北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

平成二十五年度九月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2013.09.21・22・23)

2013-09-20 23:14:04 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事

 今津中止、三沢午後から大嵐、岩国平常運転、先週末はこうしたかたちでしたが今週末は、お天気良さそう。

Gimg_0102 こうしたなか、先週の行事中止の翌日、京都市内を含め台風18号に伴う豪雨により少なくない被害が生じました。先日創設記念行事を行った金沢駐屯地の第14普通科連隊、行事を中止した今津駐屯地の戦車部隊は共に災害派遣に出動しました。第7普通科連隊は京都市内へ出動、災害派遣へ敬意を表するとともに、被災された皆様にお見舞い申し上げます。

Gimg_5354 さて。今週末の自衛隊関連行事ですが、幾つか行われます。最大の行事は日曜日の武山駐屯地自衛隊高等工科学校創設記念行事です。こういうのも、武山駐屯地の所在する横須賀市、横須賀基地と相模湾を舞台として本日から28日まで第六回西太平洋潜水艦救難訓練が実施されるためです。

Gimg_0703 武山駐屯地は久里浜駅からバスを利用しますが、帰りに横須賀駅で降りれば横須賀基地が隣、ヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが、潜水艦救難艦ちはや、練習潜水艦ふゆしお等、自衛艦艇のほか、豪州海軍コリンズ級潜水艦ウォーラーが来日するため、珍しい一隻を見ることが出来るかもしれません。

Gimg_8138 鯖江駐屯地創設50周年記念行事、こちらも大注目で、明日土曜日に福井市内フェニックス通りにて市中パレードが実施、第372施設中隊や第14普通科連隊のほか、航空自衛隊のF-15が四機編隊など12機の航空機が飛行し、海上自衛隊の第23航空隊も参加します。ちなみに、フェニックス通りは金沢駐屯地祭の帰路に立ち寄りましたが、路面電車の走る区間、路面電車と74式戦車の並びも期待できるのか。

Gimg_5947 鯖江駐屯地での行事は日曜日、鯖江駐屯地は第372施設中隊が駐屯する、非常に小規模な駐屯地ですが、架橋展示や普通科連隊の支援を受けての訓練展示など、鯖江は眼鏡だけではない、という迫力がうりとのことで、市中パレードとあわせ、今週末は福井はお勧め。

Fimg_6478_1 秋田駐屯地祭、秋田駐屯地創設61周年記念行事、第21普通科連隊の駐屯地です。東北地方の自衛隊関連行事は特急白鳥はもちろんのこと、寝台特急日本海も既に無く、京阪神地区からはなかなか簡単にいくことが出来ないのですがいつかは足を運んでみたい行事が多々あります。

Gimg_1337 八戸航空基地祭、第2航空群が展開する海上自衛隊基地で、開庁56周年記念行事で、1115時からP-3Cによる飛行展示が行われるほか、地上展示なども予定、更に事前応募制のP-3C哨戒機体験飛行が行われますので、発着を間近に見ることが出来るでしょう。

Gimg_1179 大湊基地開庁75周年記念行事、大湊地方隊は創設60周年を迎えましたが、航空基地は更に長く海上自衛隊HPによれば75周年を迎えるとのことです。大湊地方隊によれば57周年とのことですが、飛行展示などが予定され、ヘリコプター体験搭乗は当日抽選会を実施する、とのこと。

Gimg_2825 このほか、航空自衛隊高尾山分屯基地開庁記念行事が行われます。高尾山といっても中央線で一本ではなく、山陰本線側の分屯基地ですのでご注意ください。分屯基地開庁59周年記念行事ですが、山頂見学会や自転車走行展示など、おこなわれるもよう。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成25年度航空総隊戦技競技会、9月24日~10月11日に百里基地・三沢基地で実施

2013-09-19 23:51:33 | 防衛・安全保障

◆航空総隊司令官中島邦祐空将が統裁官

 航空自衛隊によれば、航空総隊は来週9月24日から10月11日にかけ、平成25年度航空総隊戦技競技会を実施する、とのこと。

Simg_6050 戦技競技会は対戦闘機戦闘の能力を中心に、戦闘能力の向上を主眼として、基礎動作から応用動作までの能力を全ての飛行隊の参加を以て実施するもので、百里基地とその周辺空域、三沢基地とその周辺空域を実施場所とし、航空総隊司令官中島邦祐空将が統裁官として臨みます。

Himg_5267 文字通り日本最強の飛行隊を競技により勝ち取るという意味から、航空自衛隊の戦闘機部隊として12個飛行隊全てが参加し、その気合の入り方は大変なものとされています。また、競技会へは戦競塗装にて参加する部隊もあり、意見派手すぎる塗装にて臨む機体も。

Bimg_9061 競技部門は戦闘機部隊の機種ごとに分かれており、まず9月24日から28日にかけ、F-4戦闘機を運用する要撃飛行隊全てに当たる二個飛行隊が百里位置とその周辺空域において競技を行います。往時と比べ数は減りましたが、二個飛行隊というと、百里基地と新田原基地の飛行隊です。

Nimg_8951 F-4は後継機であるF-35の導入まで、まだ少なくとも数年、運用終了までは十年以上ありますので、老朽化は進んでいますが予備機の借用でも出来ない限り運用する航空自衛隊と整備を行う三菱重工、共に機体運用の持続について、もう少し頑張ってもらわなければなりません。

Gimg_7354 F-15の飛行隊は9月27日から10月5日にかけ、百里基地及びその周辺空域において行われ、こちらは航空自衛隊の主力であるF-15が参加するため、千歳基地、百里基地、小松基地、築城基地、那覇基地から七個飛行隊が参加部隊を編成し、戦競へ臨むというかたち。

Img_0024 なお、この戦競塗装ですが、F-15は機体上面の平面部分が航空自衛隊の全戦闘機中一番大きいため、垂直尾翼にかけての部分と機体上面部分に大きな塗装を行い参加する機体もあり、既に一部の基地では参加予定機がその塗装のまま訓練、競技会を控えての猛訓練へ臨んでいる、とのこと。

Oimg_2519 蛇足ながら、航空自衛隊へF-35の導入が開始された場合、機体はステルス塗装を採用していますので、迷彩塗装などを適宜行うことはできないことを意味し、言い換えれば戦競塗装のF-35を見ることはできません。F-15とF-2の時代まで、という一時代の風物詩として将来語られてゆくのでしょうね。

Gimg_6610 F-2支援戦闘機の部隊は、10月4日から11日にかけ、三沢基地とその周辺空域において実施し、三沢基地と築城基地より三個飛行隊が参加部隊を編成し、臨みます。このほか、航空方面隊に所属する航空警戒管制団の要員もF-4,F-15,F-2全ての部門に参加部隊を派遣します。

