北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

新防衛大綱とF-35B&EA-18G【01】新田原基地F-35B飛行隊,電子戦専用EA-18G配備検討

2018-02-08 20:02:10 | 防衛・安全保障
■激変する情勢と変容の防衛力
 RC-2電子偵察機が本日岐阜基地で初飛行したとのこと、YS-11EB電子測定機の後継を期す。しかし、先月の報道でF-35B,EA-18G導入検討という気になるものがありました。

 垂直離着陸可能F-35B戦闘機飛行隊を新田原基地へ新編、電子戦専用機のEA-18G電子攻撃機導入、実現に長い時間を要すると考えられた新装備導入が具体化へ一歩進むもようです。実現するのか、と思われる方もいるかもしれませんが、本日岐阜で初飛行のRC-2からして、巨大なC-2の派生型を調達できるのか、と2014年の防衛装備庁防衛技術シンポジウムにて考えた事を思い出す。

 2018年内に画定する新防衛大綱において戦闘機部隊増勢が与党自民党部内で検討されており、新田原基地にF-35B戦闘機飛行隊が新編される方向で調整が進められている、産経新聞が1月21日付記事にて報道しました。F-35B戦闘機はアメリカ海兵隊が岩国航空基地へ前方展開し、強襲揚陸艦艦上で運用する、短距離離離着陸能力を重視し垂直離着陸も可能で、新田原基地へ配備された際には島嶼部防衛への分散運用も視野にある。

 EA-18G電子攻撃機を新たに配備し部隊運用を行う方向で政府は新しい中期防衛力整備計画へ盛り込みを検討している、日経新聞が1月1付で報道しました。EA-18GはF/A-18F戦闘攻撃機へ電子戦装備としてALQ-99 TJS戦術妨害装置とALQ-218-V2無線周波受信システムにCCS対通信装置を搭載した派生型でアメリカ海軍が空母航空団で運用しています。

 F-35B戦闘機にEA-18G電子攻撃機、自衛隊に必要ではあるが予算面から現実的に難しく、防衛予算を増額する措置を伴わなければ実現できないとされた、垂直離着陸戦闘機と電子攻撃機が、今年一月に入り次々と検討しているとの報道が続き、少々驚いています。ただ、F-35B戦闘機に関しては昨年末にもヘリコプター搭載護衛艦へ艦上運用を行うべく護衛艦の改修の検討、という驚きの報道があり、その可能性は考えられていました。

 いずも型ヘリコプター搭載護衛艦へF-35Bを搭載する、昨年12月に読売新聞始め新聞各紙で報道されると共にロイター通信やAFP通信により広く報じられた1か月後の報道です。いずも型ヘリコプター搭載護衛艦は全通飛行甲板を有する満載排水量27000tの大型護衛艦で、満載排水量7200tのヘリコプター搭載護衛艦しらね型2隻の後継に2隻が建造された。

 ひゅうが型ヘリコプター搭載護衛艦2隻の建造から9年、海上自衛隊は、はるな、ひえい、しらね、くらま、の巡洋艦型ヘリコプター搭載護衛艦から、ひゅうが、いせ、いずも、かが、と全通飛行甲板型ヘリコプター搭載護衛艦へと世代交代を完了し、将来的に航空母艦の運用は考えないものの、固定翼艦載機を搭載の護衛艦運用の可能性は示唆されています、だが艦上運用には、搭載し運用する事は出来るが、操縦要員の練成や弾薬搭載という問題が指摘されていました、ただ、今回のF-35Bは海上自衛隊配備計画ではない。

 F-35B戦闘機の導入は、しかし、全通飛行甲板型護衛艦へ発着は勿論可能であるものの、海上自衛隊へ配備するのではなく航空自衛隊が南九州へ配備し、南九州の防空を強化すると共に、九州沖縄の航空基地が弾道弾攻撃や巡航ミサイル攻撃により無力化された際には、短距離離着陸能力を活かし、地方空港や護衛艦から分散運用するという構想のもようです。

 EA-18G電子攻撃機については、自衛隊はF-15J戦闘機を電子戦機に改修する構想はありましたが、年々日本領空を蚕食する周辺諸国地対空ミサイル射程の延伸と共にミサイルを迎撃する何らかの手段が必要となります。勿論、電子戦機には策源地攻撃等日本に照準を合わせる弾道ミサイル基地対処という任務もありますが、第一に防空制圧の、つまり延伸を続ける周辺国の地対空ミサイルが我が国基地上空を覆いつつある現状にミサイルの発射を無力化する防御的な要素での重要性が高い。

 日本の防衛環境が大きく変容しつつある状況が、F-35BやEA-18Gという装備の必要性増大に反映しているのかもしれません。冷戦時代を通してアメリカの後方基地でありながら直接脅威に曝される事となかった南西諸島沖縄への着上陸脅威、中国空軍ミサイル爆撃機の西日本紀伊半島沖への進出、超著距離地対空ミサイル射程の日本領空への脅威現出、と。

