北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

155mm榴弾砲-2022年の動向【1】長くなる砲身-ラインメタル60口径砲と39口径砲活躍するウクライナ最前線

2022-11-26 20:01:31 | 先端軍事テクノロジー
■射程100km時代も視野に
 自衛隊では冷遇されている火砲という印象なのですが世界を見れば日本が下を向いているうちに順調に日本が必要とする火力体系を担えるまで発展を続けているのが、榴弾砲です。

 155mm野砲は52口径の時代ですが、装輪自走砲については遠くない将来に60口径の時代が見え始めています、ドイツのラインメタルが開発しているMAN-HX-3シリーズトラック転用の装輪自走砲です、60口径となれば射程は80kmから最終的には100kmの大台も見えているという。そこで今回は100kmという現実となる野砲の射程を考えてみましょう。

 60口径野砲、発想の転換です。何故なら装軌式車両では60口径の砲身を積むととてつもなく大きく肥大化してしまい、これを戦略輸送するさいに輸送車に搭載することは現実的ではありません、アメリカはM-109車体に58口径155mm榴弾砲を搭載する試験を行っていますが、その様子は恰も第二時大戦中の無理をしすぎた重戦車と重なる印象を受けた。

 装輪式車両に搭載するという60口径野砲は、いわば、52口径155mm自走榴弾砲を搭載した装軌式自走砲を輸送できる輸送車に直接砲塔を積むならば、より長い砲身を積載できる、との発想の逆転が生んだものです。艦砲のような62口径というものも、現実となるのかもしれません。ただ、100kmに達する砲弾だけならば、実は既に開発されているのですね。

 WS-35砲弾、実は中国が既に射程100kmを実現させる砲弾を国際市場に供給しています、2017年に既に開発されていますのでもう五年ということになる。中国は輸出用に高性能なものを提示し、採用国の実績次第で自国も採用するという、大胆だが慎重な開発を進めてきました、そしてWS-35砲弾は人民解放軍にも採用されているのですが、若干相違が。

 人民解放軍で運用されるWS-35は射程が70kmといいまして、十分すごいものだが100kmというインパクトは少ない、そこで情報を精査しますと、WS-35砲弾は輸出用と自国向けがあり、100kmの射程は輸出用しか実現していないという、更に情報を集めますと、どうも輸出用WS-35は有翼滑空弾方式を採用している、無理或る設計ということなのですね。

 有翼滑空弾、要するに155mm砲弾ですが射撃しますと一定高度で翼を展開し滑空するという、なにかアメリカのJDAM-GPS誘導爆弾の滑空を思い出させる方式を用いています、逆に行うならば100km先に届くものの、翼ある砲弾だけに、精度にはかなり限界があるか、飛翔時間の実用性という問題など、人民解放軍に採用できない背景があるのかもしれない。

 ラインメタルの60口径に論点を戻しましょう、技術的には155mmではなく127mm艦砲であれば62口径はふつうです、自衛隊も護衛艦あたご型、あきづき型、あさひ型、もがみ型と62口径127mm艦砲を採用している、しかし陸上の野砲となりますと、60口径でしかも155mm砲というのは、かなり砲身精製一つとって高い技術を要しているものとなる。

 日本製鋼、艦砲や野砲に戦車砲などは室蘭で製造していますが、技術的には52口径砲を国産化していますので、技術的には60口径野砲も可能だとは考えます。また、52口径砲に対して腔圧がどの程度確保できるかにもよりますが、52口径砲が以前の39口径砲に対して発揮した射程の優位性を考えれば、所謂100kmの射程、というものは現実的となります。

 難しいのは、現在のウクライナ戦争の戦訓です。ウクライナ軍は52口径のカエサル自走榴弾砲、供与された8両を駆使していますが、同時に39口径のM-777,アメリカが供与した90門のM-777も相当な威力を発揮しており、39口径砲の時代は終わったと考えられた、欧州における52口径榴弾砲の趨勢は、正しいのか、という素朴な疑問とできましょう。

 日本の立場をここで論点に加えますと、FH-70榴弾砲の後継として今後19式装輪自走榴弾砲の配備が本格化します、これはまさに39口径砲から52口径砲への転換であり、将来陸上自衛隊にも誘導砲弾などが導入されるならば、19式装輪自走榴弾砲の射程は飛躍的に延伸します。そしてこれは装備とともに自走砲へ運用の転換点も同時に迎えているのですね。

 方面特科連隊、自衛隊は師団特科連隊や旅団特科隊を廃止し、方面特科連隊に集約するという運用を進めています、既に編成中ですが西部方面特科連隊が西部方面特科隊とは別に創設され、中部方面特科連隊が松山に、東北方面特科連隊が岩手に、というように改編が進められています。これは野砲の師団旅団より上の上級部隊への集約にほかなりません。

 射程が70kmや80kmとなり遠くない将来に100km前後が見えてくるならば、旅団の交戦範囲を越えるために方面隊にて集中運用という概念が、有る意味妥当に見えてくるでしょう、ただ、野砲はほんとうに100km前後で撃ち合う対砲兵戦が基本になるのか、と、これはウクライナの戦訓が見せつけているのですね、特にM-777やFH-70のポテンシャルです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】金閣寺/鹿苑寺,楼閣建築舎利殿の謎-昭和期三層のみの金装は室町時代どう栄華を伝えたのか