Timg_8654_1 上記日程は、予備日と表彰式の日程を含んでいるため、この起案中毎日特別塗装の機体が飛行しているわけではありませんが、戦技競技会でなければ見る事の出来ない塗装の機体も多く、一部航空機愛好家の方々は足を運ばれる、とのことです。一種、催事的な印象もありますが、こうした競技会を経て日本最強の部隊が選ばれます。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史地震再来と日本安全保障戦略⑥ 天正地震、戦国時代の広域連動直下型地震

2013-09-18 23:52:33 | 防災・災害派遣

◆内陸直下型地震が近畿東海北陸を蹂躙

 太閤豊臣秀吉が伏見城、大阪城を築くとき、造営を担う普請へ念を押した文書へ“耐震構造に充分配慮せよ”、というものがありました。
Qimg_6603 豊臣秀吉が記したことで歴史に残る耐震構造ですが、何が天下人をそうさせたのか、その背景に、秀吉の時代に日本海側と太平洋側同時に津波被害を及ぼした巨大地震が日本を襲っていた、という話、皆様信じることが出来るでしょうか。歴史地震として、戦国時代の末期、非常に国内が混乱していた時代にて資料は残りにくいものですが、内陸直下型地震として、想像を絶する規模の巨大地震が発生していたことが記録されています。歴史地震への備え、日本はもちろん周辺の安全保障情勢に痛撃を与える危険性を持つ八重山地震を前回までに紹介しましたが、日本本土で過去実際に発生した恐るべき地震の概要を紹介しましょう。
Qimg_2210 1586年11月29日時2200時頃、それは日本列島本州中央部を震源として発生しました。天正地震、歴史では行使されていますが、内陸直下型地震であったため、被災地毎にその被災地を震央と考え、湖北では長浜大地震、北陸では白山大地震、河内では木舟大地震、東海地方では天酉地震、とそれぞれ命名されています。どれが正しいかと問われれば回答に困りますが、北陸地方、近畿地方、東海地方、この伊勢湾から若狭湾までの数多くの直下型地震を引き起こす活断層の一つの揺れが引き金と成り、本州最峡部を縦断する巨大地震が発生したのでした。
Qimg_3536 天正地震は、震源地として現在の岐阜県飛騨市、福井県との県境近くが有力説とされており、庄川断層、阿寺断層、養老断層、伊勢湾断層が一つの自信により誘発され、巨大地震となりました。丁度、富山湾と若狭湾に伊勢湾と大阪湾を結ぶ巨大な菱形の域内が、震度五強から七という巨大地震に襲われ、直後、伊勢湾沿岸と若狭湾沿岸を津波が襲ったほか、山岳崩壊により琵琶湖でも津波が発生しました。地震の揺れは遠く静岡県や和歌山県でも記録され、特に低層建築物に破滅的な被害を及ぼす小刻みな揺れを特徴とする直下型地震の被害は、計り知れません。
Qimg_0810 城郭の被害だけでも記録されているものは、飛騨の帰雲城、現在の白川郷を見下ろす高台にあった城郭が山岳崩壊と地滑りにより全滅し城主内ヶ島一族は全員死亡するとともに領内の多くの集落が山岳崩壊により文字通り押し寄せた山体の下敷きとなり物理的に消滅、更に領内の焼岳が地震後に大噴火を引き起こし、農業が火山灰により壊滅的被害を受けたため、地形上復興が難しく、21世紀の今日に至るも往時の勢いを取り戻すことが出来ませんでした。郡上、飛騨のすぐ南に或る郡上では鉱山と周辺集落が倒壊し長良川をせき止め、その後の被害を増大させています。
Qmimg_7095 東海地方の地震被害は、美濃大垣城が地震後に発生した城下町の火災により全焼、織田信長が天下布武の旗印を掲げた尾張清州城も液状化の被害を受け信長の二男織田信雄はのちに城主としてその再興に東奔西走することとなります。して、織田信雄が当時城主を務めていた伊勢長島城は天守閣が倒壊、この伊勢長島城は天正地震による天守閣倒壊後も天守閣は再建されず、江戸時代に長島藩庁を経て今にその遺構を残します。なお、織田信雄が液状化被害を受けた清州城へ移ったのは、長島城の天守閣倒壊によるもので、まだ被害が少なかった清州城へ移った、というところが実態という説もあり、被害の大きさが覗えるところ。
Qmimg_6287_1 この地震被害は、発生が震源地から遠い岡崎城で徳川家康の家臣、松平家忠の日記である家忠日記に刻銘に記録され、発生時刻が2200時頃であること、その四時間後に大きな余震があり、続いて12日間に渡り、余震が続いていたとの記録があります。驚くべきことは、地震発生時刻に関する文献が震源から遠く離れた三河地方に残っていることで、これよりも震源に近い地域では地震とそれに付随する様々な被害、記録が残らないほどの被害に極度の混乱に陥っていた事をして示しているでしょう。
Qimg_9905 近江地方では、琵琶湖沿岸では湖北地方の山岳崩壊が雪崩込んだことに起因する津波の発生が記録され、山内一豊の居城である長浜城は天守閣から石垣まで全壊、山内一豊は難を逃れたものの、長女与祢姫が庇う乳母ごと城郭に押し潰されその短い生涯を閉じました。同時に山内一豊は織田信長に播磨三木城攻めを命じられてからの部下で家老の乾和信をこの地震被害で失っており、湖畔の城郭を押し潰した揺れは城下町である現在の長浜市内を液状化により湖畔が水没し、潰滅させています。この被害の様子は一豊公記にも記され、今にその様子を伝えています。
Qqimg_7777 京都は、この地震では直下型地震であったため震源地からの距離もあり、大きな被害免れたのですが、東寺が当時我が国最高層建築物であた五重塔こそ無事だったものの講堂が半壊し、三十三間堂では仏像の大半が倒れました。日が居こそ京都全体では大きくなかったものの、応仁の乱からの復興過程にあった京都にはやはり影響は小さくありません。逆に言えば、現在の京都中心部は豊臣秀吉と徳川家康の治世下で復興したもので、特に家康の復興への尽力に感謝したことで始まったのが、今では京都三大祭に数えられる葵祭の始まりであったことを記すと、分かりやすいでしょうか。

Qimg_0642 北陸地方では前田利家が地震被害により弟の前田秀継を亡くしています。加賀百万石と今日では伝わる前田家も、当時は倶利伽羅峠を境界線として佐々成政との間での最前線に位置し、地震前年に末森城の戦いで佐々成政の圧力を退け、地震の僅か三か月前、豊臣秀吉の10万の兵力を以ての佐々成政討伐を果たし、越中平定を経て前田利家は越中を拝領し、金沢城を築きます。そして前田秀継は木舟城主を命じられ、安泰を迎えたその直後、地震により城郭が全壊し、妻子部下共々城と運命を共にしました。

