イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

自分と他人は違うけど・・・他人を受容すること!

2008-04-26 | 第五章「和解と平和」

 昔、米国の方と頻繁に接触して仕事をした時期があった。その時、日本人と違って、外人はなんと個性豊かかなと思い。また、日本人は何と個性がないのだろうと思ったことがあった。

 それは、大きな間違いで、日本人も一見そうかもしれないが、実は本当に多様だと最近痛感する。「生き甲斐の心理学」を学んだ成果かもしれない。

 深層心理では「自分以外の他人は驚きの対象」。確かに、他人でも関係が深まっていくと、違い・・個性が見えてくるように思う。尊厳のレベルでは同じであっても、成育史も違うし身体も違うので、違うのは当然かもしれない。まして、社会のなかで立場をもって働くとなると、利害得失もあり対立して当然である。

 昨日紹介した、日本神話の山幸彦、海幸彦も、釣り道具を兄に借りるために、3度お願いしたが許されなかったとある。4度目だろうか、ゆるされたのは。クリンギット族の神話もワタリガラスがワシに承諾を得るまで3度頼んだようだ。三国志の三顧の礼も有名である。

 神話の世界でもそうだから、人は簡単に同意してはくれないと考えるべきだろう。重要な問題であればあるほどだ。

 和解を望んだり、カウンセリングで支援したりするとき、重要なことに他者受容ということがある。同意では決してないが。相手のありのままを受け入れるということである。これから4回、他者受容について考えていきたい。

<他者受容1/4>

人気blogランキングへ <- 1クリック是非とも応援お願いします!

尚、このブログは「生き甲斐の心理学」を参考にしています。