2022-11-26 14:44:53 | 写真
■北山文化の栄華伝える
 豪華絢爛といいますか煌びやかな北山文化の象徴がこの建物なのでしょう。

 舎利殿、金閣ともよばれまして鹿苑寺が金閣寺と親しまれる所以という建物ですが、この舎利殿というものも、知っているようで知らない部分が多いのです。そもそもそのはじまりは昭和の1950年7月2日、あの有名な金閣寺放火事件からはじまるのかもしれない。

 三島由紀夫はじめ多くの文化人がその事件の背景と内心に迫ろうと世界観を織開いたのですが、明治の廃仏毀釈以降、権力と宗教に明確な一線が敷かれた時代にあって文化財を継承するか棄却するかの論点の土台が違うようみえるのですが、今回は建物を中心に添える。

 焼失前の金閣は三層のみに金箔が張られていた。つまり再建された金閣は別物なのではないか、という難しい問いです。難しいというのは銀閣寺こと慈照寺の観音殿、所謂銀閣に銀が貼られていなかったと科学的に確証がついたのは平成時代の解析技術であったため。

 金箔張りはどこまでであったのか、記録が余りに残っていないのです、室町時代の建築物故に記録に残すにも限度があるのですが、焼失前のように三層だけであったのか、全層にわたり金箔が張られていたのか。再建は三層に加え二層が金箔という分析に基づくという。

 楼閣建築の金閣は木造3階建、再建された金閣二層と三層の外面に全面金箔張りとなっています、焼失前の金閣は三層のみに金箔、では何故再建事故唸ったのか、明治の大修理の際に一部破損し新調された二層の隅木、元々の部材に金箔が張られていた為、根拠となる。

 明治の大修理というものは日露戦争の最中である1904年から1906年にかけて行われた解体修理で、日露戦争と云う国運を左右する総力戦の最中によく余裕あったものだと妙に感心する一方、その解体修理では綿密な図面も改めて引かれ、この資料が再建に役立った。

 二層の隅木に金箔が張られていたのだから二層全体がそうなのだろう、という事に依るのですが、十二世住職貫宗承一は1894年に拝観料を徴取して一般公開を始めるまで、ここは極限られた人々にのみ公開されていたというもので、寺は応仁の乱でも被害を受けている。

 応仁の乱では、此処も可と思われるかもしれませんが鹿苑寺そのものが西軍の陣となり建築物の多くが焼失しています、が金閣だけは焼失を免れたという。一方、金閣そのものは焼かれずとも被害には遭っているようで季瓊真蘂や蔭凉軒主が記した公用日記に記録が。

 蔭涼軒日録という公用日記なのですが室町幕府の政治経済基盤や禅寺の概況と将軍公用などを記したもの、ここに第8代将軍足利義政が拝観に鹿苑寺を訪れた際の鹿苑寺被害概況が明示され、庭園も伽藍も伐採され焼損し、金閣についても掠奪の概況が記されている。

 二層に安置されていた観音像は略奪被害に遭い行方不明、三層の阿弥陀如来と二十五菩薩像は白雲だけを残し略奪被害に遭い行方不明、と。すると金閣の取り外せる壁材などで金箔をはったものはどの程度略奪被害に遭っていたのか、被害に遭った可能性もあります。

 金箔は高熱で溶解しますし焼損します、が、昭和時代の分析技術ではいつごろの金箔、創建当初の足利義満の時代のものか、別の時代の金箔精製技法が用いられていたかは不明でしょうから、金閣の果たしてどこまでが金箔であったのか、今となっては分析できません。

 落慶法要から十年ほどで紫外線による金箔剥落が進み黒漆が露呈してしまった故、修理したという記録もあります。応仁の乱の市街戦以外に紫外線という劣化要素もあるために、果たして創建当初の金閣は全て金色だったのか、違うのか、永遠の謎という鹿苑寺でした。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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ノルドストリーム破損は人為的爆破-スウェーデン捜査当局爆発物痕跡確認,バルト海の海底ガスパイプライン

2022-11-26 07:01:44 | 防衛・安全保障
■臨時情報-北海爆破
 エネルギー危機というものは日本では中東情勢により生じるかシーレーン防衛の問題と考えられていましたが、この冬は別の要因からリスクを突き付けられる。

 スウェーデンの検察当局は20日、バルト海の海底ガスパイプラインノルドストリームにおいて発生した大規模破損事案について、現場から爆発物を示す化合物が確認され、これが破壊工作であった明白な証拠が確認されたと発表、CNNなどが報道しています。これによりノルドストリーム破損は破損事故から破壊工作による破壊事件へ大きく転換しました。

 欧州ではロシア経済制裁の報復としての天然ガス供給制限が指摘された今年春頃から天然ガスの欧州域内備蓄を続けています、こうした中で今年9月にノルドストリーム1で二カ所、ノルドストリーム2でやはり二カ所、大規模な破損が発生しており、現場がスウェーデンとデンマークのEEZ排他的経済水域内であったことから捜査が行われていましたが。

 天然ガス、特にロシア産天然ガスはこの二十年間欧州が新エネルギーとして依存度を特に高めており、ロシアからの供給遮断は死活的な問題となります。これには欧州固有の背景があるのです。欧州では環境保護運動が世界でもっとも盛んな地域となっています、これは気候変動の影響をもっとも顕著に受ける、欧州での近現代史過去の歴史に起因しますが。