Img_7036 津波被害は、諸説あり、敦賀市の地質調査では大きくなかったとの評価もありますが、伊勢湾沿岸と若狭湾沿岸を襲い、伊勢湾沿岸は現在でこそ名古屋市と共に干拓され、一面の濃尾平野が広がっていますが、当時は濃尾平野が島嶼部により構成された多くの入り江で成り立っており、ここが地震により地盤沈下し、逃げ場を失ったところに津波が襲い、幾つかの島は文字通り全滅し、近年まで記録さえも散逸したものが地学調査により発見されたという被害がありました。若狭湾では現在の小浜市と美浜町に福井市や宮津市周辺の被害が大きく、これは当時日本にいた宣教師ルイスフロイスのフロイス日本史やイエズス会日本書翰集により被害の様子が記録されています。
Qimg_9068 日本が歴史上経験した最大の内陸地震は岐阜県を震源とした1891年10月28日の濃尾地震とされています。最大震度6ですが、当時は震度7が制定されておらず、人口密度の低い地域であったのですが犠牲者は7273名でした。しかし、天正地震は直下型地震であったものの震源分布はさらに大きく、濃尾地震のマグニチュード8.0に対し、天正地震は情報が散逸しているため震度から被害状況を類推するほかないのですが、マグニチュード7前後という説もある一方で、マグニチュード8.1乃至マグニチュード8.2、 という研究があります。ただ、混乱の時代であったため、残された被害状況などの資料は多くはありません。 

Qimg_6616 こうして豊臣秀吉は、自らの経験に深く印象づいた天正地震を前に、多くの天守閣が倒壊し、日本海側と太平洋側に津波が押し寄せるという未曽有の経験から、自らが新しく城郭を造営する際、特に耐震性というものを強く意識したわけでした。場合によっては日本史を左右していたかもしれない巨大地震、歴史地震として今日、多くの資料が戦国時代の残りにくい時代を経て朧げな概要のみを示しており、まだまだ研究の余地が残るものではありますが、歴史は我々に警告を残しているといえるでしょう。次回は、この天正地震をもう少し考えてみたいと思います。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風18号9.16災害、京都府・滋賀県・福井県・新潟県・岩手県が自衛隊へ災害派遣要請

2013-09-17 23:56:58 | 防災・災害派遣

◆初の大雨特別警報発令、嵐山など水没

 週末を襲った台風18号に気象庁は従来の警報以上の災害に備えて設定した特別警報措置を初適用しました。

Timg_1942 この台風18号は、広い地域に河川の氾濫などの被害を及ぼし、京都府だけで、京都市内の嵐山や伏見での氾濫、福知山市の広域水害と全市避難勧告、舞鶴市の由良川氾濫と全市避難勧告を筆頭に大きな影響があり、京都府知事、滋賀県知事、副以遠知事、新潟県知事、岩手県知事が自衛隊へ災害派遣を要請しています。

Timg_5220 京都府の災害派遣要請は16日0700時、京都市内伏見区の河川氾濫に対する水防活動の要請が、京都府を防衛警備管区とする福知山駐屯地第7普通科連隊に対し出されました。第7普通科連隊は直ちに即応部隊の人員30名、車両5両を以て0845時に福知山駐屯地を出発、伏見区の羽束師橋付近での水防作業を展開しています。

Timg_4057 福知山駐屯地からは続いて0952時、第7普通科連隊の増援部隊が人員30名と車両5両を以て出動しています。更に1007時、京都市の桂駐屯地より第三次増援部隊として中部方面後方支援隊より人員130名が車両15両に乗車し、展開しました。ただ、地形上更に広い水防の必要性があり、増援要請が出されました。

Img_6829 大久保駐屯地より、第四次増援部隊として中部方面隊直轄第4施設団より、第102施設器材隊が人員30名と車両5両により出動し、偵察を行っています。続いて第五次増援部隊として桂駐屯地より関西補給処桂支処の人員30名が車両5両に乗車し1120時に出動、1430時、水量の増水が止まったこともあり、撤収要請が出されています。

Img_5991 京都府での災害派遣は人員250名と車両40両、初動を京都市から遠い福知山の第7普通科連隊が担い、併せて福知山市内の水害と舞鶴市内の水害、綾部市内の増水を警戒しつつ、京都市とその近傍部隊の支援を適宜受けての災害派遣となりました。一個連隊での管区完結という任務の厳しさ、と言えるかもしれません。

Timg_1623 福井県では、京都府の災害派遣要請とほぼ同時の0705時、福井県知事により県内での水防活動と美浜町丹生地区での土砂崩れに伴う行方不明者捜索福井県を防衛警備管区とする金沢駐屯地の第14普通科連隊へ、災害派遣要請を出しました。

Img_9954 第14連隊は、金沢を中心に福井石川富山という北陸三県を警備管区としており、この地域での他の水害にも予断を許しません。第14普通科連隊は要請を受け、即応部隊として捜索部隊に人員40名が車両10両を以て金沢駐屯地を出発し、現地での捜索活動へ向かいます。

Img_6613 続いて、0950時、福井県内に駐屯する鯖江駐屯地より中部方面隊隷下の第372施設中隊が増援部隊として人員20名と車両5両を以て出発、1140時に第三次増援部隊として今津駐屯地より第10戦車大隊が人員30名と車両10両により展開し、行方不明者捜索へ。

Img_9063 更に第四次増援として鯖江駐屯地より第372施設中隊の10名が車両5両を以て支援に当たっています。1303時、撤収要請が出され、人員100名、車両30両の災害派遣を完了しました。第14普通科連隊の警備管区は広く、限られた要員をどう展開させ、如何に待機するのか、厳しい判断を強いられたと言えるでしょう。

Timg_5868 滋賀県内では、京阪石山坂本線と京津線の被害や大津市内での氾濫や東海道本線琵琶湖線の路盤法面崩壊など被害が生じましたが、滋賀県高島市宮野にて、土砂崩れにより孤立地域が発生、0900時に滋賀県知事より今津駐屯地の第3戦車大隊へ災害派遣要請が出されました。

Timg_5938 第3戦車大隊は、災害派遣要請に先立つ0820時、既に強くなっていた豪雨により偵察部隊を出動させ、高島市内の偵察を実施していましたが、0900時に滋賀県知事より第3戦車大隊長へ災害派遣要請が出されたため災害派遣に切り替え、偵察部隊として出動していた10名の5両を以てそのまま孤立地域へ進出しています。

Timg_0549_2 第3戦車大隊は、0929時、孤立地域より孤立住民2名を救助、続いて1528時に孤立住民11名を救助し、その後1600時に撤収要請が出されました。この災害派遣は規模では10名と5両という小規模なものでしたが、自衛隊の即応性の証左についての端的な事例といえるでしょう。

Timg_6963 新潟県での災害派遣は、1712時、新潟県妙高市及び同県の上越市での河川水が上昇し河川氾濫に暗する危険水位を超えたため、新潟県知事より上越地区を防衛警備管区とする相馬原駐屯地の第12旅団に対し水防活動に関する災害派遣要請が出されました。