 北方への従来型脅威も、ソ連崩壊後に一貫して低下する傾向があったのは2014年のクリミア併合、ウクライナ東部紛争ロシア介入以来一転し、特に北方領土へのロシア軍進駐動向、沿海州地方での演習頻度増大、と展開していまして、西方に脅威が生じているものの北方の脅威もside顕在化している構図で、脅威が西方へ転移したのではなく北方と西方に二方面で脅威が現出、新しい防衛体系が必要となり、結果F-35BとEA-18Gが検討されているのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】退蔵院庭園,妙心寺名勝史跡庭園は厳冬の季節こそ静寂ある探訪と平安の情景

2018-02-07 20:12:41 | 写真
■西の御所,妙心寺の退蔵院庭園
 厳冬の季節、急ぐばかりの年頃には色褪せた季節という印象でしたが、今はその静かさがいいと思える、思案と熟考に散策を手段とするならば、水面のような静けさが良い。

 退蔵院庭園、京都の西は妙心寺の塔頭寺院の一つに数えられ、その塔頭寺院の中でも屈指の永い歴史を讃える境内に庭園が広がる。その境内には国宝瓢鮎図が奉じられるとともに史跡名勝枯山水庭園“元信の庭”と池泉回遊式庭園“余香苑”が拝観者を迎えてくれる。

 妙心寺は右京区花園に広大な寺領を今なお広める臨済宗妙心寺派大本山の寺院で、寺町とはこうした風情を占めるのだろうかという程に、その広大な境内には一つの街としての風格を広げています、一つ一つを廻るには、なるほど相応の日数と所縁が、とおもうもの。

 陰陽の庭、退蔵院庭園の石庭は明暗を明確に暗喩した枯山水の情景にふと歩みを留め考えさせられるのですが、代々の庭師という方曰く、ここ陰陽の庭には二色の敷き砂が敢えて広げられ、物事と人間の二面性を十五という割り切れぬ奇数の庭石を浮かべているという。

 西の御所、とはここ妙心寺のもう一つの愛称で、正しくは正法山妙心寺といいます。散策を続けますと、御所に比肩する広大な寺領に感嘆しつつ、しかし、拝観者を迎える伽藍もまた御所の様に限られ、退蔵院庭園は広い妙心寺に拝観が広く開かれた庭園のひとつです。

 水琴窟は滴りゆく水滴が素焼きの信楽焼に共鳴し水琴の残響と、一期一会の樂楽を吟じるものです。百万都市京都の喧騒も突風吹きすさぶ雑音も不思議と遮る庭木の配置に少し耳を寄せ、心静かに気分を澄ませれば、不思議な響きが水音の癒しを実感させ清涼を感じる。

 元信の庭は狩野元信による室町時代のもの。美術史に詳しい方々ならば狩野元信は狩野派の祖である狩野正信の子、という閃きと共に、この庭園に狩野派の絵画を探すところと聞くのですが、狩野元信は最晩年に絵画から庭園美へと技法を転じ、この庭園を造営した。

 狩野元信と狩野派といえば絵画という印象の中で、一説には狩野元信が最晩年に興した最後の作品が、この元信の庭とも云われていまして、独特の風景は優美豊艶の趣を込めた狩野派絵画の気風を具現化したといい、1931年には、国の名勝史跡庭園に指定されています。

 花園紋という妙心寺八つ藤の寺紋は、開基の花園天皇がこの地を無相大師関山慧玄へ下賜した鎌倉時代から続くもの。我が国臨済宗寺院は実に6000もの多くを数えるとの事ですが、3500の寺院が、ここ臨済宗妙心寺派としまして釈迦如来を奉じ、高みを目指している。

 余香苑は広々と澄みとおった機運と難解な臨済宗の世界観を掌中一望に纏めたここまでの庭園から遠景一望へと開放感を以て庭園とした趣きを感じます。中根金作が1963年から実に三年間を費やし造園した庭園で、平安朝以来の造園技巧に戦後昭和の開放感を加味した。

 中根金作はこの余香苑の造園に際し、紅枝垂桜や藤に皐、蓮と金木犀に楓を広くしかし視線を技巧に照らし配置していまして、厳冬期に早春の香を遠く待ち侘びる頃合いにも、池面に映る空と木々から、季節感を抱く事が出来るよう奥行を感じさせる配置となっている。

 厳寒の季節から早春へと移ろいゆく季節にはまだまだ青葉も萌芽の気配は遠く、如何に名称と云えども寂光と侘び寂びの言葉を以て茶を濁す印象もあるのですが、ふと思考を転じれば常緑と陽光は多くの拝観者の雑踏を呼び、今だからこそ情景を独り占めできる、とも。

 退蔵院庭園は妙心寺山門を見上げ、少し洛外の方角へ歩みを進めますと門扉を開き、拝観者を迎えています。暖かくなり梅花桜花の季節、続き訪れる新緑の季にはまた新しい輝きに迎えられる事でしょうが、この季節の庭園探訪も、また趣き深い感慨と出会えるでしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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AH-64D佐賀県神埼市墜落事故:山崎幸二陸上幕僚長が謝罪,回転翼基部欠損脱落の可能性

2018-02-06 20:13:16 | 防衛・安全保障
■AH-64Dは何故墜落したのか
 AH-64D墜落事故から一晩が経ちました。AH-64D乗員の方の冥福を祈りつつ、報道情報等から何故墜落したのか、考えてみたいと思います。