 環境運動、欧州は過去火山噴火などによる気候変動の影響をたびたび受けており、これはフランス革命やナポレオン戦争と第一次世界大戦など、気候変動による食糧不足が戦争として多大な影響をおよぼしてきたという歴史の教訓が背景にあります。そして近年は火山噴火よりも経済活動による温室効果ガスの影響が特に問題視されています。故に敏感に。

 天然ガスは、こうした厳しい視点にあって地球環境に配慮したエネルギーとして、仮に大規模な使用をおこなったとしても企業へ不買運動などの影響が及ばないエネルギーとして、転換が進んでいます。天然ガスの主成分であるメタンガス、燃やせば確かに二酸化炭素が発生しますが、そのまま大気中に放出するよりは、という言い分で活用されているのです。

 メタンガスは短期的に二酸化炭素の84倍という温室効果を及ぼすとされ、天然ガスが地表に1t自然放出された場合、石油などを80t燃焼させた場合よりも温室効果が高く地球環境に影響する、若干分かりやすく説明しますとこうなります、水圧破砕などを行わずとも天然ガスは自然放出されるため、使うほど環境によいエネルギーとなる、そういう言い分だ。

 自然放出でなく掘削しているではないか、という環境保護運動の視点からの反論はありますが、このほかのエネルギーは不安定な再生可能エネルギーか、原子力発電、地熱発電、水力発電となります。原子力発電に対しては過度な依存へは別の市民運動からの反対に多く、天然ガスは欧州からみた場合非常に安価で安定しており、依存度が高まったかたち。

 ノルドストリームでの事案は欧州からウクライナ情勢で譲歩を引き出したい勢力の人為的関与が指摘されていましたが、物的証拠が必要であるとされ、このために慎重に調査が行われていました。なお、このほかのノルウェー海上ガスプラントなど有志連合方式での欧州域内ガスプラントでは同様の攻撃を警戒し艦艇や航空機による警戒が強化されています。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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令和四年度十一月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2022.11.26-2022.11.27)

2022-11-25 20:00:05 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 今週末は戦車か火砲か市街パレードか航空祭かと選べる行事紹介です。

 築城基地航空祭2022が11月27日日曜日に行われます、福岡県の築城基地は第8航空団の展開する基地となっていまして、入場制限は無く事前応募制でも無い事由に出入りできるという全国の航空祭では貴重な機会となっています。なお、注意事項として脚立や椅子の持ち込み禁止とともに水分補給を唯一例外として感染対策の為、基地内飲食は出来ません。

 築城基地はF-2戦闘機の基地です、第8航空団隷下には第6飛行隊と第8飛行隊、共にF-2戦闘機の飛行隊で、F-2戦闘機は長らく三沢基地第3航空団が二個飛行隊F-2という編成でしたが、第3航空団がF-35戦闘機飛行隊へ転換した事で飛行隊の移駐が行われまして、二つのF-2飛行隊が展開、機動飛行は勿論、多数のF-2による編隊飛行なども期待したい。

 福知山駐屯地創設72周年記念行事、11月26日土曜日と11月27日日曜日に行われます。第7普通科連隊の駐屯する駐屯地で、土曜日は市街パレードが広小路通にて1400時から1430時に実施され、日曜日には記念式典と訓練展示が行われます。中部方面隊管内での市街パレードは福知山と善通寺くらい、不定期で金沢や鯖江など、貴重な式典といえますね。

 姫路駐屯地創設71周年記念行事が11月27日日曜日に実施されます。ここはFH-70榴弾砲を装備する第3特科隊と、第3高射特科大隊の駐屯地です。おそらく第3特科隊として実施されるのは最後の行事かもしれません、中部方面隊の特科部隊は順次中部方面特科連隊へ改編統合される事となっています。また姫路レンジャー展示なども注目されるところ。

 宇治駐屯地創設記念行事が11月26日土曜日に行われます、宇治市では第4施設団が駐屯する近鉄大久保駅前の大久保駐屯地が有名ですが、こちらはJR黄檗駅前、あの万福寺の近くにあります関西補給処の置かれる中部方面隊兵站中枢の一つという駐屯地です。補給処故に戦闘部隊の展示などは限られていますが、兵站と云う戦闘支援の一端が公開されます。

 山口駐屯地創設67周年記念行事、11月27日日曜日実施の予定です。第13旅団隷下の第17普通科連隊が駐屯している。注意事項についてですが、一定以上の混雑となった場合は駐屯地に入場制限を行う可能性があるとの事で入場できない場合もあるとの事、そして駐屯地付近には駐車場が無い為、自家用車では無く公共交通機関を利用する様に、とのこと。

 春日基地開庁63周年記念行事が11月26日土曜日に実施されます。西部航空方面隊司令部の置かれる基地なのですが、ペトリオットミサイルや飛行場地区があり春日ヘリコプター空輸隊のCH-47輸送ヘリコプターや西部航空方面隊司令部支援飛行隊のT-4練習機なども配備される。一般開放は0900時から1330時までと、閉門時間が早いのでご注意ください。

 事前応募制行事について。日本原駐屯地創設57周年記念行事が11月27日日曜日、事前応募制にて行われます。都城駐屯地創設71周年記念行事が11月27日日曜日に事前応募制、国分駐屯地創設67周年記念行事11月27日日曜日に事前応募制にて行われます。久々の駐屯地記念行事ですが、例年と異なり当日自由に入る事は出来ませんので、ご注意ください。