Timg_6117 第12旅団は直ちに新潟県の高田駐屯地に駐屯する第2普通科連隊に対し出動を命令、1834時に第2普通科連隊は即応部隊より人員10名を車両5両により出発し、現地に到着補偵察活動を開始しました。しかし、偵察活動の後、水位が下がり始めたため1907時に新潟県知事より撤収要請が出され、任務を完了しています。

Timg_0394 岩手県では1940時、台風に伴う豪雨により盛岡市玉山地区において孤立住民が発生したため、岩手県知事により岩手県を防衛警備管区とする第9特科連隊に対し、災害派遣要請が出されました。連隊は2125時、特科連隊より救助部隊を編成し、人員40名と車両10両を以て岩手駐屯地を出発しました。

Timg_04350 第9特科連隊災害派遣部隊は到着と共に孤立者救助活動を開始し、2350時、孤立者12名全員の安否を確認しました。その後も後続部隊を以て情報収集などに当たっていましたが、17日0110時、撤収要請が出され、任務を完了、人員延べ80名と車両延べ20両が派遣されました。今回の台風に伴う災害派遣は以上の通りです。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新防衛大綱と我が国防衛力の課題② 軽視される陸上防衛の根幹、機動打撃力への警鐘

2013-09-16 23:19:38 | 防衛・安全保障

◆普通科重視は単なる予算縮減の方便か

 新防衛大綱に関する特集ですが、今回は陸上防衛力が軽視され過ぎているのではないか、という部分を考えてみましょう。

Dimg_3564 防衛大綱において陸上自衛隊が軽視されているのではないか、と考える根拠には、前回の防衛計画の大綱改訂の際に、戦車と火砲という根管陸上防衛装備を削減する際に、柔軟性を有する普通科部隊へ大きく転換する、としていた決定が、全く予算措置により担保されなかったことにあります。

Img_4816 機械化歩兵部隊、特に欧州諸国では戦車に換わる新しい主力として装甲戦闘車を中心とした機械化歩兵部隊の地位が向上しています。大口径機関砲と連動する高度な火器管制装置、重装甲に防護され高い機動力を有する装甲戦闘車を大量に保有しているのならば戦車はある程度代替できます、もちろん費用は戦車とあまり変わりありませんが、普通科重視を掲げるならば、こちらの充実を進めねばなりませんでした。

Dimg_1303 新しい防衛計画の大綱が島嶼部防衛を重要視しすぎる場合、主たる防衛力は海上戦闘と航空戦闘となり、陸上自衛隊が軽視されることとなりかねませんが、専守防衛を国是とする我が国は第一撃を行うことが出来ないため、政治的に着上陸を許さざるを得ない蓋然性が高く、余り陸上防衛を軽視する場合、かえって取り返しがつかなくなる可能性は捨てきれません。

Simg_4568 さて、前回の防衛計画の大綱改訂での普通科重視施策、普通科部隊へ重点を置くとはいえ、戦車と火砲を削った部分の代替は容易なものではありません、それだけに戦車の防御力と攻撃力に機動力の相乗効果は大きく、近代から現代までの陸上戦闘は、相手が戦車を有する場合、如何にしてその戦車を無力化するかに重点が置かれていたほどなのですから。

Aimg_2735 対戦車装備が充実した現代でも、監視装置は携行が難しい高度なものを車載し、遠距離から瞬発交戦力を発揮できますし、不整地を物凄い速度で踏破するのも戦車ならではの能力であり、特に近距離戦闘部隊との直協を行えば、非常に有用なものとなります。難点は空輸が難しい点ですが、これも、防御戦闘に際しては一旦展開し掩砲所に入れてしまえば、逆に相手が対戦車装備を搬入せねばならなくなる。

Dimg_4415 近年、特に欧州では冷戦型の大規模機甲部隊直接侵攻の脅威より欧州周辺地域の安定化を防衛ドクトリンの基本ンび置いたことによる国際平和維持活動への比重増大に伴い、戦車部隊を排し、装甲戦闘車部隊への代替を進めてきました。戦車を置き換える歩兵とは、機械化戦闘部隊に他ならない、というものだったわけです。

Gimg_2585 もちろん、戦車を置き換えられるような装甲戦闘車は非常に高価です。我が国は熱線暗視装置と35mm機関砲に対戦車ミサイルを装備する89式装甲戦闘車を開発しましたが、欧州に広く普及したスウェーデン製CV-90は40mm機関砲を搭載しC型は行進間射撃が可能、ドイツ製プーマ重装甲戦闘車は30mm機関砲と増加装甲で43tの重装甲を有するに至りました。

Mimg_2056 オーストリアスペイン共同開発のアスコッド歩兵戦闘車はイギリスが戦車をオッ変えるべく42tの重装甲SV型が開発され、欧州では徐々に戦車を大幅に廃止するか全廃する国が出てきていますが、情報伝送装置と高度な火器管制装置を搭載する装甲戦闘車は、その調達費用も高い。

Himg_0049 戦車に随伴し、戦車を支援する装甲戦闘車と異なり、自らが主力として戦闘を展開する装甲戦闘車の調達費用を見ると、邦貨換算でCV-90Bで7億円、アスコッドSVで9億円、プーマで11億円と、90式戦車の最終調達価格8億円と比較し、非常に高価なものとなりました。

Img_3759 戦車と協同する装甲車ならば、戦車の火力と監視能力を補完することが任務ですので、過剰な監視能力と大きすぎる装甲防御力は必要ありません。しかし、装甲戦闘車だけであれば話は別で、高性能化と価格高騰の道を進むため、変な話ですが、戦車一個小隊と装甲車二個小隊で編成される混成中隊と装甲戦闘車三個小隊を基幹とする一個機械化歩兵中隊では、装備に必要な費用は、実質、変わらない。

Img_0229 ただし、高すぎる欧州の装甲戦闘車、これが問題視されなかったのは、欧州では予算縮減のために戦車を装甲戦闘車に置き換えたのではなく、装甲戦闘車の任務が増大したために受け入れられたからにすぎなかったわけなのですが、我が国が戦車と火砲の任務を歩兵つまり普通科に置き換える際、此処まで予算的なものが考えられたでしょうか。

Gimg_6712 例えば、陸上自衛隊が戦車を1200両から900両を経て、400両にまで戦車定数を削減した際、89式装甲戦闘車の改良型を800両増強し、各普通科連隊に装甲化された第五中隊を置いていれば、戦車が連隊戦闘団編成に際し、一個中隊から一個小隊に縮小されたとしても機動打撃力は維持できたでしょうが、そんなことは行われていません。

Aimg_159_2 他方、陸上自衛隊の多彩な対戦車誘導弾装備体系の背景には、戦車が充分ないために、普通科部隊が戦車の支援を受けられずに戦闘を展開しなければならない、という危惧の反映ではないのか、という印象も感じないでもありません。普通科部隊と機甲科部隊の確執の根底の部分です。

Bimg_0787 対戦車部隊は、例えば装甲戦闘車を装備する戦車師団の第11普通科連隊は、対戦車中隊を有していません。89式装甲戦闘車に79式対舟艇対戦車誘導弾が搭載されているのですが、加えて73式装甲車を装備する普通科中隊は対戦車小隊が見当たらない。