 AH-64D戦闘ヘリコプター墜落事故について、山崎幸二陸上幕僚長は昨夜「民間の住宅などに大変な被害を与えてしまい、被害を受けた住宅のご家族や周辺の住民の皆様に心からおわび申し上げます」と謝罪しました。昨日夕方には陸上幕僚副長を委員長とする事故調査委員会が設置されました。事故から一晩、墜落瞬間の映像等、様々な情報がありました。

 残念ながら乗員2名の殉職が確認されたようです。行方不明であった機長は墜落機の下で発見されたとの事で、当初報道では佐賀県警の情報として乗員2名が心肺停止との報道がありましたが、その後、墜落機は火災に包まれ2040時頃まで消火できませんでした。本日午前中に一部が発見との報道が入りました。住宅地へ墜落事故、原因は何なのでしょう。

 防衛省によれば、事故機は昨日1636時に目達原駐屯地を離陸、整備終了後の試験飛行として福岡県の久留米市と朝倉市上空を経路とする飛行計画でしたが、離陸から7分後の1643時、予防着陸を行うと通信の後、墜落したとの事です。走行中の自動車ドライブレコーダーが事故の映像を捉えており、機体のローター部分が飛散した可能性が指摘されています。

 事故機は飛散部品から2006年に初飛行の二号機のようです。ローターヘッド部分の交換を飛行前に行っており、このローターヘッドは1750時間毎に交換する消耗品で、防衛省によれば、部隊配備後最初のローターヘッド換装を行ったとの事、ローターヘッドはヘリコプターの回転翼を動力部を接合する重要部品で、回転翼が脱落した場合、飛行は出来ません。

 オートローテーションといい、通常ヘリコプターはエンジン系統の故障などエンジン停止に陥った場合でも回転翼が惰性で回転している状況ならば、そのまま高度を低下させて不時着の勝った井出着陸する事が可能です。しかし、ローター部分が欠損し急停止した場合や、ローター部分が失われた場合、回転翼機から翼が捥がれた状況、完全に操縦不能です。

 AH-64Dの墜落映像から回転翼そのものが脱落した可能性があり、ローターヘッドを交換後の飛行試験中に離陸7分後に墜落した、単純に結び付ける事は出来ませんが、1750時間で交換を行う部品を運用開始以来12年間を経て、耐用期限に応じ交換した部品です。事故を受け、政府は安倍総理大臣が事故原因徹底究明を命じ、当面の運用中止を指示しました。

 AH-1Z攻撃ヘリコプター、在沖米軍配備機の相次ぐ予防着陸の後に、陸上自衛隊のAH-64D戦闘ヘリコプターが予防着陸を試みるも墜落した状況ですが、原因の背景にAH-1Zの場合にはエアシーバトル運用への転換、水陸両用作戦の遠距離化に対してAH-1Zの性能が対応出来ず無理を通した結果の可能性を以前指摘しましたが、AH-64Dの場合はどうでしょう。

 水陸機動団の新編と共に陸上自衛隊はV-22可動翼機17機の導入を開始します。冷戦時代から96機が配備されたAH-1S対戦車ヘリコプターは老朽化が進むと共に、元々は戦域外縁に野飛行場を設置し運用する機体であり、遠距離打撃力を期した機種ではありません。すると、戦闘行動半径の大きな機種は13機のみ製造のAH-64D一択となってしまう訳です。

 必要であれば補正予算によりAH-64Eを調達する事となるのでしょう。陸上自衛隊のAH-64Dは日本特別仕様の性能強化型で、アメリカ陸軍や各国が採用しているAH-64Dには無い、空対空戦闘能力、そしてFLIR高精度赤外線暗視装置アローヘッドを搭載している。これは日本のAH-64D採用時期が遅く、最新器材を搭載した准改良型となったためのもの。

 AH-64EはAH-64Dの改良型で、日本仕様と同じく空対空戦闘能力を有しており、基本的にAH-64Dからの改修も可能です。アメリカ陸軍からAH-64D中古機を取得するという選択肢もあり得ますが、空対空戦闘能力の付与やアローヘッド追加改修を行う費用を考えれば、無理に中古機を改造するよりもAH-64Eを取得する事の方が現実的と云えましょう。

 しかし、前回から繰り返す通り、戦闘ヘリコプターは96機のAH-1Sを13機のAH-64Dにより置き換えている状況、恰も団塊世代大量退職時の企業が若手採用を絞り過ぎ、事業継続へ難渋している状況と合致します。無理を重ねれば半年や一年は押し通せる事でしょうが、確実に不具合の代償は表面化し、問題の本質が解決されるまで傾向として続きます。

 ローターヘッド部の換装直後の事故ではあり、喫緊の課題は取り付け方式の問題か、製品品質の問題か、再飛行させるための検証が重要となります。しかし、機数そのものの縮小は、教育体系の縮小や防衛産業が製造する維持部品の継続調達へも影響を及ぼします。製品と教育を確実に行うには、最小限の規模が必要であり、原因究明とは表だけの対応策であっては、なりません。

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AH-64D墜落!佐賀県神埼市住宅街で炎上,目達原第3戦闘ヘリ隊所属機が予防着陸中に墜落か

2018-02-05 20:00:10 | 防衛・安全保障
■自衛隊ヘリ墜落で住宅火災
 自衛隊ヘリコプターが佐賀県神埼市の住宅街で墜落、住宅街で火災が発生しました。