 さてCOVID-19,日本での累計死者数は11月25日までで4万8872名となっています、そして此処が重要なのですが2022年のCOVID-19死者数は既に2021年の死者数の倍以上となっています、此処を見ますと中国が感染抑制に成功していますのでワクチンよりもロックダウン、なのでしょうが経済がもたない、各人で出来る対策を万全としたいですね。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・11月26日:宇治駐屯地創設記念行事
・11月26日・11月27日:福知山駐屯地創設72周年記念行事 
・11月27日:姫路駐屯地創設71周年記念行事 
・11月27日:日本原駐屯地創設57周年記念行事 事前応募制
・11月27日:山口駐屯地創設67周年記念行事 
・11月26日:春日基地開庁63周年記念行事 
・11月27日:築城基地航空祭2022 
・11月27日:都城駐屯地創設71周年記念行事 事前応募制
・11月27日:国分駐屯地創設67周年記念行事 事前応募制

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
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ウクライナ戦争開戦九カ月,ヘルソン奪還とクリミア大橋破損-南部戦線左右するアゾフ海沿岸占領地補給路の維持

2022-11-25 07:00:54 | 防衛・安全保障
■臨時情報-ウクライナ情勢
 特科火砲や戦車部隊など従来型重装備の重要性をウクライナの戦訓は何度も再確認させるところですが、そのウクライナ戦争も昨日でロシア軍侵攻開始から九カ月を迎えました。

 マリウポリからメリトポリに至る主要道路、クリミア半島の東方に広がるアゾフ海沿岸の道路ですが、仮にウクライナ軍はこの主要道路を遮断できる地域まで反撃した場合、この戦争は一気にロシア軍の後退となる可能性があります、それはクリミア大橋の攻撃成功が、意外な程に橋梁に打撃を与えており、半年程度鉄道輸送が不可能となった可能性がある。

 ヘルソン奪還、もう一つ戦線全体に影響するのはウクライナ軍がヘルソンを奪還した事でクリミア半島、ロシア黒海艦隊司令部が置かれソ連崩壊後一貫して維持しているセバストポリ基地、この基地に隣接する故に2014年にウクライナから武力併合したクリミア半島占領地が、ヘルソンからHIMARS等の打撃力の射程圏内に入り、南部での主導権移行がある。

 主導権という点は大きい、何故ならばロシアとしてはクリミア半島の占領を絶対に維持しなければ、これだけの軍事行動をウクライナに対し実施しているのだから、セバストポリ軍港の管理権維持をウクライナが認めるかが疑わしい状況となっています。一方、ウクライナは、クリミア反攻を示唆するだけでもロシア軍の関心をクリミアへ集中させ得ます。

 HIMARSからのGMLRSロケット弾を用いた場合、いまのところウクライナ軍はザポリージャ州の奪還した地域からはまだ、この主要道路を射程内には収めていません。ただ、更に20km程度戦線を押し戻す事が出来た場合、ロシア軍補給路をその射程内に収める事が可能となります、アフガニスタンのカイバル峠のような、戦争を左右する補給路といえる。

 障害は敵に遠く渡れ、これは河川などのウェットギャップを踏破や渡河する際には可能な限り敵から遠い地域を渡河点に選べ、という事ですが、このロシア軍補給路を叩くうえでウクライナ軍はドニエプル川に沿って戦線が広がる中、前線から遠いザポリージャをウクライナ軍は奪還しており、ここから南下の姿勢を示すことで補給路を脅かす事が可能です。

 ロシア本土のタガンログからウクライナ軍アゾフ連隊が死守を試みるも失陥したマリウポリ、港湾都市であるベルジャンシクを経てメリトポリに至り、道路はそのままクリミア半島の付け根であるヘニチェスク、この道路はウクライナ南部に侵攻するロシア軍にとり最重要の補給路となりますが、ロシア軍は南部占領地域であるヘルソンから撤退しました。

 ヘルソンからの撤退部隊はメリトポリとマリウポリに再配置されているのですが、この動きの背景にあるのは、ウクライナ南部への緒戦の侵攻を支えたクリミア大橋からの鉄道貨物輸送と自動車輸送が事実上、大幅に停滞しており、クリミアとタガンログという二つの補給路、その片方が機能不随となっている状況です。これは危険な刃の上にある兵站だ。

 冬季攻勢はあり得るのか。冬季攻勢には兵站維持の困難さと、採暖が不能となれば即座に凍死する懸念があります、ただ、ロシア側としては冬季攻勢が無ければ春季攻勢までにクリミア大橋を完全復旧させるという選択肢が生まれる。一方で暖房用燃料など兵站上の課題があるものの冬季は地面が凍結し戦車の行動が容易となる。まだまだ先の見えない状況が続きます。

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US-2を増強せよ!【4】北極海航路の将来展望と日本の北太平洋安全保障戦略,救難飛行艇の新しい役割

2022-11-24 20:00:00 | 先端軍事テクノロジー
■安保展望-決めるのは政治
 防衛を所掌するのは防衛省自衛隊なのですが防衛政策と安全保障展望を画定するのは政治の役割です、今回はこの視点から考えてみましょう。