Fimg_7915 もちろん、携帯式対戦車火器は必要ですが、第7師団が機甲師団である限り、既存の対戦車誘導弾の後継に当たる中距離多目的誘導弾、高性能ながら2両で10式戦車の調達費に匹敵するが装備されることは、運用の特性上、無いでしょう。これは、十分な戦車があれば、逆に削れる装備がある、という意味なのかもしれません。

Gimg_1175 さてこのほか、普通科の重視は、例えばヘリコプターの増勢による空中機動能力の強化という手段でも達成できるのかもしれませんが、ヘリコプターの調達数は年々縮小し、対戦車ヘリコプターは調達が事実上中断し、純減が危惧される状況、ヘリコプターの延命改修を行わなければならない状況となっています。

Aimg_2662 特科火砲の縮減についても、コンパクト化を進めると共にたとえば航空打撃力を強化すれば、勿論砲兵火力ほど柔軟性と持続性はありませんが瞬発的な打撃力と突撃破砕射撃に換わる航空阻止任務に対応できるものではあるのですが、対戦車ヘリコプター部隊が自然縮小しているのは御承知の通り。

Img_09_84 任務は増やすが予算措置は行わない、何とも非常に無責任極まりないもので、怒りを覚えるのですが、結局のところ、普通科の重視という施策は、装備をのそのままにして普通科部隊に肉弾を以て脅威に叩きつけるという、旧陸軍の末期を髣髴とさせる状況に予算的に追い込んでいたにほかなりません。即ち、普通科重視とは予算縮減の方便に他ならないのではないのか、ということ。

Fimg_6652 憲法上の専守防衛を堅持する限り、陸上防衛はその必要性の大きさに変わりがありません、何故ならば現行憲法の下では着上陸前に脅威を根本的に無力化することが難しいためです。洋上で敵上陸部隊を撃破し、敵策源地で後続の揚陸船団が出港する前に無力化する、これが出来なければ着上陸ありきの防衛力が必要という事は理解できるでしょう。

Img_63_81 もちろん、憲法を改正してイラク戦争に際し米軍が行使したような先制的自衛権の行使へシフトする覚悟が政治と国民の合意としてあるのならば、そこまでは極論であるものの、つまり着上陸が想定される状況で戦端を開く覚悟がないのならば、陸上防衛力の低水準は、国民が直接戦火に見舞われることで背負う事となり、当方の私見としてこれには耐えられません。

Img_0435 南西諸島防衛を考える場合、確かに海上航空の防衛力が重視される必要はあるのでしょう、地対艦誘導弾と空中機動部隊以外、陸上自衛隊の任務は、少ないのかもしれません。しかし、我が国への脅威はこれだけなのでしょうか、逆に防御の薄い状態を醸成することが脅威を招かないのでしょうか、将来にわたって、という意味で。

Dimg_5297 こうして考えますと、やはり戦車と火砲の軽視、機動打撃力と全般支援火力の軽視にはリスクが大きすぎるような印象があります。装甲戦闘車の大量配備への決断に踏み切らないのならば、戦車と火砲に装甲車の均衡を考えた装備体系を、防衛大綱の基幹部隊や基幹装備として考えるべきではないでしょうか。こう考える次第です。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (50)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソマリア沖海賊対処任務第15次派遣部隊第6護衛隊護衛艦あけぼの・はまぎり、帰国へ

2013-09-15 23:51:59 | 防衛・安全保障

◆佐世保と大湊へ9月24日・27日に帰国

 防衛省によれば、第15次ソマリア沖アデン湾海賊対処任務派遣部隊が今月末に帰国するとのことです。

Img_6939 第6護衛隊を基幹として編成された第15次派遣部隊は、第16次派遣部隊へ船団護衛任務、および新しい他国籍任務部隊海賊警戒哨戒任務を移管したのち、帰国の途に就き、9月24日に護衛艦あけぼの、が母港の佐世保基地へ、9月27日に護衛艦はまぎり、が母港の大湊基地へ帰港する予定です。

Pimg_3828 あけぼの、はまぎり、は、あけぼの、が4月9日に出港、はまぎり、が4月7日に出港し、海外での約半年間にわたる任務を完遂し、帰国します。特に海賊対処任務は護衛要請数の縮小に伴い、船団護衛任務とともに多国籍任務部隊へ護衛艦を派遣し、任務の分化を実施しました。

Himg_7388 現在海上自衛隊は、南西諸島を中心い警戒任務の需要が増大している中、艦艇数の限界と厳しい稼働率のなか、護衛艦二隻をソマリア方面へ常時派遣しており、特に交代部隊の回航時には四隻の護衛艦が展開していることとなり、更に訓練などを考えればこの負担は小さくはありません。

Kimg_8180_1 こうしたなか、我が国は護衛艦の派遣による船団護衛、護衛艦の紹介による海賊の物理的封じ込めを進めると共に、海上保安庁を主体とし、ソマリア沿岸国への海洋法執行機関養成を続けてきました。護衛任務の要請数縮小は、この海賊被害が併せて縮小している反映と見るべきでしょう。

Img_7167i 護衛艦派遣は、特に運用費用の負担も少なくは無いのですが、着実に海賊は制圧されつつあり、特に武装漁民が海賊となった、外国漁船による違法操業といった問題も海洋法執行機関の要請とともに抑制されることとなるため、海賊はそのまま再度漁民に戻るという、根本的な意味での対処となる点も効果は大きいというところです。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成25年度海上自衛隊演習(図上演習)、全国部隊より3000名の要員を以て明日より開始

2013-09-14 23:48:39 | 防衛・安全保障

◆情勢緊迫時より海上諸作戦の統合運用を演練

 防衛省によれば海上自衛隊は明日15日より19日まで海上自衛隊演習図上演習を実施します。

Eimg_4493 現代戦は瞬時の兆候察知と迅速な指揮系統の立ち上げに依拠した作戦運用と補給体系の円滑化により、状況拡大を抑止し、我が政府が自衛隊へ求める任務の完遂へ繋げる事となります。即ちこれは、平時の監視と訓練の両立体制から有事の警戒と防衛への移行を円滑化する意味と言えるでしょう。

Eimg_2083_1 海上自衛隊演習図上演習は、この目的の下に統裁官を自衛艦隊司令官松下泰士海将とし、自衛艦隊隷下の護衛艦隊や潜水艦隊に航空集団等といった各司令部、横須賀地方総監部、佐世保地方総監部、舞鶴地方総監部、呉地方総監部、大湊地方総監部、そして補給本部などより7要員3000名が参加し、実施されるもの。

Eimg_1321 実施場所は、目黒基地の海上自衛隊幹部学校、そして前述の司令部が所在する演習参加部隊所在地で、演習の詳細な想定は発表されていませんが、情勢緊迫段階からの防衛にかんする海上諸作戦を演練し、これらを以て上級指揮官の情勢判断能力と部隊運用能力を演練する、とのこと。