 AH-64D戦闘ヘリコプターが本日夕方、佐賀県神埼市千代田町嘉納の住宅街に墜落、炎上しました。防衛省によれば佐賀県神埼市で陸上自衛隊のヘリコプターが予防着陸を行ったとの情報があり、同じ頃、神埼市役所へ千代田町の大立寺幼稚園の近くでヘリコプターが墜落し炎上しているとの通報があり、予防着陸のヘリコプターが墜落した事が判明します。

 墜落機は、目達原駐屯地の第3戦闘ヘリコプター隊所属機で、事故現場は目達原駐屯地から南方へ4kmに位置しています。AH-64Dは2名搭乗の戦闘ヘリコプターで、乗員は夕方1730時過ぎの防衛大臣発表で心肺停止状態、また墜落した住宅では四人が居て、炎上し児童一人が火傷を負い、病院で手当てを受けているとの事です。AH-64Dの墜落は初めて。

 小野寺防衛大臣は“このような事故が起き、民家に墜落したということは申し訳なく、重く受け止めている。おわび申し上げる”として謝罪すると共に、同型機の飛行を安全が確認されるまで当面中止する事を発表しました。AH-64Dは陸上自衛隊へ13機が配備され、航空学校教材以外は全て目達原駐屯地の第3戦闘ヘリコプター隊へ集中配備されています。

 目達原管制塔から今回の事故は目視で確認されており、東側から西側に飛行中に機首から落下した、防衛大臣記者会見にて発表されています。原因は調査中です。AH-64Dは整備を終えての点検飛行の際に墜落しており、部隊整備を意味するのか、メーカー定期整備を意味するのかは不明です。第一報では予防着陸を試みるとの通信が最後だった、とのこと。

 自衛隊機の墜落により住宅が炎上するのは近年なく、原因の徹底究明が求められます。目達原飛行場からの目視情報や、墜落までに通信を行えたとので、墜落の徴候を上院が確認できたことを意味しますが、予防着陸を行えない高度での機体トラブルか、予防着陸不能の状態であったかが焦点の一つ。同型機の他に全ての陸上自衛隊機の整備状況を確認する。

 AH-64D戦闘ヘリコプターは旧式老朽化が進むAH-1S対戦車ヘリコプターの後継機として2006年から配備が開始された最新鋭機で、ボーイング社が製造、自衛隊向けの機体は富士重工/スバルにおいてライセンス生産が行われています。当初は60機の調達が見込まれていましたが、ミサイル防衛等の新任務に防衛費が圧迫され、13機で生産終了となりました。

 AH-1S対戦車ヘリコプターは96機が配備されましたが、後継のAH-64D戦闘ヘリコプターは13機のみ、毎年1機程度しか調達できない事で生産ライン維持費が肥大化、調達中止となっています。AH-1Sは毎年老朽化により数機が用途廃止されている中、同じ仕事量で団塊世代96名分の仕事を新人13名か担う形でAH-64Dは毎年負担が増大し続けていた。

 負担という視点からは戦闘ヘリコプターを支援する観測ヘリコプターの問題があります。AH-64Dの支援にはOH-1観測ヘリコプターが当りますが、当初OH-1は250機が大量生産され老朽化したOH-6D観測ヘリコプター190機を置き換える計画でしたが、調達計画を縮小した事で一機当たりの製造費用が増大し、38機と予定を大幅に下回り製造終了した。

 OH-1は高度な光学監視装置を搭載しており、AH-64Dに先行して目標情報を探る観測ヘリコプターです。AH-64Dは射程8kmのAGM-114対戦車ミサイルを主武装とし、8km先の目標情報を得るにはOH-1の支援が重要です。このただでさえ不足するOH-1は一昨年から不時着事案を受け、全機飛行停止中、AH-64Dは僚機が観測任務も同時に担う状況です。

 中国による南西諸島への軍事脅威増大を受け、島嶼部防衛という陸上自衛隊の新任務では、戦闘ヘリコプターは対戦車ヘリコプターよりも長大な航続距離と戦闘行動半径を有する事から、水陸機動部隊の離島防衛任務にて、上空からの掩護を行う重責が、従来の対戦車攻撃任務に加えられていて、来月新編される水陸機動団は目達原に近い相浦に置かれます。

 事故の原因はまだ情報収集中の段階ですが、思い出されるのは、アメリカ海軍横須賀基地所属のイージス艦が相次ぎ事故を発生させ、衝突事故や座礁事故が一年間で四度に及んだ際の事故原因は、過剰な勤務体制により負担が増大していた、と海軍作戦部長が発表し、唯一の解決策は横須賀配備のイージス艦を増強し、負担を軽減する事だ、とした発言が。

 最新鋭の戦闘ヘリコプターが墜落した背景には、陸上自衛隊全般の航空部隊の忙しさがあるのではないか。水陸機動団画新編される中、対戦車ヘリコプターは年々数が減少する中で任務だけが増大している、正直なところ、機数は本当に足りているのか、事故の原因にAH-1Sが配備された当時と比較し負担は増大していないのか、犠牲者が出た事故です。徹底した原因究明を器材に留まらず、深層まで究明を望みたい。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【日曜特集】横須賀地方隊伊勢湾展示訓練2010【9】四日市港名古屋港(2010-08-21)