 救難飛行艇、存続すべきかヘリコプターの航続距離延伸を受け任務の完了と考えるかは、もう一つ視点を加える必要があります、それは"北極海航路"の今後の展開です。しだいによってはUS-2は不可欠、これは日本が北極海航路を活用するか否かに関わらず、北極海とベーリング海峡に太平洋を結ぶ航路の重要性が増すか否か、という点に左右される視点です。

 八戸航空基地へもうUS-2救難飛行艇を一個航空隊を置く必要性が出てくるのかもしれない。さて、この特集は元々US-2の製造維持が不可能な程に調達数が少なく、結果的に新明和工業は兎も角として、関連企業が防衛産業から撤退の方針を続々と示し、これが、利益を出す事が許されない防衛産業の端的な問題となっている点でした。数を増やす必要が。

 北極海航路は、近年の気候変動を受け長らく人類の行動を制約してきました北極海の海氷が特に気温の上がる夏期において広範に船舶航行が可能となり、欧州とアジア地域を結ぶ最短距離の航路として注目されてきています。これは気候変動対策の観点からは望ましくない部分、温室効果ガス削減に寄与する部分と、両輪の関係がある故、見通せないのだが。

 気候変動対策の観点からは、船舶が航行する際に発生する波が海氷の破砕を促進し北極圏の解氷につながる、そもそも北極は白い氷で覆われていたことから太陽光線を反射していたのに対し、解氷し海面となれば太陽光線を吸収する地域に転じてしまい、地球規模の気候変動を促進する懸念があります、故に海氷はオゾン層のように貴重なものではあります。

 オゾン層への影響から高高度を飛行する超音速旅客機の環境不可が懸念されたように、北極圏の航行が増えれば航跡波の影響で北極圏の解氷が進むという。一方、温室効果ガス抑制の観点から反論しますと、欧州とアジアを最短経路で海上輸送することは、それだけ燃料消費を抑えられることで温室効果ガスの排出量も抑えられるとの反論も成り立ちます。

 現時点では北極圏航行による環境負荷の懸念は科学的研究が、なにしろここまで急速に解氷が進むという前提さえ無かったために未着手の分野であるという結果、北極圏、現状でその航行への規制はありません。一方、燃料消費は環境負荷の観点からその省エネ化を忌避する視座はなく、アジアと欧州の最短経路は今後利用が拡大する可能性は、残ります。

 北極圏航路は、しかし、二つの点で利用は政治的なものとなるでしょう、経済採算性は低い、これは貨物船であっても耐氷構造の船舶でなければ航行が制限されますし、利用できるのは夏期のみで冬季には流氷の南下でベーリング海峡を越えることも困難となります。経済性とともに利便性として中継に使える港湾が少ないという背景も課題とはなり得る。

 スバルバル諸島のような国際法上敢えて設定された管轄権の微妙な地域という問題がありますが、同時に経済性ではなく政治的視点に依拠しますと論点は逆となります、それはFOIP自由で開かれたインド太平洋という新しい国際公序により、海洋を制海権により航行を担保しようとする諸国には別の航路が必要となる為です、それも日本の隣国で、です。

 US-2救難飛行艇と北極圏航路の関係ですが、仮に北極海航路が広く運用される場合、FOIPの理念に反して代替航路を模索する諸国には、FOIPのような自由で開かれた北極圏というような各国の自由を求める海洋開発よりも、南シナ海人工島開発のような施策により、これは人工島でなくとも浮体構造物や艦艇常時遊弋を含め、プレゼンスの公使が予想される。

 プレゼンスの公使に対して、つまりこれまで軍事力で防衛する必要の無かった地域が地政学的重要性を帯びることとなるのですから、当然防衛力の展開として日本は無関心でいることは出来ません、何故ならば北極海航路は確実に北海道と本州沖合で結ばれることとなるのですから一方が来れば均衡を、この海域に軍事的プレゼンスが及ぶ事を意味する為だ。

 北太平洋海域は、しかし、千島列島はロシア領土として日本の北方領土を含めロシアの施政権が及んでいます、他方で北海道東方沖には日本とアメリカを結ぶ北太平洋シーレーンが伸びており、またアラスカにはアメリカ北方軍の有力な部隊が展開、日本本土との防衛協力の枠組みが伸びています、他方でこの中間には基地を建築し得る島が無いということ。

 北極海航路が今後重視されるようになれば、その航路を防衛すべく艦艇の遊弋頻度が高まる可能性がある、同時に北海道や東北地方とアラスカの中間地域には航空機の飛行も増大することとなるのでしょうが、これらの航空機に対する航空救難の枠組みは、救難ヘリコプターの航続距離と進出速度では限界があることも否めません。正にUS-2の出番でしょう。

 日米防衛協力の視点から、US-2による航空救難の範囲をアリューシャン諸島まで延伸し、これらの現状解決に寄与する、こうした選択肢はありえるのかもしれません。もちろん、北極海航路の重視という可能性を考えず、また、これらを活用する諸国の良心を信じて、軍事力によるプレゼンスを行使することはない、と考える事もできるのかもしれませんが。

 救難飛行艇はヘリコプターの航続距離が今ほど長くない時代に必要性が突きつけられ装備化されました。これがヘリコプターの航続距離延伸と空中給油機の導入により行動半径のさらなる増大という、一見して救難飛行艇の時代が終わりつつあるような印象を受けなくもないのですが、同時に日本の防衛、ポテンシャル公使の範囲も広がっている実情がある。