Eimg_4233 特に我が国の防衛体制は、平時から戦時への移管までの制約もあり、情勢緊迫段階においても防衛出動命令が発令されるまでの時間もあり、発令と共に求められる即座の能力を判断する必要があるとともに、我が方の質的優位に対し脅威対象は量的優位を以て展開するため、如何に作戦を計画し、これを実現せしめるかが重要と言えるでしょう。

Eimg_2212_1 海上自衛隊演習は、今回の図上演習のほか、海上自衛隊演習実動演習が別の訓練として実施され、昨年度はこの時期に観艦式が実施されていますが、そのまえの2011年度は自衛艦隊より30隻と60機、米海軍より20隻が参加し10月末に沖縄周辺海域で実施されています。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成二十五年度九月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2013.09.14・15・16)

2013-09-13 22:29:33 | 北大路機関 広報

◆自衛隊関連行事 

 気付けは本日、十三日の金曜日、しかしホッケーマスクや斧よりも折角の三連休週末に台風接近中が怖い中、俺は行くぞ、と機材の準備を固められている皆様、如何お過ごしでしょうか。

Eimg_0011 今週末の自衛隊関連行事は、目玉行事として、航空自衛隊航空祭と海上自衛隊航空基地祭が同日に行われ、東日本vs西日本、ともに東北新幹線と山陽新幹線の駅から近く、言い換えれば共に首都圏や京阪神から距離があるのですけれども、一騎打ち、という様相です。

Gimg_6610 航空自衛隊は三沢基地航空祭2013、対艦攻撃の切り札F-2支援戦闘機二個飛行隊を基幹とする第3航空団、更にE-2C早期警戒機一個飛行隊を有し、北部航空方面隊司令部が置かれる北日本防空の要衝で、加えて航空自衛隊F-35戦闘機最初の配備基地となる計画、今年度の航空祭にはブルーインパルスも参加します。

Gimg_4446 海上自衛隊岩国航空基地祭、第31航空群の展開する海上自衛隊の航空基地で、EP-3電子偵察機やP-3C各種派生型、US-2救難飛行艇とUS-1A救難飛行艇、MH-53やMCH-101掃海輸送ヘリコプターとCH-101輸送ヘリコプター、U-36訓練支援機など、海上自衛隊ではここでなければ見る事の出来ない航空機が勢ぞろい。飛行艇とヘリコプター体験搭乗の抽選も行われます。

Gimg_6002 岩国と言えば、米海兵隊第一海兵航空団の展開基地ですが、本年度は毎年五月の日米フレンドシップデイが米緊縮財政により急遽中止されています。岩国航空基地祭はそこまで規模が大きな航空祭ではありませんが、例年よりも来場者が多くなる、というようなこと、あるやもしれません。

Gimg_3723 北恵庭駐屯地祭、戦車部隊行事では北海道の北部方面隊直轄第1戦車群、第7師団隷下の第72戦車連隊などが駐屯するこの駐屯地祭が大きいもので、併せて今年度末に第1戦車群の解体が予定されているため、永きに渡り北部方面隊戦略予備として君臨した直轄戦車部隊、第1戦車群の戦車を観ておく最後の機会となるでしょう。

Gimg_6030 今津駐屯地創設記念行事、京都から湖西線新快速で一本の近江今津、琵琶湖を見下ろすここには今津駐屯地が置かれ、第3戦車大隊、第10戦車大隊、中部方面移動監視隊、中部方面無人偵察機隊などが駐屯しています。駐屯地は狭いですが、多数の74式戦車を見ることが出来る駐屯地です。

Gimg_5934 松戸駐屯地祭、千葉県松戸市の駐屯地ですが、03式中距離地対空誘導弾を装備する第2高射特科群、需品学校などが駐屯している駐屯地です。03式中距離地対空誘導弾は陸上自衛隊の広域防空用地対空ミサイルで、今週末、首都圏での自衛隊関連行事は、この松戸駐屯地祭だけのもよう。

Gimg_9743 このほか、駐屯部隊を見る限り、いったい陸上自衛隊行事は、どういった内容であるのかは少々分かりにくいのですが、弾薬補給処である岡山県の三軒屋駐屯地祭が日曜日に、そして月曜日は北海道の沿岸監視隊が置かれた標津分屯地祭が行われる、とのこと。

Gimg_4436 恐らく、記念式典と装備品展示、装備品紹介が行われるのでしょうか。なお、標津分屯地は釧路駐屯地の分屯地ですが、分屯している第302沿岸監視隊は、隷下に羅臼分室と置いており、分屯地の支部という、より細かい運用で北方方面の監視にあたっています。道内でも札幌からの移動が難しく、中標津空港が便利、だそうです。

Gimg_7600 海上自衛隊では、石狩湾艦艇広報が明日土曜日と日曜日に月曜日と三日間行われ、小樽市の石狩湾新港西埠頭にて輸送艦しもきた一般公開が行われます。午後のみの一般公開で1300から1630まで、体験航海は今回行われません。

◆駐屯地祭・基地祭・航空祭

注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

防衛産業、我が国防衛力を構成する重要要素の将来展望? 官民の共存模索が必要

2013-09-12 23:49:13 | 国際・政治

◆防衛当局と防衛産業は結局、運命共同体

 防衛計画の大綱特集へ、防衛産業特集を転換させる予定でしたが、今少し。

Gimg_7807 防衛産業、この特集を始めるにあたり、一般的な識者の共通認識として、国産装備は技術的に遅れている、国産装備は量産効果が低いため海外装備よりも割高である、国産装備の安価なものは民生部品多用等の訳在り、国産装備の高性能部品は他国装備と比較し方向性が間違っている、等などの論点への反論がありました。

Img_1057 これらについて、例えば稼働率維持の観点から海外製の安価な装備を保有しても低い稼働率では絶対量を大きくする必要があり高くつく、民生品の多様が問題視するならば日本製汎用部品賜与の海外製装備は何故批判しないのか、国産装備の方向性が間違っていても海外製装備は国内で動かすことが出来ない、など反論を加えてきました。

Img_1795 さて、本来は、96式装備車輪装甲車vsストライカー・ボクサー・VBCI的な、F-2vsF/A-18E的な、99式自走榴弾砲vsAS-90・M-109A6・Phz-2000的な、あきづき型vs45型・アーレイバーク級的な、10式戦車vsレオパルド2A7・メルカヴァMk4・M-1A2的な、そうりゅう型vs212型・ゴトランド級的な、11式短SAMvsVL-MICA・レイピア・ローランド的な、性能と価格の比較の方が求められていたのかもしれませんが、国産の重要性を記す記事をまとめました。

