そのための直線を基調とした迷彩研究の一つがこの車両迷彩パターンとなっています。

Img_6705  89式装甲戦闘車、通常の野戦迷彩はこのようになっています。野戦迷彩で市街戦を行う場合、その見た目の異様さからなる威圧力が戦闘を抑止させる効果も期待できます。また市街地では自動車や電柱、果ては建築物まで、破壊されて障害物とされますから、通常の車両では立ち往生してしまいます。そういった意味でこの種の装甲車両の重要性は大きい訳です。

Img_7027  全国の自衛隊部隊はどの程度の練度をもっているのか、その評価を行うのが評価支援隊です。滝ヶ原に駐屯している部隊は、北富士駐屯地のFTCにおいてレーザー交戦装置を用いての戦闘を全国の普通科部隊を相手に行います。各所にセンサーや監視機材が置かれていて間接照準射撃の評価も行う事が出来る高い訓練が行う事が出来ます。そこで評価支援隊は地形を熟知しているからこその高い能力で相手を圧倒するとのこと。あまりにも強いことからFTCは、一部ではサスケ、たけし城と呼ばれ、全国の部隊は今度こそ打倒評価支援隊を掲げ日夜訓練と戦術研究に全力を挙げています。

Img_7041  評価支援隊は滝ヶ原に駐屯しているのですが、戦車、装甲車とともに第一機械化大隊を編成しています。第一機械化大隊は、二個普通科中隊と戦車中隊から編成されているようです。仮設敵という任務に当たる部隊ですから、迷彩服も迷彩2型とは異なるものを着用しています。旧迷彩の色違い、でしょうか、航空自衛隊旧迷彩とはまた違ったものを装備しています。

Img_6993  正直な話ですが、おはずかしながら評価試験隊というのはもう少し小規模な部隊で、車両等は足りなければ教導団から一時管理換で借用しているのかな、と勝手に思っていました。陸上自衛隊というと装甲車が少ない、という先入観がありますからね。しかし、今回の駐屯地祭で払拭されました。96式装輪装甲車や軽装甲機動車導入以前の陸上自衛隊とは大分かわったのですね。

Img_7090  74式戦車。かなり雰囲気が違うのはバトラー交戦装置を車体に装備しているからなのですが、その発光装置が砲身上にあって、これは新型センサーなのかと思ったのですが発信装置でした。一見、旧ソ連戦車が搭載するアクティヴ暗視装置のような丸い形状のポリバケツを装備し、赤い星を車体に張り付けるなど、仮設敵として行動する事が良く見て取れる車両です。

Img_7367  模擬戦は普通科教導連隊が各種車両を用いて行われて、そこに評価支援隊第一機械化大隊戦車中隊の74式戦車や特科教導隊のFH-70榴弾砲が参加し、市街地での戦闘を想定、包囲環の形成と制圧、負傷者の発生と後方搬送までを一連の流れとして実施されました。写真は89式装甲戦闘車からの降車戦闘。行事は天候に恵まれ、富士山はあまり見えませんでしたが、興味深いものも多く充実した一日でした。

HARUNA

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ヘリコプター護衛艦ひえい(DDH142 HIEI) 呉基地から神戸港へ入港(2010.03.22) Ⅲ

2010-04-11 23:37:31 | 海上自衛隊 催事

◆練習艦隊一般公開

 一般公開は午後からということなのですが、入港を撮った以上こちらも撮影したいところです。あと一時間で到着という名古屋からの一行との合流を期して、一般公開開始まで別のアングルからみてみましょう。

Img_9789_1  ひえい、さわゆき、その入港を撮影したのですが、撮影はポートターミナルからの撮影となりました。しかし、ポートターミナルの先端部分に接岸しましたから残念ながら二隻並んだ様子というのは撮れていません。それならばと橋を渡ることとしました。ここから撮影できるのです。ポートアイランドで合流することとして歩き始めました。

Img_9818_1  護衛艦ひえい、さわゆき。二隻並ぶと大きさの違いがよくわかります。海上自衛隊の護衛艦はアメリカ海軍の基本的に満載排水量が8000トン、という水上戦闘艦と比較した場合こそ、やや小さいように感じてしまうのですが、さわゆき、この、はつゆき型は満載排水量が4000トンで後期艦は上部構造物をアルミ製から鋼製に改めたことで満載排水量は4200トン、ひえい、も6800トンで、諸外国の軍艦は3000トンで大型、といいますのでかなり大きかったりします。

Img_0871  ひえい、の127ミリ単装砲ZMk42、マウント重量は58.6トンですが、31.75kgの砲弾を807m/sの速度で22km先まで毎分17~34発射撃することができる優秀砲です。さわゆき、の76ミリ62口径コンパクト砲、マウント重量8トンと非常に軽量で毎秒35度の旋回能力があり、6kgの砲弾を毎分100発、925m/sで12km先まで発射することができます。砲というのは対水上、対陸上、対空に、そして警告を含め様々な用途に使うことができます。

Img_0920  一般公開へ手荷物検査を終えて進みます。RUR5アスロック。対潜水艦ロケットの略語で、短魚雷を相手の潜水艦の直上まで投射する事ができる装備です。短魚雷というのは基本的に相手の潜水艦の真上から発射しないと命中しない、ということで、それならば10km先まで、とアメリカのハネウェル社、ロワール社が1961年に開発したものがこのアスロックで八連装Mk112発射機から運用されています。