2018-02-04 20:10:41 | 海上自衛隊 催事
■伊勢湾展示訓練2010完了!
 伊勢湾展示訓練詳報、横須賀地方隊の艦隊展示訓練日曜特集は第九回の今回が最終回です、2010年の展示訓練、2018年の今日には懐かしい艦艇も実に多い。

 伊勢湾展示訓練2010、実は相方が一人寝坊しまして、当方は近鉄霞ヶ浦駅で待つことと相成りました。伊勢湾展示訓練2010なのに霞ヶ浦駅に行くとは、茨城県と三重県で間違え過ぎだろう、と思われるかもしれませんが霞ヶ浦駅は実は三重県四日市市八田にあります。

 近鉄特急を撮影しつつ待ちまして、その間、近鉄特急に近鉄修学旅行列車に近鉄団体列車が続々と通過し、当然どんどこ撮影を続けた訳ですが、駅長さんと雑談で昔の制服や、社員向けの初代ビスタカーの記念品等を見せて貰い、いやはや楽しいひと時を過ごせました。

 展示訓練に寝坊する事は聞いたことが無い、とは前回に紹介しました内容ですが、いたのですね。他の機会ですが、神戸への護衛艦入港に際し残念無念と新幹線遅れにて入港が間に合わなかった、という話もありまして、成程、世の中想うようにはいかぬものだ、とも。

 件の友人、高速道路を制限速度で爆走中との事で、当初案では霞ヶ浦駅にて合流し車両にて四日市港へ、という公算でしたが、桟橋は歩いたほうが早い、とは駅長殿のご指南、近鉄駅長の言葉は過去の経験上重く、然らば現地合流と一報電話で打ち乗艦しましたしだい。

 成程、現地合流にて乗艦前に合流叶い、その上で艦上の人となりまして、更にその後は撮影位置を多用途支援艦えんしゅうファンネル付近に定めましたところまでは前回紹介しました通り。この日は快晴で名古屋名物の猛暑が酷暑となり早、幾日というところでした。

 灼熱太陽も搭載艇の陰には動く船体が涼風を、いや伊勢湾湾上は充分暑かったので熱風、いや、微熱風かな、という様相ではありましたが風は汗を気化熱に代えて分散し、過ごしやすいまま伊勢湾を進みました。名古屋港には展示訓練参加主力部隊が合流へ向かうころ。

 ステルス艦全盛の21世紀ですが、先頃アメリカ海軍に竣工した最新鋭駆逐艦ズムウォルト等は、ステルスを重視しすぎて艦船模型というよりは粘土細工でも再現できそうなほど無機質でした。そしてステルス性とは艦上の突起物を排する事でレーダー反射を局限する。

 ステルス性を重視した艦艇は、同時に日よけになる構造物が無い事を示します。勿論水上戦闘艦には不要な概念であることは確かなのですが、はつゆき型護衛艦の飛行甲板下舷側通路や、あさぎり型護衛艦舷側通路等は、日よけにも雨宿りにも理想的だったなあ、とも。

 むらさめ型護衛艦が竣工した時代を思い返せば、未来的な艦容を海事専門誌“世界の艦船”表紙で感激した事を思い出しますが、いざ自分がその艦上で専門誌に出せる程の写真を撮影する立場になりますと、暑いし熱いなあ、と怠惰な感情が艦上では勝ってしまいます。

 ロシア海軍将来原子力駆逐艦リデル級の構想模型等を見ますと、ステルス性全盛ながら起伏を配し水上戦闘艦の十分実用性とステルス性を両立していまして、ズムウォルト級のようにステルス第一でその他第二、と思えるような形状ばかりではないと若干安心しつつ。

 海上自衛隊横須賀地方隊伊勢湾展示訓練2010、四日市港を出港しますと、望遠レンズにて水平線上をくまなく探します。物凄く暑いのですから海面上にも陽炎が発しているので閉口するものですが、しかし、同じ湾内には護衛艦等艦艇が多数いまして、是非撮影したい。

 展示訓練は朝一番に乗艦受付が始り朝に出港、観閲式と展示訓練が正午過ぎまで行われ帰港は夕方となります。つまり移動時間が相応にあるのですが、この移動時間に寝てばかりいるというものはやはり勿体ない、乗艦時に毛布が配られるので横になりたくはなる、が。

 観閲式が開始されますと、高嶋地方総監の訓示が無線を通じて流され、各艦艇の紹介がスピーカーから流されるのですが、観閲式へ向かう途中に見える艦艇、何より陣形を組むために追い越し追い越される様子というものも、普段に陸上からは絶対見えない艦艇の輝き。

 高嶋博視海将は横須賀地方総監として、この伊勢湾展示訓練2010の少し前に着任したばかり。第40代横須賀地方総監として東日本と東海地方を防衛警備管区として重責を担い、東京湾と伊勢湾という世界有数の港湾とその周辺海域の海上防衛へ当たる事となりました。

 高嶋総監は護衛艦隊司令官や統合幕僚副長という要職を経て地方総監となりましたが、この伊勢湾展示訓練の翌年、2011年3月11日に発生した東日本大震災にて、東日本大震災統合任務部隊海災部隊指揮官として災害派遣へ海上部隊全ての総指揮を執る事となります。

