自己主張というと、マスコミの影響とか学校時代に学んだような良い子の発言。そんなイメージがどこかにあって、力んで主張してしまいがちになる。青年のころは、自己主張すると殆ど喧嘩みたいになってしまった。
そして、大学を卒業して企業に勤め、大阪でセールスの現場に出た時は、今から思えば冷や汗がでるような自己紹介・表現であったに違いない。昔は自分の武勇伝を変に自慢したが、実際は回りの年配のお客様に助けられ、先輩に助けられ何とか生きて行けたのだと思う。感謝しつつ当時を振り返る。
さらに、のんびりと自分の自己主張のパターンの源泉を思索していくと、幼少期や小学生のころの両親の影響が大きいことに気づく。特に非常に緊張して、こわごわ主張する時が今もたまにある。幼少のころの自己主張に関する原型が、現在の生活の中に顔をだしているようだ。
小学生のころの、楽しいはずの旅行で、遊びのゲームルールをめぐって父と意見がぶつかったことがある。そして悔し涙を流した。そんなことが自己主張で変な影を落としているようだ。その時のことを再解釈し、父をゆるし、自分をゆるしていくと、自己主張に幅ででてきたように感じる。周りから何と言われるかは別であるが・・・
自己主張は、自分と他人の間で行われるわけであり、自分の状態と相手の状態を確認しつつ、最上のやり方でやれば良い。表現方法は沢山ある。
春の美しい花々、そんな優しい主張の仕方もあると思う。お説教型、言いぱなし型に固定するのではなく、さまざまな表現方法を考える価値はあるようだ。
<自己主張2/4>
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尚、このブログは「生き甲斐の心理学」を参考にしています。