 日本の安全保障範囲は増大したからこそ、ヘリコプター搭載護衛艦にF-35Bを搭載しなければパワープロジェクションが難しい時代となっているのですし、C-1輸送機の後継機であるC-2輸送機がフェリー航続距離で10000kmも飛べる時代となり陸上自衛隊がV-22可動翼航空機を導入する時代、遠くまで飛べるUS-2にも相応の役割があると考えるのです。

 政治が判断する必要がある。自衛隊の任務を増やしているのは政治です。そして内閣人事局がある以上、政治は予算の確保についても権限と責任を負っている訳なのですが、自衛隊は政治が任務を付与しない限り部隊等を勝手に増やす事は制約がある一方、現状のままではUS-2は維持不能となるが、政治が求める日本の役割を具現化する上で妥当なのか、考えるべきでしょう。

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F-2戦闘機に偵察任務を!高い即応性と機動力,百里基地F-2戦闘機にMS-110航空偵察ポッド搭載すべきだ

2022-11-24 07:00:52 | 防災・災害派遣
■戦術偵察機が必要だ
 昔は偵察器材が重く偵察機は専用の機体が必要でしたが現代では戦闘機の多用途性が向上し戦闘機をそのまま戦闘機にも偵察機にも転用可能です、偵察ポッドさえ積めば。

 百里基地のF-2戦闘機にMS-110航空偵察ポッドを搭載し、有事の際には難しくとも平時における災害派遣へ航空偵察能力を構築することはできないか。航空自衛隊には現在既にRQ-4グローバルホーク偵察機の配備が開始され、RF-4戦術偵察機退役後、災害時に航空偵察を行う手段がない、という状況か改善の見通しが立ちつつあるのは理解するのですが。

 RQ-4グローバルホーク無人偵察機、しかし、その後幾つかの台風災害や航空自衛隊が戦闘機を緊急発進させる震度五強以上の地震が発生した場合でもRQ-4を展開させたことはありません、そしてなにより、無人偵察機であり滞空型無人機であるRQ-4は、何かあったときに緊急発進させ現場に急行させるという運用を想定した戦術偵察機ではないということ。

 戦術偵察機は素早い速度で偵察地域へ展開することが可能ですし、なにより戦闘機を転用しているのですから緊急発進へ短時間で離陸させる設計思想に基づいています。現在の災害でも一定以上の地震では戦闘機を緊急発進させ目視で偵察、昼間であれば国籍不明機撮影用にデジタルカメラも載せていますが、夜間は目視、偵察能力は低いことは否めません。

 F-2戦闘機ならば緊急発進の待機を行っています、もちろんスクランブル待機のF-2戦闘機にMS-110偵察ポッドを常に搭載するわけには行かないので、災害があった際にポッドを装着するための数時間はかかるのですが、なにもないよりは、情報収集を素早く行うことが可能です。松島基地の航空教育集団隷下のF-2Bが使えればいいのですけれど、どうか。

 MS-110は戦闘機装着型の偵察ポッドで、デジタル画像を昼夜や気象条件にとらわれず撮影可能であり、複合光波スペクトル合成での夜間カラー画像、反射特性や赤外線特性を複合してカラー画像に仕上げる方式、被災地の情報をカラーのデジタル画像とした上で、前のRF-4と違いフィルム式ではないため、現像せず市ヶ谷や永田町へ電送可能、正に即応だ。

 偵察航空部隊の必要性を改めて感じるのですが、航空自衛隊には戦闘機の調達と部隊整備だけで手一杯という状況があります、いやMS-110はメーカーによればビジネスジェットにも搭載できるというので、いっそT-4練習機に搭載、と考えるのですが空中給油できないT-4の行動範囲は限界がある、しかし現状のままでは十分に災害対応ができないのです。

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【京都幕間旅情】金閣寺/鹿苑寺,室町幕府三代将軍足利義満の絢爛豪華北山殿は禅寺の鹿苑寺金閣寺へ昇華

2022-11-23 20:22:44 | 写真
■青空に映える椛と金閣
 禅寺としては世界で最も知名度が高いものの禅寺らしくない禅寺という印象の鹿苑寺です。

 鹿苑寺の始まりは応永4年こと西暦1397年に遡るという、ただこの地に寺院西園寺が開かれたのは西暦1225年、鎌倉時代です。当時へ池の海上航路を継承し莫大な富を得ていた藤原家の傍流西園寺家は、朝廷行事の資金拠出により京都での影響力を高めていました。

 西園寺は、関東執奏として幕府と朝廷の仲介と云う重責に在り幕府と京都を結んでいました。ただここで転機となる出来事が、鎌倉幕府の滅亡です。この際に当主西園寺公宗は幕府を滅ぼし建武の親政を進める後醍醐天皇の暗殺を画策、実行前に発覚し処刑されます。

 藤原家の傍流でもありますので西園寺家は廃絶する事は避けられたのですが北山の一帯は莫大な財産と共に1335年に没収され、しかし西園寺そのものは半世紀以上荒れ地の様に放置されました、ここを応永4年こと西暦1397年、足利義満が朝廷から得る事で歴史が動く。

 三代将軍足利義満、北山殿という別荘となるのですが、応永4年が一応ここ鹿苑寺の歴史の始まりとしています、この頃既に足利義持に将軍職を譲って四代将軍の将軍宣下を経ているのですが、北山殿から院政のような影響力を行使し始めます、違う意味で凄いと思う。