 展示訓練の時間は非常に長いのですが、この中で比重が最も大きなものは移動時間となっています。そして、移動時間に洋上を見てみますと、成程中々発見するものが多いのです。この中で注意しなければならないのが舷外に荷物や自分が落下しないようすることですが。

 万一に備え落下防止ネットが索に重ねられ用心されているのですけれども、やはりカメラバックなどは落ちないよう脱落防止の紐を取り付け用心を重ねます。帽子等も飛ばされないよう。2009年の観艦式では艦橋に帽子が飛んできたこともありました。何処からか、ね。

 観艦式で艦橋に飛んできた帽子、乗員の人が持ち主を探すも見つからず、帽子は第12ヘリコプター隊の識別帽でした。何処の部隊か話題となっていたので陸上自衛隊の相馬原駐屯地、と会話に参加すると、あんな内陸から飛んでこないだろうし前の護衛艦からかな、と。

 水分補給は重ねて注意したいところです。熱中症で倒れては周りにも迷惑を掛けますから。持ち込んだのは1リットルミネラルウォーター、少々のスポーツ飲料、1リットルペットボトルならばカメラバックのサイドポケットに収まるので二本用意しましてしっかり飲む。

 展示訓練の内容は此処までの写真紹介と共に多数を紹介しましたが、重ねて留意したいのはどのタイミングで艦内を散策するか、多用途支援艦は5隻ありますのでヘリコプター搭載護衛艦よりも数は多いのですが、一般公開で艦内を見るとなると機会はそれ程多くない。

 帰港するまでが展示訓練、という部分にも留意が必要でしょうか。夕暮れ時で一日目いっぱい艦艇の洋上での生き生きとした姿を撮影したのですから、周りの方々の多くは毛布に包まり難民船状態といいますか、寝静まった状態ではあるのですが、入港風景を撮ります。

 出航と入港で接岸場所は同じなのですが、当然同じ順番に接岸するためには出港に見られなかった風景が入港では見られる訳です。寝るならば帰路に近鉄電車とJR新快速でもしっかり寝られますので、目の前に広がる艦隊の入港風景、やはり余すところなく撮影したい。

 接岸しても慌てず、ゆっくりと上陸したいところです。皆さん早めに上陸したいところですが、当方には撮影した後、上陸ビールという、大阪湾展示訓練にてお教えいただいた作法を守らねばなりません、体験航海でもやはり上陸ビールと、作法は守りたいところです。

 名古屋港へ急行し展示訓練参加艦艇を重ねて撮影しよう、という御誘いがありましたので、上陸し名古屋港へ展開した後、ガーデン埠頭最寄のBARかビヤホールか何処かでビール、肴は名古屋名物を何か、そういう算段を採りつつ、霞ヶ浦駅へと向かいました次第です。

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【EOS-M3撮影速報】横須賀軍港めぐり遊覧船,いずも&ロナルドレーガン(2018-01-08)

2018-02-03 20:01:40 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■横須賀軍港めぐり遊覧船2018
 横須賀遊覧船2018年初乗船です。8日の三連休、大洗・横須賀・沼津と首都圏外縁を散策して参りました。いろいろあって掲載遅れましたが、EOS-M3写真で紹介です。

 DDH183いずも、ヘリコプター搭載護衛艦として建造された海上自衛隊最大の護衛艦いずも型の一隻、満載排水量は27000tに達し、戦後海上自衛隊が建造した護衛艦としては最大の規模を誇ります。政府部内でF-35B戦闘機搭載の検討が報じられた事は記憶に新しい。

 M-3特報、一月三連休を利用し、横須賀軍港巡り遊覧船へと行って参りました。原子力空母ロナルドレーガンも入港中だ。一月八日は成人の日ですが、翌日から横須賀軍港巡り遊覧船シーフレンド号が定期整備へ入渠する為、運休期間となっている事、何とか乗れた。

 DDG54カーティスウィルバー、アメリカ海軍が誇るアーレイバーク級ミサイル駆逐艦の四番艦です、1994年に竣工しました。駆逐艦とはいえ満載排水量8362tの大型艦でイージスシステムを搭載し艦隊防空にあたります。初期のフライト1の一隻でハンサムな艦ですね。

 DDG65ベンフォード、アーレイバーク級の一隻です。比較的早い時期に弾道ミサイル防衛対応改修を受けた。西側艦艇は女性名詞で呼ばれるのですが、何故か優美な艦容を有する艦艇は、スマートな艦、と呼ばず、ハンサムな彼女、と呼ぶそう。少女コミックみたいだ。

 CG67ミサイル巡洋艦チョーシン、DDG89ミサイル駆逐艦マスティン。アメリカ海軍とロシア海軍は現在も艦種区分として巡洋艦を維持しています。チョーシンはタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦の一隻、本型は世界で初めてイージスシステムを搭載した事で知られる。

 DDG85ミサイル駆逐艦マッキャンベル、CG62ミサイル巡洋艦チャンセラーズヴィル、CG56ミサイル巡洋艦サンジャシント、巡洋艦が二隻揃う様子は世界でも貴重な情景となりました。マスティン、マッキャンベルはヘリコプター格納庫を有するフライトⅡAに属す。