Img_0927  二隻の艦橋。ひえい、は蒸気タービン推進方式を採用しているので、マストとファンネルが一体化したマック構造を採用しています。さわゆき、はガスタービン推進方式で、強力な出力を瞬時に得られるこの推進方式は、一方で多くの排気を出すことからファンネルは大型化します。こうして写真のように、マストの形状に推進方式は影響してくるわけです。

Img_0931  きけん!よりかからないでください!ボクたち・・・ときどき・・・うみにおとすよ!!。なんというか恐ろしい一言ですね。これは舷側に出されていた掲示です。一般公開の時には安全柵と転落防止ネットが設置されているのですけれども、これも寄りかかると取り外し可能なこれらの安全装備は海側に倒れてしまうことも、そうすると海面まで超特急ですから、そうならないように、こう注意喚起をしているわけですね。

Img_0943  RGM84ハープーン対艦ミサイル。この筒に一発づつが納められていて射出後翼を展開、テレダインJ402ターボジェットにより海面すれすれを亜音速で飛行、慣性航方で目標に接近して目標付近でレーダーを発して目標を発見、635kgのミサイルにはHE222kgと残存燃料が収められていて命中とともに爆発、目標を無力化します。射程は200km前後、海上自衛隊をはじめ西側海軍に広く装備されている海の銛です。装填中、と書かれてました。

Img_0969  さわゆき、ヘリコプター格納庫。海上自衛隊は、はつゆき型が整備されるまで汎用護衛艦は対潜装備を中心に装備してきていて、対空ミサイルを搭載したミサイル護衛艦、ヘリコプターを搭載するヘリコプター搭載護衛艦と任務を分担していたのですが、自艦を守れる程度の対空ミサイル、そして目標を叩くことのできる対艦ミサイルを搭載して、ミサイルの誘導や対潜哨戒に使うことのできるヘリコプターの運用能力を付与した本型の意義は、それはそれは大きいものでした。

Img_0991  SH60J哨戒ヘリコプター。順次新型のSH60Kに切り替えられているのですが、1989年から103機が生産されたこのヘリコプター、HSS2Bと比べてデータリンク性能が盛り込まれてセンサーなどの面でも近代化されている機体です。各種対潜機材に捜索レーダー、戦術情報処理装置を搭載した優れた機体なのですがね、今日では各地の航空基地を中心に保存展示機としてHSS2BはSH60Jの活躍を見守っています。

Img_1001  20ミリ高性能機関砲CIWS。高速で接近する対艦ミサイルという脅威が現実化した60年代に開発が開始された装備で、ミサイルをレーダー発見して射撃、という一連の動作をコンピュータが自動で行うことでタイムラグを最小限にして命中する前になんとかたたき落とそうとするもの。射程は1.85km、1000~3000発の20ミリ砲弾を射撃するものです。亜音速のミサイルは、1.85kmを一瞬で飛び越えて接近しますし、命中して撃破しても惰性で破片が飛び込んでくるのですが、当時は唯一の接近した対艦ミサイルの撃破手段として装備されました。上の白い部分がレーダー。

Img_1011  ひえい、とポートライナー。ポートライナーは置いておいて、砲について。CIWSはマウント重量が6トン近くあって、もう少しで76ミリ砲に追いついてしまうのですが、最近は76ミリ砲の新型砲弾で対艦ミサイルの迎撃を第一に設計されたもの、そして76ミリ砲から発射する誘導砲弾も開発されているとのこと。機関砲には限界がありますから、こうした研究も行われているのですね。

Img_1025  ひえい、さわゆき、とポートライナー。一方で砲以外に、機関砲を30ミリや40ミリとして20ミリよりも射程と威力を高めた近接防御火器を開発する、もしくは対艦ミサイルを迎撃する簡易対空ミサイルRAMなんてのも開発されています。対艦ミサイルは水上戦闘艦にとってもっとも大きな脅威として挙げられるものですから、対策はいろいろと考えられているということです。

Img_1019  ひえい艦橋上に二基配置された射撃指揮装置1型。127ミリ砲の照準用に搭載された射撃指揮装置で、FCS1。ここから国産の射撃指揮装置の飛躍は始まったわけですね。対水上目標、対空目標、対陸上目標にたいして照準を行う装備で、この技術基盤からFCS2の各型が開発されて、そうした上でFCS3が開発されたのはご承知の通り。射撃指揮装置というよりも射撃方位盤といいたくなるかたちですね。

Img_1034  艦橋も一般公開されていましたので、上っていきます。登る際に傾斜の急なラッタルを使うのですが、カメラバックを背負って登るとつかえそうになります。艦橋には様々な機器が並んでいるのですけれども、ここはやっぱり舵の写真を載せたいところです。しかし、思うことは誰しも同じ、撮るには人が舵の前からいなくなる一瞬を待ちます。

Img_1029  伝声管。声を伝えるもっとも原始的な手段ですが、こうしたローテクは故障しませんから、その意義は決して軽いものではありません。このほか、艦艇は、海図の整理でその力量が表れる、と聞きますので、艦橋の海図なんかもみてみました。この日の一般公開はここまで、機関管制室や食堂は公開されていませんでしたので、撮影は終了です。最後になりましたが、現地でお世話になりましたみなさま、ありがとうございました。

HARUNA

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

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