 足利義満は大陸との間で日本国王を自称し、実のところ大陸に対して卑下した外交政策はあまり好きにはなれないのですが、日明貿易により莫大な財力を手にします、その勢いで朝廷から当地を得たという、なにか中国との貿易で成金となるとここを手にするのですね。

 北山殿であって鹿苑寺となるのは更に後の応永27年で西暦ですと1420年となります。足利義満は影響力は大きかったものの寿命には勝てず没する直前に北山殿を禅寺とするよう遺言を残しまして、足利義満の法号鹿苑院殿に因み、ここは禅寺の鹿苑寺となるのです。

 寺院の中でも考えてみますと方丈庭園などはいちおう垣根越しにみることは許されているのだけれども、思い返すとこの寺院は、建物の中を公開している部分が殆どない、金閣の一層が開放構造故に外から見えるのと、あとは茶室の一部を外から見えるのと。この位か。

 衣笠山を借景に風景として金閣寺は知っているのだけれども、おちついて考えると寺院としての金閣寺をほとんど真面目に見てこなかったのだなあ、こう思いつつ、しかし、金閣寺なんて何度も見たものよ、ときざな風をふかしていた自分をお恥ずかしいと少し省みる。

 集合写真禁止、集合写真を禁止します、こういう看板が金閣の前に幾つも並んでいまして、これはコロナ前にはなかったところです、いやコロナの最中には密集そのものが禁止されていたところですが、そしてここで集合写真を撮影する団体や修学旅行生も居ない。

 コロナ対策は密集回避なのでしょうけれども、この集合写真禁止は、なるほど威力がありますね、格段にこのあたりの人口密度が減ったように思える。いや非常に少ない、そして各国観光客の国内受け入れ再開ののちにも、それほど混雑していない、実感します。

 カメラが貴重だった時代、といいますか平成初期までは集合写真には一応大きな意味があったのかもしれませんがいまはクラウドのように繋がる時代、修学旅行でも友人と友人とその友人たちを結ぶ如く多くの仲間の写真をつなげてゆけば一枚でなくとも全員が結ぶ。

 金閣寺の金閣、それでも皆さん此処を中心に見ているのですよね、仕方ない所ではあるのですが方丈庭園など、いやいっそ当地に在った七重塔などを再建することができたならば、もう少し広い視野で鹿苑寺を眺める事が出来るのかもしれない、そんな事を思いましたね。

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【京都幕間旅情】金閣寺/鹿苑寺,西園寺は西海貿易制した藤原家傍流の地を継ぐ足利義満の北山殿包む紅葉

2022-11-23 20:00:12 | 写真
■金閣寺の紅葉は鮮やか
 金閣寺といいますか今まで金閣ばかりみていまして寺院の広がりもそして木々さえも良く見ていなかったように少し顧みる。

 鹿苑寺こと金閣寺にこれほどの紅葉が、驚かされましたのは、横浜の知人にそういえば金閣寺の紅葉はいまどのくらいいろ付いたのだろう、と素朴なやりとりがありまして、金閣寺、紅葉はどのあたりだっただろうかと曖昧な受け答えをしてしまいました次第です。

 北区金閣寺町、左大文字を仰ぐこの立地は、京都と云えば金閣寺という程に修学旅行の定番ではあるのですが、臨済宗相国寺派の寺院、禅寺と云う割には華美な金閣ではあるのですが、一歩引いてみますと、三門も堂宇も、こじんまりとした、確かに禅寺と気づきます。

 椛、すごいじゃあないか、こう改めて思いました次第です。もちろん金閣寺の金閣を包む紅葉、というような植樹はないのですが、ここは金閣であって金閣寺ではない、そうつまり金閣寺をみているつもりで今まで金閣だけを眩しいとか豪華とか言っていた。違うのだ。

 北山文化は室町幕府がもっとも華やかな時代にひろまりましたものゆえに、金閣は再建されたのちこそ眩い以上の光を放っています、いかし、考えてみますとここはもともと北山殿とい足利義満の別荘だったわけでして、禅寺となったのはずいぶんと後で歴史は複雑だ。

 藤原公経が西園寺を造営した、この一帯は西園寺家の所領となるのですがもともとは藤原氏の分家となります西園寺の、しかし名の通りの寺院でありました。鎌倉時代元仁元年、西暦の1225年に寺院が造営された事に始まります、昨今鎌倉時代は大河ドラマで話題だ。

 平清盛、歴史に関心が無くとも平家物語などは義務教育でも学ぶところなので常識の範疇なのでしょうが、武家社会の基礎を構築した平家は西海貿易、瀬戸内海の海賊を鎮定し制海権を維持し貿易の権益も一手に握り莫大な財力を政治力や軍事力に代えたのが背景です。

 日本史は面白いが気付かないところが多い、そもそも平家は財力を政治力にといいますが、政治力が今風に言えば賄賂のようなものを想像するのですけれども、そうではなく当時は今の様な宮中行事が大規模であり、しかも誰かが資金を拠出しなければならないという。

 西海貿易、興味深いのは鎌倉幕府が源頼朝により開府となりましても、西海貿易を幕府所管とする動きが何故か無いのですね、税収も関税にあたるものは徴収していますが、港湾管理権や物流による利益などは、驚くほど武家の家計簿に出てこないのです、では何処に。