 AGS6102試験艦あすか、AGS5105海洋観測艦にちなん、AGS5106海洋観測艦しょうなん、特務艦の並び。ここは船越地区、背景に見える高い通信塔は自衛艦隊司令部の通信施設です。あすか艦上には昨年、新ミサイルNSSM発射筒がありましたが、試験完了のもよう。

 MST463掃海母艦うらが、うらが型掃海母艦の一番艦で1997年に竣工しました。満載排水量は6800tあり、掃海艇への補給や休養と給食支援の他、航空掃海支援としてMCH-101掃海輸送ヘリコプターの支援を実施するほか、必要ならば機雷敷設艦としても活躍できる。

 MS304掃海艦あわじ、あわじ型掃海艦の一番艦で2017年に竣工した最新鋭艦、これで自衛隊最新装備2018を年末特集する際に、少なくとも新装備は一つ載せられる。潜水艦を狙う深深度機雷の掃討用に開発、掃海艦やえやま型を置換え、まもなく二番艦ひらど竣工だ。

 DD152護衛艦やまぎり、あさぎり型護衛艦の二番艦で満載排水量4800t、一度は練習艦に改造され練習艦やまぎり型として練習艦隊へ配属されていましたが、南西諸島情勢緊迫化を受け護衛艦増勢が必須となった事から、再度護衛艦に復帰したもの。以前情勢は厳しい。

 DD107護衛艦いかづち、DD101護衛艦むらさめ、9隻が量産された護衛艦むらさめ型の2隻で、満載排水量6200tの汎用護衛艦、改良型に護衛艦たかなみ型5隻、護衛艦あきづき型4隻、あさひ型2隻があり、むらさめ型基本船体の姉妹艦は20隻という大所帯となった。

 AOE423補給艦ときわ、DDG171ミサイル護衛艦はたかぜ。ときわ、は補給艦とわだ型の一隻で建造当初は一隻で護衛隊群一個の燃料と糧食や弾薬を補給できる。はたかぜ、は日本に数少ないターター艦で艦隊防空任務にあたる。悪天候ながら多数を撮影できました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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フランス徴兵制再開と日本徴兵制再論【2】SMV制度と軍事的合理性に乏しい一ヶ月徴兵

2018-02-02 20:09:24 | 国際・政治
■SMV登録制徴兵制の基盤
 徴兵制に軍事合理性は無いので日本でもその可能性は無いとしていたがフランスは徴兵制を再開する、この点をもう少し見てみましょう。

 マクロン大統領のフランスでの徴兵制再開表明について。マクロン大統領は2017年の大統領選挙における公約に徴兵制再開を明確に表明していました。2002年まで維持されていた徴兵制を再開するという形ですので、フランス社会に徴兵制は近年まである馴染み深い文化でもあった訳です。そして登録制徴兵制度SMVというものが徴兵制停止後続いていました。

 Service militaire volontaire、SMV。何故フランスが、と思われるかもしれませんが、一つは失業対策があります。冷戦時代に42万名を数えたフランス陸軍は2015年には9万2000名まで縮小し、パリ同時テロ後治安作戦支援の関係から定員増を行い、2017年に11万7000名に拡大しています。失業対策とは、最盛期の四分の一程度の陸軍をこれ以上減らさず、また若年層失業対策の意味合いも。

 若年層失業対策としての陸軍SMV、フランスは2015年の段階で35%が義務教育終了後の高等教育、後期中等教育を履修しません。その救済手段として実施されているのが登録式徴兵制度です。これは義務教育期間中に後期中等教育へ進学を希望しない児童や後期中等教育退学の生徒を、学校側と本人及び家族が協議し、半年から一年程度、延長も出来るようですが、短期間を陸軍へ入隊させる救済制度です。

 学校ではない軍隊ですが、全ての部隊が担当する訳ではありません、それでもSMVでは入営中に自動車免許や各種免許を取得する機会がありますし、陸軍除隊と同時に退役軍人として、少なくとも義務教育修了のみの若年労働力よりは社会的信用度を得る事が出来ます。そして陸軍は冷戦後削減した30万名分の施設が、かなり閉鎖され売却や転用されているとはいえ、受け入れる余裕と人員が残っており、活用できた。

 日本にもその可能性はあるのか、例えば陸上自衛隊が冷戦時代の四分の一程度、五万名以下に削減され駐屯地が余る状態となったうえで、中国が民主化し、南北朝鮮が平和統一を経て防衛力の重要度が低下、その上で現在問題視されている子供の貧困が拡大し、数割程度の生徒が中学校卒業後に高校進学せず、中卒労働力需要が低賃金労働と不安定雇用に直結し大量の若年失業者が発生した場合、公務員経験と共に若年失業者に労働訓練と就業機会を、とフランス式が考えられるかもしれない。

 SMVに続いての今回の徴兵制、一か月間の徴兵制度という枠組みですが、マクロン大統領が構想する制度の場合は18歳から21歳までの4年間に一か月間の徴兵を行うという方式ですので、毎年夏季休暇かクリスマス休暇の一週間を分割で出頭し軍事訓練を受けるのか、18歳から21歳までに一か月間をまとめて訓練するのかは不明確です。ただ、個の期間ではほぼ体験入隊という水準で、専門的な訓練は勿論のことトラックの運転さえ難しい、当然と歩兵や工兵等兵科教育を受けるには短すぎる。

