イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

生き甲斐への道!

2008-04-25 | 第五章「和解と平和」

 昨年バザーで買ってきたというか、貰った特大のガラス食器。邪魔になるので早く処分してほしいという家族の声で、どうしようか使い道を考えたが、なかなかない。

 片手で、その皿を天井のライトに突き上げた写真がこれである。

 ガラスの中の小さな気泡が、星のように光って美しい。学生時代に読んだ、アクショーノフの「星の切符」を思い出したりした。さらに、サンテグジュペリのことを思い出し、手元にあった、「人間の土地」を読み始めた。

 読みはじめて、最初のところに、次の言葉があった。「努めなければならないのは、自分を完成することだ、試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。」(新潮文庫、サンテグジュペリ著、堀口大学訳 8ページ)

 今地球には66億人の人間が住んでいると言われる。私もその中の一人。狭いエゴの世界に縛られることなく、自分の中の尊厳というか核心というか、を大切にし、変なしがらみに埋没することなく、自由に生きてゆきたい。

 そんなふうなことを熱く想った。

 自己主張。単なるエゴのレベルもあるが、魂をはじめとする深い尊厳といったレベルもある。66億人の中の一人として、叫ばなければならないことがあるに違いない。

<自己主張4/4>

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尚、このブログは「生き甲斐の心理学」を参考にしています。


自己主張が無力の時!

2008-04-25 | 第五章「和解と平和」

 自分のした行動をAと思っていても、Bと解釈されてしまう。誠意をこめてお話しても、主張しても事態は一向に改善しない。そんな時、それが親しい人であればあるほど、ショックは大きい。

 先日読んだ古事記の中に有名な、海幸彦、山幸彦の神話がある。山幸彦が無理にお願いしてやっと兄の海幸彦と道具と交換し、釣りをしたのは良いが、大事な兄の釣り針をなくしてしまう。

 自分の十塚の剣から、500、1000の釣り針を作って弁償しようとしても、許されない。山幸彦は海岸で途方にくれ嘆き悲しむ。山幸彦が陥った苦悩は深かったのだろう。

 ある日突然、晴天の霹靂のように襲う不幸な出来事。必死の話し合い、自己主張も無力である。自分のAという解釈も暗礁に乗り上げる。人生にはそうした時がくることがある。ただ、そういう時は見方を変えると、より人生を深く生きるためのチャンスではないだろうか。

 神話では、そこに山幸彦を助ける塩椎神がきて助け、また豊津見神が親切にも失った釣り針を探し出してくれる。そして、話は展開し最後には海幸彦を懲らしめ、服従させてしまう結末になっていく。

 神話を読んでいると、日常の倫理道徳を越えて、世界が広がっていることが判ってくる。この山幸彦の話も、美しい桂の木や井戸を通しての豊玉びめとの出会いなどもあり、ゆったりした流れの中で、苦悩を越えていく何かを学ぶ。

 神話は真善美の世界とどこかで繋がり、私たちが辛い思いをしているときに、それを受容していく術を語ってくれているようだ。

<自己主張3/4>

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