 西園寺家はこの西海貿易を所掌していた、平家は西海貿易の権益とともに利益により朝廷行事の費用負担を担ていたのですが、鎌倉幕府はその名の通り首都を鎌倉に、東国に配置しています、あの時代には京と鎌倉という二つの首都があったのです、これは特殊でした。

 鎌倉と京、これは江戸時代の江戸と京の関係を思い起こすかもしれませんが、首都を二つに分けたのは日本ではこの鎌倉時代が初めてであり、距離を置く事での優位性と実務性を理解した結果の江戸、鎌倉時代はそういう意味で暗中模索の中での二つの首都といえます。

 幕府も宮中行事に資金をかなり拠出はしていました、これは朝廷との関係を意識していた為です、しかし飢饉救済など朝廷が行わない公共事業にも幕府は関与していた、この中で日常の数多ある行事の資金を拠出していたのが、京都にあった西園寺家だったわけです。

 紅葉、そう思い出せば金閣寺は金閣の舎利殿ばかり象徴的な建物として紹介しますし、金閣寺といえばみなさん思い浮かべるとおりこの金閣を思い出す、それは銀閣寺が観音殿を思い浮かべる以上に、寺院の中でも金閣しかみていなかったのではないか、なにかこう反省する。

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【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-京都駅,ヱビスビールは思い出と近鉄百貨店プラッツ跡地で頂く

2022-11-23 14:41:31 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 京都駅前は京都の玄関口であるのですが昨今はもう一つの顔としてヨドバシカメラやビッグカメラが並ぶ電気街を構成しています、ただ昔はソフマップしかなかった、プラッツのね。

 榛名さんのところで育った白加賀、いや榛名山麓で白加賀という品種の梅があるそうでして、この白加賀をふんだんに用いました白加賀、そんな銘柄の梅酒があります。勝手に加賀ときき北陸のものとおもっていましたが、そんな梅酒が京都駅前で頂けるという。

 プラッツ。近鉄百貨店は風格ある建物で吹き抜けの大きな店内をエスカレータで一階二階と上ってゆくたびに、さてどんなお買い物を、こう気分が高揚したものでした。直ぐ北となりに東本願寺、南となりは京都駅に京都タワー、京都の玄関の不思議な空間を構成した。

 ヨドバシカメラが近鉄百貨店の跡地に来ると聞きまして、建物はそのままと勝手に思いこんでいたのですけれども、あっさり取り壊されてしまい、これならば最後に店内撮影禁止でも頼み込んで撮らせてもらうべきだったかと、思い出、すごく残念に思ったものでした。

 京都駅前、ヨドバシカメラはそうした思いからカメラ関連の機材を新調するにも三条サクラヤや遙か東京や名古屋と岐阜、大阪神戸と探したほどなのですが、いつごろだろうか、京都ヨドバシにも新製品を、と探しに行くようなりまして、そして通うのは晩酌の際にも。

 エビスバー、ヱビスビールというのは大学時代の思い出で、これは学生時代というのは騒ぐ第一のお手本のような生活、コロナ前までは繰り広げられたわけで、そんなオンオフしっかりの学生に多忙極めるにも関わらずおつき合いいただいた国際法の先生のお気に入り。

 大学時代は尊敬する先生に数多出会いましたが、なかでも用語の基本と理念の応用に論理と法源や法哲学まで、よくあの短時間にまとめて分かりやすく講義してくれたという国際法の先生は印象深い。だからヱビスビールを今の時代嗜む度にふと昔を思い出してしまう。

 プレミアムブラック、黒ビールというのはビールの原材料である麦芽を焦げるまで炭焼きでローストすることで、独特の、同じように焙煎して深みを出す珈琲の如くという味わいを醸し出すのですね。ゆっくりいただく、なんでも泡を落ち着かせるのが風味の決めて。

 イギリスのパブではこうした黒ビールを、それも冷やしすぎない温めのものを、一杯いっぱいじっくりいただく。じっくりというのも、最近はCOVID-19さんの影響で長居にはちょっと考えさせられる時代ですので、おちついて呑めるのはもう少し先なのかなあ、とも。

 ペンネアラビアータ、おつまみペンネという。ぴりりとするスパイスは、まあ費用対効果のことはここはBARですのでもう少し隅の方に送りまして、ところでBARを強調したあとで和風ちっくな意見ですが肴にペンネは箸でつかみやすいのは、ありがたいのですよね。

 スペアリブ、要するに枝付き肉、お肉らしいお肉という。小さいですけれども、ナイフとフォークで美味しくいただける前半戦と、そして骨付きの際にあります、細かい筋張ったコラーゲン的なタンパク質と格闘する後半戦とで分かれています、後半は見られたくない。

 グリルされましたスペアリブは一本単位で頂けるのですが、こういうのは一気に三本五本注文しますと、写真映えするのかもしれないものの、二本目くらいから冷めているという、熱々を頂くには面倒でも一本づつ注文するべきか、いやはや食べたいとき旬で多数頼むか。

 エールは、これはきんきんと冷やしていただく、グラスで。このエビスバーの面白いところは、このときはカウンターで頂いているのですが、ここ、テラス席といいますか、七条通りにイスとテーブルが並んでいまして、要するに換気のいいお外でも窘めるのです。

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