 徴兵制再開でも一か月の徴兵制では基本的に兵力増強を念頭に置いたものとは考えられません、一ヶ月徴兵を経験したとはいっても退役軍人としての資格を得る事は難しいでしょうし、予備役で登録し有事の際に現役を補う事も難しいでしょう。体力錬成を一か月で実現できるならば地球上から肥満は消えて居る筈で非現実的、最大の基本装備であるFA-MAS小銃の分解結合も熟練は難しく、精々体験し射撃するのが限界、分隊長に従い、軽歩兵として行動する事さえ一か月では無理でしょう。

 マクロン大統領は徴兵制再開を公約に明示し、これを実際に行う構図となっただけなのですが、実のところ一か月間で実施できる徴兵制の期間が今一つ見えてきません、テロの脅威に備え国民の団結を図る、テロ対策の一ヶ月訓練を行っても、国家憲兵の支援さえ難しく、しかも今回の徴兵では予備役登録や戦時動員の可能性と年次集合訓練にも触れられていない、国民の団結が狙いと、1月19日の演説では徴兵制再開にこうした軍事以外の理由を述べていますが、一か月、海軍では一か月以上の航海も多いですし、中々思い当たらない。

 軍事的な意味以上に、社会の団結を軍隊を使わなければならないほどの事情、考えられるのはアフリカからの大量の地中海難民です。フランスは近年に旧植民地以外からの大量の移民流入を迎え社会の変容に曝されており、一か月でもフランス国旗とフランス国家へ忠誠を誓わせる儀式に徴兵制を応用しようとしているのかもしれません、国軍に社会の価値観への防衛を担わせる構図なのでしょう、また一か月の徴兵では訓練費用も僅少、恩給も最小で安価に済みます。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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平成二十九年度二月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2018.02.02)

2018-02-01 20:08:41 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 厳寒の中、インフルエンザが世界的に猛威を振るい新型インフルエンザの脅威を思い出す今日この頃、皆様、いかがお過ごしでしょうか。

 広島江田島基地にて、海上自衛隊幹部候補生学校部内課程第51期一般幹部候補生課程卒業式と外洋練習航海が2日金曜日に行われます。外洋練習航海は第11護衛隊司令加治勇1佐隷下の護衛艦やまぎり、さわぎり、練習艦やまゆき、が江田島基地を出航し、ブルネイのムアラ港とタイのバンコック港を親善訪問します。卒業式は関係者のみですが艦隊の出港は江田内から一望できる。

 外洋練習航海は、毎年三月の一般幹部候補生課程修了と共に実施する近海練習航海訓練や飛行幹部候補生課程修了者が行う練習航海とは異なり部内幹部候補課程修了者が行うもので、卒業式は1000時から、卒業生見送りは1235時から1300時にかけ、護衛艦と練習艦が一斉に出港します。単縦陣で出港する様子は中々に勇壮で、3月14日に帰国予定です。

 伊勢湾機雷戦訓練が開始されました。2月1日から10日まで実施、伊勢湾に海上自衛隊機雷戦艦艇を集結させ、実際に模擬機雷を敷設すると共に掃海艇による機雷掃討訓練を行う大規模な訓練です。参加部隊は、掃海母艦1隻、掃海艇14隻、掃海管制艇1隻、掃海輸送ヘリコプター2機という規模です。参加艦艇は1月31日までに四日市港に集結しています。

 掃海隊群司令白根勉海将補が指揮を執る伊勢湾機雷戦訓練は訓練期間中には四日市港を出航し伊勢湾に艦艇が展開していますが、訓練終了後には一般公開が予定されており、四日市港一杯に集まる掃海艇や掃海母艦と掃海管制艇の迫力は中々のものです。今回は最新鋭の掃海艦は参加しないもよう。こちらについては一般公開日前に詳細をお伝えしますのでお待ちください。

 さて撮影の話題、カメラバックを選ぶ際に、大型のカメラバックですと目いっぱい入りますが、単焦点望遠レンズに望遠ズームレンズと標準ズームレンズに広角ズームレンズとカメラに予備カメラのタブレットPCや雨具と着換えに充電装置、簡単に20kgの大台を超えてしまいます。25kgぐらい背負って一日中走り回る事が理想なのですが、ここに飲料水と軽食が加わる。

 カメラバックを最小限として、単焦点レンズを携行する際にはその専用のカメラバックと二つを携行するようにしますと、大きな航空祭や総合火力演習に展示訓練というここぞという撮影以外には単焦点レンズを断念しますと、かなり軽量なカメラバックでも全てを収容できます、が、小さいと一つ問題、護衛艦等のパンフレットをそのまま収納できない。

 護衛艦や掃海艇のパンフレット等は乗艦見学の際に頂けるもの、しかし折り畳むと如何に頑張っても皺が寄り美しい艦容の写真に罅が生じてしまいます。こんな時ばかりはもう少し大きなカメラバックとしていたらば、と考えてしまいます。軽量のアタッシュケースと併せて携行しますとそれはそれで重く、このパンフレットはカメラバック選びの盲点と云えましょう。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭


・2月2日:海上自衛隊幹部候補生学校部内課程第51期一般幹部候補生課程卒業式/外洋練習航海出航…http://www.mod.go.jp/msdf/formal/info/news/201801/20180126-01.pdf

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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