Img_7018_1 こうしたうえで、本特集の掲載初期に、我が国には一般に言われるような、政策に影響を及ぼし民主政治の根幹を麻痺させるような意味での軍産複合体というものは、少なくとも防衛産業においてはあり得ない、何故ならば、我が国の産業基盤は防衛産業への依存度が低く、影響力を行使できる権力基盤もないためだ、と記しました。

Iimg_3488 これを踏まえたうえで、しかし、政治はその基盤を海外からの主権侵害を抑止し、有事に備える観点から防衛力による国家体制と社会基盤の支えが必要となるわけで、これは防衛力無くしての国家とは非常に外圧に対し、外交と経済に社会基盤として脆弱とならざるを得ない実情の裏返しに尽きるところ。

Mimg_1284 するとこれは、結果的に国家が防衛力を必要としているからに他ならず、結果その防衛力を支える主体としての防衛産業が制作上必要となる、という事となり、これを言い換えるならば、民主制度に影響を及ぼすような癒着構造は無くとも、政治、そしてその政治に正統性を与えている主権者が防衛とその防衛産業を必要としている、こうした構図となるでしょう。

Img_77_5_1 更に突き詰めたばあい、我が国は主権者の総意として、特に憲法問題において日米同盟をほぼ唯一の例外とした軍事的鎖国を行いつつ、一国平和主義の方向を模索し、更にこれも主権者の選択として防衛装備品の輸出を自制する選択肢を選び続けて来たため、この施策と我が国の防衛という難題を自ら背負い続けています。

Eimg_7760 以上を踏まえたうえで防衛政策への選択として、主権者は最も低い費用で最大の費用対効果と事業評価を発揮できる選択肢を模索するべきで、既存の制度が、もしくは異なる制度への規制を目的とした法体制の影響があるならば、これを取り除く模索を行うべきだ、とも指摘してきました。

Diimg_0779 この点で海外製装備の場合は、まず日本国内での運用が可能であるかという一点、有事の際に整備支援を継続して受け入れることが出来るのかという疑問符、旧式装備の後継装備取得までの安定した運用基盤を維持できるのかという視点、長期間同型装備を少数継続して導入し続けることが出来るのか、後年度負担という支払い方式に対応するのか、という制限もあります。

Gimg_8669 もちろん、海外装備を既存の調達方式を改め、一括取得でこの年は戦車を、この年は艦艇を、この年は戦闘機を、と置き換えてゆくことも選択肢としてあり得るのかもしれませんが、部隊改編や装備密度などは変動しますので、一括取得後に追加調達が必要となった場合どうするのか、という難点も残る。

Iimg_5946 加えて一括取得した場合でも、近代化改修プログラムへの長期的な必要経費などは海外装備では一つの不確定要素として残るわけで、少なくとも技術的に内部化しなければならない部分を内部化できるだけの技術的裾野が無ければ、前述した通し最大の費用対効果、という部分を実現できるとは限りません。

Ryimg_9811 この、最大の費用対効果とは、短期的な取得費用が低くとも、維持費や近代化改修費用に高高度稼働率維持の費用などを長期的に計算した場合、結局、我が国の防衛装備体系・抑止力維持機能、これを維持するうえで長い目では高くなってはならない、という意味に他なりません。

Gimg_3686 これを見極めるには、特に海外装備品の場合、初期の運用結果を、初期に調達する場合自らリスクと共に確認しなければならないリスクを負うことを意味し、長期的に運用状況を海外の実運用を以て確認する場合、最新装備でも陳腐化することを意味しますので、条件としては国産装備と変わりなく、逆に開発に関与できている装備の方がこのリスクが低いことを意味しないでしょうか。

Img_5987p ほかには、これは多かれ少なかれ我が国以外でも実例は多くなってはいるのですが、財政難により所用の調達を中断する、初期の調達計画を大幅下方修正する、という不確定要素が防衛装備品の単価を当初見積もりよりも量産効果と生産基盤整備費用回収にのしかかっている、という実情があり、これは海外の大量調達装備の費用に我が国がタダ乗りすることも出きない、という理解が必要でしょう。

Himg_1081 すると、試験調達や情報収集などの面で、更に予算支出を行い、最新の装備も場合によっては無駄となる覚悟で調達を行う必要性を認めるか、国産装備との連携を考える予算を認めるのか、という視点はこの特集でも明示しましたが、これも一件や二件程度ならばともかく、輸入装備の大半で行うことは結果的に予算支出に響きます。

Img_2992 以上の点を踏まえつつ、我が国の産業基盤を俯瞰しますと、幸か不幸か、日本国は必要とする防衛装備品の大半を国産する能力を有しています。特に必要とする運用能力を引き下げてまで費用面で不透明さが残る海外装備を取得するよりは、国産装備を防衛力とともに防衛産業も高めてゆく、という視点が重要となるのではないか、そう考える次第です。

Gimg_0806 また、防衛装備品について、価格面で不透明な部分があるため完全な精査が出来ない、という原価原理主義的な考えは、これは過去にも指摘したことではありますが、それならば日本国内の防衛産業を精査する以上に我が国の調査能力は海外の防衛産業を精査することが出来るのでしょうか、この疑問餌の的確な回答を当方は知りません。

Img_5421 こう考えますと、結局、日本の防衛を一国平和主義の下維持遂行する、という難題を、最も低い費用負担の下で実現する、という迫られた政策目標を実現する場合、防衛装備品は多少無理のきく、しかし一定以上の性能を有する国産装備に重点を置く、という選択肢は、極めて現実的で合理的なものではないでしょうか。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9.11米本土同時多発テロから12年 我が国防衛とテロとの戦いからの転換点を考える

2013-09-11 23:55:34 | 北大路機関特別企画

◆我が国安全保障情勢も劇的な転換

 2001年9月11日の米本土同時多発テロより本日で12年となりました。

Uimg_0282 当時の小泉内閣は、アメリカに対する支持を表明し、二週間後、米軍は同時多発テロの首謀者が潜伏し、これを匿うアフガニスタンの武装勢力拠点への空爆を開始、海上自衛隊は11月12日、米海軍を中心とした有志連合によるインド洋対テロ海上阻止行動給油支援へ、ヘリコプター搭載護衛艦くらま、を旗艦とした三隻の給油部隊を派遣しています。

Yimg_1442 ここからの我が国防衛政策の転換、奇しくも本日は二年半前の東日本大震災も思い出す日々ですが、この任務への対応、そして更に奇妙な偶然で、一年前の中国圧力に起因する尖閣諸島国有化以降更に激化した日中関係が及ぼす将来脅威への対応という意味で、日本の安全保障環境と危機対処能力は大きく転換し、向上したといえるのかもしれません。

Uimg_1295 さて、9.11からの続く2003年のイラク戦争では、政権崩壊後の混乱状態にあったイラクへ陸上自衛隊は連隊規模の復興人道支援部隊を派遣、有志連合への支持に躊躇していた諸国も、特に我が国平和外交を理解する識者を中心に、あの日本が派遣したのだから少なくとも復興支援の必要性は高い、という一つの転換点ともなったもので、規模以上に世界と日米関係に及ぼした影響は大きい。

Uimg_9650 同時多発テロを契機として、世界の安全保障上の課題は、冷戦期の超大国間における軍事的緊張と冷戦後の地域紛争への人道的対応から、新たにテロとの戦い、交戦対象が不明確な戦いへと転換しましたが、先に我が国ではオウム真理教による地下鉄サリン事件などの一連のテロ事件により、この種の事態への関心は深く、これは少なくとも自衛隊の任務という意味で転換点となったといえるでしょう。

Uimg_8713 他方、同時多発テロ以前より、北朝鮮の弾道ミサイル脅威や、武装工作員と特殊部隊による日本海側沿岸部への浸透の脅威が指摘されており、実際に武装工作船の日本海沿岸部領海侵犯事案に対し、海上警備行動命令が発令されたこともありました。

Yimg_7529 しかし、我が国への脅威という視点からはそこまで切迫したものではなく、工作員が上陸したらどう対処するか、自衛隊は能力的に対処する十分な能力を有していても、法的に対処が難しい、それならば有事の際にどう対処するのか、という程度の認識程度しか国民議論の舞台には上がっていません。

Uimg_2274 こうした流れはありましたが、脅威が切迫し、超法規を検討しなければならないような状況に陥る前に、小泉内閣時代には有事法制の議論が明確化し、武力攻撃事態法などの有事法制が漸く成立し、暫時超法規で対処するほかないという戦後からの異常な状態からは脱却を果たしましたが、その背景にも9.11以降の状況変化が影響しています。

Simg_1857 インド洋海上阻止行動給油支援は僅か五隻の補給艦お家一隻を展開させ、一隻を体躯させ、訓練などを併せて進めるという任務であったのですが、NATO諸国との連携を高めることが出来、更に日米関係の強化と情報交換を当事者の一人として進めることが出来ました。

Uimg_9028 こうしたのち、インド洋海上阻止行動給油支援は、自民党政権から民主党政権への政権交代を以て中止へと交代しますが、その後にソマリア沖海賊対処任務が自衛隊に付与され、自衛隊は国際平和維持活動とともに一定の艦艇部隊をアフリカ方面へ展開する態勢が恒常化し、今に至りました。

Yimg_6585 9.11からの情勢変化への我が国の対応は、特に防衛力のあり方と脅威の転換を以て、万一にもないだろうが有事に備える、という抑止力の視点に依拠しつつ、実任務に耐える防衛力のあり方模索、日米関係の意味合いの再認識、こうした意味で自衛隊と法体系、国民意識と世界での認識を転換させたといえます。

Yimg_9363 この点で、前述の北朝鮮からの脅威という面に対しては、法整備が進み、一時期皮肉られていた、能力がありつつも法的にその能力を行使できないために対処は難しくなっている、という非常に意味不明な状況から脱却し、例えば仮に武装工作員が浸透した際にも、即座に洋上を封鎖し、普通科部隊による重要施設警備と掃討任務を遂行できる程度には、防衛上の問題への取り組みを進めることが出来ました。

Yimg_2740 もちろん、ここまでの時点で自衛隊の能力に疑念がったわけでは決してありません、冷戦時代に北海道へのソ連軍着上陸を徹底して拒否していたのは北海道の四個師団と支援に当たった本土九個師団であり、全部隊を以てソ連太平洋艦隊と刺し違えを覚悟した自衛艦隊と、本土防空を担った航空自衛隊ではあったので、これを忘れてはならないのですが。

Img_8441 自衛隊の能力と法的整備が進むとともに、自衛隊の日本国家存続の上での高い役割を国民が深く認識することとなったのは、東日本大震災、この一点に他なりません。自衛隊であったからこそ、即座に通信基盤を再建し、情報基盤を構築し、輸送と整備体制を展開し、巨大災害へ立ち向かうことが出来、逆に自衛隊でなければ対応できなかった初動100時間の任務はかなり大きかったでしょう。

Uimg_6647 東日本大震災災害派遣は、同時に僅か数十時間という猶予をもって全自衛隊の半数に当たる10万の部隊を展開させ集中させる機動力と後方支援能力、即時に対応する指揮能力と維持する幕僚能力の高さを日本国民へ強く印象付けるとともに、これは諸外国へ必要ならば自衛隊は即座に10万の部隊を集結させ得る、ということを示しています。

Img_8912 これは海外の、特に我が国への軍事的野心を持つ国々に対しては、着上陸時の攻勢側三倍兵力の原則、上陸を行う側は防御側の三倍の兵力が無ければ勝てないという一般理論に依拠すれば、数十時間で10万の防衛側を三倍上回る兵力を上陸させる必要がある。

Simg_1978 これは同時に武力攻撃事態法と情報本部創設など、攻撃の兆候を悟られないように準備しなければならない、本土侵攻を非常に難しくさせる能力を示した、という意味も大きいのです。内には頼れる自衛隊の認識、外には精強な防衛力、巨大災害とともに絆はこうしたところにも、というところでしょうか。

Yimg_8192_1 法的面と実任務対応に日米関係の強化という9.11以降の転換を経て、東日本大震災では自衛隊に関する国民全体の共通意識が大きく変わり、加えて大震災とともに万単位の兵員を展開させた米軍とともに、日米関係は併せて強化されています。そこに、もう一つの転換点、日中関係の緊迫化が出てきた、というもの。

Uimg_1184 尖閣諸島は沖縄と台湾の中間線上にあり、台湾への武力侵攻を大陸側より考える勢力に対しては絶対に確保しなければならない要衝で、仮に台湾海峡有事を平和裏に抑止したいのであれば、最初の一歩は我が国土を戦争に利用されることを絶対に阻止しなければならない。

Simg_2275 こうして考えますと、仮に現在の日中関係の緊張、これを9.11以降の一連の法整備と防衛力整備、日米関係増進と多国間協力強化を経ずして直面していた場合、我が国は未曽有の国難を迎えたことでしょう。しかし、その後の東日本大震災を経ての我が国の現状は、単なる装備数という意味を越えて、実能力として対処能力を有するに至りました。

Img_4518 特に将来的に台湾への国共内戦の再開の序段としての我が国島嶼部侵攻蓋然性の現実化は、少なくとも現時点で北京政府が台湾との関係を、一国二制度の建前から一国二政府制度へ柔軟化させない限り、非常に厳しい問題ではありますが、回避できません。わが国としてはもちろん、この方向で台湾問題の平和解決を図るべきとは考えるところですが。

Gimg_6436 それはさておき、9.11以降、テロとの戦いから我が国への脅威が従来型脅威へと転換したなかで、これまでの様ざまな9.11以降の施策は、今後の我が国の安全保障と防衛に重要な意味を持つこととなるのでしょう。我が国を取り巻く安全保障情勢は劇的に転換しましたが、これへの備えも劇的に強化向上し、以て将来の脅威を抑止し、対応することが出来るのではないか、そう考える次第です。

北大路機関:はるな

(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする